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深水家の Three Men  作者: 宗田 花
深水家の Three Men
15/35

8.学校と職場

 汐が自室に戻ってぐっすりと眠ったのを確認して、大樹と昌は高校選びに手を付けた。地域的にここは高校に恵まれている。

「さて、学校をピックアップして行こう」

 通学可能な高校は実際には3つあった。

「3つの中にいいのがなかったら遠くを考える」

 残念なことに1つは私立だった。そして、男子校、男女共学。金銭的に私立は不可能だ。

「男子校って憧れる!」

「だめだ、共学じゃないと」

「なんで!」

「昌は人との接触が普通の人より少なかっただろう? ここでまた垣根を作るべきじゃないよ」

「それじゃ一択になるでしょ!」

「まず調べてみよう、案外気に入るかもしれない」


 明らかに投げやりになりつつある昌を促して、ホームページを見てみた。気持ちを尊重して男子校から。

「偏差値、ひく……」

 勉強はしっかりしているプライドの高い昌にとって、偏差値の低い高校は願い下げだ。大樹はほっとした。

 共学は逆に偏差値が高い。『蒼涼そうりょう高等学校』という。

「これ、相当勉強しないと」

 だが、昌は俄然張り切り出した。

「ここから電車で3つだね。あ、部活たくさんある!」

 進学校だが、生徒の自主性といろんな体験をすることを推奨している。

「ね、外国語、英語以外にドイツ語とか中国語とかあるよ!」

「すごいな、レベルが違う」

 昌はすっかり蒼涼高校に魅せられたようだ。

「今10月終わりだろ? これから勉強をして二年生への編入試験に間に合うか?」

「あ、そうだった……」

 きっと出席日数も足りない。いっそのこと……

「知った顔がいるわけじゃないし。四月に二年生から入る。その方が勉強もずっと楽になるし」

「確かにね。いいのか、留年っていう形で」

「いい。ここで決める!」

 そうと決まれば、と昌は早速猛勉強することにした。出来れば編入試験でいい点を取りたい。

 他にもやりたいことがある。ダンテに料理を教わること。



 昌が二階に戻った後、大樹はもやもやしている。こうなると決まっていないのは、自分の今後の身の振り方だ。

 昌の教育費がある。ある程度落ち着いたら汐への立て替え金を返済し、自分たちの生活費も出したい。そして、高遠への返済。

(仕事、決めないと)

それが重くのしかかる。

 汐に教えられたハローワークの求人欄をネットで眺めた。通勤時間は正直どうでもいい。望みを言うなど、今の自分には贅沢なことだ。

『仕事を選ばなければ』確かになんでもある。事務仕事はハードルが高く、給料が安い。大樹は現場仕事に目をやった。

(思ったより、いい!)

 手取り25万以上の給料がいくらでもある。ただ、そこにも年齢の壁があった。34歳ともなると、マネージャークラスの募集が多い。だから月給が高いのだ。

(どうしたらいいんだ……)

 手取り17万としよう。昌の入学金はいったん汐に頭を下げるつもりだ。そして制服やら初期の学費やら。

(借金が増えるばっかりだ……)

 そこに目を瞑る。17万のうち、生活費、光熱費として自分は最低7万を汐に受け取ってほしい。落ち着いたらそこから学費を出そう。昌の小遣いが要る。ちょっとした雑費も当然出て来る。そうなると返済金に充てられるのは約4万円。

(これじゃ汐くんと高遠さんへの返済なんか……)

 絶望的だ。だがそうは行っていられない。

 目についたものが一つあった。工場の作業なのだが、群馬の駅からバスで通うような場所。寮がある。光熱費無料。手取りなら22万だ。

(ここ、いいんじゃないか!?)

しばらくの辛抱だ、ここなら丸々貯金に回すことが出来る…… 


「Hiroki」

「うわっ」

 いきなり話しかけられて驚いた。ダンテだ。

「ごめん、何度かチャイム鳴らしたんだけど出ないから」

「どうやって入って」

「庭」

 窓が開いている。

「窓から忍び込んだの?」

「人聞きの悪い! 夕飯、渡したくって。よくここから入ってたんだよ」

 バカでかいトレイと小さなトレイがある。キッチンテーブルに並べた。

「すごいね! これ全部ダンテが?」

「Ushioにはビシソワーズが欠かせないんだ。それからこっちは自家菜園のサラダだけどUshioはドレッシングを嫌がるかもしれない。トマトは喉が痛いようなら食べさせないで。それからシチュー」

 そして、もう一つのトレイに載ったもの。

「焼き立てのパン。パンはフィオレのお手製だよ。これは風邪薬。多分飲んでないから。それとリンゴのコンポート。好きなものばかり作ったから結構食べてもらえると思うんだ」

「昌が君に料理を習いたいって言ってたよ」

「いつでも言ってよ! 休学の間はヒマだから。じゃ、後で朝食を届けるね」

「ダンテ、ずっと食事を運ぶつもり!?」

「もちろん! 可愛いAmore(アモーレ)(恋人)のためだからね」

 

 ダンテは大樹の様子を気にしてくれた。

「深刻そうな顔をしていたのはどうして?」

 冷蔵庫にものを閉まっているのはダンテだ。

「職場を探してたんだよ。なかなかいいのが無くってね。今群馬で寮付きの製造工場を見ていたところなんだ」

「群馬!? 一緒に住めないでしょ!」

「けど仕方ない。ここでの生活費や昌の学費があるから」

 ダンテは目の前に座った。

「いろいろぶっちゃけた話を聞いてもいい?」

「どんな?」

「昌との関係は?」

「父子だよ」

「本当に!? その年ごろで父子離れて育つのは良くない! もっと近場では?」

「給料が安いんだよ。俺には社会経験がないから無理なんだ」

「社会経験ナシ? どうやって暮らしてきたの?」

 大樹はある程度の自分の状況を話した。こんな話を聞いてくれるダンテが有難い。

「ふーん……負債がある……社会的経験ナシ……」

 ブツブツとダンテが呟いている。

「失礼な話だけど怒らないで答えてくれる?」

「なんだい?」

「最終学歴は大学でしょ? どこの大学?」

「白應大学。名前だけだけどね。成績は」

「国立だ! 成績なんか二の次だよ! ……いい仕事あるけど」

「どんな?」

「給料がいいことだけは保証するよ! 俺も行きたいくらいだ」

「俺でも務まるんだろうか」

「Hirokiだから務まると思う」

「紹介してくれるかい!?」

「少なくとも負債を返すのはあっという間だと思う。試しに一度行ってみる?」

「行くよ!」

「あ、っと……Ushioには内緒で」

「どうして」

「決まってからがいいと思う」

 確かにぬか喜びになるかもしれない。だめだとしてもいい経験になるだろう。

「履歴書が必要だね。他に何が要るだろう?」

「卒業証明書。それがあれば多分ほぼ決まり。目的を達成したらやめればいいし」

 後半は声が小さいことに大樹は気づかない。


「Akiraの方は進展があった?」

「蒼涼高校を目指すことにしたよ。四月に二年生の編入試験を受けるんだ」

「ブラヴォー! じゃ俺とUshioの後輩になるね!」

「そうなんだ!」

「汐は答辞を読んだよ。そうか、蒼涼か。汐も喜ぶ! 学校見学、一緒に行こうって伝えておいて」

 大樹にもようやく明るい未来が見えてきた。見えてはきたのだが…… 

  


 汐とダンテの卒業校と聞いて、昌はすっかり気合いが入ってしまった。体を壊すのはたくさんだから、規則的な生活をし勉強を頑張る昌。

 後輩になると聞いて汐は喜んだ。

「蒼涼か! 卒業してからのことを考えてもいい選択だと思うよ。それに進学校の割には自由度が高いからね。昌には合ってると思う!」

「ダンテが学校案内をしてくれるって」

「あ、だめ。俺が行くよ。その方が絶対にいい」

「そうなの?」

 昌は汐とダンテの様子が面白くてならない。男性から男性への熱愛もどこか遠い話で、だからその攻防が楽しい。

 あれから汐はダンテの食事と行き届いた世話でしっかりと回復し、その後も過剰に世話をしようとするダンテを足蹴にしている。

「汐くん、もう少し手加減しても」

「付け上がりますから。今が大事なんです。恩着せがましくキスを寄越せだなんて、そうは行くか!」

 大樹も二人の間に入るのはしばらく控えておくことにした。なにしろダンテに仕事の世話になるのだ。



 それから二日後、大学の卒業証明書が届いた。

「履歴書にあまり書くことが無くて……」

 恥ずかしそうに言う大樹は、ダンテから見れば採用条件にぴったりに見える。

「氏名、住所、簡単な自己アピール。それで大丈夫」

「自己アピールって?」

「例えば……Hirokiの場合はそうだなぁ、性格が優しいと言われるとか、コミュニケーション能力がある、とか。そんなもんでいいんだよ」

「ダンテはそこで働いたことは無いんだね?」

「友人が働いてたんだよ。悪くないって言ってたから大丈夫」

 いろいろ聞いても、結局は『大丈夫』と言う言葉に帰結してしまうから大樹は心配するのをやめた。元々が大らかな性格。話をうのみにしやすい傾向はあるが、自分では分からないものだ。


「明日は就職の面接ですよね」

 夕食時。汐が大樹を気にかける。

「ちょっと不安で」

「大樹なら大丈夫だよ、愛想いいし」

「昌! 『お父さん』って言えないにしろ、『大樹』って呼び捨てはダメだ」

「いいんだよ、俺は」

「だめです。編入の時には父親も一緒に学校に行って校長や担任に挨拶するんですよ。日頃の言動が肝心です」

「汐でいいよ、ついてくんの」

「なに言ってるんだ!」

「分かった、分かったよ。そんなに怒らないで。昌、気を付けよう」

「……分かった。でも俺、『お父さん』は無理だからね!」

 生まれてからずっと『大樹』できたのだ、そう簡単に変えられるわけが無い。まして『お父さん』などと。


 これ以上は父子の問題だ。汐は話を変えた。

「それでどんな会社なんですか?」

 ダンテに言われている。『きっとどんな会社か汐が聞くから』と。

「接客業、なんだ」

「接客? 大樹に出来んの?」

「昌っ」

「あ、と、要するに出来るのか聞いてんの」

「俺でも大丈夫だそうだ」

「誰かの紹介ですか?」

「あ、いや、会社紹介のホームページに未経験でも可って」

「あまり信じない方がいいですよ。まぁ、初めてだから経験するつもりで行った方がいいです」

「そうするよ」

『汐は理屈っぽいから「はいはい」って返事しておいた方がいい』

 これもダンテからのアドバイスだ。



 そして翌日。駅でダンテと待ち合わせした。

「俺、店には入らないんで近くで待ってるよ」

 途端に心細くなる。

「大丈夫だろうか、本当に」

「大丈夫、大丈夫! 短期でめちゃくちゃ給料が多いって点では間違いないから」

 電車で二駅。新ノ宮(にいのみや)という駅で降りた。2分ほど歩く。

「ここ! 駅からも近いしいいでしょ?」

「ここ? ここって、え、ここ?」

「もう連絡は入れてあるから。はい、行ってらっしゃい!」

 背中を押されて階段を下りる。下りる階段には、にこやかな男性たちのポスターが貼ってあった。どれもいい男だ。大樹はなんとなく嫌な予感がした。店内は広くて薄暗い。

「なんでしょうか?」

 すぐにスーツ姿の男性が来た。こうばれば名乗るしかない。

「仁科大樹と申します」

「ああ! 聞いていますよ。奥へどうぞ」


 今は午前という時間帯のせいか誰もいない。

(きっとこういうのをホストクラブって言うんだろうな……)などと目を見張るほどのゴージャスな大理石の広間を突っ切って、大樹は通用口から奥のオフィスへと案内された。社長席なのだろうか、シンプルだがどう見ても安物じゃないデスクがある。多分素材はマホガニーだ。高遠の社長室にあったのとよく似ている。

 ソファの方に案内され、ガラスのテーブルを挟んで座った。彼はすらりとした気品あるたたずまいをしている。多分自分よりちょっと年上。名刺を渡される。

木嵜(きざき)さん、とお読みすればいいでしょうか」

 名刺には『Direttori(ディレクトリ) 木嵜』とだけしか書かれていない。

「はい。マネージャーと思っていただければ結構です。以前ここで働いていた細野直也さんのご紹介の方ですね」

「はい」

 この瞬間も大樹は履歴書を出すのを躊躇っている。このまま先に進んでもいいものだろうか……

 それを見計らったかのように木嵜が笑顔を浮かべた。

「皆さん、躊躇われます、履歴書を出すときに。どちらでも構いません。このままお帰りになっても」

 つい腰が浮きそうになった。

「ただ一つ申し上げておきますが。紹介者の細野さんにはペナルティを払っていただくことになります」

「ぺなるてぃ?」

「ええ。あなたの紹介料は5万円。その返金と、その同額を支払ってもらいます」

(つまり俺が断れば10万……?)

「後はご自由にお決めになってください」

「それ、不自由な選択といいませんか?」

 思わず言い返してしまった。

「ええ。でも断ってもあなたにはなんの損害もありませんよ」

 会ったことも喋ったことも無い細野直也にはとんだとばっちりだ。

(だいたい、名前だって今初めて知った)

 自分が不用意なのか、ダンテの説明不足なのか。

(いや、俺だよな)

「面接、お受けします。これが履歴書と卒業証明書です。その上でもし落としていただければ有難いのですが」

 崩れない笑顔のまま、木嵜はあっさりと断った。

「ビジネスですからそうも行きません。では拝見します」

 履歴書も卒業証明書もちらっと見ただけ。木嵜はテーブルに置かれた電話を取り上げた。

(この電話、アンティーク?)

 古い映画で見たような。丸めの三角形とでも言った方がいいのか。白い陶器に花模様が描かれている。下の方にはメモが入っているのだろう、小さな引き出しが付いている。受話器は持ち手が細くて女性的だ。

「オネスト、面接室へどうぞ」


 電話を置くと『そうだった』とでも言うような顔で木嵜が大樹を見た。

「イタリア語、ご存じですか?」

「いえ。必要ですか? 残念です、私は」

「いいんです。ここの職場は社長がイタリア人なものですからやたらとイタリア語が出てきます。私の名刺なんか『マネージャー』とでも表記すればいいんですよ。いちいち説明しなきゃならない。ですから社長がイタリア語を使っても無視してくださって結構ですよ」

(無視って……)

どうやらこの木嵜には相当な権限がある、と大樹は思った。

(木嵜さんに頼もう、ここで働くわけにはいかないんだって)

 だが時すでに遅し。ドアが開いて”美しい”男性が入ってきた。

(え、40代に見えるけど……きれいだ……)

 言葉を間違えているような気がしたが、男性は確かにきれいだ。

「Kizaki、Shinjin?」

「日本語でOKですよ、社長」

「君にはロマンの欠片も無い…… お待たせしたね」

 男性はぱっと大樹を上から下から目を往復させた。

「……合格! ではいつからにしようか。木嵜、テーラーの予約と」

「まずは名乗ったらいかがでしょうか?」

「おぉ、失礼した! 名刺を渡そう」

 渡された名刺は……(金? これ、金だ!)金でできた名刺など初めて見た。

Onesto(オネスト) Capone(カポーネ)』とある。

「オネスト・カポーネです。よく聞く名前でしょう、実はアル・カポーネとは」

「なんの関係も無いので気にせずに」

「木嵜!」

「話が進みません。社長、実は彼は帰りたがっているんです。仕事を良く知らないまま来たようですよ」

「全く! 細野に紹介料を渡すのはやめ」

「ません。契約ですから。社長、話を先に」

オネストはやっと大樹の正面に座った。


「さて、単刀直入に聞こう。ここの何が嫌かい? ホストクラブ、というものに抵抗があるのかな?」

「はい」

 気圧されそうな社長に負けまいとして、大樹はシンプルに答えた。

「息子がいます。彼に言えないような職業には就きたくありません」

「『接客業』は立派な職業だが」

「かもしれませんが、」

「ひょっとして女性との付き合いに抵抗があるのかな? 失礼だが奥さんは」

「おりません」

「だとしたらなにも問題ないようだが」

「先ほど社長のおっしゃった女性との付き合い方自体に問題があります」

「君、」

 脇にある履歴書にちらっと眼をやる。いつの間にかそこには『Nisina Hiroki』と添え書きがあった。

「Hiroki、勘違いをしているのかもしれない。日本で言うセックス絡みの」

「『枕営業』と言います」

 木嵜が露骨な言葉を教える。

「そうそう、それなら心配ない。むしろそういう接待はここではお断りだ」

 大樹のガードが少し甘くなる。

「先にここの説明をしよう。ここは会員制のクラブだ。ホストとゲストの間のプライバシーは完全に守られる。この狭い世界でほんのひときの夢を彼女たちに君たちが見せる。それだけだ」

「具体的には? それじゃなにをすれば」

「アルコールの提供と、聞き手になること。それ以上でもそれ以下でもない」

「それで相手は納得するんですか?」

「日本に来て分かったが、女性は虐げられているね。だから女王様になってもらうんだよ。君たちホストは彼女らのAmante(アマンテ)

「愛人という意味です。ただし、プラトニックな」

「になり、彼女たちに尽くす」

(話を聞くだけ? プラトニック? ……悪いことじゃないような……)

 大樹のガードがさらに下がっていく。

「ですが。正直に言います。私には金銭的余裕がありません。こういった職業にはそれなりの身支度が必要なのではないかと思いますが」

「いいねぇ! 君の話し方には知性を感じるよ! そうではない若者がなんと多いことか」

「私は若者じゃありません」

 木嵜が口を開く。

「仁科さん。ここでは社長より年下の方は皆若者なんですよ。社長は51歳です」

「え!?」

Bravo(ブラヴォ)!」

「社長、ここは日本です」

「失礼、いや、素晴らしい反応だ! そういうのを見るのが大好きなんだよ」

「そのせいで私もこの説明を何度したことか」

(ストレートな人だな……品行方正な仕事に聞こえるし)

 そこで思い当たる。

「身支度の点に併せてですが、私はアルコールはあまり飲めません」

(こういう仕事では必須のはずだ)

「ますますいいね! 正直店の酒をあまり飲んでもらっては困る。高いからね、ここで用意している酒は」

「そう、なんですか」

(この店の常識って?)

「それから身支度については心配要らない。こちらで手配する。化粧の匂いをさせて帰るのがいやだというホストにはシャワー室を使ってもらっている。スーツで出勤。着替えをして勤務に入る。だらしないのは嫌いだ」

「勤務時間は? 深夜まで帰宅できないというのはあまり有難くありません」

「さすがに7時や8時では困るんだが。最初は3時から9時半。どうだろうか? 後は君のゲストたちに合わせて、ということで」

(そうは言っても夜中まで女性がいたいって言ったら)

 木嵜がさらに説明を加えた。

「慣れてきたらファンクラブを作るといい」

「ファンクラブ?」

「この店独特のやり方なんだけどね。君を好む女性たちがファンになる。ファンだから君のルールにある程度従わなくてはならない。時間制限とかね」

「でもそんなことをしたら」

「女性がつかないと思いますか? そこが違う。彼女ら女王様にとって、それこそが君の希少価値を高くするのです。その時間にしか会えない。君の武器になる。君に会う権利を得ようと、女王様たちは更に集まる」

「はぁ……」

 社長が使用期間を提示した。

「一か月。まずそれだけ来てみてはどうかな?」

「一か月、ですか」

「お互いを知ろうじゃないか。それで上手くいかないとなれば無かった話にしよう。だが私には自信があるよ。君はここで大きくなる」



 大樹は大きな茶封筒を持って出てきた。外に出てふぅっとため息をつく。後ろを振り返る、今上がってきた階段を。

 右側にある小さめのライトは階段の壁に下に向けてついている。男性たちのポスターは5段ほど下りた辺りから貼ってあるから、道行く人には分かりにくい。

 階段の降り口、右手に小さく鈍い金色で[Amante(アマンテ) segreto(セグレート)]とある。「秘密の愛人」という意味だそうだ。

(愛人……)

 体がぶるっと震える。性的関係は発生しないと聞いて安心したが、いざ心で呟いてみるとどこか生々しい。


「Hiroki、終わった?」

「ダンテ! どこに」

 急に表れたダンテに声を掛けられびくりとした。

「そこのカフェ。封筒持ってるってことは話、決まり?」

「一応一か月の試用期間ということで……というより、話を聞きたい。社長はイタリア人と聞いた。ダンテの知り合いか?」

「待って待って、どこかで落ち着いて話そうよ。そうだ、あそこのイタリアンは? お昼奢るよ」

「それは俺が出すよ」

「そう? 悪いな」

 そう悪く思っている様子も無く、ダンテは歩き出した。

 確かに道端で聞くようなことじゃない。そう思って大樹も黙って歩く。


 ほんのすぐそこだったからすぐに着いた。中に入ればイタリアンらしい陽気な音楽と、壁の緑、白、赤のアクセント。

 メニューを見て顔には出さないが驚く。

(ボロネーズ1,200円、ペペロンチーノ1,400円……)

 思わず、自分が出すと言わなきゃ良かった、という後悔が襲う。

「えっと俺はジェノベーゼ」

(1,500円……)

「Hirokiは?」

「ボロネーズ!」

 つい勢い込んで言ってしまった。お金を持っていないわけじゃない。汐は社会人はお金を持っていないと、と3万円も渡してくれた。けれど大事に使いたい。


「さっきの話。社長と俺ね。ちょっと言いにくいんだけどさ、オネストは俺の初めての人。俺を追っかけて日本に来たんだよ」

(どこかで聞いたような……イタリア人は追っかけるのが好きなのか? 初めての人って……)

「そのついでにあの店を始めたんだけど、今は俺より店に夢中ってこと」

「じゃ、紹介者の細野さんというのは」

「同じ講義を取っていた同級生。たまたまバイトの話になって聞いたんだ。で、俺も誘われたんだけど社長の名前を聞いて辞退したわけ。会ったらえらいことになるからね」

『初めての人』

 その言葉の意味を考えて、ダンテからちょっと目を逸らしてしまった。

「もう別れてるから。俺の居場所だって知らないはずだし」

 ダンテは細い封筒を出した。

「はい、これ」

 封を開けてみる。

「5万円……これって」

「細野の紹介料。要らないだろうから分捕った。それより大樹に使ってもらおうと思って。物入りでしょ?」

「でも細野さんは?」

「今飛行機の中。当分日本には帰らないよ。それくらい、ヤツにはどうってことない金だからさ、気にしなくって大丈夫」

「君はあそこがホストクラブって知ってたんだろ?」

「もちろん。短期間で稼ぐには持ってこいでしょ」

「昌や汐くんが知ったら」

「やめて! 俺が殺される! 本当にやめて」

「……まだ決心がついてないんだよ。俺には向かないと思うし」

「そうかなぁ、Ushioなら無理だけどHirokiは大丈夫だと思うよ」

「根拠は!」

「Hirokiはモテる! それに控えめな態度と、悪いこと考えなさそうな絶対的な信頼感がある。毒が無いって言うか」

(褒められてるんだろうか)

 大樹はそれほど自分を買いかぶっちゃいない。

「女性と話す機会もそんなになかった。正直そばにいたってどうしたらいいか」

「そこがいいの! 母性本能くすぐるよね、何も知らない30代ってさ。一か月なんてあっという間だよ、試してみる価値はあると思う。それに時間が自由になるって聞いた?」

「聞いた」

「じゃ、就活の片手間にやればいいでしょ? それならいいんじゃないの?」

 そう考えれば悪い話じゃないかもしれない。無収入で就活していると気持ちが落ち込んでいくようで。


「あそこのシステム、聞いた?」

「最初は壁の花。指名されたらその席に行く。その相手と話が合えば次も指名されるかもしれない。ファンクラブが出来るとかなり自由度が上がるって聞いたよ」

「そうだね、Hosonoが言ってたけど休みも自由になるってさ。ファンクラブの会長と連絡取り合って集まることになる」

「集まってどうするんだろう」

「だからお話。聞いたり、ちょっとしたアドバイスしたり」

「まるでカウンセラーだ」

「似たようなもんだね。それで金が集まって来るんだから言うこと無しでしょ」

「そこが分からない。どうしてそれで店側はやっていけるんだ?」

「まず会員制。あそこ、高いんだよ。で、ファンクラブを作るのに金がかかる。あ、Hirokiが出すんじゃないよ、ファンが出すんだ」

「出してもらえるほどの男だろうか、俺は」

「大丈夫だって! 店はホストを専属でファンクラブに貸し出すというシステムだから、かなり儲かるだろうね。そこから給料が発生する。ファンが多いほどHirokiの懐が潤う」

 やはり無理があるような気がする。自分にファンがつくなど、想像もできない。

 ダンテはにやっと笑った。

「まあ、悪いようにはならないって。安心してなよ」

  


「ただいま」

 いくらか腰の引けたような声に「お帰り!」「お帰りなさい!」という返事が重なった。二人が玄関に出迎えに来る。大樹の胸にチクリと痛みが走った。

 表情を見て汐は質問をやめた。

「大樹さん、コーヒーでいい?」

「あ、うん。ありがとう」

 昌はその辺り、まだ子どもだ。

「ね、どうだった? 受かった?」

「昌、その場ではすぐに分からないんだよ、就活の結果って。後で合否の連絡が入ると思うよ。大樹さん、今は次々と面接入れちゃって合格した中で選ぶっていうのが一般的だから」

 顔色を見て汐は上手く行かなかったのだと思っている。だからたいしたことじゃないように振舞っているのだ。

「いや、……一か月の試用期間ってことになった」

 コーヒーを放ったらかしにして汐は戻った。

「そうなの!?」

「うん」

「なら受かったのと同じだよ! なんだ、ダメだったのかと思った! 『試用期間』っていう言葉を気にしたんだね」

 汐が喜んでくれているのが痛い。

「大樹、書類見せてよ!」

「あ、」

 という間に昌にひったくられた。

「えっと、きざき……って読むんでしょ?」

「ああ、そうだよ」

「株式会社木嵜コーポレーション。接客業。細かいこと、何も書いて無いんだね!」

 有難いことに、対外的な書類は木嵜の名前となっている。オネストはイタリアにも会社を持っていて、言ってみれば木嵜は日本支部長、といったところだ。

 汐も覗き込んだ。いくつか職種があって丸で囲まれたのが接客業。

「固定給料が24万。悪くないね! 事務、営業、総務、……そうだね、大樹さんには接客業の方がいいかも。難しい技能が求められないだろうし」

 汐の言葉でちょっと沈み込む。

(違うよ、汐くん。この中で一番難易度が高いのが接客業なんだ)

 だが、そうは言えない。

「勤務時間未定、ってどういうこと?」

 昌の追及が次々と大樹を襲う。

「始めの一か月は3時から夜9時半。慣れてきたら移行するらしいんだ」

「接客業だからしょうがないね。通勤はスーツでいいんでしょう? 向こうでは制服ってこと?」

 一応大樹は頷いた。

(あれを『制服』と言うならば)

「明日採寸に行ってくるんだ」

「レストラン? 行ってみたい! ね、汐!」

「だめ、だめだ! その、慣れない内じゃ君たちを見たら失敗するかもしれない」

「そうだね。昌、しばらくは辛抱だ。大樹さんが慣れたらってことにしよう」

(まるで薄氷の上を歩いてるようだ……)

「あ、コーヒー」

「悪い、冷たいのが飲みたい!」

「OK」

 汐は氷をたっぷり入れて、淹れたてのコーヒーを注いだ。

「いいよね、氷で」

「うん、それでいいよ」

 がぶがぶっと飲み干す。

「緊張したんでしょ、慣れない面接で」

「そうなんだ。帰りももし一人だったら……」

 心細かった、と言おうとして口を閉じた。

「誰か一緒に行ったの?」

「いや、その、駅でダンテと一緒になったからって言おうとしたんだ」

「ふぅん」

(バレただろうか)

 バレる要素など一つもなく、会話が素通りしてほっとした。

「着替えて来るよ」


 書類をしっかりと握って立つ。自室でドアを閉めてへたり込んだ。

(終わった……今日のやることは終わりだ)

 それが何より嬉しい。

 明日採寸で店に行くのは本当だ。店というより、店からどこかに案内されるらしい。

(もうこうなりゃ自棄だ。やれるところまでやろう!)

 今、ポケットには9万数千円。5万円で出かけて倍になった。こうなったら、稼げるだけ稼いでしまいたい。

「3千万……」

 手術や医療費そのものは高額医療費の適用になるから思ったほどかからない。だが個室の差額代、特別食、学費、養育費……

(退職金も無かった)


『全て込みで三千万で許してやろう』


 高すぎる! とは言えなかった。いや、言わなかった。なけなしの意地が勝った。その場で借用証書を書き、サインし、期限は無し、利息無しの借金生活。高遠の最後の嫌がらせだ。払えるはずのない借金を背負わせることが。

「この5万円は貯金にしよう」

 返済用の通帳の間にしまい込む。細野の紹介料は、無かったはずの金だ。こうやって少しずつ貯めていく。期限が無いのなら、まとめて三千万を叩きつけたい。

 大樹の戦いは今、始まった。 

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