5.お返しとご挨拶
次の日は10時に三人で家を出た。二人の生活に必要な物のリストも持ってきてある。
「悪いよ、汐くん」
いったんは大樹が断った。
「働き始めたら返してもらいます。だから気にせずに買ってください」
言い出したら引かないのだと二人とも分かってきたから有難く汐の申し出を受けることにした。昌が大樹に耳打ちする。
「頑固だよね、汐って。俺たちのお父さんみたいだ」
頷き返すことも出来ず、大樹はズキッと来た胸を押さえた。
「そんなに高いの買うの!?」
昌が驚いたのは、お返しの品だ。お返しだけはデパートで買う。
「二人の引っ越しの挨拶も兼ねてだよ。一緒に挨拶に行くからね」
選んだのは、生そばのセット、約5,000円。
汐は二人に言い渡した。
「これに懲りて、誰かが具合悪くっても近所には漏らさないこと! 祝い事なんかもだよ。分かった?」
「分かった。悪かった、汐くん」
汐はため息をついた。
「最初だからしょうがないよ、挨拶で治ったって言うから話合わせて」
「ってことは治ってない?」
「目が回ってる」
昌は慌てて椅子を探した。エレベーター脇にソファがあるのを見つけて、いい、と言うのを大樹が引っ張って座らせた。
「帰ろうよ。治ってから買い物に来れば」
「そうしよう、汐くん」
「……今日も差し入れ来ちゃうけど。そっちが嫌だ。ちょっとだけ休ませて」
仕方なく休憩を取ってからワンランク下のショッピングセンターに行った。
昌のものはたいしたこともなく済んだ。持ってきたものもあるし、本人も今どきの高校生らしいものを選んでいる。コットンスラックスを一本買わせた。
「ジーンズでいいよ!」
「ご挨拶用! ジーンズは普段着だろ?」
大樹には男性用のマネキンをあれこれ見せて、選んでもらった。
「困ったらマネキン見て。もう寒くなるんだから上着もね」
スーツ用のコートなら持っているのだ。だから職に就いても困ることは無いと思う。
買い物を終わらせて、面倒だからとそこで食事をとった。家に着いたのは2時近い。
「寝る前に終わらせたい」と汐が言うから二人は着替えて汐に従った。
「端から片付けるからね。最初は大野瑠衣さん。お子さん無し、ご夫婦だけ。笑顔忘れないで」
汐がチャイムを鳴らした。
「はーい」
「深水です」
すぐにドアが開いた。化粧ばっちりに驚くが、昌は懸命にも黙っていた。
「昨日はありがとうございました。お蔭さまで元気になりました。これ、お借りした器です」
「まあ! いいのに」
「それからこれはお礼とこちらの二人の引っ越しのご挨拶です」
すっと汐が避ける。どきり、としながら大樹が頭を下げた。
「仁科大樹と申します。この子は昌です」
「高遠昌です」
「この先お世話になります。よろしくお願いいたします」
「お願いします」
「ま、奥さまは?」
「おりません」
目を見開いた顔から質問が余計な所へ飛び火しそうなのを見て取った汐は、話をうまい具合に切った。
「寝込んだのは初めてです! 本当に助かりました」
「もういいのかしら? 良かったら今日も」
汐は害のない満面の笑顔を浮かべた。
「煮物のお陰ですっかり元気です。今日はラザニアにするんですが、お届けしましょうか?」
「あら、ご心配なく。そう、良かったわ! また何かお困りごとがあったら仰ってね。大樹さん、そうお呼びしていいかしら」
「はい」
「大樹さんも遠慮なく仰ってくださいな。なんでしたらご近所をご案内しますから」
「お心遣いありがとうございます」
ようやく大樹の営業スマイルが出てきた。こういった対応なら慣れている。
大野宅を辞して、昌が実に相応しい感想を述べた。
「うるせぇババァ。来る気満々だったね」
「大野さんはラザニアが苦手なんだ。後7軒残ってるよ」
「うげぇ」
似たような家が数軒。
「今の人いくつ?」
「アイ子さんだろ? 57」
「大樹のこと、舌なめずりして見てた」
「父さんのこともそうだったよ」
「引っかかるなよ、大樹。すげぇ若作りでびっくりだ!」
林家。おばあちゃん姉妹だ。
「日和さん」「沙代里さん」、汐はこう呼んでいる。年寄り扱いされるのが嫌いな82歳と79歳。昌は心の中で(200まで生きそう)などと失礼なことを考えた。でもこのおばあちゃんたちは気さくだった。
日和さんは汐がお気に入りらしい。汐が唯一文句を言わずに食べた煮魚は、日和さんが作ったものだ。
沙代里さんは昌のことを気にかけた。遠方にいる孫を思い出すと、お小遣いまでくれた。
「こんな、いいです!」
「子どもは黙って受け取りなさい。子どもが一番欲しいものくらい知ってますよ」
張りのいい肌の中で悪戯っぽい目がくりっとして、可愛らしいおばあちゃんだ。
「昌、お礼を言って」
大樹が口を開く前に汐が声をかける。
「汐ちゃんったら。お付き合いもオールマイティで驚きますよ。あ、挽きたてのコーヒー豆があるのよ。持っていく?」
「ありがとう! もらっていきます」
日和さんが昌に笑いかけた。
「ね? ただお礼を言えばいいの。遠慮はだめ」
林家を出て昌は素直な感想を言った。
「いい人たちだね」
「だろ? 俺はあの二人だけは大事にしてるんだ」
「分かるよ。いいお付き合いが出来そうだ」
大樹は自分が特別にならなかったことが嬉しいらしい。
「さて! 気合い入れるぞ。何を聞いても動じないこと!」
霧島邸だ。つまりダンテの家。
霧島当主の四朗は元外交官だ。ヨーロッパをあちこち回って、イタリアでフィオレという魅力的な女性と知り合い、結婚した。
帰国する時に、是非日本で暮らしたい、というドゥランテも来日した。フィオレは五人兄弟。その末っ子だ。フィオレも四朗も猫っ可愛がりしている。驚くのは、ドゥランテの同性愛が霧島家では公認のものだということだ。
「愛に国境も性別も無いからね」
と豪快に笑う四朗。お蔭で汐がえらい目に遭っている。
「汐です!」
荷物を大樹に持たせて、汐は一歩下がった。
「Ushio!」
飛び出してきたのは、ドゥランテ。いや、ダンテ。抱きつこうとしたその腹に汐は肘を突き入れた。
「ぐ、」
「フィオレは?」
苦しそうに腹を押さえたダンテは家の中を指差した。ダンテを置き去りに汐は入って行った。どうしていいか分からない大樹と昌は、汐とダンテを見比べている。
「なにしてるの? こっちに来て。あ、ダンテは放っておいていいから。介抱されるの待ってるだけ」
「Ushioー、痛いよぉ」
「アメフトじゃもっと痛いだろ。フィオレ、汐です、入ります!」
「どーぞ」
出てきたフィオレに昌は目を奪われた。いや、大樹も。腰まであるブラウンの巻き毛が風にそよぐ。レースのブラウスは胸元まで開いて、タイトスカートは膝上のミニ。可愛らしいえくぼのある超セクシーなモデルみたいな女性だ。
「いらっしゃい、Ushio。ダンテ、またハグしてもらい損ねたの?」
「フィオレ、俺その趣味無いっていつも言ってるよね」
「でもダンテはいい子よ。お似合いなのに」
「そ・ば。好きでしょう? 引っ越し祝いと昨日の差し入れのお返し」
「やった、大好き!」
頬にキスを受ける。
「俺も!」
と頬に唇を近づけたダンテには、思いっきり鼻を摘まみ上げてやった。
三人はフィオレからコーヒーと紅茶を振舞われた。紅茶は昌だ。ダンテが凝りもせずしっかりと汐の隣に陣取る。汐は出来得る限りテーブルの端に寄ったのだが、ダンテは椅子をぴったりと付けてきて、昌は吹き出したくて堪らない。
「Ushio、いつ大学に戻る気だい?」
汐はちょっと考えた。目的の違う休学だったが、このまま行けばダンテと学年が変わる。これはちょっと、いや大いに有難い。
「3月まで。悪いな、先輩!」
「そうか、俺もちょうど3月まで休学したんだ」
「なんで!」
思わず立ち上がった汐。いやな汗が流れる。
「もちろん、Amoreのためさ! 俺のいないUshioなんて考えられない!」
「考えられる、充分すぎるほどだ! フィオレ、いいんですか、こんないい加減なことで休学するだなんて!」
「私には気持ちが分かるの。四朗のいない生活なんて無いのと同じだもの」
「俺は!」
「座れって。だからいつでも会えるんだ。Ushioのところで毎日パイを作ってもいい」
「そこまでして食べたくない!」
昌も大樹もただ口をあんぐり開けて見ている。愛しているから休学? 毎日パイを作りに来る?
(重たいって言うか、粘っこいって言うか……頑張れ、汐!)
力にはなれないが、心の中で昌は応援している。
大樹はただただ唖然としているだけ。
(『イタリア男』ってすごい)
それでも失礼にはならないように律儀に汐はコーヒーを飲み干して、ついて来ようとするダンテを躱しつつ霧島家を出た。
「つかれた……寝たい」
「もうこの後はないでしょ? ゆっくり寝なよ、俺はこれから先のこと大樹と決めたりしてるから」
大樹は今度こそ気持ちを固めた。話すしかない。そうしなければ昌の未来も先に進まない。
「昌の言う通りだ。汐くんはしっかり休んでくれ。俺は……昌と話すから」
きっぱりと言い切った大樹を見て、汐は大樹を見直した。
(頑張って! 実の親子なんだから。手続きは手伝うからね)
自宅に戻って真っ直ぐ寝室に向かった汐は、もう何も考えずにぐっすり眠った。
「昌、なにか飲むか?」
「ううん、もういい。でさ、学校、自分でも調べてみたんだけど」
「その前に俺から話しがある。ちょっと待ってて、取って来るものがあるから」
大樹は二階に上がった。ちょっと大きな封筒を出して握りしめる。大きく深呼吸して下に下りた。
「まずこれを見てくれ」
「なに、これ?」
「戸籍謄本。昌の」
昌は広げた。なんとなく見ている昌の目が見開いていく。
「なんで……父親のとこ、なにも無いの? クソ親父の名前は?」
「昌、気を落ちつけて聞いてほしい。高遠さんは」
いよいよ、真実を告げるのだ。受け入れられなくてもこれは伝えなきゃならない。
「昌の本当の父親じゃない。だから認知されてないんだ」
「それって……俺、私生児、?」
大樹は大きく頷いた。唇をキッと引き締めた昌の目に怒りが宿っている。
「誰さ、ホントの父親って。分かってるの? 浮気したのは母さんの方だったの? あ、そうか、だからクソ親父も姉貴も兄貴も……」
母親までもが愛が無かったとは言いたくない。高遠に当てつけのように妊娠した、綾子……
「浮気、とは違う……昌、本当のことを言う。君の父親は」
「父親は?」
「俺だ、昌。俺が父親なんだ」
昌の口が開いて閉じる。ただ大樹を見つめている。
「信じられないだろうね。黙っていたこと、悪かったと思ってる」
「……うそだ。大樹は、……うそだ、私生児の俺が可哀そうだから言ってるんでしょ? ……俺が『好きだ』って言ったから? 迷惑だから……父親だって」
「そんなわけ無いだろう! 俺には大切な一人息子だ、血を分けた親子だから」
「じゃ、なんで認知しなかったのさ! 大切だったらそこ、空欄になってるわけ無いじゃないか! 証拠だって、俺が大樹の息子だって証拠は!? 母さんはいない、何の証拠があって」
「必要ならDNA鑑定を受ける。証拠が欲しいなら。ののしったっていい、でも信じて欲しい、いつだって昌を思うからこそそばにいた。今の俺には……昌しかいないんだ」
昌は戸籍謄本をぐしゃっと潰して大樹に投げつけ、階段を駆け上がった。
「昌!」
ドアがバタン! と閉まった。




