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プロローグ 転生

 広大無辺にして微細極小の世界、次元の狭間。


 時間も空間も、ありとあらゆる法則が不確定なその空間にそれ(・・)はあった。


 古びた木製の作業卓と、その上に無数に浮かぶ丸底フラスコ。


 そして、フラスコの一つ一つを丹念に観察する一つの影。


 フラスコの中には光を放つ光球と、その周囲を周る幾つもの小さな塵。


 いや、よく見れば太陽と惑星の形作る太陽系が、丸々一つ入っていた。


 無限にも思える数のフラスコを、淡々と影は観察しながら新たなる世界の構築を思案する。


 ある時、無限に近い時間をかけたお陰で光の速度さえも超えた魂が一つ、次元の壁を突き破り、狙ったかのようにフラスコの一つに飛び込んでいく。


 影はそれを興味深げに眺め、少し考え込み、やがてとても面白い事を思いついたとでも言うようにニヤリと笑った。



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 ……肉体を失い、主観の曖昧になった俺でも、とても長い時間だと判断できる時が過ぎた。


 頭の上から滴る冷たい刺激に、意識が半ば覚醒する。


「あ……う…………あ……?」


 さわやかな甘い匂いと上品なアルコールの香りが鼻腔をくすぐる。口の端に垂れた雫を舐めとると、口の中に極上の果実酒の味が広った。


 酒のお陰か腹の底が熱を持つ、その熱さに一気に目が覚めた。


「目が覚めたかしら?ようこそ、この世界へ、世にも稀な旅人さん」


 それは深く静かな声だった。


 目を開けると真っ暗な世界に女がいた。


 しかし、おかしな事がある。何の光源も無い暗闇の中、なぜかしっかりと彼女を見ることができた事だ。


 下卑た視線になら無いように気をつけて、女を観察する。収穫期の小麦畑を思わせる黄金の髪と大理石の肌、新緑色のゆったりとしたドレスを身にまとい、右手には黄金の酒盃、つやのある美しい唇を楽しそうに歪ませ、同じように楽しげな深い緑の瞳で俺を見ていた。


 彼女はそこに『在った』。威圧感も荘厳さも無い、まるで大地その物の様な存在感に、俺の本能が白旗を上げる。比べる事が愚かしいくらいに格が違う、絶対に逆らっちゃいけない相手だ。


「おはようございます。わくたしは、貴城透たかしろとおると申します」


 しかし、何が何やら分からない今の状況では、毅然とした態度で隙を見せないに越した事はあるまい。


「私の名はテルス、創造神ケイオスが創りしこの『世界』の内『地』をつかさどる大地母神よ」


 大地母神様ときましたか。しかし、比較対象が無いからそれがどれ程のものかは分からない。はるかに高みにある存在と言うのは間違いないが。


 俺はそのまま膝を折り、頭を垂れる。


「大地母神様にあられましては、私ごときにどのような御用であらせられましょうか?」


 さて、これでどう出てくるかな?こちらの『大地母神様』とやらが一体どう言う理由で俺の前に現れたのか分からないが、怒らせればあっさりと殺され……魂だから消滅か?まぁい様にされるのは間違いないだろう。かと言って唯々諾々と貧乏籤を引くのも御免だ。まずは状況確認と情報収集、その上で出来るだけ最善の状況に持っていければベストだな。

 

「ぷっ、あははっ。私は気にしないから顔を上げて普通にお話なさいな。考えていることが駄々漏れよ?」


 駄々漏れですか、そうですか。


 心が読める相手に虚勢をはっても仕方が無い。いそいそと立ち上がり、何もついていない手のひらと膝を払う。


「では失礼して、俺に何の御用です?」  


「では改めて、エイネアースへようこそ、世にも稀な旅人さん。この世界はあなたを歓迎するわ」 


 重要そうなキーワードは三つ。『エイネアース』、『世にも稀な旅人』、『この世界』。


「この世界って事は、俺の居た世界とは違う世界って事なんでしょうか?」


「その通りよ、理解が早くて助かるわ。世界は私たち神でさえ数え切れぬほど存在するの、あなたの魂は私の知らない外の世界から、この世界に飛び込んできたのよ」


 って事は、エイネアースはこの世界の名前っぽいな。


「飛び込んで……。ああ、そうか、あれから一体どれだけ過ぎたんだろう?」


 思い出そうとしても、太陽系を出た辺りから記憶に連続性がない。頭の中で海月の様な宇宙生物の群れや、重金属の星の七色に輝く海がフラッシュバックのように思い出されるが、それが何時の事だったのか順番すら定かではなかった。


「良かったら話してくれる?あなたに何があったのか」


 慈愛に満ちた顔を俺に向けるこの女神様に、俺は死んでからの事を話した。永い永い旅の話を。


「…………なるほどね、それで分かったわ。とても不思議だったの、あなたには世界を渡るほどの力は無い、人も神もあなたを召還していない、それなのにあなたはこの世界に来た。だからあなたを世にも稀な旅人と呼んだのよ」


 なるほど『世にも稀な』ね。さて、最初の疑問は解消された訳だが……。


「世界を渡ったり、召還されたりって。そういう事って良くあるんですか?」


「異なる世界に渡るのは、力さえあれば可能よ。できるモノはめったに居ないけどね。召還の方は色々な準備や条件が必要だけれど、神や人の都合で稀に行われるわ。でも、あなたの場合、自力で世界を渡る力も無く、召還されもしないのに、ものすごい勢いでこの世界に飛び込んできた。速度だけで世界の垣根を飛び越えるほどの速さで。そこまでの加速を得るのにどれだけの年月を経たのか解らないけれど、飛び込んで来た時の貴方の状態を考えると、あと少しでも放浪期間が長ければ、魂が磨耗して消滅していたでしょうね」


 魂が磨耗して消滅?魂が消滅したらどうなるんだ……?死の瞬間にも無かった恐怖に、全身から力が抜け、怖気が背筋を走る。


「消滅したら、その後どうなるんです?」


「どうにもならないわよ?ただ消え去るだけ」


 しんみりとした雰囲気から一転してあっけらかんとしたテルス様のお言葉で、思い込みにも似た、実体の無い恐怖が消える。『消滅』って字面に過剰反応したかな?もともとは死ねば全部なくなると思っていたんだし、今更の怖がる意味は無い。


「そうそう。運良くこの世界に流れ着いたんだから、気にしても仕様が無いと思うわ……。それより、これからの事の方が大事じゃないかしら?」


 それもそうだ、って、これからどうなるんだろう?


「これからって言っても、今の俺は魂だし……。この世界で冥界に行って裁判でも受ければいいのかな?」


「ん~、それなんだけど、今のあなたを冥界に送っても異物として処理されかねないのよね。この世界の冥界って、創造神が兼ねているから自分の作った魂以外は直接処理できないみたいなの」


 冥界が創造神?自分が作って処理も自分でって、リサイクル上手な神様だこと。


「かと言って、あなたの魂を処理できるように強引に変質させると、折角のあなたの今まで積んだ徳も得た業も失われてしまうわ」


 徳に業ね、転生にしてもそうだが、仏教ってのは魂の本質を上手く捉えていたのかな?


「だから、あなたを直接転生させて、この世界での生と死を経験をさせる事で魂をこの世界に順応させるように、って言われているの」


 言われて?


「それは『誰』に言われたんです?」


「決まってるじゃない『冥界にして創造神たるケイオスに』よ。上手く行けば、この世界にも良い刺激になるだろうって!」


 創造神って事はこの世界の一番偉い神様かな?それならこの話は大人しく受けておいた方が良さそうだ。断った所でどうにも成らないだろうし、この記憶を持ったまま別の一生を送るのも一興ではある。


 しかし、刺激ねー何処までやって良いのやら。


「聞き分けの良い子って好きよ。断ったところで、あなたをそのままにしておいてもいずれ消滅するだけだし、強引に冥界に送ったら、何の業も負わず徳も積んでいないまっさらな魂ができるだけだしね」


 そういえば、考えている事が駄々漏れだったんですね……。


「ケイオスからは、『この世界を楽しんでくれ』との事よ」


「転生したら、精々面白おかしく人生を送らせてもらいますよ」


 自分が面白おかしくなのか、他人から見て面白おかしいのかは分からないけどね……。


「うふふ、それじゃ覚悟が決まったら所で転生の準備に入りましょうか」


 そう言ってテルス様が掲げた酒盃の上には、何時の間にやら拳大の卵が乗っていた。


「なるべく貴方を変質させずに転生させようとすると、人の間に子供として転生させるより、貴方の魂から抽出した情報を元に作った体を、()がこの世界に産み落とすのが一番なのよ」


 つまり、テルス様がこの世界での俺の母親になる?


「そうなるわね。私自身が命を産み落とすのは何万年ぶりかしら?新しい命を産むのは、何時もすばらしい喜びを私に与えてくれるわ。そうねぇ、折角だからトール君に私の加護を授けましょう。どんな力が欲しいかしら?剣や魔法の才能?神話的能力?それとも……」


「大変魅力的なお話ですが、特別な力は遠慮しておきます。大きな力を与えられ、その力に振り回されて破滅する英雄の話なんて枚挙に遑がないですから」


 テルス様の提案を遮った言葉に嘘はないが、それ以上に俺を誘うテルス様が怖かった。優しげな声は暖かい底なし沼の様に俺を惹き込み、穏やかな視線は毒草が咲き乱れる春の野原の様に俺の思考を痺れさせた。あれ以上聞いてたら、たとえ破滅する事が分かっていても、喜んでテルス様の言葉に従っていた事だろう。


「あら、ごめんなさい。少し力が漏れちゃったようね。これでも一番影響力の少ない化身アバタールなんだけど、今のトール君には影響が出ちゃう見たい」


 力が漏れるほど心を動かしていただいたのは光栄な事なんだろうなぁ。テルス様のしおらしい姿に苦笑いもこみ上げてくるが、折角の好意だし、少し位なら甘えても良いかな?


「折角のお言葉なので、鍛えたら鍛えた分だけ体が成長するようにしていただけると嬉しいです」


 死ぬ前の俺の体って、骨も弱いし鍛えても殆んど筋肉がつかなかったからなー。師匠にも技に関しては兎も角、肉体的には武術の才能が無いと良く言われたのが懐かしい。


「鍛えた分だけ成長?ん、解ったわ。そう言う事ならトール君が想ったとおり・・・・・・に成長できるように調整するわね!」


 俺の思考を読んだのか、一転して花が綻ぶ様に微笑むテルス様。微妙にニュアンスがおかしかった様な気もするが、テルス様の楽しそうな顔を見ると何も言えない。白旗を上げたはずの本能が、逃げられないが逃げろと訳の分からない警告を発している気がするがきっと気のせいだ。


「そうなると、初期能力を低めにして成長度合いを高く設定しましょうか。これなら空き容量も大分取れるから発展性も高いし、トール君が大きな力を手に入れても多少の事じゃオーバーフローを起こさない筈!」


 テルス様、力が入ってるなー。人事にして良い事でも無いんだけれど、神様の領分に人が口を出せる訳も無い。


「御免なさいね?色々と制約も有る事だから、全てをトール君に任せることも出来ないの」


 本来存在しない人間一人を新しく作るんだ、俺には理解できない様々な事柄が絡んでいるだろうって事は想像できる。俺の意向に少しでも沿おうとしてくれるだけでも十分ありがたい。


 相変わらず俺の考えは駄々漏れなのか、少し申し訳なさそうな表情でテルス様が優しく微笑む。


 テルス様が作業を続けるうちに、酒盃の上の卵に変化が起きた。卵の周囲を光が取り巻き、光は帯状の複雑怪奇な文様になって多重に卵を覆う。


「体の方はこれで完成ね、言語や一般常識なんかの必要な知識は体に入ってるから安心して。後は産まれる場所なんだけど、この世界で一番大きなティマイアス大陸の、最西さいせいの森にある妖精の隠れ里の産屋で産まれる事になるわ」


 言語……?そういえば、テルス様と普通に会話をしていたけど、俺達は何語で喋ってるんだ?


「正しくは喋っている訳じゃないの。トール君に見えている私の姿も含めて、理解し易いイメージをトール君に送っているだけ。それをトール君の心が翻訳して、会話していると錯覚しているのよ」


 うーむ?良く理解はできないけれど、そう言う物として流すか。


「その方が賢明ね。妖精の隠れ里なら発生したばかりの妖精も多いから、多少奇妙な行動をとっても人間の街より目立たない筈よ。この世界の常識に慣れたり、新しい体を慣らしたりするのには最適だと思うわ」


 心遣いがありがたい、右も左も分からない状態で悪目立ちするのは避けたい所だからなぁ。妖精の隠れ里と言う位だから人は少ないはずだ。……ん?


 妖精?


「テルス様、エイネアースの世界には妖精が普通にいるんですか?」


「ええ、妖精もこの世界の住人の一人よ。トール君の居た世界には居なかったのかしら?」


「少なくとも、俺は見た事がありません」


 目の前に神様が居るんだ、妖精が居た所で驚く事も無いんだろうが……流れに任せて転生を決めたけど、俺ってこの世界の事は何も知らないんだよな。


「トール君にこの世界の事を色々教えてあげたいのは山々だけど、禁則事項に触れる事を知っちゃうと色々厄介なのよね」


 いや、神様の禁則事項に触れるような事まで知る必要は無いと思うんだが。


「私が話す気は無くても、私の言葉からトール君が知らない方が良い事を連想するだけでもまずいのよ。外の世界から来たトール君がどんな知識を持っているかを私は知らないから、言葉をどう選んで良いのかも解らないのよね」


 そんなんで体の方に入っていると言う知識は大丈夫なんだろうか。


「この体に入っている知識は、ケイオスが調整した物だから大丈夫」


 ふむ?創造神、外の世界とこの世界、テルス様は外の世界を知らない、ケイオス様は調整できる。と、言う事は……?


「ストップ!もう、たったこれだけの事からでも、知らない方が良い事を考えちゃうんだから!」


 あちゃ、これ位でも知らない方が良い事なのか。なるほど、不必要な知識は制限されるはずだ。この世界の知識に関しては、産まれてから体に入ってるって言う知識とすり合わせながら考えよう。


「それじゃ、準備はいいかしら?」


 準備と言っても必要なのは俺の覚悟だけか、それなら問題ない。


「お願いします。ありがとうございました」


 姿勢を正し、万感の思いをこめて深くお辞儀をする。色々な事柄もありがたかったが、何より俺を産み落としてくれるこの世界での母になる神様だ、どれだけ感謝しても足りる事はないだろう。


「これでお別れね、トール君が生きている間では余程の事がない限りもう逢う事は無いと思うけど、何時でも見ているから私の事も忘れないでね」


 テルス様が優しく抱きしめてくれる、そのまま溶ける様にテルス様の中に沈み込んでゆく。暖かく心地いい……。俺はまどろむ様に意識を手放した。












 ふむ、テルスは指示通り彼を転生させてくれたようだね。彼はこの世界でどんな一生を送ってくれるのだろう?


 しかし……。自力で星ぼしを渡り、旧き神と邂逅しても正気を保ち、あまつさえ彼の神から加護を受け、その上にあちらの世界から隔絶された私の世界に流れ着くなんて、何かが彼を導いたとしか思えない。が、私の力では何の糸も見えなかったんだよなー。


 私の力の及ばない高きモノ共に目を付けられる覚えも無いが、監視をしておくに越した事もあるまい。彼の神の加護もあるから波乱万丈の人生を送ってくれる筈だから、見ていても飽きないだろうし。


 人として死ぬなら百年程の寿命だろうが、もしかしたら神となりこの世界の管理の一翼を担うかもしれない。なにせテルスは透君の成長限界(・・・・)まで取っ払っちゃたしなぁ。


 お、早速彼の神の加護に導かれてトラブル発生だ。さて、どうなる事やら。


 この世界においてほぼ全能である私でも、未来だけは予測しかできない。あぁ、今から楽しみで仕方が無い。透君、これから君はどう生きていくんだい?


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