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深水家の Three Men  作者: 宗田 花
深水家の Three Men
18/35

11.努力

 そこからのダンテの頑張りは半端なかった。

 翌日は朝8時には深水家のチャイムが鳴った。

「なんだよ、こんなに早く」

「朝飯は?」

「済んでるけど」

「よし。ミックスジュース、飲むか?」

「飲む」

 この辺はしっかりとダンテに餌付けされている汐。ついでにパイももらってご満悦だ。

「Ushioはもっと肉ついた方がいいと思うぞ(その方が抱き心地良さそうだ)。お父さんが亡くなってから大分体重が落ちたろ? 取り戻さないとね」

「後で走ってくるつもりなんだ」

「頑張り過ぎて早死にしないでくれよ」

「バカ!」


 そんな声を聞きつけて昌が上から下りてきた。今日は大樹は早出だ。『歩き方講座』に行っている。その帰りには、ネイルサロン。男性でも爪の手入れが必要だなんて、大樹は初めて知った。

「おはよう、ダンテ。俺さ! ダンテのこと許してないから」

「なんだよ、朝っぱらから」

「父さんにホストなんかさせたのはダンテでしょ。だから」

「昌、許してやれ」

「汐は許したの?」

「いや、俺は許さない。でも今日からダンテは昌の家庭教師だ。だから昌は許すこと」

 ダンテにしてみれば、自分の立場が上がったり下がったりで目まぐるしい。

「汐が先生がいい!」

「古文と地理はダンテの方が教え方が上手いんだ。だから協定を結んだ。ダンテ、家庭教師、無料でいいんだよな?」

「もちろんさ!」

「大樹さんが一生懸命に働くんだ、お前ごときでその貯蓄の邪魔をしたくない」

 その言い方にしょぼんとするダンテ。

「昌、お前のスケジュールだけど。朝6時から7時は、俺とマラソンしてストレッチ。9時から10時15分が地理。10時半から12時が古文。午後は1時から2時半をダンテに任せる。その後、自習だな」

「すっげぇスケジュール!」

「なに言ってんだ、昌。学校が始まることを考えてリズムが狂わないように体に教えるんだ。いいね?」

「スパルタだ、鬼だ!」

 どう言われようが汐は気にしない。

「で、ダンテ。3時半から6時半を俺と勉強。どう? もちろん都合の悪い時には合わせるよ」

(その間、ここにいられる!)

「乗った! それでいいよ。夕飯はどうする? 俺が作っていい?」

「それはみんなでやろう。ダンテに夕飯はサービスだ」

 昌が首を傾げる。

「サービスって?」

「俺と一緒にいていいって言うのが、サービスだよ」

 ダンテは感涙にむせび泣く。

「ありがとう! 頑張るよ!」

 自分をダンテに対する報酬として差し出すところは、ある意味汐らしい。これならダンテは必死になるはずだ。

 少し汐から温情の言葉が出る。

「……ダンテ、いくら何でも詰め過ぎかな。もし大変なら」

「いい! 大丈夫、やれるよ。何しろ今暇なんだから」

 これで契約成立だ。もちろん、土日祝日は休みだ。

「昌、いいね? これで点数が低いなんてこと、言わせないぞ」

「……逃げないよ。蒼涼高校、必ずトップになって見せる!」



 その頃、大樹は歩くのに苦しんでいた。

「木嵜さまのご紹介ですので、短期間で身に着くスペシャルコースにご案内いたします。……姿勢は申し分ないですね! では歩いてみましょうか。ここからあそこのバーまでいつも通り歩いてみてください」

 そう言われてもじっと見つめられて歩くのには抵抗がある。

「だいたい分かりました。特に変わったクセはなさそうですね。これはとても有利です。アルベロさまの場合、目指すのはビジネスウォーキングではありません。どちらかと言うと、貴族のように気品のある歩き方ですね。これが、ダンスをする場合でも生きてきます。では、歩き方の指導は最後に行うとして、スケジュールはこうなります」


1.ジャケットの脱ぎ方

2.女性のジャケットの脱がせ方、着せ方、ジャケットの預かり方

3.手の差し出し方

4.ターン、ポーズ

5.車の乗り方、下り方


「こちらがアルベロさまが受けるコース内容です。では、こちらに……」

(足が……つりそうだ……)

(明日は筋肉痛だ)

(風呂に入りたい)

(このストレッチ、本当に体を解してるのか?)

 およそ1週間の講座と聞いた。だがその先に待っているのはダンスレッスン。つまり、この講座は序の口だというわけだ。

 とりあえず、今はひきつらないように歩くのが精いっぱいの大樹だった。



 その日は特に勉強らしいこともせず、昌は普通に過ごした。明日からが勝負、ということだ。

「ちょっと出かけて来る。すぐ戻るから」

「どこ行くの?」

「日和さんのとこ。梅干しとコーヒーもらってくる」

 昌が不思議そうな顔をしている内に汐は出て行った。

「梅干し?」

 ダンテが説明する。

「この前寝込んだせいだよ」

「この前、って汐が風邪で寝た時のこと?」

「そうそう」

 ダンテは何でも知っている。

「多分梅干しが切れたせいだと思ってるんだ」

「どうして?」

「Ushioのジンクスだよ。一日一個、日和さんからもらった梅干を食べてれば病気をしない」

「なにそれ」

「Ushioって、思い込むタイプだろ? 安い健康法だからいいんじゃないの? それで元気なら」

 昌には謎の論理だ。


 汐は林家を訪れていた。

「日和さーん」

「あら、汐ちゃん。残念、今買い物に行ってるわよ」

「沙代里さん、行かなかったの? どこ行くのも一緒なのに」

「今日は足が痛くてねぇ」

「どこ?」

「ここ」

 横になってもらって左膝から下に向かって柔らかく揉むと、沙代里さんがほぉっとため息をついた。

「どう?」

「気持ちいい。楽になるわ」

「寝ちゃってもいいからね」

「ええ、お願いね」

 10分近く揉んでいると玄関が開いた。沙代里さんはすっかり眠ってしまっている。そこに日和さんが帰ってきた。

「汐ちゃん、来てたの?」

「梅干し欲しくって」

「ああ、そうだった! 届けるのをすっかり忘れていたわ」

 座布団を枕に眠っている沙代里さんに、日和さんは毛布をかけた。しばらくは起きないだろう。

「ありがとうね、汐ちゃん」

「日和さんは? 肩でも揉もうか?」

「今度お願いするわ。ちょっと待ってて、梅干し、梅干し! どうする? ついでにお味噌持っていく? 寝かせておいたのがちょうど食べられる頃よ」

「もらう! 日和さんのお味噌が一番美味しいんだ」

 味噌など、買えばいいのだ、本当は。だがなぜか、汐は日和さんにもらうことにしている。梅干しと同じ。これも汐のジンクスだ。健康を保ち、悪いことから身を護る。少なくとも、小さい時からそう思っている。

 昔から汐は寝込むと治るまで長くかかった。そこで父が言い聞かせたのだ。

「林のお婆ちゃんに梅干しもらえば病気にならなくなるよ」

 それが今でも続いている。汐は多分単純なのだろう。だが日和さんはきっと言い直すに違いない。

「汐ちゃんは素直で純真なのよ」

 日和は嬉しくて堪らない。孫でさえめったに来ない。だが、汐が近くにいるから寂しくもなんともない。

「ダンテはどう?」

「相変わらず。もう飽きてもいい頃だろうに」

「汐ちゃんのいいところが良く見えているのよ。いいじゃないの、受け入れたら?」

「日和さん!」

 日和さんは笑っている。こうやってたまにダンテのことでいじると、汐は可愛らしい反応をする。

「ダンテのミックスジュース、私も欲しいって伝えてくれる? たまに飲むと美味しいから」

「たまに、ね。言っとくよ。ちゃんと言わないと毎日でも押しかけちゃうからね」

「悪いわね、助かるわ」

 他に煮っころがしや鯵の南蛮漬けをもらって、にこにこと汐は帰った。

 沙代里さんが起きて来る。

「いい子ね、汐ちゃんは」

「本当。あの子がいるから頑張れるわ」

 しばらくしてチャイムが鳴った。

「はーい」

「ダンテです! ジュースをお届けに来ました!」

 日和さんと沙代里さんはにこっと顔を見合わせた。



――ぴんぽーん。

 柔らかいチャイムが鳴る。「はーい」と昌が出る。

「これ、もらいものなんですけど」

 と、ちょっと高そうなお菓子を渡された。くれたおばさんが、中をちらちらと覗き見する。

「あの!」

「今日は昌くん、一人なの?」

「汐がいますけど。呼びましょうか?」

「あ、いいの。じゃ、また」

 この週、こんなことが3、4回あった。時には手作りの『なんたら』。ご近所の奥さま方だ。アイ子さんという人ははほぼご主人が帰ってこない色気だけがムンムンの欲求不満の奥様。一人は子どもがおらず、倦怠期。さらにもう一人は見合い結婚で早くも『失敗感』丸出しの仮面夫婦。


「なんなのさ、あれ! 『美容院行ってきました』しゅう、ぷんぷんさせて、どいつもこいつも真っ赤な口紅!」

「みんな大樹さん目当てなんだろ」

 今は4時過ぎ。一階のソファでダンテと向かい合わせで勉強している汐が気の無い返事をする。

「父さんは断る口実の俺がいたから良かったけど、大樹さんはどうなるかな」

「俺がいる! 思春期の息子が」

「昌、引っ越してきたときに『親子じゃない!』って言い切ったじゃないか」

 痛いところを突かれる。

「あの時は……そうだ、親子げんかしてたってことで」

 ダンテが水を差す。

「それでも厳しいだろうな。アイ子さんは強引だし、もう一人の色仕掛けはキャバレーの女みたいだし、三番目に来たのは多分泣き落としだ」

「良く知ってるな、ダンテ」

 じろり、と汐に睨まれて(ジェラシーか?)と勝手に喜ぶダンテ。

「お前のお父さんが入院してからその後を受け継いだのが俺だったからさ。こうも早くHirokiに乗り換えるとは思わなかったけど」

「お前、ゲイだってみんな分かってるし」

「そ! 俺、Ushio一筋だから」

 そんなことは昌にはどうでもいい。『ホスト』問題でさえ昌には大変な重荷なのに、周りに中途半端に湧いて出る女性など冗談じゃない。

 今日の大樹は、女性のエスコートと車の乗り降りの練習をしに行っている。動きが洗練されていくのが見て分かるし、明日からは『話し方教室』にも通う。ただ『話す』のではなく、『聴く』『相槌を打つ』なんてことも勉強するのだ。吸収力のいい大樹は、あっという間に洗練された男になっていくだろう。

「虫がつく! 冗談じゃないよ、あんなおばさんたちが俺の母さんになるかもしれないなんて!」

「昌、うるさい、妄想は自分の部屋でやれ」

 と、汐はすげないことを言う。ダンテはそれを混ぜっ返した。

「分かんないぞー、アイ子さんなんか、金持ってるからなぁ」

 ぞっとする。アイ子さんは、化粧在りきの女性だ。すっぴんじゃ誰か分からない。顎の尖った……まるで鶏みたいなおばさんだ。

「汐、お返ししたらどうかな」

「勘弁してくれ。贈り物合戦になるだけだ」

「とにかく『いない』の一点張りを貫くんだな」

 と言いつつも、ダンテはちょっと昌が可哀そうになっている。



「ただいま……」

 今日も息も絶え絶えの大樹が帰ってきた。

「ちょっと横になって来る」

 玄関から直行の大樹を見て、ダンテはすぐに動いた。

「ビタミン補充した方がいいって」

 最近は汐用のミックスジュースと、ビタミン補充用の野菜ジュースを作っている。もちろん、深水家で。

 ダンテが昌に野菜ジュースを渡す。

「ありがとう」

「うん、いい子だな、お前って」

 昌がとんとんとん、といい音をさせて階段を上っていく。それを聞きながらダンテは汐の手の甲をシャーペンの先で突っついた。

「なに?」

「なんか考えてあげた方がいいんじゃないの? あれじゃAkiraもだけど、きっとHirokiも参るよ。もし道で捉まったらそのまま救急車だ」

「なにを大袈裟な」

「Ushioには分かってない。後が無いって思う女性心理。今に食い殺されちゃうぞ」

 そうは言っても大樹は大人だ。そう汐は思っていた。長いこと昌一途で生きてきた大樹が女性に詳しいわけが無いのに。



 次の日、話し方講座からの帰宅途中。

「大樹さん!」

 アイ子さんだ。大樹は立ち止った。走って追いかけて来るアイ子さんに近づく。

「どうされました? なにかご用ですか?」

 同じく目を見つめる大樹に、アイ子さんは口ごもっている。

「これ……」

 可愛い籐の籠にりんごが4つほど入っている。

「あの、良かったら召し上がっていただけませんか? いただきものなんですが、家には多くて」

「よろしいんですか?」

「ええ」

 アイ子さんは赤くなっている。男性に見つめられるなんて何年ぶりだろう!

「ありがとうございます。喜んでいただきます」

 アイ子さんはすらっとした大樹の後ろ姿に見とれていた。


「お帰りなさい!」

 もう一人の女性は正面から来た。

「お早いお戻りなんですね」

「ええ、今日は昼まででしたので。珍しく皆さんにお目にかかるのも帰宅が早いからでしょうか、久しぶりにご挨拶するような気がします」

「ご挨拶だなんて…… なにかあったらいつでもお声かけてくださいね。男性ばかりじゃなにかと不便でしょう?」

「お気にかけていただいてありがとうございます。その時にはお訪ねするかもしれません」

「はい、いつでも……」

「では、失礼いたします」

 大樹は玄関に入る前に、立ち尽くしている彼女に頭を下げた。釣られて頭を下げる女性。

(紳士だわ……)

 この湧き上がる感情を何と言うのか。

(恋、かもしれない)

 女性はふらりと自宅に向かった。つまらない夫の夕食を考えるために。



「ただいま……」

「お帰り! 今日は早かったね!」

 ダンテが元気に出迎える。

「外で本番の練習もしてきた…… 疲れた」

「大樹、お昼食べた?」

「まだ」

「じゃ着替えてくるといい、スパゲティならすぐに用意できるから」

「ありがとう!」

 りんごの入った籠を置く。

「どうしたの、これ?」

「えっと……通りでいただいたんだ。籠をお返ししないと」

「それ、俺が行く! 父さんは家を出ないで。ついでに、近所の人とあんまり関わんないでね!」

 二階に上がる大樹を見て汐が腕組みをした。

「うーん……対策は必要かもしれない」

「だろ? 何か考えた方がいいと思うよ」

 ダンテの言う通り、このままでは危ないと思う。大樹にはまるで危機感が無い。

 だが、この件に関しては昌の方が早く動いた。


 昌は季節柄、値の張るオレンジを仕入れると籠にたっぷりと入れてアイ子さんの家に出かけた。

『はい』

「仁科です。籠をお返しに来ました」

『はい! ちょっとお待ちになって!』

 昌を大樹と間違えてアイ子さんはいそいそと玄関に出てきた。あら? と言う顔をする。昌は澄ました顔で笑顔を浮かべた。

「仁科の息子の昌です。父がりんごをいただいて喜んでいました。母が好きだったので、僕も父もりんごが大好きなんですよ。さっきもりんごを見ながらしんみりと話したんです。『母さんを思い出すよね』って…… ありがとうございました!」

「い、いえ、そうですか、お母さんを」

「僕、母にそっくりだって父に言われるんです。母は本当にきれいな人だったって。一目ぼれの大恋愛だったんだよって、さっきまたいつもと同じ話を聞かされて。来週、墓参りにでも行こうかって父と話しました」

「そ、それはそれは…… どうぞ大樹さん…… お父さんによろしくお伝えくださいね」

「はい!」

 昌はスキップでもしたい気分だ。これで当分アイ子さんは大樹に構ってこないだろう。昌はあんまり楽しくって、すっかり味を占めてしまった。他の二人にも同じように牽制をしておく。女性人たちはすっかり毒気を抜かれたような顔をしていた。



「ダンテ、ここ、分かる?」

 汐がペンで問題を叩く。

「どれどれ、……ああ、ここね! 俺も引っかかったんだ、いい問題作るよなぁ!」

 こういう時にさらっと教えてはいけないと、ダンテは思っている。自分も苦労した、という共感こそが二人の距離を短くするのだ。

(みみっちくてもいい、ちょっとずつちょっとずつ距離を狭めて)

ダンテはこういったことに天才的に才能がある。

 大樹がひと眠りして下りてきた。

「Hiroki、忙しいね。明日はなんの教室に通うの?」

「明日は食事のマナーだよ。後、エスコートが一件」

 汐の目がきらりと光る。

「エスコート? なんの?」

「買い物。女性って買い物が好きだね!」

「それって買い物だけ?」

「そうだよ。それでも2時間はかかるだろうってマネージャーが言ってたけど」

「ふぅん……ホストも楽じゃないんだ」

 ちょっと中身を聞いて安心した汐。

「考えた? 保護者の職業」

「それなんだけどね」

 珍しく積極的に話そうとする大樹に、ダンテはお茶を入れてきた。

「ありがとう。今は慣れないから落ち着かないけど、慣れてくれば相当時間が空くんだ」

「そうなの?」

「それでね、バイトを探そうかと思って」

「また変なヤツじゃないの?」

 ちょっと汐が警戒する。

「違うよ! ちょっと待ってて」

 大樹は二階に行ってすぐに戻ってきた。手には薄い雑誌を持っている。

「求人雑誌なんだけど。これ見てくれる?」

 そこには青いマーカーで大きく丸で囲まれた書店の求人があった。

「時給930円から。時間相談に応ず…… ここから近いね」

「でもHiroki、疲れない?」

「本が好きなんだ。いい休憩にもなると思う。こう、なんていうか、閉ざされた空間でゆっくりしたい」

 動機には問題ありだが、確かにどこに出しても恥ずかしくない職業だ。

「それで? 社保とか昌のこととか」

「それが心配だから明後日面接をお願いしたよ。どう思う?」

「大樹さんがそれでいいならいいと思うよ! 体力的に疲れる仕事には見えないし」

「良かった! 昌には上手く行ったら話すつもりなんだ」

「応援するよ、Hiroki!」

「俺も! そっか、本屋の店員でホスト。ユニークな組み合わせだね」

(余計な暇な時間も無い方がいいし)

と、ご近所対策もちらりと汐は考えた。 

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