お妃教育1
週末、フィリエルから言われた通り王宮を訪れたユイは、熱烈大歓迎を受けていた。
「きゃー!ユイちゃん、いらっしゃい」
「王妃様、本日は」
「あら嫌だ王妃様だなんて、これからはお母様って呼んで頂戴」
王妃へ対するきちんとした挨拶を言おうとしたユイだったが、王妃という呼び名に引っかかったアリシアにより最後まで挨拶は出来なかった。
「いえ、そんな恐れ多い…です…」
さすがに急に馴れ馴れしくするのはどうかと思ったユイは遠慮しようとしたが、笑顔で呼ばれるのを待つアリシアの期待に負け、良いのかなあと思いつつおずおずと口を開いた。
「お母様……?」
呼ばれるとアリシアは感極まりユイを抱き締めた。
そして、可愛い義娘を獲得した息子へ労いの言葉を掛ける。
「~っ、なんて可愛いのかしら。でかしたわよ、フィル」
「お褒めにあずかり光栄です」
にっこりと微笑みながら、嫁姑問題は無さそうでなによりだと、そちらの意味でもフィリエルは内心で喜んだ。
挨拶が終わると、ユイはアリシアに連れられ案内されたのは、王宮内のとある一室の扉の前。
「ここがユイちゃんの部屋よ」
まだあくまで婚約中なので、部屋をもらうには早過ぎるのではとユイは思ったが、今後は王宮へ出入りする事も増えるので、あった方が都合が良いとアリシアに諭された。
「隣はエルの部屋?」
随分前に少しの間いただけなので、ユイは自信なさげに問う。
「ああ、よく覚えてたな」
「フィルの寝室と続き部屋になっている、妃の為の部屋よ。
ユイちゃんの為に張り切って内装を準備したの、どうかしら」
部屋の中へ入っていくと、妃の部屋だけあり、室内は広く、質の良い調度品が揃えられていた。
全体的に、白とピンクを基調とした内装。天蓋付きのベッド。至る所に使われたレース。
何というか、非常に可愛らしい。
小物や細部までにこだわりを感じる室内に、アリシアの並々ならぬ気合を感じた。
少し前まで、セシルとカルロの部屋を嬉々として準備していたシェリナを思い起こされる。
「やっぱり女の子は可愛い方が良いわよね」
「あ、ありがとうございます」
娘のいないアリシアの、女の子がいたらこうしたいという願望と気合により、王妃監修の元、女官達も率先して手伝い、これぞ女の子の部屋という空間が出来上がった。
だが、質の良い物を使っているからなのか、品もあり、華美過ぎず落ち着いた雰囲気もあって、居心地は良さそうだ。
そこはやはり常に良いものを目にしている王妃と、王宮の女官と言ったところなのだろう。
美的感覚が良い。
「気に入らなければ勝手に変えて良いからな」
「ううん、折角私のためにしてくれたんだから、このままで良いよ。凄く素敵な部屋」
「喜んでもらえたようで良かったわ。
…………じゃあ、部屋も見終わったし、衣装合わせに行きましょうか」
びくぅと、ユイの体が震える。
逃げたいユイと相反して、控えていた王妃付きの女官の目がきらりと光った。
衣装合わせとなると、王族相手の上質な品が揃えられる。
仕事に忠実な女官と言えど、やはり女性。
自分が使う物ではなくても、ドレスや宝石を見てみたいと思うものだ。
だが、現在の王宮で女性は王妃のアリシア只一人。
そして、アリシアに付く顔ぶれは既に決まっていて、参入するのは中々難しい。
衣装合わせや社交前の準備といった場面にあり付けない女官達により、誰がユイのお世話に付くかという事で、それはもう熾烈な争いが行われた。
あまりにも白熱し過ぎたので、今回の衣装合わせは前回もユイを着飾った王妃付き女官が、付き従うことになったものの、水面下ではユイ付きになるために激しい猛攻が巻き起こっているとか。
こういう事には慣れた王妃付きの女官だが、若くて可愛らしいユイに、腕が鳴るのか、既に戦闘態勢に入っている。
目が恐いほどやる気満々のアリシアと女官に、ユイはただ怯えるしかない。
そのまま別室に移動すると、王宮へ呼ばれていた商会の者達が来ていた。
王族の衣装は基本オーダーメイドなので、色とりどりの布と、見本となるドレスや靴、装飾品が部屋中に整然と並べられていた。
だが、ユイの目が引かれたのは、華やかで美しいそれらの品では無く、商品を持ってきた商会の人間だった。
「あっ、リディアさん」
ユイが名を呼ぶと、礼を取っていたリディアが顔を上げ、艶やかに微笑む。
「ユイちゃんはランゲルト商会の方とお知り合いだったの?」
「はい、リディアさんはパパの友人なので」
「なら紹介は不要のようね」
はい、とアリシアに答え、ユイはリディアに向かう。
「こんにちは、リディアさん」
こんにちはユイちゃんと、普段通りの挨拶をしようとしたリディアだったが、王子の婚約者の衣装合わせの為に王宮へ呼ばれた事を思い出し、商会の者として挨拶をする。
「本日は我が商会をご利用頂きまして、ありがとうございます」
他人行儀なリディアにユイは不満を感じるも、仕事中なのだから仕方が無い。
商会として呼ばれているのに、王族の伴侶としてここにいるユイに馴れ馴れしくは出来ないとユイも分かっていた。
「腕によりをかけて、お披露目に相応しいお衣装を仕立てさせて頂きます」
そう言うリディアの目は、アリシアや女官達と同じ目をしていた。
まずい………。
敵が増えた事を悟ったが、逃げ道はない。
ユイに布を当て、これが良いあれが良いと、ユイを蚊帳の外に、大いに盛り上がる王妃組とランゲルト商会組。
フィリエルに視線で助けを求めるが、激しい議論を交わす女性達の中に入っていく気概はないようだ。
婚約者のへたれさに救助を求める事を諦めたユイは、自分だけ着せ替え人形にされるのは理不尽だと思い、アリシアにとある提案を耳打ちをした。
そのユイの提案にアリシアはぱっと笑みを浮かべる。
ユイが母親と女官達に対し、ごそごそと何やら動いているのを不思議そうに見守っていたフィリエルは、次の瞬間、女性達に獲物を見据えた猛獣のようにぎらりと光る眼差しを向けられ顔を引き攣らせた。
嫌な予感が頭を過ぎり、逃げろという警戒信号が頭の中で鳴り響く。
だが、逃げる間もなく、獲物を見つけた女官達が襲い掛かってきて、呆気なく捕獲される。
何故触れるのか。
女官達の手の甲に浮かび上がった魔方陣を見れば理由は聞かずとも分かった。
咎めるような視線をユイへ向けると、敵の分散を狙ったユイからの「私だけなんて狡いでしょう?」という言葉が返ってくる。
前々からフィリエルを弄りたいと思っていたアリシアと女官達が、この機会を逃す筈が無く、ユイ共々アリシア達に目一杯遊ばれる事となった。
衣装合わせを終わり、ぐったりとしたユイとフィリエル。
しかし、ユイに休む間は無く部屋を移動し、今度はペンを片手に学園での試験さながらに問題を解いていた。
政治、経済、語学、地理、国際情勢といった、王族に必要な分野の問題が何枚もの紙に渡って出題されている。
妃の教育をしていくに当たり、ユイがどの程度の知識を持っているか確認するためのものだった。
ユイの側には、白髪交じりの髪を頭の真ん中の位置でおだんごにした年嵩の女性、アマーリエが厳しい目をユイに向けていた。
筆記の試験が終わると続いて礼儀作法だ。
筆記の試験と違い、社交の場に出席しないユイには、一番の難題であった。
笑顔を作る事が出来ず、アリシアが王妃になる際も教育を務めたアマーリエの表情が険しくなっていくのが分かり、さらにユイの表情も強張ってしまう。
終わった後は、衣装合わせも相まって精魂尽き果て、夕食の時間だと案内されたユイは、席に着いた途端倒れるように机の上に突っ伏した。
その様子を、隣に座るフィリエルが苦笑を浮かべながら、ユイに声を掛けた。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃない……」
今日は実力の確認という事で、叱られる事は無かったが、アマーリエの表情を見れば、出来が悪いことは一目瞭然だった。
疲れと同時に、出来ない自分にも落ち込む。
少しすると、テオドール、ベルナルト、アリシア、アレクシスが入室し、それぞれの席に着くと、最後に入室してきたアマーリエが、ユイの試験結果をベルナルトへ報告するため口を開いた。
「正直申し上げまして、今のユイ様のままで夜会へ出席するのは、少々不安がございます。
立ち居振る舞いは問題ございません。
ですが、経験が限りなく少ないとのこともあり、社交に関する実力は、王族の伴侶として不足かと。
笑顔を作れないというのも、非常に問題です。
何かと粗探しをするのが好きな方々が、多うございますからね」
分かっていた事だが、アマーリエの厳しい評価にユイは項垂れる。
祖父のパン屋を継ぎ、貴族社会とは関わるつもりが一切無かったので、積極的に学ぶ事が無かった。
そんな時間があるなら、読書や研究に当てていた。
今更ではあるが、もう少し勉強しておけば良かったと後悔する。
「そう落ち込まなくて良い。
アマーリエはあくまで、今のユイならと言っているのだ。
社交に不慣れな事は最初から聞いていた事なのだから、今後覚えていけば良い。
だが、笑顔を作れるようにはなっていた方が良いかもしれんな。
まあ、最初は緊張しているという事で通せばいいだろうが」
落ち込むユイを見たベルナルトが慰める。
「はい………」
夜会までに出来るだろうかと、ユイは少し不安になる。
だが、テオドールは至って軽い。
まあ、いつもの事ではあるが……。
「そこまで気を重く感じる必要はないぞ。
何せ、夜会ではそれどころでは無くなるかもしれんしのう」
「おじいちゃんの事?」
「それもあるし、他にものう」
意味深なテオドールの言葉に、また何かしでかすのかと、ベルナルトとアレクシスから胡乱げな目が向けられる。
唯一、フィリエルだけは、あさっての方を向いた。
「それに一人で出るわけではない、フィリエルがおるじゃろうて」
多少ユイが不慣れでも、それをフォローするのが婚約者であるフィリエルの役目だ。
「お祖父様の言う通りだ、俺がいる」
「うん」
フィリエルの言葉にユイは嬉しさと、彼がいるなら大丈夫だと素直に安心してしまう自分に少し気恥ずかしさを感じながら頷いた。
そんな初々しい二人が見つめ合う中、ここぞとばかりに男気を見せようと頑張るフィリエルに、周囲から生温かい視線が向けられる。
そんな視線に気付いたフィリエルは、居心地悪そうに咳払いをし、アマーリエに続きを促した。
「それで、他はどうなんだ?」
分かり易い切り返しに、厳しい顔をしていたアマーリエも、微笑ましいものを見るように表情を緩ませつつ、からかうような無粋な真似はせず、必要な事だけを口にした。
「社交力とは逆に、学園では教えない政治や国際情勢を良くご存じで、言語も数カ国の文字と発音が完璧でした。
他の教育は最小限に抑え、社交の教育に回して構わないと思います」
これにはベルナルトから感嘆の声が上がった。
「ほう、それは素晴らしい。
新しい魔法の作成だけでなく、政治や語学も堪能なのか」
「言語は、他国の魔法書を読む時に必要なので、勉強していただけです」
「それにしては、政治や世界情勢などにも精通しているようだが?
パン屋を継ぐつもりでいたのだろう?」
ユイの様子からは、好きな事にはとことん掘り下げるようだが、そうでないものには疎かになりがちのようだ。
そして、とてもユイが政治などに興味があるようには見えない。
「あー……私はそのつもりだったんですけど、パパは私を文官にして、宰相の秘書官にしたかったらしくて。
ことある毎に話題に出して教え込もうと画策してて、他にも言葉の発音の仕方なども、叩き込まれました」
ユイは本を読むために言語の勉強を行ったので、正確な発音までは分からなかった。
だが、宰相の秘書官ともなれば数カ国の言語を喋れて当然。
勿論レイスも、他国と交渉をするので数カ国の言語が堪能で、仕事でもユイを連れ回そうと企んだレイスが、ユイに強制的に指導を行ったのだ。
ユイとしても、文字は分かるのだからちゃんとした発音も覚えておこうかなぁ、とレイスの指導を聞いていたのだが、軽い気持ちだったそれが、まさかここに来て役に立った。
「奴は私情の固まりだのう」
しかし、それを注意出来る人間が限りなく少ないので、レイスが自重する事はない。
全員の頭の中に、ユイにお茶を入れて貰い、デレデレとした顔で仕事するレイスが浮かび、何とも言えない気持ちになる。
そんな中で、アレクシスだけは、ありかもと思う。
「彼女が秘書官なら、カーティス宰相も機嫌良く仕事をしてくれるかもしれませんよ、父上?」
ユイのお妃教育の為に王宮で預かると報告してから、機嫌が最高潮に悪くなったレイスに頭を抱えていたベルナルトは、何とも魅力的な提案に心引かれた。
「それは良い!」
新人が宰相の秘書官となれば、いらぬ妬みを得そうな所だが、それで魔王の機嫌が良くなると説けば、反対する者など出ないだろう。
いや、むしろ泣いて感激される。
自分も感激する。
そうベルナルトは思ったが、フィリエルが待ったを掛けた。
「父上、ユイにも希望する進路があるのですから」
「むっ、それもそうだな。ユイは進路を決めているのか?
以前はパン屋を継ぐと言っていたが、流石に王族に加わる以上遠慮してもらわねばならん。
………そうそう、元帥からもユイを軍に入れてくれと要望があるのだ」
まだ諦めていなかったのか、とあまりの執念深さに呆れてしまう。
宰相相手では手が出ないが、ユイがフィリエルの伴侶となった事で、王を説得すればユイを獲得できると思っているのかもしれない。
「元帥にはお断りを入れておいて下さい。
私が軍に入る事は絶対に無いので。
私は軍の厳しい訓練に付いていける程体力がありませんから」
「では、文官はどうだ?
レイスの事だから、厳しくはしないだろう。
レイスが上司で嫌ならば私の補佐官でも良いぞ?」
そして魔王を抑えてくれという、切迫した懇願が透けて見えた。
「一応決めている事はあるので、深い所まで決めるのはもう少し先になってからにします。
その時にはご相談に伺います」
まだユイは二年生になったばかりで、考える時間は沢山ある。
進路の話はそこで終わり、その後は、アリシアに王妃様と呼んでも無視され、お母様と呼んで漸く返事が返ってきたり。
お母様と呼ばれているアリシアを見て、ベルナルトが呼んで欲しそうにモジモジとしたり。
アリシアに促され、ユイがお父様と呼ぶと、レイス顔負けに喜んだりと、賑やかな夕食が終わった。
***
「今日は疲れただろう、おやすみユイ」
「うん、エルもおやすみ」
フィリエルと分かれ、隣同士の部屋にそれぞれ入っていく。
ユイが入った瞬間、部屋に留守番していたシュリが飛び込んできた。
「ピュイ、ピュイィ」
寂しかったよーと言うように、擦り寄るシュリを撫でる。
一緒に連れて来ていたのだが、許可が無いので遠慮して欲しいと言われ、ずっと部屋で待っていて貰ったのだ。
許可のない生き物を王宮内で出歩かせられないという事なのだろう。
だが、ベルナルトからもシュリを見てみたいと言われたので、これからは問題なく連れて歩ける。
「ごめんね、シュリ。寂しかったでしょう。
でも、明日からは一緒に行動出来るからね」
「ピュ-イ」
喜びを表現するように、ぴょんぴょんと跳ねるシュリ。
蜂蜜を小皿に入れ、ペロペロと舐めるシュリを見ながら、今日が終わった事を感じて、漸くほっと息が付けた。
静かになった部屋で、ユイはふと、ある人の事を思いだしていた。
パン屋の近所の屋敷に住み、ほんの僅かの間一緒に過ごした、ディルク。
突然思い出したのは、ユイが他国の言語を知っているという事を話したからだろう。
発音を教えてくれたのはレイスだったが、本を読むために必要な文字や意味を教えてくれたのはディルクだった。
ディルクの家には、沢山の国々の魔法書や文献があり、ディルクに読み聞かせてもらっていたものだ。
だが、読み聞かせられている事に、子供扱いされているように感じ、ディルクに教えを請い必死になって言葉を覚えていった。
きっとディルクに取ったら、子供のお守りに自分の読書の時間を邪魔されて鬱陶しいと思っていたかもしれない。
だが、そんな素振りなど一切見せず、いつも温かく迎え入れてくれていた。
オブライン家から追い出されるようにして始まった新しい生活に、中々居場所を見つけられずにいたユイに一時の安住を与えてくれた人。
「元気かな、ディルク兄様………」
恐らくもう会えないのだろうと思っていた。
だが、会えないと思っていたフィリエルにも再会することが出来た。
ならば、きっとディルクに会える日も来るかもしれない。
きっと話していたエルと婚約したと知ったら、ディルクは驚くだろう。
そんな事を思いながら、疲れた心身を癒すように、いつの間にか眠りに就いていた。




