吾輩は無職である。
吾輩は無職である。職はもうない。
なんてことを宣言したら妹に刺された。包丁で、腹のあたりを、ざっくりと。
刺した後に「あっこれもうちょっと押しこんだら死ぬかもどうしよっかなー殺っちゃってもいいよなー」みたいな顔をしていたのを兄は忘れておらんぞ。確かに無職になって離婚されて行き場がないからとアパートに転がりこんだのは悪かったと思っている。なんでも彼奴が中学生のときにファーストキスを奪っただとか、高校生のときに処女を奪っただとか(これは酒に酔っていたからか記憶がない)、最近家事手伝いをするからヤらせてくれと頼みこんだとか、他にもいろいろと悪いことはしたと思っている。思ってはいるが、なにも冗談交じりに現状を述べただけで刺すことはないだろう。
じゃあ仕事行ってくるから洗い物よろしくねとドアを開けて出て行った妹を見送ってから、俺はベッドで寝ている赤髪の女を揺り起こした。
「なんだ」
「刺された。治してくれ」
「またか」
女は煩わしげに鱗だらけの腕を一振りした。包丁が腹からずるりと這い出て、傷口が塞がっていく。キラキラエフェクトや耳障りな効果音はないが、魔法だ。いつもながら詐欺臭いななどと思いながら腹を触って確かめていると、左手が生温かいなにかに触れた。見れば蜥蜴の頭が大口を開けて俺の左腕を咥えこんでいる。待て、と叫ぶ間もなく、俺の左腕はばっくりとやられてしまった。
「ぎ……ぎゃっ……あっぐっ……」
「目が覚めたら治してやるから、寝かせろ」
「ぎひぃっ」
死ぬ。もう喰われるのには慣れたが、それはそれとして血が流れすぎたら死ぬ。慌てて俺が止血している間に顔を蜥蜴から人間に戻した女はすやすやと寝息を立てていた。シーツの上で尻尾がびたんびたんと揺れている。
この女、俗に言うドラゴンである。
今時聞くだけでも恥ずかしい話だが、なんでも俺の前世はファンタジー世界の勇者であったそうな。このドラゴンは街を荒らした咎で王国に討伐令を発布され、当時勇者であった俺が討伐に向かい。
打ち倒した後で、強姦したらしい。俺が。ドラゴンを。
前世のことなので一体何がどうなってそうなったのかはさっぱりわからぬのだが、ともかくそういうことらしい。現代で無職の俺と、ファンタジー世界で勇者だけどドラゴンを強姦しちゃう俺。もちろんマシなのは俺に決まっているが、どちらも同じであるらしいから比べるだけ無駄だろう。
悪いことに、ドラゴンには「セックスした相手の隣に100年いない限りランクアップできない呪い」がかかっていた。結婚しては夫を叩き殺していたのだとか。よくは知らない。まさか人間に強姦されるなど想定もしていなかった呪いは無事に発動してしまい、別世界に転生してしまった俺をはるばる追いかける羽目になったドラゴンは年季が明けるまで傍にいることになった。一つ屋根の下で食っちゃ寝している仲なのにヤらせてはくれない。こちらを喰っては治し喰っては治しするだけである。
片手で洗い物をするのは面倒だなあと思いながらテレビをつけようとしたところで、インターホンが鳴った。俺と妹とドラゴンの心暖まらない家庭をこんな時間に訪ねてくる人間と言えば、元妻に決まっている。彼女は元義父母から受け継いだ不動産を転がして俺を養っていくだけの収入を得ておきながら「無職が夫とか耐えられない」と俺を離縁した。それだけならわからない話でもないのだが、わからないのはここからで、離婚後、彼女は俺のストーカーと化した。
謎である。
年齢も収入も容姿も問題はないのだから他の男でも見繕えばいいだろうに、なぜか俺に執着する。謎である。このことについてはあちらのご両親ともさんざんお話しし、もう一度結婚したところで彼女は俺が無職なのに耐えられないからまた駄目になるだろうという結論も得ている。
君が就職すればいいんじゃないのかねとは言われた。ははは。
ちなみに手は出していない。さすがの俺もそれくらいの良識はある。
「コンビニでカップラーメンとポテトチップスと、後何か買ってきてくれ」
インターホンで応答すると、はい、と蚊の泣くような声が返ってきた。
「ついでに肉じゃがも作ってくれないか。久しぶりに食べたいから」
「そうしたら、入れてくれる?」
「うん」
かんかんかんと階段を下っていく音がする。
元妻にご飯を作ってもらって、俺とドラゴンと元妻と三人で食べたら洗い物もやらせよう。
妹も頼んだ仕事が終わっていれば俺がやったのではなくても気にすまい。
よしよし。無職の世渡りとはこうして行うものである。
「肉じゃがかー」
気付くとドラゴンが起きだしていた。
「うまいからな」
「そうだな」
「じゃ、治してくれ」
ドラゴンが腕を一振りすると骨からむにゅるるると肉が絞り出されて腕が再生される。ぶっちゃけ面白い光景だが、痛い。
「できたら起こしてくれ」
ドラゴンはまたベッドに戻った。携帯には妹からの着信が何度も来ている。元妻はすぐに戻ってくるだろう。
このように無職でも女はいくらでも寄ってくるので、俺は無職でいようと思う。
誰にも好きになってもらえないし、ろくな死に方は、できそうにもないけれど。
おしまい。
なんかこれどこにも置いてなかったなと思いだしたので載せました。今やらないと多分忘れるので。
あの感じじゃ何言っても自演って言われそうだったからなんにも言わなかったけど自演じゃないよ!