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深水家の Three Men  作者: 宗田 花
深水家の Three Men
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17.決意

「ちょっと事務室に来てもらえないかな」

 店長に言われて、大樹はびくびくしつつもその後についていった。

「座っていいよ」

 店長が動き回ってコーヒーの香りが立ち込める。

「やぁ、よく働いてくれるって店でも評判だよ!」

 なにか叱責でも受けるのかと思っていたからほっとした。

「ありがとうございます」

「それでね」

「はい」

「仁科君の今後のことなんだけど」

 またもや緊張が生まれる。

「バイトっていう形を取ってるけど、どっかちゃんとした就職口を探してるのかな」

「いえ、特には。こちらで充分だと思っていますので」

「そう! ウチでいいの!?」

「はい。あの、このままお世話になっていていいでしょうか」

「そりゃもう! 世話するよ、世話! そうかそうか。良かった、ウチでいいって言ってくれて」

「その確認、っていうことですか?」

「まあね。何せ本屋でしょう? 地味な仕事だしね、腰掛けバイトってことなら……いやいいんだよ、腰掛けでも。ウチにはいくらでも椅子があるしね」

 そう言ってゲラゲラと笑う。こういう時に困る。この店長は一人受けする冗談を言いたがるのだ。どう相槌を打っていいのか分からない。仕方ないからぼんやりした笑顔を浮かべる。

「あ、ごめんね、頷きにくいよね」

 そう言ってまた笑う。人を置き去りにして自分の言葉のツボにはまっている。入社の時に山本さんが『ちょっと変わっている』と言ったのはこのことだった。


 ようやく落ち着いて、「ごめんごめん」と涙を拭いた。

「えっとね、正社員になる気は無いかな。給料も時給よりうんと良くなるしボーナスも出るし。人数少ないけどウチは社保なんだよ」

 思ってもいなかった話だ。本当なら有難いことだ。だが答えられなかった。ホストという現状がある。本屋にだけ時間を費やすことが出来ない。

「……とても有難いお話しです……あの、少しお時間いただけませんか?」

「ああ! いいよ、来週とかそんなんでも」

「いえ、あの……」

 今は1月だ。3月になれば借金返済に手が届く。それに……

(借金返済できるからって、こんなにすぐに退職でき……ないよな、きっと)

自分には多額の金銭が注ぎこまれている。さすがに自分の用が済んだからと言ってさっさと辞めることが出来るとは思えない。そこまで世間知らずじゃない。

「しばらくはこのまま、というわけにはいかないでしょうか。正社員は本当に嬉しいお話しなんです。だから……いつかまたそのお話をさせていただけたら有難いんですが」

「辞めるつもりがある、ってわけじゃない?」

「無いです。こちらがいいです」

「それなら構わないけど。なに、時間の制約が出来ることが困るのかな?」

「……はい、今は」

「『今は』…… じゃ、いつか正社員になりたいと言う気持ちはあるんだね?」

「あります! 是非お世話になりたいです」

 これ以上が言えないのが心苦しい。

「分かったよ。保留ということにしよう。君みたいな人を私としても確保したいんだよね。じゃこの話はまた改めて、ということでいいかな?」

「はい!」

(良かった! これでいつでもホストを辞められる!)

今度フィオレとこれについて話をしなければならない。それも近いうちに。厳しいことを言われるかもしれない。覚悟しなければ、と思う。フィオレが簡単に自分を手放してくれるだろうか……

 


 それからの2週間というもの、大樹はホストとして大忙しだった。

 ファンクラブの会合は毎週金曜日。話題について行けないのはホストとしては致命的。最近のトレンド、などの前知識を取り入れておかなければならない。そんなことが苦ではない大樹でさえ、ため息をつくことがある。

「大樹、目の下にクマが出来てるよ」

これは実は大変なこと。そんな顔で会合には出られない。ホストたるもの、お客様に心配されるなどもってのほか。睡眠時間を立て直し、ビタミンを多くとる。

「ホストって重労働なんだね」

 そばにいるからこそ分かることがある。

「よく聞くホストと訳が違うからね。大樹さん、体壊さなきゃいいけど」

 昌も汐も心配でならない。だが、健康な体が売り物なのだから大樹はそういう意味では無茶を遠ざけている。

 救いとなるのは大樹の性格だ。引きずらない。汐は『どうにかしなければ』という使命感が原動力だが、大樹は『どうにかなるんじゃないだろうか』という考え方だ。

「大丈夫だよ。どうしても無理なら『知りませんでした』って頭を下げるから」

 逆にその大らかさが会員にも好かれているのだから結果オーライか。だからと言ってそれに甘えていられないから日々の努力を怠らない。

 そしてその合間に本屋の仕事。

「ね、本屋の仕事、しばらく休んだら?」

「昌、俺には本屋の仕事が息抜きなんだよ」

 娯楽という意味で大樹には休養が無い。だからそう言われてしまえば反対も出来ない。


 大樹は昌と汐に店長から出た話をした。

「え、じゃ本屋で正社員になれるの!?」

「そうなんだ。だからホストを辞めたらその話を受けようと思ってるんだよ」

 借金の話を知らない昌にしてみれば、なぜすぐにそうしないのかが分からない。

「いいじゃん! さっさとホストなんか辞めちゃえば?」

「そうは……いかないんだよ、昌」

「なんで!」

 汐が苦し紛れに言葉の出ない大樹の代わりに答える。

「昌、どんなものにでも契約ってあるんだ。大樹さんも店との雇用契約っていうのがあるんじゃないの? そうでしょ、大樹さん」

「あ、ああ、そうなんだ。それが切れないと辞められないんだよ」

「ふぅん……そういうものなんだ」

「取り敢えず俺の行ってる店ではね」


「どうするの?」

 昌がスケートに行っている間に汐が大樹に尋ねた。

「……今考えてる……」

「実際にどうなの? いつまで働かなきゃいけないっていう決まりがあるの?」

「調べてみるよ……俺にはね、結構な金が注ぎこまれてるんだ。だからそう簡単に自由になれるのかどうか」

「じゃ本屋さんの正社員の話、受けられないんじゃ」

「俺の夢だから。今じゃそう思えるんだ、この仕事は天職だって。本に囲まれていると幸せに感じる。頑張るよ、実現できるように」

 フィオレとの誓約書を何度も読み直した。ファンクラブの解散は会長のフィオレに決定権がある。フィオレと話し合わなければその先には進めない。


 自分のスーツを着てフィオレを訪ねる。

「改まってどうしたの?」

 フィオレは紅茶を出しながら大樹に尋ねた。最初の面接の時より大樹はガチガチに緊張している。

「どうぞ座ってください、フィオレ」

 フィオレは大樹の前に座った。

「さて、なにかしら? お強請りかな?」

「いえ……思い切って言います。フィオレ、私との契約の話ですが、解約についてはフィオレの一存と契約書から読み取りました。それで間違いないでしょうか」

 フィオレの顔つきが変わる。ビジネスの顔だ。

「そうよ。私次第だわ」

「いつまで、と期限は考えておいででしょうか」

「いえ。特に考えてないの。そもそもの発端はあなたの負債の解決だったわよね? そこには達したということ?」

「3月には終わります」

「それは困ったわ」

 大樹は現状を素直に話した。本屋の正社員の話が出ていること。暮らし向きはなんとか補っていけること。このホストの仕事とフィオレには心から感謝していること。


 フィオレは紅茶に手を伸ばした。何口か飲む。その間、大樹は黙ってフィオレの言葉を待っていた。

「あなたに注ぎ込んだお金」

「はい」

「全部が私のお金じゃない。会員の方々のお金と言っていいの。それは分かるわね?」

「はい」

「あなたがエスコートしていない会員の方がまだ4名います」

「はい」

「その方たちへの責任をまず果たさないと」

「それが終われば」

「でもその間にもどんどんスケジュールが埋まっていく」

「ええ」

「皆さん、投資ですからね。義務としてあなたに払っているわけじゃないわ。でもそこにはそれなりの心が籠っていると思うの。あなたはそれをどう思う?」

 そこを突っ込まれれば何も言えない。自分がしてもらったことに目を瞑って足蹴になど出来ない。

 フィオレはため息をついた。

「これはある意味、私たちのお遊びよ。でも値の張るお遊びだわ。あなたは人気があり過ぎる…… 少し考えさせてちょうだい」

 フィオレの前でため息をつくわけには行かない。「分かりました」と答えるしかないのだ。

「Hiroki、私、あなたを困らせたいわけじゃないの。私個人で言えば充分楽しませてもらったわ。あのね、解散は私だけの権限でできます。私が『もう止めたい』って言えばいいだけ。それに関するお店とのトラブルも生まれない」

 大樹は黙って聞いていた。

「だから本当に私次第。まさか一生あなたを束縛できるわけじゃないし。そんなことくらい分かっているのよ」

 しばらく沈黙が続く。大樹には何も言えなかった。虫のいい話なのだ、借金の片がついたら終わり、というのは。

 フィオレも大樹の苦悩を感じて、少し譲歩した。

「これからのエスコートについてはスケジュールを段階的に絞っていくわ。会合は最初の規定通り、週一回金曜日の午後。後のことは私の判断で考えさせて。今言えるのはこれだけ。それでも充分あなたには自由な時間が増えると思う。あなたも考えてみてほしいの。いきなり辞めるのではなく、しばらくは両立させる方向で」

 大樹は立ち上がって深く頭を下げた。

「譲歩してくださったこと、有難く思います。私も出来る限りのことをさせていただきます。……恩知らずな申し出を聞いてくださったこと、深く感謝します」

 フィオレも立ち上がった。

「いいのよ。あなたはダンテにこの世界に連れ込まれたようなものだもの。これからは相談し合いながらやっていきましょう。……そうね、Akiraの学校も始まるんですものね……父親としてのあなたの務めを考えに入れていなかった私の責任でもあるわ。申し訳なかったわ」

「そんな! こうやって話を聞いていただけただけでも有難いのに」

「さ、お帰りなさい。3月まではこれまで通りお仕事に力を尽くしてちょうだい。そこからはまたお話ししましょう」

 家に戻ってしばらくの間、大樹はぼーっとしていた。やっと我に返ってスーツを脱ぐ。

(今は考えるのをやめよう。精一杯自分の務めを果たさなくちゃ)

 それがフィオレに対する恩返しだと思った。



 スケート練習は昌にいい効果をもたらした。汐やダンテに本格的にストレッチを習い始める。週二回の教室には熱心に通った。

「スケート靴、買いに行こうか?」

 大樹にそう言われて頬を染めた。

「うん!」

 本屋での収入で初めて息子のためにプレゼントを買うのだ。そういう意味では大樹自身も舞い上がっている。

「汐、君も一緒に行くかい?」

「なに言ってんの! 親子で仲良く行っておいでよ。あ、一つアドバイス!」

「なんだい?」

「なに!?」

 昌が前のめりになって聞く。

「買う前に、コーチに相談すること。買う時に気をつけたことがいいことなんか教えてくれると思うよ。それから店員さんにもよく聞いて」

 本当はついて行きたい。この親子の買い物はちょっと怖い気がする。儲け主義の店員にいいようにやられてしまいそうで。

 次の練習日、出かける昌に汐は声をかけた。

「コーチに値段も聞いた方がいいよ。相場では幾らぐらいの靴を買ったらいいのか」

「分かった! ありがとう!」

「汐くん、いろいろ助かるよ。ありがとう」

「大樹さんは堅実派だから大丈夫だとは思うけど、お店では気をつけてね。中には高いの押し付けて来る店員もいるから」

「気をつけるよ」

 そんなやり取りを見てダンテが汐に耳打ちする。

「保護者なんだしついてけば? 危ない気がするけど」

「冗談だろ! 親がついてくんだからね、俺の出る幕じゃないよ。きっとコーチがいいアドバイスくれると思うんだ。それに実社会に慣れて行かないとね」

「スパルタだね、Ushioは。そこがいいんだけど」

 耳打ちのついでにキスを仕掛けられそうになって汐は顔の隙間に参考書を突っ込んだ。

「痛いよ!」

「お見通しなの! さ、勉強!」



 昌は大喜びで帰ってきた。

「あのね! コーチがいつも行ってるお店を紹介してくれたよ。電話しといてくれるって! 俺一人で行ってもいいんだけど」

 途端にしおれてしまった大樹を見て汐は慌てた。

「高いんだろ?」

「6000円くらい」

「だめだ、そんな高額の買い物、一人で行くなんて。3000円以上の買い物は親と一緒にすべきだよ」

「えええ、そういうもん?」

「そういうもんだ」

 大樹が嬉しそうな顔に変わる。

(このお父さんは息子に振り回されるんだろうなぁ)

 ちょっと不安が残るが、そこまで口出ししたくない。汐が線引きしないとどこまでも甘えられそうで困る。共同生活とは言っても、二世帯だと言うことをなんとか理解して欲しい。



 次の日、仁科親子は買い物に出かけた。

「ついでに食事してくれば?」

「汐くんは?」

「俺もたまにはラーメン屋とか行きたいし」

「じゃ、俺たちも」

「いいから! 買い物して食事。親子の時間を大切にしてよ」

「ありがとう!」

 そろそろ仁科家の主導権を大樹に取ってもらいたい。


 昌は新品の靴を持って浮かれている。

「食事、どこでする?」

「どこでもいいよ。あ! 和食が食べたい!」

「和食……」

「携帯で検索してみてよ。この近くの店」

 そういう使い方もあるのか、と昌に教えられながら検索をした。

「ここ、行ってみよう」

 すぐ近くに店がある。

「たまにはこういうのもいいね」

「汐くんに悪いな」

「……父さんは汐がいないとダメ?」

「ダメって」

「服だってなんだって汐がいないと買いに行けないし。もう少し自由が欲しいよ」

 意外な言葉だった。昌は汐が好きだ。それは見ていてよく分かる。けれどそれとこれとは違うのか。

「ちゃんと独立しろって汐に言われたよ。父さんもそうでしょ? 俺たち、汐に頼り過ぎなんだと思う」

(俺より先に大人になっていく……しっかりしなければ置いていかれてしまう……)

「頑張るよ。きっと汐くんが言いたいのはそういうことだろうから」

 ようやく仁科家に独り立ちしそうな気配が見えてきた。



 昌の高校編入試験はほとんど満点という結果を出し、見事合格となった。その合格パーティーが汐の遠慮を吹き飛ばして霧島邸で開かれた。

「おめでとう、昌!」

 フィオレが乾杯の音頭を取った。四朗さんが昌の肩を勢いよく叩く。

(痛いんだけど!)

そうは思ったが、口には出さなかった。家族同様に喜んでくれる気持ちが嬉しい。


「着替えて来いよ、Akira!」

 ダンテが言うから自宅に帰って蒼涼高校の制服に袖を通した。鏡の前で回ってみる。元の高校と違うブレザーがすごく気に入っていた。ネクタイを締めるという初体験も嬉しくてならない。ネクタイの締め方は大樹が教えてくれた。


 着替えて霧島邸に戻った。

「ほぉ! こりゃ似合う!」

 四朗が感嘆した。制服を買う時に試着をしたのを見ていたが、大樹は父として息子の晴れ姿が自慢だ。

「ですよね!? 昌にはこの制服が凄く似合っていて」

「父さんっ」

 昌は手放しで褒める父が恥ずかしい。

「ホントだよ。よく似合ってる」

 汐も弟のように思う昌が自分の卒業校の制服を着ていることに感慨無量だ。

「汐、ダンテ、勉強みてくれてありがとう。どうせなら全部満点取りたかった」

「なに言ってんだよ! Egawa先生も驚いてたよ。結構難しい問題ばっかりだったのにってさ」

 ダンテは過保護から昌の成績のことを江川に聞きに行っていた。

「俺に過保護って言う割にはダンテだって似たようなもんだね」

 汐が笑う。

「俺にも弟みたいなもんだからさ。鼻が高いよ」

 パーティーが終わって自宅に帰った。昌は着替える前にもう一度くるりと鏡に映る自分の姿を確かめる。

(俺、背が伸びたみたい?)

いろんなトレーニングが功を奏している。体格が一回り大きくなって、制服を誂える時にも細身ではなく普通サイズになっていた。

 着替えてシャワーを浴び、(そうだ!)と体重計に載ってみた。

(4キロ増えてる!)

昌には興奮の一日だった。



 スケート教室では昌は一番新しい生徒だ。年下の子どもたちもスケートでは先輩ばかり。屈託のない昌にあれこれと教えてくれる。

 そんな中、ほとんど話をしない女子がいた。

(あの子、可愛い!)

そんな気持ちを抱いたのは初めてだ。いつもポニーテールで、くるっと回転する時にその髪が首に巻きつく。その可愛い姿に見惚れてしまうのだ。

 そうだ、昌の初恋だ。けれど自分からは話しかけられない……

 そんな彼女にリンクに向かう途中で話しかけられた。

「あの、仁科くん」

「はいっ!?」

 可愛いらしい声で話しかけられてぶっ飛びそうに舞い上がってしまった。

「あのね、ロッカー室にタオルが落ちてたの。後で渡すね」

 練習用に持ってきているタオルにはみんな名前を入れている。

「は、はい! ありがとう!」

 その女子の頬もちょっと赤らんでいる。彼女は滅多に男子と話したことが無い。

 こんな機会はもう無いかもしれない、と昌は勢い込んだ。かと言って何を話していいか分からない。脈絡も無く突然の話を打ち明けた。

「あのさ! 俺、蒼涼高校に転校したんだ」

「そう、なの?」

「うん。4月から2年生! 君は? あ、聞いちゃいけなかった?」

「ううん…… 私も蒼涼高校だよ。おんなじ2年生」

 昌の目が輝く。

「俺は仁科昌って言うんだ」

「知ってる。深水さんの家の人でしょ?」

「え、なんで知ってるの?」

「だって…… 私、あの通りに住んでるから」

「そうなの!? 会ったことある?」

「仁科くんを何度か見かけたことがあるよ」

「知らなかった! えっと、誰さん?」

吉住よしずみ。吉住(あや)

「吉住さんとこなんだ! 彩ちゃん、よろしく! ご近所だし同級生だし、これからもお世話になります! 今度学校のこと、いろいろ教えてくれる?」

「……いいよ。ごめんね、レッスンの時間だからまた後でね」

「うん! じゃね!」

 昌は天にも昇る心地だった。

 練習には気合いが入った。この後『彩ちゃん』と話が出来る。

(吉住彩ちゃん。わ、名前聞いちゃった!)

 彩は教室の中でもダントツにスケートが上手い。

(負けないように俺も上手くなんないと!)

自然練習に身が入る。

「いいよー、仁科くんのスケートは伸び伸びしてるね。その調子!」

 コーチにも褒められて今日はいいことばかりだ。


 レッスンが終わってロッカー室に向かった。急いで着替えるてホールに出ると先に着替え終わった彩が待っていた。

「ごめん! ずいぶん待った?」

「ううん、今来たとこ。はい、これ」

 渡されたタオルはきちんとたたまれて紙袋に入っている。

「ありがとう! わざわざこんな袋に入れてくんなくても良かったのに」

 出してみるとふんわりといい香りがする。

「あれ? いい匂い」

「あのね、洗っておいたの。嫌いじゃない? その匂い」

 もう嬉しくて堪らない。

「いい匂いだよ、これ!」

 彩がほんのりと赤くなる。

(赤くなってる……可愛いっ)

 その時、あ、と気がついた。

(もしかして帰り、一緒?)

「あのね、私真っ直ぐ帰るんだけど仁科くん、どこか寄るの?」

 本当は新学期用のノートを買う予定だった。

「どこも寄らないよ、一緒に帰っていい?」

 ちょっと小柄な彼女の髪が揺れた。

「仁科くんがいいなら」

(わっ、やったっ!)

 ノートなんかどうだっていい、急ぐ物じゃないし。昌は彼女と並んで歩き始めた。


 電車の中では空いている席が一つあった。

「座りなよ、俺はいいからさ」

「私も立つよ。学校のこと、教えてあげる」

「そう? いいの?」

「うん!」

 その返事が嬉しい。彩はあれこれと学校の話をし始めた。

 蒼涼高校では毎学年クラス替えがあるそうだ。

「え、成績順とか?」

「違うよ、普通のクラス替え」

「一緒になれる可能性あるかな」

 自然に言ったつもりだが、彩はまた赤くなった。

「6クラスだから……部活、何か考えてる?」

「俺? まだ決めてないけど陸上とかやろうかなって。彩ちゃんはなにやってんの?」

 自然に『彩ちゃん』呼び出来ているのがまた嬉しい。最初にそう呼んでしまったからそのまま続いている。

「私、ダンス部なの。スケートにもいいし」

「彩ちゃん、スケート上手いよね! いつからやってんの?」

「小学校入った時からだよ」

「わ、上手いわけだ! そっか、俺なんかやっとゆっくりターンが出来るようになっただけだし」

「仁科くん、上手だよ。覚えるの早いもん」

 ここで昌は思い切った勝負に出た。

「昌でいいよ」

 彩が一瞬黙ったから慌てた。

(わ、まずったかも!?)

「あきらくん……そう呼んでもいいの?」

「もちろんいいよ!」

 また彼女がほんのり赤くなる。「もちろんいいよ!」

 また彼女がほんのり赤くなる。

 電車を降りてからもお喋りが続く。彩の自宅が近づいた。

「じゃ、」

「またね!」

 こうして暗い過去を一掃するように昌の高校生活は明るいものになった。

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