選択授業
セシルとカルロがカーティス家で暮らし始めて僅かだが、今日もカーティス家には、まるで最初からそうであったかのように仲むつまじい家族の光景があった。
「なあ父さん、もう直ぐ誕生日だし、俺達欲しい物あるんだけどさ」
「何が欲しいのです?」
「魔具」
「まあ、良いでしょう。セシルは何です?」
「俺は物じゃなくて、頼み事かな」
そう言って、セシルは手紙を二通レイスに手渡した。
不思議そうにしながら手紙の内容を読むと、僅かに目を見開いた。
「もう準備は整ったのですか?」
「まあね。今度の夜会でお祖父ちゃんも出席するって言ってたし、ありんこ一匹逃がす道は無いよ」
「分かりました。これは私から渡しておきましょう。
ただ……突然横からさらわれないように気を付けなさい」
一瞬視線を横に向けるレイスに釣られるようにシェリナをちらりと見た後、セシルはにっこりと口角を上げる。
「その辺も抜かりは無いよ」
「あら、何かあるの?」
話について行けていないシェリナにカルロが耳打ちする。
「憐れな子羊が外堀で囲まれちゃうって話だよ」
「あら、大変ねえ」
そんなやり取りが行われていた側で一人、ユイだけは一枚の紙を片手に眉間に皺を寄せ唸り声を上げていた。
「うう~ん」
「何を唸っているんだ、ユイは?」
横からユイの持つ紙の内容を覗き込んだカルロは直ぐに納得した。
「ああ、選択授業の実力試験の結果か」
二年生から始まる選択授業は通常の二年生の授業とは別で、初級、中級、上級、専門の四つのランクがあり、学年に関係なく、その実力に相応しいランクから始める事が出来る。
それ故、初級でも五年生がいたり、上級でも実力さえあれば二年生でも受ける事が出来る。
ユイが持っていたのは、その選択授業での教科別の実力を調べる為の、試験の結果が書かれた紙だった。
「あら、懐かしいわね。ユイの結果はどうだったの?」
魔法学園の卒業生で懐かしがるシェリナに、試験結果を手渡すと、「………二年生の結果じゃ無いわね」という言葉が返ってきた。
体術や各属性の魔法や武器の扱い方を教える実技。
新しい魔法の作成や魔具の作成、語学や礼儀作法といったものや座学も多数ある。
リーフェなので、無属性以外の属性の実技試験は受けていなかったが、座学の教科の試験結果は、ほとんど上級や専門からの実力があると結果が書かれていた。
「選択授業は総じて難しい筈なんだけど、ユイには簡単だったかな?
これだったら、俺達と同じ授業受けられそうだね」
「よし、じゃあこれとこっちのと取れよユイ。そうしたら俺達と一緒に授業受けられるぞ」
「なら、そうする」
簡単に決めてしまったユイに、レイスが珍しく父親らしい注意を口にする。
「一緒も良いですが、将来も考えて授業は真剣に決めなければいけませんよ。
授業内容は実践的なものばかりなので、将来の進路にも関わってきますからね」
卒業後、軍を希望する者は武術や魔法の実技を。
王宮や貴族の屋敷で侍女や執事として仕えたい者は礼儀作法や語学を。
魔具の製作者や研究者となりたい者は魔具や構築式の授業など、希望する進路に関わる授業を取るのが一般的だ。
「うん、そこはちゃんと考えてるよ。
受けたい座学の中から、一緒に受けられるものを選ぶから大丈夫。
軍に入る兄様達みたいに、体力使う実技はするつもりないもの」
「………確かに、この成績じゃあ軍は無理かもな」
「ユイって興味あるものと無いものの差が激しいわよね。誰に似たのかしら」
座学と違い、体力を使う教科はことごとく低評価だったユイの試験結果。
だが、軍に入るつもりは皆無なので、特に落ち込んだりはしない。
今、ユイを悩ませているのは一つの事。
「ただ、魔具の授業が初級からしか出来ないのはどうにかならないのかな。
上級で作れるようになるまで、何年も掛かっちゃう」
「魔具の授業は、一つ間違えると魔法が暴発したりして危ないから、基礎からしっかり教えられるんだよ」
「やっぱり駄目か………」
フィリエルの魔具作成を王から打診されているので、出来るだけ早く作れるようになりたかったユイは、仕方ないと思いつつも落ち込む。
「そうとは限りませんよ。過去にユイと同じ二年で専門まで修得した強者も居ますから」
レイスの言葉に、ユイの声が明るくなる。
「パパそれ本当!?」
「ええ本当ですよ。
現在の王宮魔法研究師長が学生の時、私に二年も無駄な時間を費やせというのは魔法の歴史を三十年遅らせる事と同義語だ、とか何とか言って了承をもぎ取ったらしいです。
実際にその言葉が噓では無いだけの働きを見せていますから、ユイほどの実力があれば、その話でも持ち出して言いくるめられなくは無いと思いますよ」
その翌日、イヴォと共に魔具担当の教師の元へ乗り込むと、予想外にあっさりと許可が出た。
どう説得するのが有効かと、念入りに作戦会議をした上、フィニーからも担当教師の情報提供まで受けていたが全て水の泡になった。
何でも、何年かに一度は、魔法研究師長の話を知った者が、自分もと希望しに来るらしい。
魔法研究師長の例外から、実力が伴うのならば許可するということになったようだ。
ただ、魔具の製作には暴発などの危険性もあるため、事前に学園内で魔力の制御力や知識の試験を行うという。
そこで魔具製作が可能な実力があると認められれば、次は魔具製作の為の資格の試験を受けられる。
さらに資格の試験に合格すると仮免許が与えられ、次に規定の魔具を製作して提出すると、正式な魔具製作の免許がもらえ、それ以降は自作の魔具を売る事が可能になる。
例外を認めるにあたり、生徒から不満が出ないよう学園内の試験は難しく設定されていたが、ユイとイヴォの二人は難なく合格をもぎ取り、資格試験も見事合格した。
ユイとイヴォは発行された仮免許をルエル達にどうだと言わんばかりに見せびらかす。
「取ったよ、ルエルちゃん」
「流石ユイとイヴォ、良かったわね」
「二人に触発されて希望者が多かったようだけど、学園内の試験ですら二人以外は受からなかったってね。ユイちゃんもイヴォ君も、凄い!天才!」
「そうだろ、そうだろ。もっと褒めろ、崇め奉れ。あっはっはっ」
ルエルに続き、ライルの素直な賞賛の言葉に鼻高々なイヴォだった。
「ご機嫌だね、イヴォは」
「ユイ以上に、初級からしか出来ない事で不満爆発だったからな」
「さっさと本免許を取って、新しい魔具をどんどん作り出してやる。
ユイ、図書室へ行くぞ!」
「うん!」
ユイも異論は無く、図書室へと向かおうとしたが。
「あっ、ちょっと待って、私も行くわ。
あ……その、私に勉強教えて欲しいのよ」
言いにくそうに口にしたルエルの言葉に、暫しの沈黙がその場に落ちる。
ルエルからそんな言葉が飛び出すはずがない。
全員空耳だと受け流そうとしたが、はっと何かに思い当たったユイがルエルの額に手を当て、心配そうにルエルに尋ねる。
「ルエルちゃん大丈夫?一緒に医務室ついて行こうか?」
「病気なら無理はするなよ」
熱があるなら納得だといった表情で、周りから心配そうに掛けられる優しい言葉に、ルエルは憤慨する。
「熱なんて無いわよ!」
「そんなわけねぇだろ!お前が勉強なんて病気でもなきゃ自分から言い出すはずないだろうが」
「そうだ、明日世界が終わったらどう責任取るんだ。まだ食べていない菓子があるんだぞ」
ゲインの言葉をすかさずクロイスが援護射撃する。
あの勉強嫌いなルエルが試験も無いのに、自ら勉強を教えてくれという。
何も言わないが、ユイ達も二人と同様の事を考えているのは顔を見れば分かる。
「失礼ね!私だって勉強をしようと思う時だってあるわよ」
「何かあったの、ルエルちゃん?」
「別に………何かあったっていうか、どの選択授業を取るか考えた時に、将来なりたいものが見つかったっていうか………」
「進路をどうするか、決まったの?」
「うん、まだ確定したわけじゃないけど、なれたら良いなって。
それに、ユイを守るのに女じゃないと一緒にいられない時ってあるでしょう?
そんな時にユイに何かあっても、私以外は皆男で、私もクラスが違ってたら守れないじゃない」
「ルエルちゃん」
自分の為に進んで勉強するルエルの友情にユイは感激する。
「分かった、ルエルちゃんの為に頑張る」
「ちょっと待ったぁぁ!
ルエルちゃんが友達思いの良い子ってのは分かったけど、ユイちゃんとイヴォ君に教師を頼むのは人選ミスだと思うよ」
「同感だ」
「右に同じ」
「二人には絶対に無理だよね」
何故か次々と反対されユイとイヴォは不満を露わにする。
「私達でも出来るよ、ルエルちゃんに無属性の魔法を教えたことだってあるんだから」
「成績で言えば教えるのは俺達が一番適任だろう」
確かに成績は文句の付け所が無い、優秀どころか天才の二人。
だが、だからこそユイとイヴォの二人に誰かに勉強を教えるという役は務まらないのだと、過去に勉強を教えて貰おうとした経験のあるルエル以外は断固反対した。
しかし、ルエルの強い要望でユイとイヴォで勉強会を開く事になったのだが、ルエルは直ぐにライル達が反対した理由を知ることになる。
「……何故だ!」
「どうして、こうなるの……?」
ユイとイヴォは未だかつて感じた事の無い挫折を味わっていた。
「二人の言っている意味、全然分からないんだけど」
「だから、ここをこうして………」
もう一度ユイなりに丁寧に教えたつもりだが、ルエルには全く伝わらない。
そんな様子をそれ見たことかと言わんばかりの表情のライルが口を挟む。
「だから言ったでしょう、ユイちゃんとイヴォ君が人に教えるのは無理なんだって。
試験は満点、鈍器になりそうな分厚い本も一二度見返しただけで頭に入る。
凡人には理解出来ないお利口さんの二人が、只でさえ勉強苦手なルエルちゃんに理解させるなんて無理無理。
そもそも頭の出来が違うんだもん」
過去に経験したが故の言葉だった。
そんな事無いと反論したいところだが、ライルの言う通り、どこが何が分からないのか、これ以上どう教えて良いのかさっぱり分からず、ユイもイヴォも肩を落とす。
「だったらライルが教えてあげてよ」
「……あーほら、俺は色々と忙しいからぁ」
そう言いながら、ライルはあらぬ方に視線を向ける。
「女の子と遊んでいるだけじゃない」
それならばとルエルはクロイスを見るが、さっと視線を反らされ、フィニーは笑顔で拒否。
ゲインは問題外。
「どうして俺は問題外何だよ!?」
「だってあんたも馬鹿じゃない」
「お前よりは良いよ!」
「じゃあ、教えてくれるの?」
「……………今日は良い天気だなぁ」
壊滅的なルエルに教えるには、かなりの根気が必要になるだろうと、誰もが拒否する中、ルエルに救世主が降り立った。
「ルエル様ぁぁ」
「げっ」
ルエルの下僕希望者、ノレの登場にルエルは嫌そうな顔をする。
「なんであんたがいるのよ」
「ルエル様の居るところなら何処へでも参ります」
「ストーカーは間に合ってるわっ」
そんな二人のやり取りを見ていたユイは閃いた。
「そうだ、先輩にルエルちゃんの先生してもらおう」
「絶対嫌よ!」
「でもルエルちゃん、このままじゃあAクラスにはなれないよ?」
「うっ……」
「取りあえず試してみたら?」
という事で、強制的に巻き込んだノレに、ルエルの勉強を見てもらったところ、予想外にもノレは教え方が上手く、その上理解するのに時間が掛かるルエルにも焦れる事なく根気強く付き合った。
すると、それまで全然出来なかった問題が解けるようになり、全員から驚きと感嘆の声が上げる。
「おおーっ、凄い」
「先輩、ルエルちゃんをお願いします」
すかさずユイはノレに押し付け……もとい、託した。
「勿論だとも、全身全霊でルエル様をAクラスにしてみせるぞ!」
「出来ることなら拒否したい……」
結果も出て、成績向上の為には必要だと嫌でも理解してしまったので、ありありと不服な表情をしながらもルエルは受け入れる。
ルエルの事はノレに任せ、ユイ達は各々で勉強を始めたのだが、新学期が始まってからの厄はまだ落とされていなかったらしい。
「ねぇ、あれじゃない?」
「うそあれがぁ?あれなら私にも可能性あるかも」
図書室の中で周りから白い目で見られているのにも気付かず騒がしく話す二人の女子生徒の声はユイにも届いた。
「面倒事な予感………」
その言葉の通り、彼女達は真っ直ぐにユイ達の居る席へとやって来た。
「フィリエル殿下の婚約者ってあなた?」
名も名乗らず不躾なその物言いに、ユイ達は不愉快そうに眉をしかめる。
「あなた方とは初対面と思いましたが、突然挨拶もなく無作法ではありませんか?」
極々普通の指摘をしたつもりだったが、今度は彼女達が不快そうに表情を歪め、ユイと共にいたライル達を目にすると不敵な笑みを浮かべた。
「あらあら、殿下の婚約者様だけあって偉そうだこと。でも人の無作法を問う前に自分はなんなの?
婚約者が居るくせにこんなに男を侍らせて、品性の欠片も無いったら」
「ふふっ、婚約者が男達と仲良くしていると殿下がお知りになったなんと思われるか。捨てられちゃったりして」
あまりにも浅はかな言動に、ユイは馬鹿なの?という気持ちがこもった目で呆気に取られた。
その間、フィニーは例の如く、懐から手帳を取り出しパラパラと中身を確認していた。
「こんな女が相手だったら、殿下も直ぐに飽きるんじゃない?」
「本当~。顔も噂ほど可愛くないし、こんなのが殿下に選ばれるなら、私でも妃になれるかも」
ユイだけでなくフィリエルへの侮辱にも取れる言葉に、大声で話していたため話の内容が聞こえたノレを始めとした貴族階級の生徒や、少し離れた所で勉強を教えていたルエルが臨戦態勢をとろうとしたが、その前に、しっかりと彼女達を見据えたユイの凜とした声が通る。
「もう一度聞きますが、あなた方はどちらの家の方です?
私と殿下の婚約は、陛下並びに猊下の認証の下、ガーラント国の上層部の同意を得たものです。
この婚約に不満を示す事は陛下の決定を不服だと言っている事と同義。
まさかこの学園内に、国の決定に異を唱えられるほどの方がいらっしゃるとは思いませんでした」
さすがに言葉の意味を理解出来ないほど馬鹿では無かったのか、目に見えて狼狽え始める。
「何よ脅してるつもり!?」
「行きましょう」
逃げるように図書室から出て行く二人の姿が見えなくなると、ユイは深いため息を吐いた。
「フィニー、今の人達誰?」
しかし、フィニーから答えは帰ってこず、視線を向ければフィニーだけでなく、こちらに向かおうとした途中で立ち止まったルエルまでもが、目を丸くしていた。
「フィニー?」
「……あっごめん、まさかユイがまともに反論していくとは思わなくて」
「いつも、面倒くさいって無視だしね」
他の者もまた、ユイの言動が信じられないようで驚いている。
「今までならそうしてたけど、王族に籍をおくようになるのに、見くびられたまま放置するのは良くないしね。
兄様達にも、面倒くさがらず対応するようにって言われてるから」
非難されても怖じ気づかずにではなく、面倒くさがらずにと言う辺り、ユイの性格をよく理解している。
「王族ってのも大変だな」
「激しくそう思う……」
一切手元の本から視線を外さず、他人事なクロイスの言葉に、ユイは心から同意した。
イヴォに関しては集中しているのか、先程の騒ぎすら耳に入っていないようだ。
「それより今の人達って貴族じゃないよね?王族の婚約者に、あんな喧嘩の売り方するはずないし」
その問いには各学年に顔が広いライルに心当たりがあるらしく、自他共に認める女性が好きなはずのライルが、溜息混じりに説明を始めた。
「ああ、あれはたまにいる勘違いした地方の金持ちの家の子。
ユイちゃんの言う通り、爵位なんか無いよ」
「勘違い?」
「地方から学園に通うため王都に来ている子ってさ、地方であまり貴族と関わりが無かったせいで、貴族社会の事が理解出来ていなくて、周囲の方がはらはらするほど貴族相手に酷い行動起こしたりするんだよねえ。
地方で、貴族と変わらない豪華な暮らしをしていたから、自分達も貴族と変わらないと思っているんだよ」
「なにそれ、怖っ」
勉強を中断して話に加わっていたルエルが、彼女達の無知さにおののいた。
貴族と平民の間には簡単には乗り越えられない高い高い壁がある。
だが、地方などへ行くと、貴族との関わりが少なくなる上、多く稼ぎ多く税を納め財政に貢献する商人が、下手な貴族等より力を持っていたりするため、そういった勘違いを起こすのだろう。
地方では通っても、この王都ではそうはいかない。
王を頂点とした完璧な階級社会となっている王都で、身分を軽んじるような言動をすれば、確実に後悔する事になる。
「まあ、だいたい学園生活を送っていく内に、周囲から教えられたりして自重って言葉を覚えるよ。
今の子達も一年だったみたいだし、今だけだよ」
「それなら良いんだけどね。………婚約発表してから、絡まれてばかりな気がする」
「貴族の令嬢なら、一度は夢見る王族の妃だもん。
ユイちゃんを追い落として自分が妃にって、思ってる人は結構多いんじゃない?」
実際には、魔法契約で婚約しているので、簡単に破棄とはいかないのだが、詳しく知らない者……または状況把握が乏しい者には、リーフェであるユイがなれたのなら自分達にも可能性があるのではと考える者は少なくなかった。
教室へと戻ってきたユイは、机の中に手を入れ、入っていた大量の手紙をばさばさと机の上に広げる。
「今日も沢山………」
憂鬱になりながらユイは最近恒例となりつつある手紙の選別をしていく。
大概はフィリエルの婚約者とお近づきになりたいといった無害な手紙だが、中には、脅せばユイが婚約破棄すると思って、婚約を止めろといった無記名の脅迫の手紙が幾つかある。
だが、この手紙の贈り主に取って誤算だったのは、ユイが手紙程度で泣くほど弱くは無いという事だろう。
「これも全部対処していくの?」
「これぐらいで目くじらを立ててたらきりが無いから、これはフィニーに、はい」
そして、脅迫の手紙はフィニーへと渡り、筆跡から差出人が調べられていた。
脅迫どころか、自身の弱味ともなる証拠をわざわざ渡しているに過ぎなかった。
その事に気付いた時にはもう遅い。
「何も知らないで、馬鹿な奴らだな」
普段からフィニーにおちょくられているイヴォからすれば、自分からフィニーに理由を与えるなど愚の骨頂と言えた。
とは言え、差出人がフィニーの暇つぶしに遊ばれると、それだけ自分の被害が減るのでイヴォとしては非常に喜ばしい。
そして漸く手紙の処理を終えたと思ったのも束の間。
「それだけ沢山の人が、あなたが殿下の婚約者として相応しくないって思っているのよ。
身の程をわきまえたらどう?」
最近は静かだったステラが、脅迫の手紙で憂鬱になっているのを、落ち込んでいると勘違いし、からんできた。
侯爵家に仕える者でありながら、現状を把握出来ていない、あまりにも軽はずみな発言に加え、今は非常に時が悪い。
「次から次へと……」
「お、落ち着けっ」
「ユイちゃん、ちょっと待とうね。相手は侯爵家の所の人だからね」
先程の女子生徒二人に、手紙の山、そしてステラ。
流石に温厚なユイも、こう続くとイライラの限界というものがある。
目が据わったユイをイヴォとライルが押し留めようとするが、さらにステラが追い打ちを掛ける。
「あなたより殿下の隣に立つべき方は沢山居るって事、いい加減気付いたらどうなの?
殿下に恥をかかせるだけなんだから、早く身を引きなさいよ」
これまではユイよりも爵位が上の侯爵令嬢であるシャーロットが後ろに付いているので、どんなに腹が立とうと反論らしい反論はしたことが無かった。
そのため、ユイを下に見ているのかもしれない。
だが、フィリエルと婚約した今、ユイの方が立場は上なのだ。
はたして、ステラはそれを理解しているのか………。
分かっていての発言か、本当に分かっていないのかユイに判断出来ないが、どちらにしても愚かとしか言いようが無い。
そちらがやる気なら応じてやろうと、応戦する気満々のユイだったが、予想外の人物により叶わなかった。
「お止めなさい!」
教室内に響くシャーロットの声。
それにより訪れた静寂の中を横切り、ユイの前へ立つと、シャーロットはおもむろに頭を下げた。
「ステラが失礼をいたしまして、申し訳ございません」
「お、お嬢様……どうして」
「黙りなさい、ステラ!」
これまで似たような事があっても、シャーロットは困ったように優しく嗜めるだけだった。
それが、強い口調で厳しく嗜められ、ステラは困惑と疑問を隠せないでいた。
ユイ達もまた、まさかシャーロットがこれほど強くステラを叱りつけ、尚且つユイに頭を下げ謝罪するとは思ってもなく、驚きで目を丸くする。
「今後このような事が無いよう、しっかりと言い聞かせますので、今回はお許し頂けませんか」
シャーロットの対応の変わり様に戸惑いを感じつつ、そう言われては引き下がるしか無い。
「分かりました。次が無いよう、お願い致します」
「ええ、ありがとうございます。ステラ、いらっしゃい」
二人が教室から出て行くと、僅かにざわつきはしたものの、直ぐにいつも通りの教室の空気へと変わった。
「いやあ、驚いたね」
「俺達にはあんな対応したこと無いぞ」
昨年一年間のシャーロットを知るイヴォは、憤懣やる方ないといった感じだ。
「まあ、侯爵令嬢だからね。
さっき喧嘩売ってきた人達と違って、身分への教育も考え方も、幼い頃から身に付いているだろうし。
これまで自分の言動が、一部に多大な迷惑掛けているってのを気付いているかは置いといて。
私に対して、今までと同じ対応じゃあ駄目だって事は分かってるみたい」
自分より爵位が上の者への対応は、貴族が最も気を使う所だ。
ましてや、侯爵令嬢ともなれば王族と会う機会も多く、教育も徹底して行われているはず。
ステラのように、王族の婚約者を軽んじるような言動はしないだろう。
だが、ユイ以外へはいつも通りというのは変わりない。
「出来れば下々の者にも多少は気を使って欲しいよ」
「全くだ」
「所でフィニーは何処に行った?」
「………いないね?」
***
空き教室へと移動したシャーロットとステラ。
「お嬢様、どうしてあのような者に頭を下げられたのですか!?
あなた様は侯爵令嬢であられるのですよ」
学園外であれば不敬として咎められかねないステラの行いを変わりに詫びたにも関わらず、それに気付かないステラは、シャーロットがユイ相手に下手に出た事が気に食わなかった。
「ステラ、彼女はフィリエル殿下の婚約者でいらっしゃるのよ」
「ですが、婚約者であろうと、まだ伴侶となったわけではないのですから伯爵家の者です。
侯爵家のお嬢様が礼を尽くす必要などありません」
「確かにご結婚された訳でないけれど、今回の婚約は魔法契約による婚約なのよ。
その身分は伯爵家ではなく王族と同等のものになるわ。
身分が上の方へ対して、敬意を表すのは貴族として当然の事よ」
「お嬢様はそれでよろしいのですか!?あの女が殿下の婚約者で。
あんな女よりお嬢様の方が、ずっと殿下には相応しいというのに」
シャーロットは、良いと直ぐに答えられなかった。
フィリエルとの婚約話が持ち上がった時は、魔力の強いフィリエルへの恐れと不安を感じていたものの、フィリエルと実際に話してみて、心が惹かれていったのは隠しようも無い事実だった。
婚約を断られた後、人知れず泣いた事も記憶に深く刻まれている。
シャーロットがフィリエルに好意を抱いていた事、人知れず泣いていた事。
まだ気持ちを昇華出来ずにいる事を知るステラは、不憫でならなかった。
もしそれが、華やかで美しく、常に社交界の中心におり、立ち居振る舞いも貴族の令嬢として申し分ない公爵家のエリザだったのならば、ステラは何も言わなかっただろう。
だが、フィリエルと婚約したのは、爵位が低く、落ちこぼれとされるリーフェであるユイだった。
シャーロットより遙かに劣るユイが、シャーロットを押しのけ婚約者に納まった事がステラは許せなかった。
「………言っておくけど、ユイは血筋も能力も性格も、君のお嬢様とは比べものにならないくらい最上級だよ。
まあ、おつむの足りない愚か者の君は理解出来ないのだろうけど」
突然聞こえてきた第三者の声に、振り返る。
そこには、後を付けてきたフィニーの姿があった。
「愚か者ですって!?」
「そうだろ?これだけ君の敬愛するお嬢様が説明しているのに分からないみたいだし。
愚かじゃなきゃ、侯爵家に仕える使用人が立場もわきまえずこんな事したりしないでしょ」
そう言って、フィニーは一通の手紙をひらひらと見せ、それをシャーロットへと渡した。
ユイの机の中に入っていた脅迫の手紙の中の一通を。
「本当は侯爵にでも渡そうかと思ったけど、ちゃんと駄犬を叱ってユイに謝ったからね。
今回は許してあげるよ」
渡された手紙を不信に思いながら目を通すと、シャーロットは僅かに目を見開いた。
ユイを脅す手紙の内容にではなく、その筆跡に。
それはシャーロットがよく知る者の筆跡にとても似ていた。
「ステラ、まさかユイさんに脅迫の手紙を」
ステラはさっと表情を強張らせた。
さすがのステラも、脅迫するのは褒められた行いでは無いと分かっているのだろう。
「いいえ、私はそんな事……」
「幼い頃からずっと一緒にいた私が、あなたの筆跡を分からないはずがないでしょう!?」
「………っ。
ですが、あの女が婚約を破棄すると言い出しさえすれば、お嬢様にチャンスが!
そう、思って……」
「だからと言って、して良いことにはならないわ。
それに、魔法契約は、契約に名を記した全員の承認か、当事者であるお二人のどちらかが亡くなられない限り破棄にはならないの。ユイさん一人の問題ではないのよ」
「………あの女さえ居なければ」
ステラはぎりっと歯噛みする。
だがすぐにその真剣な空気に似合わない、呑気な声が響いた。
「ああ、盛り上がっている所悪いけど最後に一言。
今の危険な発言は聞かなかった事にしてあげるけど、次があれば二度とユイの前に出られないようにするからね。
しっかりと駄犬を躾ておきなよ」
憎々しげに自分を見つめるステラを気にも止めず、シャーロットに警告をして教室を後にした。
ステラにとって一番堪えるのは、相応しくない行いをシャーロットに知られる事。
手紙一通に対しては十分な報復が出来、満足げな顔のフィニーの手には、ユイへと送られた複数の脅迫の手紙があった。
「さあて、他はどうやってお仕置きしようかな」
ユイ達の前では決してしない、酷薄な笑みを浮かべて、次の獲物への謀略を巡らせた。