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深水家の Three Men  作者: 宗田 花
深水家の Three Men
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23.退職

 今日は最後の出勤日。大樹は感慨深いものを感じながらネクタイを締めた。アルマーニを身につけるのも今日で最後だ。着替え用のスーツを袋に入れて電車に乗る。

 フィオレには全てを返した。

「これ、どうするんですか?」

「気にしなくっていいわ。イタリアには他に兄弟も従妹もいるの。彼らはプレゼントをもらうのが大好きだもの」

 そんなことをケロっという辺り、やはり富裕層の風格を感じる。

「本当にお世話になって」

「Hiroki、私こそこの一年近くの間、あなたの存在に慰められたわ。それにあなたのお役に立てたことも嬉しいの。ね、言いっこなし。これからは仲のいいお隣さん同士、お付き合いを楽しんでいきましょう! 家族も一人増えるし、私にはいいことづくめだわ。ありがとう!」

 フィオレは大きくなりつつあるお腹を撫でてにっこり笑った。


 今日は珍しく社長もいると言う。

(お礼を直に言うことが出来る)

真面目な大樹はそう考える。借金を返すことが出来たのも、この店があったからこそだ。ここでフィオレに世話になることが出来たのは奇跡だ。

 そんなことを考えながら階段を下りた。

(このトップにポスターを貼らずに済んで良かった!)

階段を下りながらその壁を撫でる。

「社長が残念だと言ってましたよ」

 今では木嵜も大樹を引き留めることを諦めている。


「Hiroki! 最後に会うことが出来て良かった!」

 オネストは手を差し出してきた。その手を握り返す。

「僕もお会いできて良かったです。直にお礼を言いたいと思っていました。短い間でしたが本当にお世話になりました」

「ファンクラブがあったからね、ほとんど君の世話はしていないよ」

 実質的に店に迷惑をかけていないことも大樹の心の負担を軽くしている。心置きなく辞めることが出来るのだ。

 木嵜も握手を求めてきた。

「何度も言いますが、残念です、本当に」

「木嵜さん、最後までありがとうございます。人生でこれほど自分を褒められたことはありません。嬉しかったです、本当に」

 社長がウィンクをしてきた。

「いいんだよ。この先、また何か困ったらいつでも訪ねてくれ。少なくとも金銭的なわずらわしさからは解放してあげられる。君なら大歓迎だ」

「そうですよ。これっきりなどと思わずに、何かあればここを思い出してください。お待ちしています」

 自分を大切にしてくれたのは事実だ。それが例えホストクラブであっても。

「お世話になったこと、忘れません。本当にありがとうございました」

 大樹はもう一度社長と握手して、着替えて外に出た。

(もう俺は自由だ! ただの仁科大樹なんだ!)

 叫びたいほど嬉しかった。



 夕方になるとダンテが食材をたっぷり持ってやってきた。

「なんだ、それ」

 汐に聞かれてダンテは笑顔を浮かべた。

「Hirokiのお祝いパーティーをしよう! 俺もやっと肩の荷が下りたよ。Hiroki、退職おめでとう!」

 大樹は食材を受け取った。

「君のお陰なんだ、何もかも。正直最初は困ったけど、今は心から感謝してるよ」

「いいんだって。Ushio、もう俺を許してくれるかな」

 汐の中でももう過ぎたことになっている。

「大樹さんを助けてくれたのは事実だからね。許すよ」

「ありがとう! 良かった!」

 ダンテが腕を振るってくれて、4人でささやかなパーティーを楽しんだ。

「父さん、俺もほっとしてる。辞めてくれてありがとう。今度の父さんの職業、胸を張って言えるよ」

「昌…… 君にはしなくていい心配をさせてしまった。ごめん」

「いいよ、もう終わったことだから。父さん、お疲れさまでした!」

 昌の言葉で、大樹は大泣きした。一年前、どれだけ思い悩んだだろう…… その全てが大樹の心に去来していた。


  

 翌日は12時からのシフトだった。大樹は香林書房の香田店長に近づいた。

「折り入ってお話があるんですが」

「大事な話ってことだね?」

「はい。お時間いい時にお願いします」

「今いいよ。二階の事務所に行こうか」

 先に香田が上がっていく。

 香田はインスタントコーヒーを入れてくれた。いつも事務所に来ると香田はそんな気遣いをしてくれる。

「それで? 話って言うのは? 辞めるとかじゃないよね?」

 香田としては今の人員のバランスが一番いい。だから戦々恐々としている。

「正社員のお話、まだ大丈夫でしょうか」

「え、決めたの?」

「はい、お世話になりたくて」

「お世話しちゃうよ! いやぁ、嬉しいね! ほんと? いつから?」

 香田の声が弾んでいる。

「いつからでも、店長のご都合がいい時からで」

「ご都合いつだっていいよ! そうだね、月の途中だし月末だし、月初めからってことでどう?」

「有難いです!」

「そうかぁ、仁科くんが正社員か…… 嬉しいよ! そうだ、書類書類……」

 香田は立ち上がって正社員用の書類一式を取ってきた。いつだってせっかちなのだ、この店長は。

「これね、明後日までに書いて来てくれる? あとこっちは就業規則。分かんないことは私とか同じ正社員の藤川さんたちに聞いてよ。きっと喜ぶよ」

「はい、そうします」

「シフトなんだけどね、バイトの子と違って店の準備から閉店の片づけまでやってもらうんだよ。だから10時開店だけど9時から5時と夜9時閉店で午後2時から10時まで。シフト制になるけどいいかな?」

「はい、大丈夫です」

 大樹は固定の仕事に就くのは初めてだ。不規則にファンクラブだのエスコートだのをしているよりずっといい。

「たまにバイトの子の休みが重なってズレてもらうこともあるけど、基本それでお願いするよ。給料は初任給23万5千円から始まるけど…… 本屋ってそんなに給料高い方じゃないんだよね。ほんとに大丈夫?」

「落ち着いた仕事をしたいって思ってましたから。住まいはそれほどかからないし、父子二人ですからやっていけます」

 ホストで貯めたお金もある。昌の教育費や急の出費にも困らない。

「そうか! 良かった良かった!」

 香田は手放しで喜んでくれた。

「お祝いしようね。飲むの、平気?」

「ええ、少しなら飲めます」

「少しって言う人、たいがいうんと飲めるもんね。私はホントに少しなんだけど」

 その後もお喋り好きの香田の相手を5分ほどして、店に出た。

(ここが本当の職場になるんだ)

 大樹は身が引き締まる思いだった。

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