16.やる気
「Ushio、今日のメニュー、気に入らない?」
「そんなこと無いけど」
「お代わり要らないの?」
「ちょっと食欲無くって」
「え!?」
ダンテには大問題である。すぐに勝手知ったるで、体温計を持ってくる。汐も急に不安になる。果たして、体温は37.3℃。
「今日冷え込んでたからな。風邪か? 上着取って来てやる」
「いいよ、自分で取って来る。俺の部屋に入るのは禁止!」
「ええ……なにもしないのに」
「それって『します』の間違いだろ」
汐は自室に入って行った。。確かに今日は寒い。
「汐って体弱いのかな」
ダンテは手を振った。
「違う違う。思い込みが激しすぎるだけ。しょうがない、明日は梅干しをかき集めて来るか」
「かき集めるの? なんで?」
「Hiyoriの梅干しが昨日で終わっちゃったんだよ。好みに合わなきゃしょうがないだろ? Hiyoriの味に似てないとね」
「ふぅん……」
「なんだよ」
「実って欲しいような欲しくないような……」
「なにが」
「なんでもない!」
このダンテの一途さが汐が高校二年の時から続いているのかと思うと空恐ろしくもあり、憐れでもあり。
「そう言えば江川先生、心配してた、ダンテと汐のこと」
「え、どういう風に!?」
「まさかくっついちゃったんじゃ……って」
「有名だったからなぁ」
「平気だったの?」
ちょっとその辺の気持ちが分からない。
「だって虫がついたら困るし」
「男の!?」
「女の。女は敵」
「大学に入って恋人いたって聞いたけど」
夏に海岸でそう言っていたのを思い出す。別れたとも聞いたけれど。
「あ、その話題、禁止」
「汐に?」
「俺に。傷心旅行に出たんだ、それで」
「え、旅に出たの? どこへ?」
「イタリア。故郷に帰った。もう二度と日本には来ないって」
「それでどうして帰ってきたの?」
勉強どころじゃない、その続きが気になる。
「フィオレからUshioが別れたって聞いたから。フィオレ、情報収集しててくれたんだ」
「それで帰って来たんだ……本物なんだね、ダンテの愛って」
「そうだよ」
ちょっと誇らしげにダンテが言う。昌は残念そうに言った。
「ダンテ、女だったら良かったのにね」
ガクッと来たダンテが気づいた。
「Ushio、遅くないか?」
「そう言えば……」
「まさか倒れてるんじゃ……」
「え!?」
慌てて二人で部屋に向かった。
「汐、大丈夫?」
昌がそっと聞いたけれど返事が無い。
「Ushio! Ushio! 大丈夫か!」
ドンドンとドアを叩く。少ししてガチャリ、とドアが開いた。青い顔だ。
「どうした、辛いのか?」
「頭が痛い。頼むから静かにしててくれよ」
ドアをしめようとするからダンテは自分の足を突っ込んだ。
「待てって。薬飲むか? 持ってきてやろうか?」
「……じゃ頼む。場所は」
「知ってる。ちょっと待ってろ」
なんだかんだと、汐の家の中を自在に動き回るダンテ。ちょっと昌は不安になる。これでいいものかと。だって、叶わぬ恋だ。
汐はもらった薬をダンテが一緒に持ってきてくれた水で飲んだ。
「ありがと。頼む、静かに勉強しててくれよ、昌」
「はい」
こうなるとダンテの言う通り、本格的に梅干しを探さなくてはならないと思う昌だった。
それからいくらも経たずに汐が元気になった。ダンテがあちこちから買って来た梅干しの一つがヒットしたのだ。
「あれってさ、汐が贅沢だってことじゃないの?」
「贅沢?」
昌が今喋っている相手は大樹だ。単純なのか我がままなのか、と昌は汐のことを危ぶんでいる。
「だって、これじゃなきゃダメって、梅干しなんてどれだっておんなじ気がする」
「そう言わないで。元気になるに越したこと無いだろう?」
「そうだけど。じゃ、汐が作った梅干しが合わなかったらどうなるんだろう」
「……ダンテがまた買ってくるよ」
「やっぱり贅沢で我がままだ」
熱が下がる梅干しだなんて昌には信じられない。
その当の本人の汐は今、基礎体力が落ちていると言って走りに出ている。
「昌も行こう!」
と誘われたが、陸上部だった汐と一緒に走ったんじゃ、良くなりかけの体が悪くなりそうな気がして断った。
「運動は自己管理でやるから」
「Akiraがムキムキの体になるとこ、想像できないね」
ダンテが茶化す。
「俺だって鍛えれば」
「無理じゃないかなぁ、どう見てもインドア派だ」
「……俺、部活は陸上に入る! 汐みたいになるんだ!」
「人の真似はよせよ」
ダンテがいきなり真面目な顔になった。
「Ushioみたいになりたいって言うのは分かるけど、Ushioのコピーになるのはダメだ。ちゃんと『Nishina Akira』でいないと。部活はいろいろ見学してから決めた方がいい。あの高校は種類が豊富だからその方がいいよ」
「……分かった」
正論を言っていると思う。ちょっと悔しいがダンテの言う通りだ。
そのダンテが昌の体力作りに手を貸してくれた。
「面倒なジムとか道具に頼らずに、日常の中で意識して動いてればそれなりの体力づくりにはなるもんだよ」
「そうかな」
「今日から買い物はAkiraが行くこと。行きは走って、帰りは歩いて。歩きながら荷物をこうやって上げ下げすればいい」
ダンテはそばにあった袋を手のひらに載せて上下させて見せた。
「これで結構筋肉がつく。あとは……プランクをやるといいよ」
「プランクって?」
「体幹トレーニング。やり方はシンプルだけど無理が無くて、腕力が無い初心者でもOKなエクササイズだ。スクワットと併せてやるといいよ」
ダンテはプランクをやって見せてくれた。うつ伏せになった状態で前腕と肘、そしてつま先を床につき、体を持ち上げてその姿勢をキープする。
「30秒ワンセット。セット数は少しずつ上げていけばいいから」
「なんだ、簡単だ!」
すぐにやってみたが、最初の10秒で音を上げた。
「結構きついだろ? でも腹筋だけじゃなくて、脇腹、腕、背中の筋肉にも刺激を与える。ダイエット効果も抜群なんだ」
「俺、痩せてるけど」
「筋肉が付くよ」
『筋肉が付く』、甘い言葉。今、昌が切実に欲しいのが筋肉だ。大樹にも勧めて、一緒に並んでやる。悔しいのが、大樹の方が腕力があるらしくていきなり4セットできたことだ。昌はまだワンセットも出来ない。
「絶対に父さんに勝つからね!」
その日からプランクは昌の日課になった。
勉強と自主トレーニングとで日々が過ぎていく。昌の息抜きはゲームだ。それ以外の趣味が無い。大樹が買ってくる本も読むが、どちらにしろインドアのものばかり。
「年齢的にも今のままでいいはずが無いよ」
ダンテの言う通りだと思う。確かにもっと外に出るべきだ。今までは心臓のことがあったから外出や遠出を自分から考えたことが無かっただろう。けれどそれじゃ健全な十代とは言えない。
大樹の仕事柄、平日の行動は比較的自由になる。昌と大樹と三人で出かけることは汐にとっても新鮮だ。父と二人の生活の中、汐もそういうことから遠ざかっていた。
「ダンテは連れてかなくていいの?」
「家族で出かけるんだよ、ダンテはいいの!」
ちょっとそれは可哀そうな気がする昌と大樹だが、正論と言えば正論だ。
遊びに行くことは三人にとっていい気晴らしになった。映画、水族館、遊園地、ちょっと遠出をして一泊旅行で温泉地に行ってみたり。自由が利くのは2月まで。
スケートへのチャレンジは大樹も昌も初めてで、だから汐はダンテに応援を頼んだ。
「いいの!?」
「俺一人で二人に教えるの無理だし……あ、ダンテは滑れるの?」
「もちろん!」
そういう訳で四人でスケートリンクに出かけた。
靴を選ぶことから教える。汐が大樹に。ダンテが昌に。
大樹は覚えが早くて、何度か引っ繰り返ったがゆっくりと滑れるようになり始めた。
昌はそうはいかない。スポーツ自体が初めての昌にはそう簡単なものじゃない。
「……もういい! いくらやったって転んじゃうだけなんだ!」
「諦めるのはまだ早いよ! さっきよりずっとフォームだってよくなってるんだから」
ダンテは陽気で諦めることを知らない。それが功を奏している。不貞腐れながらも昌はレッスンを続けた。
昼食はスケート場で。昌のグチが始まる。
「父さんはもう滑れるんでしょ!? 俺には運動神経が無いんだ!」
「汐を目指すんだろ? そう言ってたじゃないか」
「…………俺、無理なんだと思う。スポーツ諦める」
汐が真面目な顔になった。
「それで? 高校の二年間と大学の四年間、何もしないつもりか? そんなんじゃせっかく良くなった心臓だって宝の持ち腐れじゃないか」
「……俺には無理なんだよ、スポーツなんて。ストレッチだってまともにやれないし」
大樹は切なくなってくる。子どもが一番動き回る時期に動けなかった昌。今それが可能なのに怯えてしまっているのだ。
「昌、父さんと練習しよう。せっかく汐とダンテが見てくれるんだ、投げ出すのはいつでも出来るよ」
三人で宥めすかして午後の練習を始めた。
「ね! 今の見てた!?」
手すりから手を放してほんの4メートルくらい前に進むことが出来たのだ。
「出来るじゃないか! 上手い上手い! その調子で手すりに掴まって周っていこう!」
昌の目がきらきらと輝く。細い体がつーっと滑っていく様はとてもきれいだ。
自転車と同じ。一度覚えた体は成長が早かった。大樹と並んで汐が。昌の手を握ってダンテがゆっくりとリンクを滑っていく。
3時間近く経って汐が声をかけた。
「今日はここまで!」
「ええ、もうちょっとやれるよ!」
「明日は筋肉痛で動けないぞ。帰って風呂に入ってストレッチ! 大丈夫、また連れて来てやるよ」
「ほんと!?」
「体が覚えてるうちにやらないとね。こういうのはあんまり間を空けない方がいいんだ」
汐にそう言われて昌は素直にリンクから上がった。
夕食は外食。食事中に昌は恐る恐る提案してみた。
「あのさ、あのスケート場、電車とバスで行けるでしょ?」
「そうだね」
「明日から通っていいかな。初心者向けのコースもあったし」
大樹の目が輝いた。こういうお願いは初めてだ。
「いいと思うよ! ね、汐くん!」
「もちろんだよ!」
「俺もいいと思う! やりたいと思うことが出来たんならやるべきだよ」
ダンテもすぐに賛成してくれた。
「手続きが要ると思う。だから初日は大樹さんが一緒に行った方がいいよ。後のレッスンは昌、自分で頑張れ」
「うん! ありがとう、汐!」
大樹と笑顔を交わした。初めて昌がやる気になったスポーツだ。気持ちを大切にしてやりたい。
次の日、手続きだけして大樹は帰ってきた。
「昌はどうだった?」
「凄く喜んでたよ。夕方からのコースだから中学生くらいの子もいたしね、昌は小柄だから目立たないんだ」
恥ずかしいと言う気持ちが無いのが一番だ。何より自分からやりたくなったスケートだ、きっと長く続けられるだろう。
「良かったね、大樹さん! 編入試験は楽勝みたいだし、そろそろこんなこともなくっちゃね」
昌はスケートに夢中になった。今のところは貸し靴だが、今に自分のスケート靴が欲しいと言い出すかもしれない。
(貯金! 返済金とは別に貯金をしよう)
そんなに高い物では無いだろう。だがこれからのこともある。昌のためにする貯金は初めてだ。
(そうだ……学費、大学の準備金……これからどんどんお金が必要になる……)
大樹は現実的な面にやっと目を向けた。
ホストの収入はあっという間に1,000万近い収入をもたらした。恐ろしいほどだ、銀行の残高を見るのが。
通帳は二冊に分けた。ホストの収入の振込先と本屋の収入の振込先。
(後3ヶ月もすれば借金は返済できる)
それは間違いが無い。大樹は贅沢をするわけではないし、大金を使う当てがない。
(その後は昌の学費を貯めようか……『こんな汚い金』って言わないだろうか)
それが一番気にかかる。本屋の収入で暮らして行けるとも思えない。やはりある程度の貯蓄が出来るまでホストの仕事を続けるしかない……
(ホストを辞めたら香林書房で正社員になりたい!)
それが今の大樹の夢だ。
正社員になれば月収は手取りで20万ほどだと聞いた。汐に家賃と光熱費を払っても十分やって行けそうな気がする。
「汐くん、これ受け取ってほしい」
大樹はソファで向かい合った汐に茶封筒を差し出した。汐が中を改める。十万円。
「これ……」
「少ないけど俺と昌の家賃だよ。光熱費は教えてもらえれば三分の二を払いたいと思ってるんだ。他になにがあるだろう。引っ越してきたときに立て替えてもらった分はちょっと待ってもらっていいかな」
なぜか汐にはホストの収入から払いたくはなかった。
汐は大樹の収入を知らない。だからこれを受け取っていいものかと迷う。
「家賃っていう設定で考えてなかったんだ。先に高遠さんへの返済を終わらせたらどう?」
「いや、高遠さんへの返済はホストの仕事で貯めたお金を当てたいと思ってる。これは本屋で働いた給料だよ。もし不潔な金だと思うなら」
「そんなこと思わないよ! ……じゃ、こうしない? 家賃は5万円。俺には充分な貯蓄があるからそんなにもらう必要は無いんだよね」
「立替だけで10万近くはあるよ」
確かに立替があるのは大樹には心苦しいことだろうと思う。互いの中で借金があると思って生活するのは嫌に決まっている。
「じゃ、分割でいいよ。立替分が終わったら光熱費を半分ずつ。ね、昌が学校に行き始めてからの家計だってはっきりしてないでしょ? 型に嵌めて決めてしまわないで、落ち着くまでは相談しながらやっていかない?」
大樹には有難い申し出だ。だが、自分は大人だ。そんな甘ったれた考えでいいものだろうか。
「汐くん、もう充分に良くしてもらってると思うんだ」
「出来ないと思ったら俺から相談してるよ! 家賃の5万円。光熱費の半分。今のところそれでいいって思う。来年の2月、また相談しようよ。で、一つ条件。昌にかかる費用はケチらないこと。昌には伸び伸びと過ごしてほしいからさ、お互いにカバーしようよ。俺、昌のこと、弟みたいに思ってるんだ。一人っ子だったから嬉しいんだよ。少なくとも……一人きりで住みたくないんだ。いてもらえたら嬉しいって思う」
汐の気持ちが良く伝わってきた。父親を亡くしたばかりだ、自分も汐を一人にしたくない。
「……ありがとう。早く三千万を返して自由になるよ! それまで甘えさせてもらう。それでいいかい?」
汐に笑顔が広がった。
「いいよ。俺だって困ったことがあったら大樹さんに相談するから」




