1 僕は何気ない会話をする
2020/9/18:誤字報告ありがとうございます。
2020/10/2:リメイク投稿
あの日から長い年月が過ぎ――――いや、そんなに経っていないな。
奇妙な出来事に遭遇して既に数週間後。晴れてこの僕、新庄緋色は色咲高校の二年生として学校生活を謳歌することができた。
最初の頃は見慣れないクラスメイト、難しくなった授業に四苦八苦していたがそれも過去の話。
一年の頃と何ら変わりのない生活を送っている。……あのときの不安感は何だったのだろうか。
意外にも図太い性格だったことに少しだけ落胆する。かと言ってそれが悪いことではないが。
「はい、これで今日の授業は終わります。皆さんさようなら」
ぼんやりとしながら考えているといつの間にか担任は消え、授業が終わっていた。
周りを見ると皆、机の物を片付けている。さてと、僕も帰る準備をするか。
「おっす、緋色」
いそいそと机に散らばっている教科書を鞄に詰めていると前の方から級友である緑沢斗真に声をかけられる。
寝不足気味なのか、彼の顔に疲れが見えた。
「おっす、じゃないだろ斗真。今日も寝不足か?」
「悪い悪い。でもしょうがないだろ? バイトが忙しかったからさ」
「それは分かるが……あまり無理するなよ」
斗真の家は母子家庭だ。家の生活費、学費を賄うために深夜ギリギリまで働いている。本当ならこんな生活止めさせたいが……家庭の事情に口を出すのは烏滸がましいにも程がある。
それが分かっているのか斗真も僕に対してなにも言わないでくれている。
「ありがとな。でも今日はバイトもないし、家でゆっくりするさ」
「そうしろ。明日提出の課題でもやるんだな」
「げ、そうだった。教えてくれてサンキューな」
たわいもない話をしていると教室には殆ど人がいなくなっていた。大体の人が部活か帰宅の二択だろう。
そろそろ僕達も帰るか、と斗真に目配せをする。
すると突然、廊下側が騒がしくなる。
斗真は来たか、といった表情でそちらを見ていた。
「おい緋色、見てみろよ。聖女様の行進だぞ」
斗真が指さした方向を見ると一人の女子生徒が野次馬に囲まれながら廊下を歩いていた。
彼の言う聖女とは、僕達の学校へ入学してきた一年生のことだ。
黒崎刹那。今年から我が校に入学してきた一年生だ。
たかが新入生の名前が上の学年まで通っているのかというと……彼女の容姿が原因する。
腰まであるストレートの黒髪、陶磁器のように白く滑らかな肌。少しだけきりっとしている瞳は知的で美しく、精巧な人形を思わせる。これだけでどれだけ美少女か分かるだろう。
それに加え成績優秀、品行方正とまさに完璧の二文字を体現しているような人物だ。
更に彼女は誰にでも優しい。困っている人がいたら声を自ら声をかけ、知らない相手や上級生だろうが話しかけられても笑顔で応じる。
これが聖女と呼ばれる所以だ。
そんなわけだから非常にモテる。凄いモテる。まだ入学して数週間しか経っていないのにも関わらず。
しかし、その全てを彼女は断り、告白していった者は撃沈していった。その中にはサッカー部のエースや学校一のイケメンもいたそうな。
そのせいか同性愛者とも囁かれているが……本当のことは誰も知らない。
「こっち来るぞ」
顔に似合わずそわそわしている斗真。お前もか。
渋々彼に従い、聖女が通るのを待つ。
空いている窓を眺めているとその瞬間はすぐに訪れた。
学校指定の鞄を持ち、廊下を歩く聖女。彼女を守る騎士の如く、周囲を囲っている取り巻き。
その光景は斗真の言う通り正しく、『聖女の行進』だった。
「相変わらず大変そうだな聖女も。俺だったらあんな奴らと居れば一日で体調悪くなる」
「……そうだな」
確かにあれだけの人に囲まれていたらノイローゼにもなるかもしれない。その上全ての視線が自分に向けられているとなればもう最悪だ。取り巻き全部が良心で周囲を守っているわけじゃないし、あの中には邪な気持ちでいる人もいるだろう。
そう考えると彼女の対応はもはや神々の領域に達している。
思わず彼女に対して敬礼しそうになった。おお聖女よ、お務めご苦労であります。……一体なにを考えているんだ僕は。
「おい、聖女がこっち見たぞ」
変な想像をしていると斗真から肩を小突かれる。慌てて現実に意識を戻すと聖女がこの教室を見渡していた。
右左へと顔を動かす聖女。視線が合ったような気がして少しどきり、とする。
「なんだろな。……まさか意中の相手でも探しているのか?」
「それはないだろ」
流石の聖女も白昼堂々と意中を探すという愚行はしないだろう。
あれだけ騒がれていたらどうなるか分かるはずだ。
聖女の様子を見た取り巻き達が騒がしくなる。そのせいか、彼女は視線を廊下に戻し、そのまま過ぎ去って行った。
「いいもの見れたし、俺達も帰るか」
「悪い。今日は用事がある」
斗真の提案を断る。
それを予想外だと思ったのか、斗真が驚いた表情でこちらを見てくる。
「なんだ、用事って? ……もしかして彼女か?」
「違う」
「照れるなって。俺だけは信じているからさ」
「だから違うって」
小声で僕の耳元にささやく斗真。
全く……こいつの調子に付き合っていたら身が持たない。
「ということだから今日はごめん。また明日」
「おう。彼女さんによろしくな」
だから違うって言っているだろうに。
手を挙げながら教室を出ていく斗真を見送る。さてと、僕も向かうか。