宝の山にフル・ア・ヘッド!(前)
若い頃って、宝探しばかりしてました。
いつもの事だ、力が続かないのは
いつもの事だ、約束を破るのは
いつもの事だ、楽しみを投げだすのは
それらはいつも他人を
真似てばかりいて
自ら考えを巡らせ判断し
決めて動いた日々ではなく
人から与えられた約束であり
楽しさだったから
他人の格好、他人の言葉
他人の話し方、他人の表情
他人の活動……
いつも、他人の目線の中
視線の範囲で自分が
動いてきたからに
違いない
他人が見て居れば
自分への評価が上がるだろうか
偉い人の言ったことだから
自分も言ってみれば
凄いと思われるだろうか
ちがう!
それらは、単なる「優越」でしかない
一時の優越感でしかないんだ
人が見て居ないと
そこに価値を見出せないようでは
自分の生き方が定まるはずもないと
考えるようになった
つまり、誰も見て居なくとも
やろうとした事は
自分との「契約」なんだと思う
ある日から、自分自身に
我慢強さなり、腕力なりの
力をつけようと決める
そして心に決めて
「ようし!」と言った時点で
「決意」になり、これを
「心の契約」だとしよう
与えられた仕事であれ
運動であれ 訓練であれ
まず第一歩である今日をやり切る
この時に覚えておきたい事がある
スタートした時から胸の中に
「バトン」というイメージを
刻みつけ
ちょうど運動会の大リレーを
頭の中に描くようにすることだ
今日を全力でやり切り
生き抜いて一日が過ぎる
この時がちょうどリレーの
一周になると考えればいい
リレーなら当然バトンを
次の選手に渡すわけだが
この頭の中に描いたリレーでは
バトンを手渡す相手が
自分自身であるということ
明日の自分である
「今日の自分は、明日の自身の為に
走るんだ」
人生は長い長い
大リレーの連続なんだよ
そうして昨日の自分から
託された「契約のバトン」で
また今日も
「あと一日やればいいんだ」
というぐらい軽いステップで
行くんだ
毎日毎日なんて思うから
気が重くなるんだよ
これが「継続」になる
続けるということには
頑張りが必要だ
いつも一日だけを
頑張ればいいんだね
読んで下さってありがとう。