1-1 最西の森
大きな森がある。
この星に三つある大陸の内の一つ、ティマイアス大陸。その西部のそのまた西の端にある、その名も最西の森。
大きな国の二つ三つはすっぽりと入りる程の大きさに、通常の数十倍の成長力を持つ多種多様な植物と地下迷宮並みに濃いマナが、この森を人外魔境たらしめていた。
そんな最西の森の北東部、森の中でも比較的穏やかな場所に妖精の隠れ里があった。もっとも妖精の隠れ里自体は世界中に無数にあり、この森の中にも手足の指に余る程ある。何故その隠れ里に焦点を結ぶかと言えば、貴城透の転生体がそこに産み落とされるはず『だった』場所だからだ。
そしてその妖精の隠れ里から少しばかり離れた所から物語は始まる。
6月の日の光も、木々の枝葉に隠され薄暗い森の中、光が生まれた。
最初はほの明るく、次第に勢いを増して輝くような光となり、唐突に消える。
消えた跡には少年が裸で残されていた、黒い髪に黄みがかった白い肌、第二次成長の始まる前の肉体は少しばかり華奢だが不健康な印象は見られない。
「ん……朝か」
少年が目を覚ます。
身じろぎし、手で顔をぬぐう。
そして、そのまま固まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数回深呼吸をして記憶を探る。
俺は死に、異世界に流れ着き、神様の思惑と好意で転生した。此処までは良い。……良いのか?いや、話が進まないので良いとしておこう。
ゆっくりと体を起こし、自分の体を見てみれば、おおよそ第二次成長前の裸の男の子の体があった。自己認識に齟齬を起こしそうな違和感を感じるが、意識を切り替えて今のこの体が自分の物だと意識すれば違和感はなんとか消えた。
よくよく考えれば、転生と言いつつ何歳の体で生まれてくるか気にしていなかった。そう考えると最悪赤ん坊で生まれてくる可能性もあったのかもしれない。幼児プレイの趣味は無いからこの体で本当に良かった。
そう言えば、テルス様は『初期能力を低めにして成長度合いを高く設定すればいけるわね』なんて言っていたな、つまり初期能力が低いと言うのが子供の姿と言う事なのかな?
真相は分からない。しかし、大人の体を鍛えるよりも子供の頃から鍛えた方が体の性能は高くなる、そういう意味では問題は無い。が、成長するまで子供の行動範囲でしか動けないのは、すこしばかり歯痒いな。
まぁ、大人に成長するまでは大人しく、妖精の隠れ里で体を鍛えつつ過ごすとしますか。
……で、此処は何処なんだ?
周りを見渡せば木々ばかり、日の光も直接届かないくらいの鬱蒼とした森林。見通せる限りに妖精の隠れ里を思い起こさせるものは無い。
確か妖精の産屋で生まれてくると、テルス様は言っていたが……。
何かのトラブルでもあったのか?
そんな事を考えていると、目の前に何処からとも無く布の固まりが落ちてきた。何だ?上を見渡すが木の枝が重なり合っているだけ、これと言って落とし主は見当たらない。
恐る恐る布を摘み上げると、布の中から子供用に革靴が転がる。布の方は子供用の下着と服の一式だった。怪訝に思いながら服を調べれば、服の間から手紙がはらりと落ちる。
書かれた文字は流麗な曲線の連続……アルファベットの筆記体に似ているが読めない。いや、読める?見ている内に思い出すように単語も文法も理解できた。テルス様が言っていた体に入っている知識のお陰かな?
手紙はテルス様からだ。内容は『トール君、ごめんなさい。貴方には前の世界の神の加護が有るのだけれど、私が貴方を産み落とした時に、その加護の力で座標をずらされてしまったの。其処から本来産まれる筈だった妖精の隠れ里に移動させる事も可能だけれど、其処に産み落とされたのは意味がある筈だから、貴方の加護の力に抵触しない範囲で援助するだけにしておくわね』との事だ。
前の世界の神の加護?神仏の類は特に信奉した覚えも無いんだが……。そっちは置いておくにしても、頭の痛い話だ。予想通りトラブルらしいが、その原因が自分の中に有るのではテルス様を恨む訳にもいかない。できるだけの援助はしてくれると言う話だし、それ以上は甘えるのをやめよう。
我ながら流されていると思うが、まぁ良いさ。鼻をくすぐる深い緑の匂い、心地良い葉擦れの音、周囲を囲み視界を埋め尽くす巨木、巨木、巨木。これだけでも、二度目の生を選んだかいがあるほどにわくわくしてくるんだから。
さて、テルス様の援助は服とこの手紙だけか。しかし、現在地も妖精の隠れ里の位置も分からなくてどうしろと言うんだろう?
俺の疑問に答える様に手紙の文字が滲み、地図に変わる。
お?此処が現在地で、西の方に大きな湖、その北西に妖精の隠れ里か。大雑把だが指標としてなら十分だ。だが、縮尺が分からないから距離が判断できないし、この鬱蒼とした森の中では方角も分からない。
……地図に変化は無いか、援助はここまでって事ね。ただ、こうなると子供の体は少しばかりまずいが……、まぁ何とかなるだろ。何とかなら無くても何とかするしかない、どうしようもない事は気楽に行こう。
「テルス様、ご援助感謝します」
さて、まずは着替えてっと。頂いた服と靴はさすが神様メイド、体にぴったり合い肌触りも良い。
次は食料と水の確保か方角の確認だな。
周りを見回す、地面は腐葉土にわずかな下生え、木々は密林と言う程では無いが、空を枝葉が覆う程度には生えている。日の光は木漏れ日程度で太陽の位置から方角を調べるのは難しい、それどころか数分も歩けば自分が前に居た位置に戻る事も不可能だと思われる。
食料になりそうな物も見当たらない。方角の確認をしてから、西に移動しつつ食べられそうな物を探そう。
周りにある木々の中で特に背の高いものを探す。
枝葉のお陰で上まで見通せないが、枝の張り方と幹の太さで適当な当たりをつけた。木に近づき表面をなでる、程よくざらつき昇り易そうな木肌だ。ただ問題は、直径2メートル以上ある幹の太さと、一番下の枝まででも今の俺の身長の五倍以上はあると言う事だ。木登りは得意じゃないんだが……、それでも試しに登ってみよう。
木を登るために柔軟体操で体を十分に解す。ふむ?記憶にある子供の頃の体より、この体は柔軟で力も強いな。
前屈をすると余裕で地面に手の平が着いたので、調子に乗って股割をしてみれば、脚を180度開いた上で、上体が地面にも左右の脚にもぴたりと着くほど倒せた。
思い通り以上に良く動く体に楽しくなって、ついついヨガや体操選手の真似事までしてみれば、多少無茶なポーズやアクロバティックな宙返りも何なくこなせた。尤もやった後で、誰も居ない森の中とは言え、俺は何をやっているのだろうか?と、しばらく落ち込んだのだが。
気を落ち着かせ、木の前に立ち、手をかける。軽くジャンプして木に飛びつき……。
「ふん!ほっ!はっ!」
案の定、登れなかった。
やはりいくら性能が良いとは言っても、この太さの木に何の道具も無しで登るのは無理か。かと言って、登れそうな木ではこの森の上の方までは行けそうにない。
そうなると。
注意深く周りを見渡す、探すのは丈夫な蔦。蔦をロープ代わりに使えば、幹の太さに関係なく登れる。
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蔦を探して、うろうろと彷徨いつつ探す事数分、鼻に甘酸っぱい香りを感じた。
「ん?この匂いは?」
果物だろうか?腹も減ってきている、食料が見つけられそうなら、そちらの方が優先順位は高い。匂いの元を捜し求め、ふらふらと歩いていく。
暫らく歩くと、低めの木に巻きついた蔦にから垂れ下がる黄色い瓜のような果実を見つけた。
良い匂いの果物は、種子を遠くに運ぶ為に動物に食べられる役割を持つ場合が多い、たぶん問題無く食べる事ができるだろう。しかもこれで蔦も見つかった。
早くあの果物を採らないと……。