28.いつもどおり
あれから昌と倉本の間には何も起きず、廊下ですれ違っても授業で一緒になっても特に言葉は無かった。本当に倉本は吹っ切れたらしい。
彩の両親も改めて昌を受け入れ始め、しっかりと信用してもらえるようになった。だから勉強も恋愛も今の昌は絶好調だ。
大樹はと言うと、仕事に燃えていた。まさかなれるとは思ってもいなかった正社員。バイトの頃とは違って、何もかもが新鮮で気持ちが高揚している。
仕事仲間とたまに飲みに行ったり、レクリエーションでカラオケに行ったり。これまでの人生とは真逆の生活だ。
「仁科さんは恋人とかいないの?」
仲間内でそんなことを聞かれたりするが笑って答える。
「受験生がいるからね、それどころじゃないよ」
たいがいがそれで通じる。
汐は時折ふっとため息をつくことはあっても相変わらずの日々を送っていた。考えてみれば深い友人がいない。恋人もいない。人との交わりが結構少ない汐には、家族以外の話し相手がいなかった。父と二人いた頃は、父の体の心配と部活や生徒会に打ち込むことで手いっぱいで、人との深い交流を持っていなかったと言える。それゆえのの溜息だ。
大樹はそんな汐が心配で仕方がない。せめて大学に行っていれば話をする相手くらいはいるだろうが、これから受験する大学では人との付き合いも一からだ。
(そうか、汐くん、意外と奥手なんだ)
自分たち二人と暮らさなかったら本当に孤独な日々を送っていたに違いない。
「汐くん、たまには息抜きしないと」
「買い物や料理したりするのが俺の息抜きだし」
「そうだ、今度の日曜、俺休みなんだよ。久しぶりにボーリングにでも行かないか?」
「ごめん、その日模擬試験があるんだ」
こうなったら早く受験を突破して大学に通ってもらいたい。
12月、クリスマス・イブ。土曜日。
――ぴんぽーん
「はーい」
まだ早い時間だから昌が玄関に出た。この後彩とデートで映画を見に行く。そして明日は早朝からディズニーランド。混もうがなにしようが、若い二人は一緒にいられればなんでも楽しい。
「どちらさまですかー」
返事が無くてちょっと開けるのを躊躇った。
「どちらさまですか?」
「Akira? 俺、ダンテ」
「え!?」
飛びつくようにしてドアを開けるとそこにはアルマーニのロングコートに身を包んだダンテが立っていた。もうすっかり社会人になっていて、学生の頃の軽さが消えたようだ。
「ダンテ、どうしたの!?」
「クリスマスだからね、Ushioに会いたくて日本に来たんだ」
「うわぁ、汐喜ぶよ! 汐、汐!」
汐の部屋ががちゃっと開く。
「朝からうるさいぞ」
「早く! ダンテが来たよ!」
「ダンテ?」
玄関に来た汐は、雰囲気ががらりと変わったダンテを見てきょとんとしている。
「どうしたの?」
思わずそんな言葉が出た。
「なんだよ、汐! もっと言うことがあるだろ?」
昌の方が興奮しきっている。
「Amore、久しぶりだね。元気だった?」
ダンテは真っ赤なバラの花束を差し出した。
真っ赤になって受け取らない汐の代わりに昌がその花束を受け取った。
「花瓶あったよね!? リビングに飾っとく!」
一階の騒ぎに何ごとかと下りてきた大樹もダンテを見て驚いた。
「ダンテ! 日本に戻ってたのか?」
「正確には今朝着いたばっかりだ。真っ直ぐここに来たんだよ、Ushioに会いたくて」
汐はやっと口を開いた。
「すっかり変わったね、見違えたよ」
「そうか? 兄貴についてあちこちの会社に出回るからちっとは大人らしくなったかもしれない」
にこっと笑うダンテは、年相応、汐の年上に見えた。
「中に入っていいかな」
「あ、どうぞ」
汐はついそんな口調になって、どぎまぎしてしまった。
ダンテはコートを脱ぐとぞんざいにソファの背もたれに投げ出した。その価値を知っている大樹が慌ててハンガーを用意する。
「気にしなくていいよ、Hiroki」
「そうはいかないよ! ダンテ、コーヒーでいいかい?」
「ありがとう。いつも悪いね」
ダンテの変わり様についていけずに汐は黙りこみがちだ。咳払いをする。
「それで……いつ頃まで日本にいるんだ?」
「年明けまでフィオレの所にいる。Ushioは相変わらず参考書が恋人かい?」
(そうだ、この機会に外に出てほしい!)
大樹は汐に勧めた。
「汐くん、ダンテと出かけておいでよ。明日は模擬試験も無いだろう? ずっと家に閉じこもっていちゃだめだ」
その言葉でダンテはピンときた。生真面目な汐は本当に相変わらずの日常を過ごしているのだと。家と図書館の往復だ。
「Ushio、明日は俺と出かけよう! 調べてきたんだ、明日開いている日本刀展示会があるよ」
マイナーな趣味だが、汐は日本刀を見るのが好きだ。ちょっと気持ちが揺らぐ。
「でも勉強が」
「なに言ってんだよ! そこ、明日までなんだぞ。最近滅多に行ってないんだろ? 展示会」
「そうだけど」
「じゃ、決まり! 明日の10時に迎えに来るよ」
(たまには……いいか。久しぶりだし)
さすがダンテはツボを心得ている。汐は出かける気になった。クリスマスのデートだとは気づいていない。
「それで、休暇中の予定は?」
大樹が先を聞く。
「全部休みってわけには行かないんだ。Ushio、実は報告がある」
「報告?」
「あのな、ウチの会社、日本支社が出来るんだ。俺、そこの副支社長になるんだよ」
「えええ、すごい!」
昌が素っ頓狂な声を上げた。
「じゃ、もうずっと日本にいるの?」
「支社が立ち上がるのは4月なんだ。日本の期末に合わせることになってるからね。だから本格的に来るのは3月になる」
「フィオレの家にずっといるっていうことか?」
汐はまた以前のような生活に戻るのかと思った。それはそれでやや困る。
「いや、会社の近くのマンションに引っ越すよ」
「大学は? 通ってるんだろ?」
「こっちの大学に転学することにした」
「仕事と学業、両立できるほど甘くないだろう!」
「今は親父と兄貴の七光りだけどいつまでもそれに甘んじる気はないんだ。実力世界だしね。大丈夫、どっちも手を抜かないから」
にやりと笑うダンテは以前と変わらない。
「Ushio、遊びに来てくれないか? 俺もたまに来るからさ。ただ日曜が休みとは限らないんだけど」
副支社長ともなれば忙しいだろう。以前とは違うということに、ほっとしたような……ちょっと寂しいような。
(違う、寂しくなんかない、嬉しいのは親友が帰ってきたからだ)
汐の心が忙しなく動く。恋心なんて欠片もない、だがダンテが近くに、少なくても同じ日本にいるということは間違いなく嬉しいのだ。
「今夜、ウチでパーティーを開くよ。俺の第二の故郷日本への帰国祝い。来てくれるだろう? みんな」
「俺、デート終わってからだけど」
昌が時間を気にする。
「デート? おまえー、いつの間にそんなに発展したんだよ」
「夜、話すよ。もう迎えに行かないと。じゃ、ダンテ、ゆっくりしてってよ」
昌は慌ただしく出て行った。
「俺ももう仕事に行かないと。ダンテ、後を任せるよ」
「いいよ、安心して行ってらっしゃい」
大樹は微笑んだ。なんだかんだ言いつつも、汐の喜んでいる様子が垣間見えるから。
二人きりになって汐はちょっと間が持てずにいる。
「仕事、ハードなんだろ?」
「まぁね。でも楽しいよ、自分の力を試せるってのは」
「ダンテならいい上司になるよ」
コーヒーを飲みながらゆっくりと喋る。前と少し距離感が違う。
「Ushio、俺、頑張ったんだ、日本支社を作るっていう話に俺も加わりたくてさ」
「うん」
ダンテがそう言うのなら、死ぬほど頑張っただろうと思う。
「Ushioのいない生活、絶えられないと思った。受け入れられなくたって俺にはUshioが必要なんだ。これからも……親友でいてくれるか?」
「もちろんだよ! 俺も……そういう意味で寂しかった。いいか、そういう意味で、だからな!」
ダンテは笑った。
「えらく強調するじゃないか。ま、”そういう”ことにしておくよ」
「ダンテ!」
このやり取りが懐かしい。そんなに長い間離れていたわけじゃない。けれどもっと長いこと会えないのだと思っていた。
「……嬉しいよ。またダンテとこうやってバカ言えるなんて」
しんみりと本音が出る。
「バカなのか?」
「茶化すなよ。大樹さんにも言われてはいたんだ、もっと外に意識を向けた方がいいって。でも上手くいかなかった」
ダンテはドキドキする。汐はなにを言ってくれているのだろう。
「だから歓迎するよ、俺の生活にまた介入してくれること」
「Ushio……愛してる、Ushio! 3月を待っていてくれ、もう寂しい思いはさせないから」
「だ・か・ら! そういう意味じゃないって! 愛だのなんだの言うんなら出入り禁止だ!」
「そこがまた堪らない。俺は諦めないよ、Ushioが俺を受け入れてくれるまで」
「誰が受け入れるか!」
汐の日常がまた落ち着きを取り戻す。生殺しだって構わないのだ、ダンテは。きっといつか新たな恋人を見つけるだろう。そして自分は愛しい女性と巡り合う。
汐はそんな未来を思い描いた。
大樹と昌とダンテと。くんずほぐれつの四人の生活がまた始まるのだ。
―完―