第8話 深淵
一度は手にしたはずの『答え』が、
指の間から零れ落ちていく。
それが今の私の実感だった。
暗い洞穴の影で、
私は荒くなる呼吸を必死に抑えていた。
目の前には、
群れの仲間を失ったはずのゴブリンたち。
それが、一個の巨大な生物であるかのように、
寸分の狂いもない連携で周囲を索敵している。
別の群れを倒した時は、
たとえ集団の中心でなくとも、
一匹倒せば動きが鈍くなった。
頭の中で整理したはずの仮説は、
どれも輪郭が曖昧だった。
統率はスキルでなくても成立する。
群れの中心を潰せば崩れる。
理解していたつもりだった。
人間社会と同じだと、高を括っていたのだ。
だが、この世界はそんなに
分かりやすくはできていないらしい。
失意が冷たい汗となって背中を伝う。
(分からない。……でも、立ち止まってはいられない)
立ち止まるという選択肢はなかった。
分からないなら、せめて生き残る確率を上げる。
私が出した答えは、単純だった。
実力を上げる。ただそれだけだ。
私は、より深い闇へと意識を溶かし、
これまで以上に慎重に、
気配を殺すことに集中した。
***
それからの時間は、自分自身との戦いだった。
できるだけ単独行動、もしくは
個体数の少ない集団を狙い、倒し続ける。
気配遮断の精度が研ぎ澄まされていく。
息を止めるだけでは足りない。
心臓の鼓動を鎮め、
関節が鳴るわずかな音さえ制御し、
衣類の摩擦音すら出ないように意識する。
もどかしいほどゆっくりと移動し、
一歩一歩の精度を上げていく。
(……もっと深く)
その極限の緊張状態が、臨界点を突破した瞬間。
⸻
【スキルレベルが上昇しました】
スキル:【気配遮断 Lv.2】 → 【気配遮断 Lv.3】
⸻
より、闇に馴染む感覚が強化された。
周囲の闇が、
皮膚の一部になったかのような錯覚。
試しに、近くを通りかかるゴブリンのすぐ側で、
あえて無造作に動いてみる。
……気づかれない。
気配遮断のレベルが上がったことで、
行動の幅が広がる。
それにより討伐効率が劇的に上がり、
やがて身体を淡い光が包んだ。
⸻
【レベルが上昇しました:7 → 8】
体力:+2 / 魔力:+2 / 攻撃:+3 / 防御:+1 /
敏捷:+3 / 器用:+3 / 感知:+2 / 運:+1
【ステータス】
名前:相沢 天音 レベル:8
ジョブ:【暗殺者】 種族:人間
体力:22 / 魔力:24 / 攻撃:32 / 防御:12 /
敏捷:37 / 器用:32 / 感知:26 / 運:18
スキル:【気配遮断 Lv.3】 / 【鑑定 Lv.2】
ユニークスキル:なし
称号:なし
所持スキルポイント:0
経験値:26 / 800(次のレベルまで 774)
⸻
身体の奥から力が漲る。
私はその場で軽く地を蹴り、屈伸をして、
新しい身体の出力を馴染ませる。
その間に、集団について得た情報を整理した。
集団には、二種類ある。
一つは、大きな個体に従い、
意志を感じさせる集団。
この群れは、
モンスターにも社会性があると推測できる。
ただ、それとは別で、もう一つの集団がいた。
一匹一匹が思考して動いていない、
まるで機械のような集団。
存在自体が、
何かにプログラミングされているかのようだ。
石碑の文を思い出す。
『それは、意志か……それとも、仕組みか』
おそらく、これはそのことを指していたのだろう。
いや――そうであってほしい、
と願っているだけかもしれない。
思考を巡らせていると、
前方から機械を思わせる集団が歩いてきた。
すぐさま鑑定を飛ばす。
⸻
【個体鑑定:ゴブリン】
レベル:5 状態:異常(精神系)
⸻
(……え?)
先ほどまで何度も鑑定していたが、
リーダーのいない集団は、
どれもレベル4で均一だったはずだ。
嫌な予感が思考を駆け巡り、
確認のために来た道を戻る。
そして先ほど通り過ぎた、
一度鑑定済みの不気味な集団を、
もう一度鑑定した。
⸻
【個体鑑定:ゴブリン】
レベル:5 状態:異常(精神系)
⸻
つい先ほどまでレベル4だった集団が、
全て書き換わっている。
(……見間違い?)
そう言い切るには出来すぎている。
別の集団も試したが、結果は全て同じだった。
石碑の言葉を思い出す。
『見抜けぬ者は、同じ一撃に倒れる』
こちらが強くなれば、相手も強くなる。
仕組みに気づかず、ただ力に溺れて油断すれば、
その瞬間に死が直結する。
そのような言葉が、
今度は警告として頭に響いた。
思考が凍りつく。
(……何かに、監視されている……?)
顔を上げ、辺りを見回すが、何も見当たらない。
それでも、試されている。
そんな気がして、私は思わず足を止めた。
「……ふぅ」
私は息を吐き、
震える指先でナイフを握り直した。
恐怖は、ある。
しかし、胸の奥で、
恐怖が熱へと変わり始めているのを、
私は確かに感じていた。
正解なんて後でいい。
今は生き残るための実力が先だ。
監視されているのなら、
視線すら利用すればいい。
調整されるなら、
その予測を上回る速度で
成長し続ければいいだけだ。
視界から、迷いが薄れていく気がした。
胸の奥に、静かに燃え続ける不敵な覚悟を、
私は確かに感じていた。
「私を試しているのなら、その計測不能な領域まで、最速で駆け抜けてやる」
私は再び闇に溶け、
さらに深い深淵へと、その身を投じた。
鑑定レベルを上げたことで、
かえって世界の底知れなさを知ることになった天音。
この『仕組み』の中で、彼女はどう先へ進むのか。
もし「続きが気になる」「天音を応援したい」と
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