不機嫌な理由
Aクラスとなってからは、バーグが担任である事とライル達に止められた事で、さぼる事なく真面目に授業を受けていたユイだったが、やはりと言うか長くは続かず、バーグの担当教科以外で抜け出していた。
向かう先は、決まって図書室。
今日もそこで本を開き、魔具の為に必要な構築式の研究にいそしんでいた。
集中して読んでいたが、ふと集中が切れ、視線を上げると……。
「エル?」
ユイが座る向かいの席には、いつの間にかフィリエルが座っていた。
そして何故か、腕を組み仏頂面のフィリエルからは、ありありと不機嫌さが滲み出ていた。
「なんか怒ってる……?」
「分からないか?」
そう言われて考えてみるも、とんと思いつかない。
そもそも、婚約が決まり新学年が始まってから、フィリエルに会ってすらいないのだ。
「全く」
フィリエルは不機嫌な顔のまま、机に広げられていたユイの本をまとめて持つと、ユイの手を引いて図書室の奥にある王族専用の個室へと入っていく。
フィリエルは本を机の上に乱雑に置くと、ソファーにユイを座らせ、隣に陣取った。
「俺は怒っている。非常に機嫌が悪い」
「う、うん」
わざわざ申告しなくとも一目瞭然だ。
「何故だか分かるか?」
妙な迫力に気圧されながら、ユイは首を横に振った。
「俺と最後に会ったのはいつだと思う?」
「………確か婚約が決まった時」
「そうだ!つまり、それから一度も会っていない。
漸く婚約まで漕ぎ着けたって言うのに、あれから一度もだぞ?」
よほど不満が溜まっていたのか、不機嫌さを隠そうともしないフィリエルはさらに続ける。
「新学年が始まって、いつもの屋上でユイが来るのを待っていたが、影も形も無い。
きっとAクラスに入って真面目に授業を受けているんだろうと思っていたんだ。
まあ、それなら仕方ない。
だがどうだ、ユイときたら図書室でしっかりサボっているじゃないか。
俺は会えなくて寂しく感じていたのに、ユイはそうでもないらしい」
そこまで聞けば、フィリエルが何を言いたいか、分かってきた。
機嫌が悪いというより、拗ねているといった方が正しいのかもしれない。
「俺は来年から軍に入るから、そうなると頻繁には会えなくなる。
王族だろうと最初は他の新人と同じ扱いで忙しくなるからな。
こうして時間を気にせず一緒にいられるのは、今だけなんだぞ」
少し責めるように言われ、ユイも申し訳なく感じてきた。
「うん、ごめんなさい」
「………もういっそ既成事実でも作って、王宮で暮らさせるか?
そうすれば毎日会えるし、母上も喜びそうだ………」
不穏な呟きが聞こえたが、聞こえなかったことにする。
「でも、別にエルの事を忘れていた訳じゃないよ。
エルの為の、魔具に必要な構築式を作ってたんだから」
魔具の仮免許証を見せ、決して存在を忘れていた訳ではないとアピールすると、少し驚いた表情をし、いつもの穏やかな口調に戻った。
「双子から聞いてはいたが本当に取ったのか……。
まあ研究も良いが、どうやら母上がやる気満々でいるから、覚悟しておいた方が良いぞ」
「王妃様が?何を?」
「妃教育だよ。王族の妃ともなると覚えなければならない事も沢山あるから、今の内から少しずつ覚えていって欲しいんだ。
それに、近々王宮で開かれる夜会でユイのお披露目もするらしいからな。
確か大伯父上も主席されるとか?」
「そう言えばそんな事言ってたかも」
「大伯父上が出席される日と被せて注目を分散させた方が、ユイが気負わずに済むだろうって。
それで、社交に慣れていないユイに、出席するまでの間に色々教えたいから週末は王宮に来てくれってさ」
「それは有難いけど、夜会かぁ………」
慣れない場所の上、いくら祖父という話題の人が居ると言っても、フィリエルの婚約者として好機の視線で見られる事は必須。
ユイには憂鬱でしかない。
「母上が張り切っているよ。王宮に商会を呼んで、ユイのドレスも新調するそうだ」
悪夢再びの予感………。
ユイは顔を引き攣らせた。
「ドレスならパパに買って貰ったので、まだ使ってないのがあるから……」
「俺の婚約者としてのお披露目なんだから、俺の衣装とも合わせる必要があるんだぞ?」
「ですよねぇ……」
がっくりと、うなだれた。
着飾る事は嫌いではないが、何事も程々が一番だ。
ドレスだけでなく靴や宝飾品まで揃えるとなったら、どれだけの時間着せ替え人形にされるのか。
「今初めてエルとの婚約を後悔したかも………」
呟くユイを、フィリエルは自身の膝の上に横抱きにし、不敵な笑みを浮かべた。
「今さら言っても遅いぞ。なにせ魔法で契約したんだからな。
絶対に、何があっても破棄はしない」
「するつもりはないけど、エルの方こそ、やっぱりあの人が良かったなんて言わないでね」
婚約したいフィリエルとしたくないユイ。
そんなこれまでの経緯から、ユイの心配ばかりしているが、フィリエルの方が嫌になる可能性だってあるのだ。
「あの人ってエリザか?」
「チェンバレイの令嬢。今同じクラスなの」
「ああ、確か彼女も同じ年齢だったか……」
合宿の時の二人の会話を聞いてしまった為、婚約候補にあったと知り、少し複雑な気持ちがあった。
「心配しなくても、他の女性に対して心が揺れ動いた事は一度もないよ。
何年も前から俺が心に決めたのはユイだけ。
共に生きたいと思うのも、弱みを見せられるのもユイ一人だけだ。
一日だって離れていたくないのに、今更他の誰かなんか目に入らないさ。
言っておくが、俺は人一倍執着心が強い自信があるぞ」
何年もかけて漸く手の中に掴んだというのに、手放そうとする姿など想像出来ない。
今日とて一日たりとも離れたくないほど執着して、自分より他を優先させた事に苛立ってしまった。
そんな独占欲の強い自分をユイは重いと感じるかもしれない。
それでも、もう逃がすなど出来ない。
元々は魔王から破棄させない為の魔法契約だったが、それは同時にユイが簡単に逃げられない為の契約とも言えた。
優しく笑みを浮かべる裏で、魔法契約であって良かったと凶悪に笑う自分を感じた。
セシルも今、本人の知らぬ所で外堀を埋めるために奔走している。
きっと王家の血を引く者は一人の者への執着心が強いのかもしれない。
そんな胸の内は隠し、フィリエルはユイへ唇を寄せた。
ユイが不意打ちの口付けに対応が追い付かず硬直するのを感じて、フィリエルはくすりと小さく笑う。
行き場を失ったユイの手を取り、己の首に回させると、会えなかった時間を埋めるように、さらに口付けを深くしていった。
***
現在ユイは、フィリエルに後ろから抱き込まれるようにして座りながら、読書をしていた。
まあ、それは良い。
家でも兄達の膝の上に乗って本を読む事は良くある事なので、特に気にはならない。
しかし、読書の間、フィリエルがユイの髪を触っては口付けを落としたり、本を持つ手に手を絡めたりと、何かにつけて触れようとしてくるので本の内容が全く入ってこない。
これまでもフィリエルはユイに優しく、二人の兄並に甘かったが、それでも一定の距離感があったのだと今になって知った。
晴れて恋人となったことで、たがが外れたように接してくるフィリエルに、恋人となったからといって、さほど関係は変わらないだろうと思っていたユイは付いていけず、うわーっと叫び出したくなるような背中のむず痒さと戦っていた。
読書を邪魔され、ユイが咎めるような視線を向けても、愛おしげに自分を見つめるフィリエルの目と合い、居たたまれず視線を逸らしてしまう。
ちょっとした拷問気分で、甘い雰囲気をかもし出すフィリエルと時間を共にしていると、ジークとルカが呼びにきた。
「フィリエル、お昼だぞう…………って俺何かした?」
天の助けとばかりに安堵するユイと、二人っきりの時間を邪魔されて不満げに睨み付けるフィリエルの、対称的な二人の表情に、ジークは首を捻る。
「お昼だって、ほら行こう」
仕方なく、フィリエルも食堂へ向かうため移動を始める。
だが、すかさず先に行こうとするユイの手を取り、決して側から離さなかった。
フィリエルと手を繋いで食堂へ向かうという事は、当然今からお昼休みに入る他の生徒達に目撃されるという事で……。
フィリエルが歩いているのに気が付き、道を開けていく生徒達が、フィリエルと手を繋いでいるユイを見ては、驚愕した表情を浮かべていく。
生徒達はユイがフィリエルと一緒に居ることは勿論だが、それ以上に魔力の強いフィリエルと手を繋いでいる事に驚いているようだ。
「視線が痛い………。エル、少し離れない?」
視線が気になって仕方が無いユイは、距離を置こうとするが、逆にフィリエルはユイを引き寄せる。
放置していた事への仕返しかと、勘繰るユイだったが、予想外にもルカがフィリエルの行動を推奨した。
「気持ちは分かりますが、あなたの為にも仲が良い事を周囲に知らしめておくことは必要だと思います」
ルカの含みのある物言いにユイは首を傾げる。
「何かあるの?」
ユイの疑問には、フィリエルが苦笑交じりで答えた。
「同じ学園内にいても、一緒にいる姿を誰も見たことがないから、実は婚約は噓じゃ無いかって噂が出てるんだ」
「でも貴族の子なら、親から話を聞いて、噓じゃないって分かってるでしょう?」
ユイの疑問に、フィリエルだけで無くジークとルカまでもが微妙な顔つきになった。
「いや、王宮でも俺達の婚約に関する話題は、必要がない限りほとんど出ない。
ちらりとでも宰相の耳に入ったら、機嫌の悪くなった宰相から、仕事と言う名の嫌がらせを受けるとあって、王宮内では禁句扱いだ」
「パパ、大人げない………」
全くだと、 フィリエルはため息をつく。
「後は、宰相をよく知らない一部が宰相が権力欲しさに政略結婚を押し進めた、とかな。
ユイに嫌がらせの手紙を送ってるのも、婚約に関する内情が知られていないから、ユイをどうにかすれば婚約破棄出来ると思っているんだろ」
「無知とはなんとも恐ろしいですね。
実際にそうであったとしても、確実に宰相を敵に回すというのに」
しみじみとしたルカの呟きに全員が同意した。
そう言えば、フィニーによるとユイへ嫌がらせの手紙を出していたのは、主に貴族階級以外の生徒だと言っていたなと、ユイは思い出した。
ほとんどの貴族階級の家の者は、社交場や仕事上でレイス自身や噂を嫌と言うほど知っているので、ユイへと行動をしないのだろう。
「まあ、そういう事もあるから、こうして両者同意の元だと周囲に知らしめてるんだよ。
そうすればユイへの嫌がらせもなくなるはずだ」
そうして恥ずかしげもなく、お昼に一番混雑する食堂の全員と言って良い視線の中、フィリエルはユイに向かって微笑む。
フィリエルの顔に浮かぶ、愛おしさで溢れた優しい微笑みは、それだけで周囲に噂が嘘であると知らしめるには十分だった。
そして、秀麗な顔のフィリエルの、その表情を目の当たりにしてしまった女子生徒は、自分に向けられたものではないと分かってはいても頬を紅潮させ、フィリエルの愛情を受けるユイを羨ましそうに見送っていた。
これ、逆に敵増えないか?という思いを、ユイ、ルカ、ジークの三人は抱きつつ、王族専用に用意された二階席へ上がっていく。
螺旋状の階段を上ると、奥に窓があり、食堂に面した方は開けており、下で生徒達が食事しているのが見える。
王族専用に作られた場所だけあり、窓からの日当たり良好。
二階席では、すでにセシル、カルロ、エリザが席に着き待っていた。
カルロがひらひらと手を振り、ユイ達を迎え入れる。
「さっきまで不機嫌だったのに、顔が緩みきってるぞ、フィリエル。
兄貴の前なんだから、ほどほどにしろ」
「必要な事だろ?」
カルロも現在噂されている内容を知っている。
分かっている上で、フィリエルに呆れた視線を投げかけた。
「どっちがついでなんだか」
決まっているだろうとでも言うように、フィリエルは口角を上げた。
フィリエルにしてみれば、噂を理由にしているだけで、ただユイといちゃつきたいだけなのだ。
ルカに椅子を引かれユイはフィリエルの隣の席に着く。
フィリエルの婚約者になってからというもの、目に見えてルカの対応が丁寧になったが、ユイはまだ慣れないでいる。
ジークに関しては、フィリエルに対しても、公の場以外では気安い事もあり、さほど変わっていない。
ユイが昼食を選んでいると、強烈な視線を感じた。
視線の主はエリザ。
「随分仲が良いわね……」
じとーっとした眼差しを向けられながら発した言葉に、ユイはどう答えて良いか分からない。
フィリエルとの仲に、嫌味を言っているようにも聞こえるが、別の何かに不満を持っているように見えた。
「エリザさん、どうかしたんですか?」
「聞きたい?」
「えっ?特には……」
社交辞令で聞いただけで、深く聞くつもりは無かった。
エリザの様子から、あまりいい話では無さそうだからだ。
だが、そんなユイをエリザは逃がさない。
「聞きたい?いいえ、聞きたいはずよ、聞くわよね!?」
「……………はい」
聞かないと許さないわよ、とでも言うようなエリザの迫力に負け、ユイは諦めて頷いた。
「私はね、もうフィリエルの事なんか、これっぽっちも未練何て無いのよ。過去なのよ過去!」
強がりでもなく、事実だ。
エリザがフィリエルへ告白をしたのはフィリエルが戦争へ行く前で、それから数ヵ月。
心の整理をするには十分な時間があり、実際に仲の良いユイ達を見ても、心は動かない。
ユイもそれは感じてたので、素直に頷いた。
「はい」
「なのにどうして、周りから憐れみの目で見られなきゃならないのよ!」
テーブルの上に突っ伏し、嘆くエリザ。
意味が分からず、困惑した顔をフィリエルに向けると、苦笑を浮かべながら答えが返ってくる。
「簡単にまとめると、エリザが俺に捨てられた可哀想な女っていう話が出回ってるんだよ」
「えっ……」
ユイが確認するようにエリザに視線を向ければ、むくれた表情を浮かべており、否定の言葉は無い。
続いてカルロが補足を入れる。
「捨てるも何も、いとこ以上の関係だった事なんて無いから、言葉の使い方が間違ってるんだけどさ。
エリザはフィリエルのお妃最有力候補で、ライバル無しの独擅場だったわけだよ」
実際には、密かにシャーロットの名が上がっていたのだが、それは極々一部の者しか知らないので、一般的な見方ではエリザだけだった。
「しかも、率先してフィリエルに近付く女を威嚇して、引き離してたもんだから、すでに恋人関係にあるって思っていた奴らも少なくなくてだな。
そこに、降って湧いたようなユイとの婚約だ。
まあ、そんな噂が出ても仕方がないよな」
なげやりなカルロをエリザはぎろりと睨む。
「そんな噂が出てから、仲が良い子達からは腫れ物に触るように扱われるし、フィリエルの妃を狙ってた女からは嘲笑されるし、冗談じゃ無いわよ。
噂を出した奴、公爵家の力を使って探し出して目にもの見せてくれるわ」
確かにフィリエルへの恋愛感情はあったが、もう既に終わった話で、フィリエルとはいとことして新しい良好な関係を築いている。
これまでの自分の行動から、多少の噂は覚悟していたエリザだったが、もう何も思っていないのに、まだ未練があるかのように言われ可哀想がられるのは、プライドが高いエリザは我慢ならなかった。
そんな怒り心頭のエリザに救いの手がさしのべられた。
「それなら、俺が何とかしてあげようか?」
名乗り出たのは、セシルだった。
「出来るの!?」
エリザはぱっと表情を明るくし、身を乗り出した。
「捨てたなんて、フィリエルとユイに取っても不名誉な噂だからね」
「でも、どうするのよ、下手に消そうとしたら逆効果よ?」
「噂を無理に消すんじゃなくて、こちらに都合がいい別の噂を流して、その噂を塗り替えればいいさ。
まあ、俺が上手いこと流しておくから、エリザは新しい噂の事を聞かれたら、全てに肯定してくれればいいよ」
「それで噂が無くなるならお安いご用よ。
ありがとう、セシル」
後にエリザは、この時頷いてしまった事を大いに後悔する事になる。
天使のような笑みで差し出された救いの手が、実は悪魔との取引だと、ユイ以外の全員が気付いていたが、口を挟む勇者は存在しなかった。
フィリエル達は、無邪気に安堵するエリザからそっと視線を外し、忠告一つ出来ない己の不甲斐なさを心の中で懺悔した。
(許せ、エリザ)




