第二話:彼方の空から花を摘む
ちょっとグロいかも(?)です
「大丈夫です。」
囁いた声は優しく、そして力強かった。
ぐらりと揺れていた私の中心が、その声によって少しだけ定まる。
「っ!?」
かと思うと、夕菜の姿が不意に掻き消えた。
「安全な空間へ移送しました。まもなく回復するでしょう。命は保証します」
何をしたのかはわからなかったが、何かをしたのは明白だった。
命は保証します───その言葉を聞いた瞬間、身体から力が抜ける。
「…っあ」
我ながら情けない声を出しながら倒れると、その誰かは腕を差し伸べ受け止めてくれた。
だからようやく“その誰か”を見ることが出来た。
端整な顔立ちの、私より少し年上の男の人で。
すごく、綺麗な瞳をしていた。
しばらく私は、その瞳の中で燃える夕陽から、目を逸らせなかった。
だが、不意に体がふわりと浮く。
「───…えっ?!」
「まずは“あれ”を倒します。しっかり掴まっていて下さい。」
その人はこともなげにそう言った。
えーしかしですね?この体勢で何を掴めと?ってかこの体勢どーなってんのよ!
そう、私はその人に片手でお姫様だっこというか、つまり抱き抱え?(漢字にすると面白いな)られていた。
だから、近い。
「あっ、あの重いから大丈夫ですっ!」
私があわててその手から逃れようとすると、その人は余計にしっかり…。
「重くないですよ。それに…」
そう少し微笑して、うってかわって温度のない表情に変わった。
「貴女に害する者が、いますから。」
そしてその玲瓏として冷えきった瞳は、さっきの“何か”へと移る。
私もつられて、視線を注いだ。
そして、言葉を失う。
「───っ!!」
そこにいたのは、間違いなく、そして紛れもなく、人ならざるものだった。
シルエットこそ人だが、体は植物の蔦のようなもので覆われ、顔はおろか肌色は欠片も見られない。
いや、体の表面は僅かに見えている。だが、それは肌色と呼べるものではない。
肌を、血管を、神経を突き破り、植物が顔を覗かせている。
手首であった場所から血管が垂れていた。
植物の作用だろうか、“それ”の膝がかくんっと傾げ、突き出た骨はぼろぼろと崩れながら植物を支えていた。
異常。
それ以外に表せる言葉を、私は持たない。
「…なっ…なに…!!」
余りのおぞましさに体が震える。
身の毛もよだつ、という体験を初めてする。
「あ…あぁ…っ!」
絶叫しそうになった時、私を支える誰かが、ぐっと私の顔を引き寄せた。
「見なくていいんですよ───…今は、まだ。」
「…え…」
飛び込んできた瞳、私は世界を一度取り戻す。
だが急に、強い風が私を通り抜けた。
「…っ!!?」
否、大気ではなく風でなく───“私が動いている”。
そしてその人は、声を上げる。
「火炎よ、深淵で謳い、天を穿て───メルトラ!」
瞬間、世界が色を無くし、白が辺りを支配した。
次の刹那、その人が手を向けた先で、爆音が響く。
「───っ!?」
私は訳もわからず、たった今起こったことを脳内で再生してみた。
えーつまりですね?この人が呪文らしきものを言ったら爆発とか起きて、それがまた半端なくて、っていつの間にか私宙に浮いてるんですけど!!!
誰かこの状況を例の古畑さんみたく、鮮やかに説明して(泣)
「…効いたか…?」
いやいや、こんなの効かなかったらお手上げっすわ、と心中で突っ込んでいると、またもや風が私を突き抜けた。
そして眼前に、黒い奇妙なシルエット。“それ”が私に飛び掛かってくる───
「っアウェルト!」
ドンッッ───…きつく瞑った目を開くと、遥か下の地面に“それ”が叩きつけられていた。
まさかその人が蹴り落としたのだろうか、何かを蹴った体勢をしている。
「…」
下を見て、視力が余り良くないことに感謝する。
ふとその人を見やると、少し辛そうな顔をしていた。
だが私の視線に気付いたのか、ふわっと微笑を浮かべて優しげな声で言った。
「何も心配することはありません───貴女は私が、守ります」
「───!」
そう言ったと同時に、急降下する。
頭が痛くなるかと思ったが、何の変化もないことに驚いた。
「…火炎よ、大気よ、乾きを求めるなら否定せよ、在らざる万緑を絶え果たせ───」
空気にノイズが走る。
地面はすぐそこで、笑顔で私達を待っていた。
「───イルヴィジア!」
その叫びはその人の手を透り抜け、いつしか小さな光となり、真っ直ぐに“それ”へと向かう。
光は私達が地面に向かうよりもっと速く、“それ”に急降下していった。
「───っ」
来るべき爆発に備え、私は目を瞑り、その人にしがみつく。
次の瞬間、───爆発は起きなかった。
「…ぁ」
だが、確かに何かが根本的に壊れる音がした。
「な…に…──!!!」
目を開けると、地面とキスする直前から急旋回で、ふわりと優雅に着地する私。
言葉の出ない動きに、やっぱり私は言葉が出ない。
一息つくと、その人は私に向き直った。
「…挨拶が遅れましたね、私はルノエル・メイフェイアといいます。」
「は…はい…」
やっと一息つけ、改めて私はその人───ルノエルさんを見た。
夕陽で髪の色は紅いが、おそらく金色、瞳は澄んだサックスブルーで、落ち着いた光が宿っている。
私より高い背は180くらい?すらりと無駄のない体つきだった。
随分かっこいいいい人だな…と、思わず見惚れてしまう。
───ピシッ
不意に、背後で───“それ”がいる場所で、何かが割れる音がした。
「なっ!?」
まだ生きてるの!?
私は恐怖でぴくりとも動けない。
背中が騒つく。
夕陽の赤が、夕菜を脳裏に甦らせる。
「…」
だが、ルノエルさんは私の背後に向かって歩きだした。
その瞳に映る感情を、なんというのだろう?
ルノエルさんは私を通り抜けて、音源へとたどり着いた。
私はまだ動けない。
張り詰めた緊張が心臓をわしづかむ。
だがそれを破ったのは、ルノエルさんの声だった。
「…冴香さん」
名を、呼ばれる。
どうして私の名前を知っているの、とかそんな疑問は浮かばなかった。
只、彼の言わんとしていることが、わかってしまった。
私は意を決し、後ろを振り向く。
そして、瞳が見開かれる。
「…な、どうして…?!」
そう、そこに倒れていたのは、まだ私よりも幼い少年だったのだ。
黒い不気味な何かではなく、どこにでもいるような、10歳位の・人間。
既にその幼い瞳に、光はない。
だけど異様なのは、ちょうど心臓の場所にある、小さな白い花だった。
まるでそれは少年を苗床にしているようで、傷付いた体の血を吸い、その白さは美しさを増していく。
「───嫌…!!」
視線が逸らせない。嫌なのに。私には関係のない事象なのに。
だが誰かが耳もとで囁くのだ。
これは、私のせいなんだ、と。
「───ぁあ…!」
再び絶叫が身を焦がしそうになる時、視線が途切れ、頬に手があてがわれる。
「貴女のせいではありませんよ」
何が起きたのかさっぱりわからないけれど。
それはとても温かくて、優しくて、切なかった。
そして少年が、唐突に消え去る。
「!?」
電子画面から消去されたように。
只残ったのは“花”だけで、その花も瞬く間に茶色く変色し、砕け散った。
「───…」
いいようのない絶望感。
あの少年は、一体なんだったのだろう…?
「あの…ルノエルさん…」
私が呼び掛けると、ルノエルさんはこちらを振り向いた。
立ち上がり、私の方へ向かって来る。
そして、静かに私に手を伸ばし、口を開いた。
「貴女を、お迎えにあがりました」
それは、ある夕陽が綺麗な日の出会い。
必然で、運命で、誰かの脚本通りの出会い。
だけど、私を変えた、出会い。
「…え…?」
直に日が沈む。
風が私を透り過ぎた。