めぐる時代と座る席
「いらっしゃいませー!」
夕方の居酒屋に二人の男が立ち寄る。
「二名様ですねこちらにどうぞ」
店員に案内され、男二人は席に着く。
「ありがとうございました。僕一人だったら――」
「新人にはよくあるミスさ。契約は結べたんだし、それでよしとしとこう」
何かミスをしたのか、しょんぼりとした新人に上司は優しく声をかける。
するとそこへ店員がお通しをもって注文を取りにやってきた。
「まあ注文しましょう。なにを飲みます?」
「梅酒のロックで。上司は?」
「最初は生で。それと枝豆と……お!ベビーパーシモンがある!これを二人前」
「なんです?ベビーパーシモンって?」
「岐阜県産の小さな柿さ。含まれているタンニンが二日酔い予防になりますよ」
少しして注文が届くと、上司はビールを勢いよく飲み、のど越しを確かめる。
「甘いですねこの柿」
「小さくても糖度が高いってのが売りですからね」
「こういうの作るのってやっぱり失敗を繰り返したんでしょうね」
「でしょうね。まあ今は失敗に対して寛容になってきていますから」
「昔は違ったんです?」
先輩は生ビールを飲み干すとてんぷらの盛り合わせやハイボールを注文した。
(今日は徹底機的に飲むみたいだな……)
新人は秋野菜ときのこのサラダを注文し、梅酒のロックを少しずつ飲む。
「昔は失敗して覚えろ、仕事は丸投げ、聞いてきたら教えるとかだったんだよ」
「今と違いますね」
「変えたんですよ。私が」
ハイボールを空にすると、上司はピルスナー・ウルケルを注文する。
どんなお酒かと新人が尋ねると、チェコのビールと教えてくれた。
「今は少子化だし、考え方も変わって生きているからな」
昔ながらのやり方ではいずれ息詰まると、上司はビールを味わいながら話す。
「実際にこういうことやられたらどうする?」
「あー、転職考えますね」
「だろ?やめるって前提で指導をする時代なのよ。今は」
やめていった同僚を何人も見てきたと上司は言う。
続けると思い込んでいたと、前の上司が酒の席でボヤくのを耳にしたという。
「時代が変わればやり方は変わる。それに合わせて俺たちも変わるのさ」
「酒の席もですか?」
「これは価値観のすり合わせらしいな。人間関係よくするための工夫だとさ」
人間関係をよくすることで一緒に仕事をやりやすくする。
だから一緒に食事や酒の席を設け、お近づきになっていくと上司は言う。
「前の世代の考えはある程度は理にかなっているのですよ。ある程度は、ね」
上司はそう言うとイギリス産のロシアンインペルアルスタウトを注文した。
「変えられるものなんですか?そういうのって」
「ある程度権限があればな」
「権限って責任ですか……」
責任はな、と苦虫をかみつぶした顔で新人はつぶやく。
「そういうな。ある程度我を通すためには権限が必要な場合もあるのさ」
酔いが回ってきたのか、上司は気軽に答えてくれる。
(いつもなら学校は卒業したろう?とか自分で調べろとかいってくるのにな)
アンダーマイニング効果を知っているかと聞かれたことを新人は思い出す。
初耳ですと答えると、上司から勉強して下さいと返された。
「昔技術職の年配の人と仕事してな、学んだことがあるんだ」
「なにをです?」
新人は昔を振り返るのを中断し、上司の話を聞いていく。
「年配さんたちは誇りがあるのか、自分たちのやり方でやりがちなのです」
「マニュアル守ってほしいですよね。守らせたんですか?」
「大事なことですきてたからな。それでも良いよっていっておきました」
耳を傾けて聞いていた新人は上司の言葉に耳を疑う。
「できていればいいのですよ。大事なことを全部踏まえたうえでなら、ね」
「僕にはマニュアルを守れっていうのに……」
「マニュアルを守っているのなら、マニュアルが新人を守ってくれますよ」
「えーと、どういう意味ですか?」
「効率を語るにはまず効率の意味を知れってことです」
上司は新しく届いた黒龍という日本酒を口にして話す。
「だから私は一つ上の立場になりました。それでも良いよっていうために」
日本酒をグラスにあけ、少しずつ飲み、上司は新人に語る。
「そうしたら今度は上の人間が上に来てその考えを広めろって言われまして」
「え?上に行くんですか?」
「少し先の話です」
新人を一人前にするまではと、上司は付け加えた。
「席は開ける必要があるのです。新しい人が座るために」
しょぼくれた顔の新人を励ますためか、上司は手を止めて話しかける。
「大事なのは受け継ぐ人がいるということです。思いを受け継いでくれる人が」
「なれますかね、僕に」
「さあ?新人君の努力次第ですね」
上司はそう言うと、黒龍をまた飲み始める。
それからしばらくして上司は出世し、管理職への階段を昇り始めた。
☆☆☆☆☆
「先輩。今日はここで飲むんスか?」
「ん?ああ。契約が取れたことと、いつもの労いもかねて」
「おごりっすよね!何食おうかなー」
数年後、かつての新人は成長し、前の上司の立場まで手が届きかけていた。
「なんにしようかなーやっぱ最初は生ですかねえ」
「僕は梅酒のロックにしとくよ。食前酒にもなるから」
先輩となった新人はお品書きを手に取る。
「えーと枝豆とベビーパーシモンと……あとは鮎にしようか」
「鮎っスか?身がぱさぱさでちょっと……」
「時期によるよ。夏は香りも楽しめて骨も食べられるし秋の初めは脂がのるし」
「あー、自分のは卵があった時期でしたねー」
「だろう?取引も鮎も時期によっていろいろ楽しめるものさ」
先輩となった新人は、新人の目の前で鮎の骨抜きを上手に行う。
それを話の肴として、かつてと同じく、二人の夜は更けていった。