7.自立
「考えてみれば俺たちは汐くんのことを何も知らないね」
「うん……助けてもらってばっかり。リゾット作る」
「手伝うよ。俺も料理を覚えたい」
「俺たちもリゾットでいい?」
「いいよ。汐くんのだけしっかり煮込もう」
隣り合わせで野菜を剝く。
(なに考えてんの? 手続き終わったから……もういいの? 全部終わり?)
しばらくそうしていて、いきなり昌は包丁をダン! と置いた。
「びっくりするだろ! 静かにって」
「ちょっといい?」
二階に上がっていく昌の後ろを追いかける。
「大樹の部屋がいい、俺の部屋は汐の真上だから」
「いいよ、どうぞ」
部屋に入ったとたんに昌の強い口調が始まった。
「俺! 大樹のこと『お父さん』って呼べない!」
「だからそれはまだいいって言ったじゃないか。いきなり変わるなんて無理だと分かってるよ」
「それで大樹はどうするつもりなの? どうやって『親子』っていう形に近づいてくつもり?」
「それは……」
「手続きしたから終わり?」
「自然の成り行きに任せるしかないと思わないか? 無理に頑張ることじゃないだろう」
「なんで大樹は悩まないんだよっ、俺はずっと考えて」
「悩まないわけが無い、けどどこをどう」
「そういうとこがいい加減だって言ってんだよ! 大人のクセに! そんなことも考えないで母さんに迫って」
「昌っ!」
思った時には手が出ていた。昌の頬からパシーンと音が鳴った。昌の付き人になってから一度も手をあげたことが無い。大樹は自分の手を見て呆然としていた。
昌の顔を見る。あっという間に赤くなっていくその頬に手を伸ばした。
「大樹、ごめんなさい」
手が触れるより先に抱きつかれた。昌もあそこまで言うつもりじゃなかった。ただ、宙ぶらりんでいることに突然怒りが湧いただけだ。
「あんなこと……言っちゃってごめんなさい。言っちゃいけないことだって分かってる、だから」
自分の背中にだきついている手をそっと放す。
「怒ってないよ……怒ったけど、もう怒ってない。生まれた時からそばにいたのに俺たちはずっと他人で過ごしてきた。こんな言い方したらまた昌に怒られそうだけど俺も戸惑ってるんだよ。昌にどんな顔をしたらいいんだろうって」
分かっている。大樹はいつも優しかった。それは他人だから優しかったわけじゃなかった。使用人だからいい顔を見せてきたわけじゃない。『息子』を前に他人でいることが……
「大樹……辛かった? 俺の前から逃げ出そうとは思わなかったの?」
大樹が小さく笑う。
「あったよ。罪の意識が……それで逃げ出したくなった時が何度かね。でもそのたびに(残された昌はどうなるんだろう)って考えた」
二人は床に腰を下ろした。
「昌がさ、最初に覚えた言葉って『ひろ』だったんだよ。嬉しかった。そして……悲しかった、『おとうさん』じゃなかったことが。ほとんど俺といたから高遠さんのことを『おとうさん』と呼んだことも無かったけど」
昌が笑う。
「あれ、『クソ親父』だったから……そっか! 血が繋がってないんだ、アイツと! ちょっと嬉しい! ……俺、『仁科 昌』なんだよね?」
「そうだよ。慣れるのに時間かかるかもしれないけど」
「ううん。転校で良かった! 余計な質問攻めはいやだし」
急に腹が立ったのだが、今はそれは消えていた。もともと肉親の情そのものを知らない。そのことが幸いしているといっていいのか。
「家族関係って初めての気がする。また……腹立つかもしんない」
「何度でも受けて立つよ。心の中にしまい込むことだけはやめよう。それでなくても普通の親子とはだいぶハンデあるんだから」
「明日はどうするの?」
「免許証の手続きをしてくるくらいだ。汐くんの調子が良ければハローワークの手続きを教えてもらおうと思ってたんだけど」
「それさ、自分でできないもんなの? みんな最初は一人でしょ?」
「……そうだね」
「汐さ」
出会いを考える。父親の散骨で海に来ていたのをいきなり自分たちの事情に引っ張り込んだ。
「お父さんとのお別れで来てたのに巻き込んじゃって、一緒に暮らすことになっちゃって。世話になりっ放しでしょ? ストレス、それもあるかなって」
「そうか……本当なら自分のための時間を過ごすはずだったんだよね。……昌、自分たちで考えていこう。昌も気がついたことがあったら俺に言ってくれ」
「俺は学校のこと、もっと調べる。だから相談に乗って」
躓くからこそ、相手に手を伸ばす。捉まろうとして。助けようとして。だから躓くことに恐れないでいこうと大樹は心に誓った。
1時間もしない内に汐は起きてきた。
「横になってなきゃだめだよ!」
汐の顔色がまだ戻っていない。
「一緒に暮らしていくから話しておきたいことがあって」
「今日じゃなくたって」
大樹も今は健康優先でいて欲しい。昌の時に何度血の凍る思いをしたか……
「風邪を引いてるけど他はなんともないんだから」
大樹が妥協案を出した。
「じゃ、ソファで。何か飲む?」
「スポーツドリンクもらっていい?」
「君の家だよ、汐くん」
「でももう共同生活だよ」
昌にはこういう汐が不思議でならない。
「聞きたいことあるんだけど」
「なに?」
「来ちゃった俺たちが聞くことじゃないって思うんだけど、汐はこういう生活になって良かったの?」
「そうだね。ちゃんと話し合って一緒に住むことにしたわけじゃない。俺たちは汐くんのところに転がり込んだっていうのが正しいだろう?」
「そんなこと……俺は構わないけど」
「それでも。聞きたい、汐の気持ち」
「二人の行き場がないとか……そういうことに同情して、とかっていうんじゃないよ。ううん、それも無いってわけじゃないけど。俺……この家に一人でいる勇気が無いんだって思う。どこをとってもそこに父さんがいる気がする。トイレだとか風呂だとか、そんなとこから普通に出てきそうな……」
大樹には汐がまだ父親との別れが済んでいないように感じた。昌にはよく分からない。肉親とそこまでの愛情を築いたことが無い。
「だから……いいきっかけになったんだと思う。俺は二人に感謝してるよ、来てくれて。もしそうじゃなかったら……」
汐は家の中を見回した。
「この家を手放していたかもしれない」
「汐は強く見えるけど」
「……意外と俺ってだらしないんだ。さっきの見ても分かるだろ? 俺ね、二階の昌の使ってる部屋にいたんだ。父さんは大樹さんの使ってる部屋。夜中は両方のドアを開けたまま寝てたよ、なにがあってもすぐに気づくようにって。……そうだね、ゆっくり寝たこと無かったかもしれない。疲れてたのかなぁ。だからといって今ゆっくり出来るかって言うとそうじゃないんだ。風邪引いたのもそんな反動から来てるのかもしれない」
汐の目は真剣だった。
「いつか出て行くことになっても構わないから。けどせめてもうしばらくはいてもらえませんか? 昌も落ち着くのに時間かかるだろう? 良かったらここでその時間、過ごしてくれたらって思う」
二人に汐の寂しさが伝わってくる。そういう意味じゃ、三人は似たような状態にあるということか。
「俺たちこそ! 汐くんの申し出、心から有難い。汐くんの言う通りだ、俺と昌にも時間が必要なんだ。それがどれくらいになるのか分からない。知っての通り俺には生活力が無い。世間一般のことにだって疎い。年上のクセにって思うだろうけど……汐くんのアドバイスが欲しいって思う」
「じゃ、助け合ってやっていこうってことでいいんだね? 俺もここにいたい!」
「じゃ、決まりでいいね? 良かった……」
汐もほっとしていた。こうやって話してみたことで自分の気持ちの整理がついたと思う。
(俺、寂しかったんだ……)
「それで話しておきたいことって?」
大樹に促されて、肝心の話をしていなかったことに気づく。
「さっきの人、俺の伯父です。昔っから金のことになるとうるさい人で。それに俺が気に入らない。だから父さんがいなくなったから嫌がらせがしたくてたまらないんだ。それで権利もないのに家を売って金を寄越せって」
「次に来たらどうするつもり?」
「対応しません。今日は俺まで興奮しちゃったけどそもそも考える必要が無いんだから。だから俺のいない時でも家に上げないでほしいんです」
「分かったよ」
「分かった!」
「あと……ダンテのこと」
大樹と昌にとって、ダンテは謎の男性だ。隣のイタリア人の女性の弟だということは分かった。それから汐のことを熱烈に愛しているということ。
「ダンテは俺が高校二年の時に転入してきたんだ。俺の一年先輩なんだよ」
「年上なの!?」
「うん。知り合ったのは学園祭の時だった。実行委員長だった俺はその時ひどく忙しくって、……けど、その三日前に父さんが倒れて入院になったんだ」
「委員長、代わって貰ったの?」
昌にはそういう世界がまだ分からない。学校の行事さえほとんど出たことが無かったから。
「言わなかったんだ、迷惑かけるの分かってたし。でも何かあった時には代わってもらえるように準備はしとこうと思って……今考えれば相当無理したんだろうな。放課後さっきみたいな発作めいたものを起こしちゃって」
「周りはびっくりしたろう?」
「一人だったんです、その時。カバンの中にいつも袋持ち歩いてたんだけど上手く行かなくってカバンの中身はぶちまけちゃうし、袋は破けるしで」
その時の辛さが昌に伝わってくる。たとえ心臓病ではなくても胸の痛みと呼吸困難がどんなに恐ろしく感じさせるものか……
「気がついたら保健室のベッドの上。気を失った俺を運んでくれたのがダンテだったんです」
「だから君はダンテを呼んだの? それからずい分経つだろうに」
汐の顔が情けなさそうな顔になる。
「実行委員を手伝ってくれて……その頃の俺って結構無茶してたから何度か発作起こしちゃってその度に世話になったんです」
「お父さんは君の状態を知ってた?」
「いえ。心配かけたくなかったから。でも、それからが大変で。その、ダンテに言わせれば一目惚れだったとか。一人で倒れてた俺を抱き上げた時に、えと、クラッと来たんだ、だのなんだの世迷いごとを吐くようになって。いつ発作を起すか分からないからって俺のそばを離れないし」
「きっと病弱に見えたんだろうね、君のことが」
「だとしても、ですよ! 俺、男ですから! あいつだって男だし。ゲイだったなんて後出しされても」
「でも彼は先に卒業したんだろう?」
「いえ、アイツ、留年したんです、試験ボイコットして」
「……汐のために?」
「うん、また何かあったらどうするんだ、とかなんとか。他にも友人はいるからとか保健室に行くとかって言ったら、他の人間になんかに任せられるかって」
それに比べたら、と昌は考える。
(俺、別に大樹とキスなんかしたくないし。じゃ、俺のはなんだったの?)
ここでやっと昌は違う意味で大樹を好きだったのだということを自覚した。あれは恋じゃない、憧れめいたものだったのだ、と。
「ダンテはどうしたいの? 汐のために高校留年して、今度は大学留年して」
「パートナー制度って知ってる?」
「知らない」
大樹もそれは知らない。そういう話題には縁なく生きてきたのだから。
「だよね、普通知らないよ。それになりたいって言うんだ、俺と」
「パートナーになったらどうなるの?」
「……結婚と同じ意味」
「汐、奥さんになっちゃうの!?」
「ならないよっ! 第一向こうが勝手に熱上げてるんだよ!」
ここで大樹が現実に立ち返る。
「汐くん、熱測りなさい」
「俺は熱上げてないです!」
「じゃなくて、風邪。頬に赤みがさしてるけど健康的な色には見えないよ」
今度は違う意味で汐は赤くなってしまった。
「ありがとう」
大人しく体温計を脇に入れる。熱は上がっていて、昌が汐の部屋から氷枕と毛布を取ってきた。
「話し続けるならそこで寝て!」
きつく言われて仕方なく横になった。
氷枕に横になった汐の額に大樹が手を置いた。そんなことをされたのは小さい頃以来だ。具合の悪いのを今まで押し殺してきたからだ。だからちょっと照れくさくなる。その雰囲気を察したのか、大樹の手が下りると今度は昌が手を載せた。
「なんだよ、昌まで」
「『手当て』って、手を当てるから『手当て』って言うんだって。お腹とか痛くても手を当てるでしょ? 汐の熱が早く下がりますように。そう思ってさ」
途端に汐は真っ赤になった。
「こ、子どもじゃないんだから」
とは言いつつ、嬉しいものは嬉しい。
「さっきの話。熱愛云々は置いておいて、汐くんはダンテを信頼してるんだね。発作を起して真っ先に呼んだのはダンテだった」
それにも赤らむ。自分でもその傾向があるとは思っていた。
「あいつは……なぜか安心するんだ。言葉だけじゃない。困るけど実行力は半端ないから」
「確かにね」
「結局学園祭はダンテのお陰で出来たようなもんだったし。生徒会の仕事も手伝ってくれて」
「汐、そんなに忙しかったの!?」
大樹と昌が呆れているところにチャイムが鳴った。
「はーい」
昌が飛んでいく。こういう応対もしたことがなかったから、昌にはなにもかもが新鮮だ。
「Uahio、どう?」
噂のダンテだった。手にはミックスジュースの入った大きな水差しある。汐が毛布に潜ったから大樹はすぐに引き下ろした。昌もよく毛布に潜ったものだ。
「ど?」
ダンテが汐を覗き込む。さっきのことがあるから無碍にも出来ない。だがダンテは慎ましやかな紳士となっていた。大樹や昌のように額に手を載せるから、またもや汐は赤くなる。
「熱、あるね。パイじゃなくてなんかデザート作って来るよ。何がいい?」
「いいよ、ジュースで」
「だめだって。Hiroki、だよね? 夕食はなににするの?」
「俺は料理できないんだよ。作るのは昌で」
「今日はリゾット。野菜たっぷりにして」
「ああ、だめだめ。じゃ夕食を運んであげるよ。Uahioはビシソワーズがいいだろ?」
思わず頷いている汐。
(これ、ひょっとして汐くんも自覚無いのかも?)
恋愛は別にして、しっかり餌付けされているように見える。
「じゃ、7時半きっかりに食事をお持ちしますよ、la mia Uahio(俺の特別な汐)」
「うるさい! 黙って飯だけ持ってこい!」
にっこりの笑顔を残して、ダンテは去って行った。
「しかしめげないね、ダンテは」
大樹には新しい世界だが、開拓はしたくないものだ。
「あれが愛ってもんなんだね。俺にはまだ理解できないや」
「理解しなくていい! アレを恋愛の代表にするな!」
「もう話は終わり! 汐くん、部屋に戻りなさい!」
これ以上熱が上がってほしくない。
「昌、学校の下調べでもしよう」
「うん」
これで深水家はやっと静かになった。




