第2話 好きになっちゃいけないのに
その夜、なかなか眠れなかった。
まぶたを閉じても、先生の声が、静かに胸の奥に残っていた。
誰にも言えない気持ちがあって。
誰にも見せられない心のかたちがあって。
そんな僕のことを、「そのままでいい」と言ってくれる人がいる。
それが、どれほどの奇跡なのか。
――でも、ダメだよ。
好きになっちゃ、いけない。
そんな感情、間違ってる。
きっと、この気持ちは、ばれてはいけないもの。
なのに。
そのやさしさに、何度も心が触れてしまう。
ふれて、ゆれて、離れられなくなっていく。
「ただ、話を聞いてくれただけ」
たったそれだけのことなのに。
こんなにも、心が揺れてしまうなんて。
……それが怖くて、でも――少しだけ、あたたかかった。
⸻
授業のあと、黒板を消し終わったころだった。
僕の席のそばに、柚木先生がプリントを持ってきた。
「これ、明日まででいいからね」
柔らかな声。どこまでも静かな音色。
受け取ろうと伸ばした指が、
ほんの一瞬だけ、先生の手とふれた。
一秒もなかったかもしれない。
けれど、その感触が、指先にずっと残っていた。
あたたかくて、柔らかくて――
その優しさに、全身が一瞬だけ凍った。
先生は、気づかないふりをしたまま、
いつものように笑っていた。
その笑みが、よけいに胸に沁みた。
「大丈夫?」と尋ねられるより、
気づかないふうでいてくれる方が、
やさしさとして、胸に残った。
でも同時に、こわくなった。
ふいに触れた指先で、
こんなにも心が揺れてしまう自分が、こわかった。
それだけなら、まだよかった。
帰ろうと、机にノートをしまいかけたときだった。
ふいに、後ろから手が伸びてきて、僕の頭に、そっと触れた。
ぽん。
重たくも、軽くもない、ちょうどいい力加減。
優しく、確かにそこにある温度。
やわらかい掌が、僕の髪をひと撫でした。
「白羽、……無理に笑わなくていいよ」
思わず、動けなくなった。
僕は小さく息を飲み、なんとか声を絞り出した。
「……はい、先生」
「今日はちゃんと、来てくれてえらい」
その言葉に、胸が締めつけられた。
「ありがとうございます……」
先生の声は、いつものようにやさしくて、
けれど今は、どうしようもないほど――沁みた。
「えらい」なんて言葉、
いつから誰にもかけてもらっていなかったんだろう。
たったそれだけの言葉が、
頭の上から、心の奥へとまっすぐに落ちてきた。
それは、あくまで「先生として」の言葉だった。
僕が生徒だから。心を閉ざしているのが、わかっていたから。
そんなこと、わかってる。
撫でた手にも、言葉にも、特別な意味なんてない。
先生にとって、僕はただのひとりの生徒。
……でも、それでも――だめだった。
たった一瞬の、その手のぬくもりが、
僕の世界の温度を変えてしまった。
髪をそっと撫でた手の動きが、あまりにもやさしすぎて。
まるで、僕の心に、知らず触れてしまったみたいで。
ひと撫でで済むはずだったのに、
撫でられた場所が、じんわり熱を持ちはじめていた。
皮膚じゃない。心の奥が、じんわりあたたまっていた。
あたたかくて、こわかった。
ああ、僕はいま、なにかを――好きになりかけてる。
……いや、違う。
これは、恋じゃない。
たぶん、憧れとか、感謝とか。
そんなもののはずだ。
だって、もし先生が女の人だったら、
こんなに戸惑ったりしなかったかもしれない。
そうだよ。これは、きっと間違いなんだ。
“普通”じゃないんだ、僕は。
こんなふうに、男の先生を好きになるなんて――
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