暁が愛した優しき怪物
地下の暗い廊下を、松明の明かりだけを頼りに進む人の列があった。
一枚の白い布に穴を開けて頭から通す、『貫頭衣』を纏った年端もいかない子供たちが、術繋ぎのように、腰を麻紐で括られている状態で歩かされている。
青銅製の兜、胴、脛当ての装備で身を固めた重装歩兵が数人、それぞれ松明を手に取り、列を取り囲むように歩いていた。
手足にも枷をされている子供たちは、かつては王族貴族の血筋で高い身分にあったが、自国が戦いに破れ、捕虜になってからは、名も呼ばれぬただの奴隷に成り下がっていた。
皆一様に暗い顔で俯き、なかには啜り泣く子供もいた。
彼らが歩みを進めるたびに、ジャラン、ジャラン、と擦れ合う金属音が響く。
――それは、まるで葬儀の列ように、厳かであり、重い沈黙があった。
「イヤだ…」
一人の子供が沈黙を破り、急に足を止めた。
一つの縄に繋がれている状態で、一人でもそんなことをすれば一気に総倒れになる。
立ち止まった子供に繋がれた縄が、急に弛んだり、逆にピンと張ったりして、他の子供たちの態勢を大きく崩した。
一人が倒れると、次々と転んだ。
前で組むように手枷をされているので、まともに受け身が取れない。
ゆえに、子供たちは石の床へそのまま身体を強かに打ち付けた。
「貴様ら、なにをしている!!」
列の脇を歩いていた重装歩兵が、すかさず青銅の剣先を向ける。
怒気をはらんだ鋭い声。向けられた刃に、子供たちは恐怖で首を竦ませる。
「…おい、殺すなよ」
一人の重装歩兵が眉を顰めながら、仲間を諌めた。
「どうせ、すぐに死ぬ連中だ!今殺しても何も変わらんだろう」
「ああ。……だが、その役目は我々ではない」
「しかし…!」
なおも食い下がる重装歩兵へ、最後尾にいた一人が苛立ったまま、こう言い放つ。
「お前ら、もうそのくらいにしろ!早く列を立ち直らせろ!もうすぐ日が沈むぞ!!」
その言葉に、重装歩兵は押し黙り、下唇を噛んだ。
「…もう時間がない。急ごう」
仲間に諭されて、渋々と頷く。
剣先を向けながら、重装歩兵たちが「早く立て」と子供たちをせっつく。
ほどなくして態勢を整えた列は、再びゆっくりと進み始めた。
◇ ◇ ◇
しばらく進むと、目の前に大きな石の扉が立ちはだかった。
――ここが、迷宮の入り口である。
重装歩兵が数人がかりで、押し開ける。
「早く中に入れ!!」
広間の中へと、子供たちを無理やり押し込み、すぐ外から石の扉を固く閉めた。
閉ざされた空間に、捨て置かれた子供たちは途端に泣き出す。
「死にたくないよ!!」
「お母様…お父様…」
そこにいるのは、まだ十三歳にも満たない――幼い子供たちばかり。
だが、誰に言われずとも、これから起こるであろうことを知っている子供は多かった。
「…何で、みんな泣いてるの?」
この中で一番幼い子供が、なぜ皆が泣いているのかと、不安そう尋ねる。
「…私達は、これから「怪物」の贄になるのよ」
その中で、一番年上の少女が、落ち着き払った声で答えた。
「え…どうして…」
幼子は、呆然と呟く。
「私達の国が戦いで負けたから…負けた国の王族貴族の子は…この国では迷宮に住まう怪物の『餌』になる…そう決められていることなの」
彼女の諭すような言葉に、幼子は他と同様に泣き出した。
――真実を言わずにいた方が、良かったのかもしれない
幼い子には、この話は酷すぎる。
だが、自分達は「なぜ怪物に食われるのか」
死ぬ前にその理由を知っておくべきだと、思った。
“何も分からず”ただ食われるだけなのは、自分の命が無駄に終わるような気がした。
でも“意味があって”食われるなら、それは自分の命が無駄にはならない。
「私達が怪物の餌になれば…数年間は、誰も命を差し出す必要がないわ」
たとえ一時しのぎであっても、自分が犠牲になれば、誰かは死なずに済む。
王族として生まれた少女は、“民の命を守る責務がある”と、父親からそう教えこまれていた。
――ならば、これはまさに自分の天命だ。
もし仮に“王族貴族”がこれを拒否すれば、代わりに自国の民が命を差し出さればならない。
それは、国を統治する者の矜持を損なう行為だ。
(私達は、国の民を…人の命を守らないといけない立場なのよ)
少女は石床に座り直し、覚悟を決めて静かに目を閉じた。
もちろん、少女だって死ぬのは恐い。
それでも、彼女は幼くても歴とした王族である。
みっともなく、生き恥だけは晒したくはない。
そう思うと小さな彼女の矜持が、恐怖する心を若干和らげた。
――しばらくして…ドスッ、ドスッ、と重たい足音が聞こえてきた。
近づいてくる足音に、子供たちは思わず閉められた扉に駆け寄った。
いくら拳で叩いたところで、その口は固く閉ざしているだけだった。
石の扉の前で、互いに身を寄せあい、子供たちは息を殺すようにする。
少女だけは、一番先に食われる覚悟を決めたように――その場から動こうとしなかった。
――耳をつんざく咆哮が聞こえた。
少女は、思わず目を開ける。
赤い双眸、黒くべたついた短い毛並み、大の男の二の腕はゆうにある、大きく湾曲した二本の角。
――少女の目に、『二足歩行した巨大な雄牛の姿』が飛び込んできた。
「…“ミノタウロス”」
少女は思わず、そう呟いていた。
【ミノタウロス】
ある呪いをかけられた人間の女が、雄牛と交わったことで生まれた異形。
それゆえに周囲から疎まれて、迷宮に閉じ込められている忌まわしき存在である。
――数年に一度だけ、ミノタウロスは人を食べることを許されていた。
声に反応して、ミノタウロスは大きな身体の割に小さな赤い目を向けてきた。
少女は身を竦ませながら、勇気を持って立ち上がる。
そして毅然とした態度で見つめ返すと、ミノタウロスは目を見開いた。
――今まで、彼を直視した者はそうはいない。
それよりも驚いたのは、松明に照らされた、少女の青い瞳。
それは、物心つく前から迷宮に居たミノタウロスが、まったく知らない未知の色だった。
『…綺麗だ』
ミノタウロスが、嗄れた声で呟く。
なんのことを指しているのか分からず、少女は眉を顰める。
『その目…私が知らぬ色だ』
「……目? 私の…この青い瞳のこと…?」
その言葉に、ミノタウロスは頷いた。
『私は、そんな澄んだ色を見たことがない』
彼の周りにある景色は、石造りで作られた灰色の世界が殆どを占める。
そして黒檀のような闇があり、赤々と燃える松明の明かりがあるだけ。
この迷宮には水場がいくつかあるが、その水は不純物が混ざって白く濁った色だ。
かすかに水面に映し出されるミノタウロス自身は黒い毛で覆われており、そして灯ったような目は真っ赤。
少女の瞳の色は、ミノタウロスがまだ知らない、新しく知った色彩だったのだ。
「…空と同じ色よ」
『空…。物語で出てくる…あの空か』
「物語…?」
『ああ。…昔、奇特な男が迷宮に迷い込んだことがあった。男は、私に言葉を教え、いくつかの物語を聞かせてくれた』
ミノタウロスがなぜ人の言葉を理解し、話せるのか、少女はずっと気になっていた。
まさかその真相を、ミノタウロス自身が語ってくれるとは思わなかった。
迷宮のある小島の統治国。
その王妃からミノタウロスは生まれた。
生まればかりのその姿を一目みた王は、有名な工匠に巨大な迷宮を作らせて、ミノタウロスをそこに閉じ込めた。
――『人身牛頭』であるが、人の子であることには間違いない。
それなら身体の構造上、話すことが出来るのことには合点がいく。
だが、こんな見た目の怪物が、言葉を理解して、人の言葉を話すのは意外だった。
そして、まさか言葉や物事を教える“変わり者がいた”とは思わなかった。
「その…奇特な男はどうしたの?」
少女は、興味本位で尋ねた。
自分の瞳を『綺麗』と言った、ミノタウロス。
人の感性を持っている彼に、心の中にあった恐怖心がなくなっていた。
『…出ていった』
「それは…抜け道があるってこと…?」
『ああ…道標があるだろう』
「道標…?」
少女は、辺りを見渡した。
一見、道標になるようなものはない。
『ああ。………帰りたければ、『糸』を辿っていけばいい』
「………?」
ミノタウロスの言葉に、少女は辺りに目を凝らした。
だが、彼女の目にはやはり何も映らない。
「帰れるの…?」
二人のやり取りを今まで黙って見ていた一人の子供が、恐る恐るミノタウロスに問いかける。
『……ああ。「帰りたいという意思があれば『糸』が見える」――男はそう言っていた』
その言葉に、子供たちは目を輝かせた。
――どうやら、皆には糸が見えるらしい。
子供たちは、一斉に立ち上がる。
そして、ミノタウロスが教えた『糸』を辿るように、その場から逃げ出した。
『だが…私が手助けしても…死ぬことには変わらないんだ』
去っていく後ろ姿を、静かに見つめながらミノタウロスは寂しそうに呟いた。
「どうして…?」
何故か糸が見えない少女は、思わず尋ねた。
『入り口に兵が待ち構えているらしい。
――男の話では「負けた国の王族貴族の子らは、たとえ“私”に食べられなかったとしても…生かせばいずれ、この国に敵意を持って攻めてくる脅威の存在となる。だから若いうちにその芽を摘むのだ」…と、つまり………』
「どちらにしろ、殺されるということ!?なら…あの子たちは…!」
少女は、慌てて子供たちのあとを追おうとする。
だが、最初の分かれ道でどちらに行ったか分からないほど、彼らは遠くまで行ってしまっていた。
『――それでも、そう言うしか…私には救える術がないんだ。
だが、このまま、この迷宮に留まるのはよくない』
少女の背に向かって、ミノタウロスが静かに言葉をかけた。
「私には…糸が見えないわ」
こちらに背を向けている少女が今どんな表情をしているのか、ミノタウロスは分からない。
だが、その声音はとても寂しそうに聞こえた。
『…安心しろ。…私はお前を食べるつもりはない』
ミノタウロスはきっぱりと言い切る。
すると、少女は振り返り、ゆっくりと微笑みかけた。
「あなたは……優しい“怪物”なのね」
ミノタウロスは、思わず目を見開いた。
誰かに微笑みを向けられたことは、今まで生きてきて一度もなかった。
――親にも生まれたことを、喜ばれず。
そして、望まれなかった命だったから。
◇ ◇ ◇
帰ることができないまま、少女はミノタウロスのねぐらに案内された。
「イオスネル。…私の名前よ」
『……イオスネル』
ミノタウロスは少女の名前を、嚙みしめるように反芻した。
「そうよ。暁の女神になぞらえて…父様がつけてくれた名前なの」
『そうか。――その“暁”とは、なんだ?』
「夜明けの事よ。…その時の空の色に、私の瞳の色がよく似てるの」
イオスネルが誇らしげに語った。
「それにしても…ねぇ、あなた、食事はいつもどうしてるの?」
――約十年ほどの周期で贄が来る。
ミノタウロスの話では、贄を食べたことが一度もないらしい。
そもそも、その巨体で数人の贄を食べたところで、次まで生きられるはずがない。
――ならば、彼は今までどうやって生きてこられたのか?
『ここは…餌が豊富にある』
ミノタウロスは、水場に視線を向ける。
松明に照らされて、濁った水の中を優雅に泳ぐ大きな魚の背が薄っすらと見えた。
「これ?」
イオスネルが、それを指差す。
『ああ。ここから外に繋がっているのか分からないが…これを獲って食べている』
「……なるほど、ね。松明の火があるから…焼いて食べれるし…お腹は壊さなさそう、ね」
イオスネルは思わず、苦笑を漏らした。
――そしてある事実に気づき、心の底から笑った。
『?』
首をかしげるミノタウロスに、彼女はこう言う。
「あなたが、“肉より魚が好き”だって、知らなかったわ」
◇ ◇ ◇
――それから数年が経った。
当時十二歳だったイオスネルは、大人の美しい女性になっていた。
陽の光を浴びることはなく、肌は陶器のように青白い。
そして女性らしい丸みはほとんどなく――全体的に痩せていて、貫頭衣から覗く手足はとても細かった。
それでも、イオスネルの美貌は損なうことはなかった。
陽の光のような波打つ金色の髪は、踝まで伸びた。
だがミノタウロスがかつて言っていた――綺麗な青い瞳は、相変わらず澄み切っていた。
まさに、息をのむほど美しいイオスネルのことを、ミノタウロスは心配していた。
陽の光がないところに長い間、留まりつづけることは心身共によくない。
一緒に過ごしてきて、そう痛感した。
――ミノタウロスは、どうにか『彼女を地上に戻す術』を探していたが、時は残酷に過ぎていった。
◇ ◇ ◇
『あぁ…そろそろ新しい贄が来る』
ミノタウロスが、唐突に言った。
「…そうなの…?」
ゆっくりと起き上がり、イオスネルは顔にかかった髪の一房を耳にかける。
その腕は枯れ枝のように細く、頬は痩せこけていて、やはり血色がよくない。
出逢った時と違って、今の彼女は生気が感じられないほど明らかに弱々しくなっていた。
◇ ◇ ◇
ミノタウロスは、早る気持ちを抑え、贄が集まる広間に向かう。
(イオスネルを地上に戻せる…やっと!)
ミノタウロスは、この時を待っていた。
広間には、複数の若い男女が手枷をされた状態で、怯えた顔をして待っていた。
突然現れたミノタウロスの姿に、彼らはただただ恐怖で慄く。
『………』
ミノタウロスが声を発する前に、ガシャン、と甲高い金属の音が響いた。
音の方を見ると、手枷を“自ら外した”男が立っていた。
その光景に、目を見開く。
――男は 、斧を持っていた。
「悪しき異形の化物!!私が貴様を討ち取って、この国すべての民たちの憂いをはらす!!」
斧を構え、男は突進してきた。
『ミノタウロスを倒す』
近隣の国々を滅ぼし尽くし、ついに自国の民を贄として差し出すことになってしまった王族貴族たち。
己に火の粉がかかった途端、彼らはミノタウロスを殺すことを決意した。
そのため、一人の勇敢な戦士が選ばれた。
武器を隠し持ち、そして贄に扮してミノタウロスの前に現れたのだ。
ミノタウロスは無抵抗のまま、男の斧をその身で受け止めた。
首から血が噴き出し、男を鮮血で赤く染める。
――ミノタウロスに戦う意思など、さらさらなかった。
『私を殺しても構わない…ただ…』
ミノタウロスは死ぬ間際、男に懇願する。
『イオスネルを外に連れ出して…やってほしい…』
ミノタウロスは、逃す手助けをする代わり、イオスネルを地上に連れ出して欲しかった。
彼は、ただ“愛する人を救いたい”――その一心だった。
(大丈夫だ。…これで、きっとイオスネルは助かる)
ミノタウロスは、彼女の澄んだ青い瞳を思い出す。
自分が知らなかった『夜明けの空色』を見せてくれた、愛しき女性。
――ミノタウロスは、イオスネルのことを想い、静かに瞼を閉じた。
◇ ◇ ◇
迷宮の最奥――男は、イオスネルを見つけた。
「ミノタウロスは…死んでしまったの?」
男の血に濡れた姿を見て、イオスネルは察した。
そして、静かに虚空を見る。
「あの人は…優しい“怪物”だった」
ミノタウロスのことをひたすら想い、その美しい顔を曇らせて――
イオスネルは、彼のためだけに一縷の涙を流す。
「ミノタウロス。…安心して、私も、すぐそちらにいくから」
イオスネルは、既に限界だった。
身体は、もういうことを聞かないところまで、衰弱しきっていた。
そしてミノタウロスという生きる糧を失った今、この命はもう天に委ねてしまってよかった。
「この命は、あなたと共に…一緒に生きるためにあった。
ミノタウロス……あなたのおかげで、私はこれまで生きてこられた」
イオスネルは満足げに微笑む。そして――
「この魂は…あなたの魂と常に寄り添い続けるわ。…ずっと、これからも一緒よ」
イオスネルは、天に向かって両手を伸ばした。
「私が、あなたに空を見せてあげるの。…本当の夜明けの空を。
――だから待っていて…」
男には、そんなイオスネルの姿が神々しく見えた。
まるで、彼女の背中から純白の羽根が生えていると錯覚してしまうほど。
――まさに、女神と見間違えるほどの美しさだった。
「ミノタウロス………愛しているわ」
――イオスネルもまた、ミノタウロスのことを想い、その青い瞳をゆっくりと閉ざした。
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「――女神と見間違えるほど、美しい女性『イオスネル』。
…そんな彼女に愛された…忌まわしき『怪物』がいたことをお前たちは知っているか?」
男は、問うた。
「……私は、知っている」
あのときの光景を、数十年経っても、男は忘れずにいた。
忌まわしき怪物を討ち取り、富と栄光を手に入れた男は、時の英雄となった。
だが、皮肉にも、その手で殺した怪物に――かき立つ様な激しい嫉妬をずっと抱き続けることとなった。
それは、多くのものを手に入れた英雄でも未だ得られていない『愛』を、自分より劣っていたはずの怪物が得ていたからだ。
――どんなに強く望んでも、男が『その愛』を得ることは、決してない。
『今日も、静かに夜が明ける』




