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もう日が傾いている。出歩くにはちょうどいい時間だ。はしゃいでいる昌に注意しながらゆっくり移動した。
(父さんの世話をしてるみたいだ)
それが心地よかった。父もなにかあればすぐ羽目を外した。茶目っ気のある父で、どっちが親だか分からないような……。
「遠いの?」
「ううん、そうでもない」
ホテルの横の細い道を辿る。散歩は何度かしていたがその辺りに足を延ばしたことは無かった。
木陰の中を歩く。靴の下の土の感触がいい。今は自然の中が落ち着く。蝉が鳴いて風がそよぐ。葉擦れの音を聞いていたい。
「気持ちいいね、今日は」
「うん」
時々、空気の匂いを嗅ぐように昌が上を向いて息を吸う。気持ちを共感できる相手なのだと、年下相手にそんなことを思えた。
15分近く歩いてログハウスが見えた。
「大きいね!」
「無駄に金使ってるから」
自嘲めいた響きは無視することにした。新しくはない建物は周りの緑に溶け込んで、そこに息づいているように見える。
木がきしむ音を聞きながら階段を上がりそのまま玄関を開ける昌に驚いた。
「鍵、かけてないの?」
「意味無いよ。なにも無いし」
昌の後について入ると、外観に相応しい内装だった。
「暖炉があるんだね!」
「夏しか利用しないのに暖炉があることが俺には理解できないんだ」
「それはそうかもしれないけど」
こういう贅沢なら味わうのは嬉しい。床も二階に上がる階段も、全てが木でできている。
「こういう木造って贅沢だよ。変な意味じゃなくて。味わえるって言うのかな…… 設計した人のセンスなのかな」
「……じいちゃん。じいちゃんが建てた時はもっとシンプルだったんだ。暖炉とかそういうのつけたのは親父だから。キッチンだって最低限だったのに今じゃシステムキッチンなんかになっちゃってさ」
テーブルの上には一抱えの紙袋が載っていた。中身をガサゴソと出す様子を眺めていた。現れてくるのはフランスパン、卵、牛乳、オレンジジュース、りんご、ウィンナー、トマト、ブロッコリー、レタス……
「この近くに買い物できる店があるの?」
「無いよ」
短い返事だからそれ以上聞くのをやめた。昌のプライベートに踏み込む気なんかさらさらない。
ログハウスの中を眺めた。玄関を入って右手にリビング、ダイニング、キッチンと続き、階段は玄関の正面だ。左手に和室が見えて、その奥が多分トイレやバスルーム。一般の家庭ならありふれているだろうが、別荘としては和室がある分広い方だろうと思う。
「あ、トイレとお風呂はそっちの奥」
思った通りの場所だ。
「寝るの、2階でいい?」
「いいよ」
「寝室3つあるから空いてるとこ好きにしていいからね」
「ありがとう」
これまでの話の様子から資産家なのだと分かる。ちょっとしたチェストなんかはアンティークなのかもしれないと思った。
食品を片付けている昌に声をかけた。
「なにか手伝おうか?」
「んんと、今から夕食作るつもりなんだけど」
「昌が?」
「俺しかいないし」
「料理が出来るとは思わなかった!」
「するよ。食事コントロール自分でしてるから」
そうだった。父の食事を作っていた時も脂分や塩分などに気を遣ったものだ。
「慣れてるから手伝うよ。一緒にやろう」
その言葉で昌は照れたようだ。
「うん、じゃお願い」
ブロッコリーを茹でて、レタスやパプリカと一緒に盛る。それに茹でた豚肉でしゃぶしゃぶサラダだ。ご飯は簡単なトマトスープのリゾット。そしてオレンジを切る。
「すごいね、ちゃんとした夕飯だ」
「でもレパートリーとしてはこれが基本なんだ。サラダとリゾットとフルーツ。味付けが変わるだけ」
「でもバランスが取れてるよ」
サラダにはドレッシングが3種類あるから、それでも楽しめる。
食事を終えて、昌と一緒に紅茶を作った。と言っても、ティーパックだ。
「汐はコーヒーが好きなの?」
「好きだよ」
「じゃ」
チェストの上のメモ帳を取って来る。それにコーヒーと書いた。どうするのか見ていると、それを玄関に持って行ってドアの外に画びょうで貼った。
汐の視線を感じて、「買い物しないから。これで届くんだ」と説明した。
「誰かが見に来るってこと?」
「うん」
「それで買ってくるの? ……あ、さっきの食品の入った袋もそうだった?」
「うん」
なんとなく分かってきた。突っ込んで聞かれたくない時には昌の返事が少なくなる。だからそれ以上は聞かなかった。
「いつもなにしてんの?」
テレビも無い。ここでどう時間を潰しているのか。
「散歩することが多いんだ。星を見たり、風に吹かれてたり。裏にブランコがあるんだよ。そこに座ってぼんやりしてたりする。外に出たくない時は本を読んだり。かったるくなったらソファに寝転がってたり」
「今どきじゃないんだね! きみくらいならゲームやったりするだろ?」
「時間が…… 消えちゃう気がするよ、そういうの」
思ったより症状が重いのか、と思った。父も手術が近づいて良く言っていた、「時間を大切に使いたい」と。
「体は? もう落ち着いた?」
「大丈夫だよ。ごめん。今日はさ、ちょっと疲れたから先に休んでいい?」
「もちろんさ! 具合悪いの?」
「ううん。ホントに疲れただけ。えっと、……なにも無いんだ、ここ」
「いいよ。俺ものんびり旅行気分で来てるし。小説も持ってきてるから」
ホッとした顔だ。
「そうだ」
昌は玄関のメモを持ってきた。
『室内で2人で遊べるもの』
「ずい分大雑把だな! それでいいの?」
「いいんだ。……後は勝手に判断するだろうし」
「え?」
「ううん、何でもない! じゃ、おやすみなさい」
「お休み。ゆっくり寝ろよ」
「そうする」
昌は階段を上がって行った。
汐は散歩に出てみようと思った。夜の浜を歩くのが好きだ。明かりと言ったら空と、コテージやらホテルやらのちらほらしたわずかな光だけ。だから解放感がある。
玄関を出ようとして迷った。鍵をもらっていない。昌は気にした素振りも見せなかった。散々考えて、メモをテーブルに残した。
『ちょっと浜を歩いてくる。20:15 汐』
(明日鍵のこと確認しないと)
出来れば合鍵が欲しい。自分の荷物もたいした物はないが、安全面から言っても絶対あるべきだと思う。