220 heat & normal〜見えない世界の果てに――〜
日本 北海道 智恵文市名寄エリア
令和八年 夏
朝 晴れ
ホテル――四階建て――最上階。
ベランダに立っている彼――黒いウルフカットで学生服姿――はふとちょっと考えたが、やはり“そこ”に行く気は起きない。場所は知っている。そんな彼の背後から、「何を考えているの? ――もしかして行きたくなった?」彼は気配が移動するのを感じる――隣に来た「見たくなったからベランダに?」と、相手は続けた。
彼は隣を見て、「まさか」と、笑って答える「ここからじゃ見えないよ」
彼女――黒いロングヘアで学生服姿――も笑って、「分かっているわ、冗談よ。――もしかしてストーカーが怖いから行かないの?」
「また冗談を言うなよ」
「そうね」学校行く? と彼女は付け加えた。私は行かないわよ、と彼女は言い足した。
「私も行かないよ」彼は答えた「でも学生服は着たいな。ラクだから」
「同感ね。――とりあえず外行かない?」
「うん」
二人はマンションの前に出た。マンションは名寄駅の隣にある。周囲に人や走行する車の姿はなく、まるでゴーストタウンだ。
「海に行きたいな」彼女はふいに言った。
「海?」
「うん、ちょっとストレスが溜まっているから」と、彼女はさりげなく言った「付き合わない?」
「良いよ。――連絡しないと」
「かまわないんじゃない? 何か問題起きそう?」
彼は考えて、「ないな」と、答えた「稚内に行こうか?」智恵文市は盆地で海はない。
「ええ。特急で行きましょう」
二人は日本最北端の地へ行くため駅へ。特急列車は約四十分後に来る。二人はホテルで待つことにした。
駅を出ると、「おはようございます」と、声をかけられた。警察官だった。
「ちょっとお聞きしてよろしいでしょうか?」と、警察官は続けた「ピストルのことです」
彼は首をかしげる。「ピストル?」
「はい。智恵文市に一つあるようです。我々警察はその出所を見つけたいんです」
「分かりません」
「そうですか。ご協力ありがとうございます」と、警察官は去った。
しばらくして、二人はホテルを出た。
と、目撃した。
駅舎の前で、ピストルに怯える少女――同年代――の横顔を。
彼はとっさに駆け、少女の前に出た。
警察官と対峙する。
「何をしている?」彼は眉をひそめて言う「暴力的なことはやめろ」
警察官は肩をすくめた。と、警察官は去った。
彼は振り返る。アジア人か、と彼は思った。ライトピンクの長袖ワンピースを着て青のショルダーバッグを使う、黒いロングヘアの少女に彼は、「大丈夫?」
相手は笑みを浮かべ、「ありがとうございます。大丈夫です」
「よかった。――観光客?」
「はい。キミの名前は? 私はテナーと呼ばれています」
「私はキソウ」
「私はジュリ」と、彼女は彼の横に行った「朝から災難だったわね。北海道にはどのくらいいるの?」
「決めてないけどしばらくいる予定です、この街に」
「そっか。――キソウ、さっきのニセ警察官を追わない?」
(ニセ警察官?)
(まぁそうだな)
そう思いながらキソウは、「どうして? 海は?」
「海より良いと思うからよ。懲らしめてあげるんだから」
キソウはふっと笑う。「暴力的なことはしないよな?」
「もちろんよ」
「なら探そう」
「キソウさん」と、テナーが呼ぶ「また会えますか……?」不安そうに聞く「二人きりで話したいことがあるんです……」
「会えるよ? そこのホテルに行けばいい」と、キソウは自分達が泊まっているホテルを指差しながら言った「――室に泊まっているから。――なんなら今すぐ話を聞こうか?」
「いいんですか?」と、テナーは驚きながら言って、「ジュリさん、いいんですか?」
「別にいいわよ」ジュリはあっさりと答えた「キソウ、私は先に探すから」
「ああ」
約一時間後、ジュリは智恵文市の隣町で電車を降りた。美深の駅前には一人の女が待っていた。若く、長い黒髪の女――緑色の長袖シャツに茶色のロングスカート姿――にジュリは、「こんにちは、タカミさん」と、挨拶した「連絡がついてよかったわ」と、学生服のポケットから財布を取り出す。そして濃紺色の一万円札を差し出し、「前払いよね?」
「そうよ」と、タカミはお札を受け取る「何が知りたいの?」
ジュリは説明した。
「“ツプタカロツブ”っぽいわね」と、タカミは答えた。
「“ツプタカロツブ”?」
「キミ達や警察のことを世間に教えようとする連中のことよ。もっとも発生理由はキミ達と同じよ。内容はあとから」
「――ぽいってどういうこと?」
「“ツプタカロツブ”はそんな過激なことはしないわ。ニセ警察官になって外国人にピストルを向けるなんて。――そうそう、親切で教えるけど、外国人といえば道北で外国人ばかりを狙った犯罪者がいるわ。まぁ、私達には関係ないわね。でも知り合いにいたら言っておきなさい」そういえば、どう? 智恵文市の様子は? 少しはマシになった? とタカミは付け加えた。
ジュリは肩をすくめる。「まだまだゴーストタウンみたいですよ」
それから約四十分後、ジュリは名寄駅を出た。
と、自分達が泊まっているホテルの前にキソウを認めた。彼は俯いている。ジュリは近寄る。
と、彼女はふいに大笑いした。キソウは驚いて顔を上げる。
彼女は笑いながら、「何?その右のほっぺた。ビンタされたって丸分かりじゃない」
キソウはぶすっとして、「笑うなよ」
「ごめんごめん」と、ジュリは深呼吸する「どうしたの?」
「テナーに告白されたんだ」
「へぇー! えっ? じゃその顔ってもしかして?」
「ああ、断ったからだ」
「偉いわ、断って。まぁ当然だけど。――でも断っただけでビンタする子かな? 何か気に障ること言ったんじゃないの?」
「所属のことを話したんだ。納得してもらうために」
「それで?」
「そしたら、やめるよう言われたんだ。断ったらビンタされた」と、キソウは寂しそうに笑った。
「良い子ね、まともだわ」
キソウは苦笑して、「そうだな」
「彼女はどこに?」
「私達と同じホテルの部屋にいるよ」
「そう。あとで遊びに行こうかな。――そうそう、ニセ警察官のことなんだけど――」ジュリは説明した「あと、外国人ばかりを狙った犯罪者が道北に出没しているそうよ。親切で教えてくれたわ」
「何? ――なら守りたいな」と、キソウは決める「テナーを」
「助けるの?」ジュリは不思議そうな顔で聞く。
「当たり前だろう?」
「そうね、私も協力するわ」じゃテナーにもこのこと説明しないとね。行きましょう、とジュリは付け加えた。
「えっ?」
「どうしたの?」
「気まずいかなって……いや、そんなこと言ってる場合じゃないな」
説明はテナーの部屋でキソウがした。「――どうかな?」
「あの、キソウさん、さっきはごめんなさい。痛みますか……?」と、テナーは泣きそうな顔で聞く。
「全然気にしてないよ」と、キソウは自分の右頬を触る「大丈夫、痛みはない。それよりキミのことだ。どうかな? 私はキミを守りたい」
テナーは微笑んで、「はい、よろしくお願いします」
と、彼女の腹の虫が鳴った。彼女は真っ赤になった。
「二人とも、お昼にしましょう」と、ジュリはキソウを見る「そうね――警察署の隣の食堂がいいわ。近いし」
食べる場所が決まると、南北に横たわる駅前通りを右――北――へ数分歩き、食堂へ到着した。
一時間ちょっとして三人は食堂を出る。
ふと、テナーはあくびした。
「眠いの?」ジュリが聞く。
「は、はい……」テナーは恥ずかしそうに答えた。
「ならホテルに戻ってお昼寝しましょう。私もしたいわ。キソウは?」
「私はいいよ」
ふと、キソウは警察署のほうを見た。
ぎょっとした。
首のない死体が警察署の前にあったからだ。
アスファルトにも血をつけないそれを見た瞬間、「二人とも目を瞑れ!」と、キソウは呼びかけた「とにかく瞑ってくれ!」
二人は戸惑いながら言われた通りにした。
「どうしたの?」ジュリが聞く。
「ちょっとね」と、キソウは二人の手を取って食堂の中に戻った。
「二人とも、ここで待っていてくれ。外は見るなよ」と、キソウは外に出た。
すると、警察署から警察官が二人出てきた。と、二人は立ち止まり、死体を見る。その直後、二人は何食わぬ顔で歩き出した。死体の横を通り過ぎる。
キソウは困惑しながら二人を追いかけ、「無視するのか?」と、声をかけた「あの死体を」
「我々警察は智恵文市に現れたピストルの出所を探します」と、一人が答えた「死体なんて興味ありません」
キソウは呆然となった。
と、二人はどこかへ歩き出した。
彼はしばらくそうしていたが、ふと食堂へ行った。そして二人に話す。
テナーは震えた。「怖いですね……。見せしめでしょうか?」
「見せしめ?」と、キソウ。
「はい。ヤクザとかの。――それか儀式とか。カルト宗教の」
「いや、どちらもないだろう。道北にヤクザやカルト宗教は――」
彼の話は彼の携帯の着信音に遮られた。彼は電話に出る。
「――分かりました」と、彼は電話を切ると、「ジュリ、中川町へ行こう。呼び出しだ」
「うん」
「私も行きたいです!」と、テナーは焦りながらキソウに言う。
「もちろん。私はキミを守りたい」
三人はすぐ特急列車で北上し、夕方、中川町に着いた。田舎駅のホームには、若い女が待っていた。赤い長髪と長袖ワンピースの女に、「こんにちは、チハルさん」と、キソウは挨拶した「ご用件は?」
「うん、名寄警察署に放置された死体のことについてだ。明らかに事件だ。我々はその加害者を捕まえたい。我々のプラスになるからだ。有志にそう伝えてくれ」
「分かりました」
「偽善ですよね?」ふいにテナーが、眉をひそめてチハルに言った「どうしてそこまでするんですか? 危ないですよ」
チハルは首をかしげる。「キミは? 新しいメンバー?」
「違います」
「そうだよね。うん、好感度を上げるためだよ。お金は大事だからね」
「キソウさんを組織から脱退させてあげてください!」
テナーは真剣に言った。
キソウは戸惑う。
チハルは不思議そうな表情を浮かべ、「脱退したいの?」と、キソウに聞く。
「はい」と、テナーが答えた「キソウさんを危ない目に遭わせないでください」
すると、チハルはテナーに微笑して、「基本的に所属するだけでいいんだけどね、我々のところは。まぁ、キソウ君のような有志もいるんだけど。でも分かったよ」と、キソウを見る「キソウ君、キミの好きにしたまえ」
「いや、私は――」
「キミはどうする?」チハルは彼の話を最後まで聞かずにジュリに言う。
「私はやめませんよ」彼女はきっぱりと答えた「だから有志には私から連絡します」
「ありがとう、そうしてほしい。――それでは」
と、チハルは立ち去った。
「キソウさん」と、テナーは暗い顔で呼んだ。その表情にキソウは心配になりながら、「何?」
「……いえ、なんでもありません……」
「大丈夫?」
彼女は答えない。
様子がおかしい――それは翌朝になっても。
キソウはテナーの部屋をノックした。
「はい」と、彼女はドアを開けずに応えた。沈んだ声だ。
怪訝な表情のキソウは、「おはよう、朝食に行かないか?」
「すいません。そんな気分じゃないんです」
「大丈夫? どこか具合が悪いなら病院へ一緒に行こう」
「いえ、大丈夫です……」
「そうか。――分かった」
「すみません」
「別にいいんだ。――今日は外出する? するなら一緒に行きたいんだが」
「ありがとうございます。今日は出ません」
「分かった。――今日は私も部屋にいる。何かあったら来てくれ」
「はい」
キソウはホテルの朝食をジュリとすませた。食後、彼女は言った。首なし死体の加害者を探すと。それからすぐに二人はホテルの前で別れた。ジュリを見送ると、ふとキソウは思った。テナーのことを。彼女は昨日から様子がおかしい。なぜだろう? 少し考えたが分からない。
ふと、彼は微笑んだ。
そして、しばらくそうやって立っていた。
「キソウ」ふいに横から呼ばれた。見ると、若い男――赤いジャージ姿――がいた。なんで私の名前を? とキソウが怪しんだ時、「女のことを考えていたな?」と、男は言った。
「な、なぜ分かるんだ!?」
「分かるさ。どんな女だ?」と、男はズボンのポケットから何か取り出した。財布だ。そして濃紺の一万円札を差し出し、「教えてくれ」
キソウは受け取り、「テナーって女の子だ」
「外国人か?」
「ああ。何人かは分からないが」
ふと男は顔をしかめる。「殺したいな」
「えっ?」キソウはびっくりした。
と、彼ははっとした。
「キミが外国人だけを狙った犯罪者か?」彼は聞いた。
「そうだ」
しまった、とキソウは思った。テナーのことを教えてしまったからだ。
「テナーはどこにいる? 早く殺したい」
「なぜ外国人を狙うんだ?」と、キソウは受け取ったお札を差し出す。
男はもらい、「キミ達と同じように、お金のためさ」
「お金? ――まさかそのお金は私達のと同じ出所か!?」
「さぁな。それよりテナーはどこにいる?」
「――お金を渡す」と、キソウは財布のお札を全て差し出す。全部濃紺の一万円札だった「十万ある。これでテナーをターゲットから外してくれ。彼女の特徴は――。頼む」
男は笑う。「よかったな、私で。お金プラス、分かり合えないって理由で殺す奴も道外とかにいるからな」と、男は受け取る「分かった、約束しよう」
キソウはほっとした。「それにしてもずいぶん堂々と行動しているな? 警察が怖くないのか?」キソウはふと気になって聞いた。
「怖くないさ」男は即答した「警察だってお金をもらってるんだからな」と、お金を財布にしまう「ほしいなぁ、そのお金も。――じゃあな」
と、男は立ち去った。
その直後、キソウは近くのコンビニへ行く。お金を下ろすためだ。濃紺の一万円札十枚を手に取る。それを見て、ふとキソウは寂しげに笑った。
ホテルに戻ると、その前にテナーがいた。
「キソウさん、話したいことがあります」不安そうな顔でテナーは言った「いいですか?」
「良いよ。――大事な話なら私の部屋で話そうか?」
「はい」
勧められ、テナーはベッドに腰かけた。
「話って?」と、キソウは彼女の向かいに立って聞いた。
テナーは緊張した様子で、「キソウさん、ニセ警察官から私をどうして助けてくれたんですか? 組織のためだからですか?」
「違うよ」キソウは即答した「とっさに助けたんだよ。ただそれだけだ」
テナーは満面の笑みを浮かべる。
「キソウさん、私はキミが好きです。付き合ってください」
キソウはどきっとした。
と、彼は深呼吸する。
「テナー、私は無能な人間だ」と、彼は真剣な顔で言う「だから組織に所属している。幸せになりたいんだ」と、寂しげに笑う。と、また真剣な表情になり、「私は最低な人間だ。キミを幸せにはできない。だから付き合えない」私達は分かり合えないんだ、とさっきの男の言葉をふと思い出してキソウは付け加えた。
「違います、キミは素敵な人です」テナーは断言する「私達は幸せになれます。――もしかして私が外国人だから嫌なんですか……?」
「えっ? キミが何人かなんて関係ないよ。問題は私にある」
ふとキソウの携帯に着信。「ごめん」
「はい」
キソウは廊下に出る。「もしもし」
「ホテルの前に来い」と、電話は切られた。
そこには若い男――学生服を着た――がいた。ストーカーだ。
「なんの用だ?」キソウは怪訝な表情で聞く。
ストーカーは顔をしかめ、「毒ガスを使う」
「何?」
ストーカーはにやりと笑い、「道北は死ぬ。キミのせいだからな。キミがむかつくからいけないんだ」
「考え直せ、キミは同じ所属だろ? そんな過激なことをするな」
「いやする。キミを見ているとぞっとするんだよ。今の自分が好きな私にとって、テナーのような存在に出会えるキミが。むかつく」
「なら馬鹿なことはやめろ」
「いいや、毒ガスを使う。もう許せない」と、ストーカーは笑う「毒ガス使用を止めることはできない。道北は今日中に死ぬ」
キソウは呆然となる。
彼は理解できない。ストーカーを。同じ所属なのに……
人は分かり合えない。
彼は悟った。
と、強烈な寂しさが襲ってくる――
(テナーとも?)
ふとそう思うと、彼は我に返り、慌てて部屋に戻る。
「テナー!」
彼女はベッドから立ち上がり、「どうしました?」
「北海道を出るんだ、今日毒ガスが使われるんだ」
「毒ガス!?」
「ああ、早く北海道を出るんだ」
「嫌です」テナーははっきりと断った。
「えっ?」
「キソウさん、私がこの街に来たのには理由があります。それは――」
彼女は語った。
キソウはびっくりした。「来られるの?」
「はい。有効活用の一環らしいです」
同じかと思いながらキソウは、「キミはどうしてその理由で来たんだ?」
「敬っているからです」
キソウははっとした。
悟りは嘘だと確信した。
「テナー、私はキミが好きだ。キミを幸せにしたい」
「えっ!?」
「組織を抜ける。でも所属した過去は消えない。そんな私と付き合ってくれるか?」
「はい!」テナーは微笑んで答えた。
キソウは微笑して、「ありがとう。――北海道を出よう。ごめんね。キミを死なせたくない、キミを幸せにしたいんだ」
「全然! 分かりました」
「ありがとう」と、キソウは彼女の手を取る。
そして二人は部屋を飛び出した――
〈了〉




