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―――退屈な毎日だ。
マティスは行儀悪く机に脚を乗せ、朧げな目を宙に浮かせて思った。
彼は古く朽ちた古城を住処にしていた。足場はボロボロと崩れ、雨風を防げる程度の住居だったが、彼にとってはそれで十分だった。
腹はそこらの獣を獲って満たせばいい。水場は周りの荒野を越えた川を使えばいい。それだけだ。
―――それでも、退屈というものは過ぎれば馬鹿にならないものだった。
此処に居を構えてから、幾年もの時間が流れただろうか。
50年、100年……
悪魔族であるマティスでも、それは中々に鬱屈とした期間だった。
だが、他にやることもない。マティスに出来る事と言ったら、その日その日の飢えを満たす―――その程度だった。
(仕方無い……今日の食事でもしてくるか)
ふんっ、という声と共に椅子から降りて、地に足を付けたその時。
「……ん?」
何かの、風音がした。ひゅううぅ……と頭上から聞こえてきたそれは。
案の定、古城の天井をぶち破ってマティスの前に現れた。
「……ゴホッ、ごほっ……なんだっていうんだ、一体……」
舞い散る大量の砂埃に参りながらも、『その』正体を見極める。―――人影?
埃が床に落ちたあと、その姿を見る限り、それは人の形をしていた。
砂に塗れているというのに、綺麗な顔だ、そう思った。それは少女の見た目をしていて、今は目を閉じていた。
とりあえず、生きてるかどうか確かめようと思い、頬を叩こうとして『右肩』に力を込めた。
マティスのその虚空の場所から右腕が生え―――少女の顔を平手で軽く叩いた。
「……ん」
どうやら生きているようだった。
「……おい、起きろ」
「うぅ」
そのうち、少女の目が開いた。碧色をしたその瞳がマティスを映した瞬間、少女は全力で後退った。
マティスの胸は、チクリとも痛まない。
「っ……きゃあっ!そ、その腕、は……!?」
「ふん、そうさ、本物の腕じゃない。魔力で造り出した腕だ」
「あ……」
少女は怯えながらも事情を理解したようで、申し訳無さそうに立ち上がった。
「す、すいません、失礼しました!」
ぺこぺこと頭を下げるその様子に、マティスは続けてこう言った。
「―――じゃあ、この滅茶苦茶の天井も何とかして貰おうか」
少女は古城の上でレンガを積みながら、自身の事について聞き始めた。
「……じゃあ、ホントに空から落ちてきたんですか、私?」
「そう考えるしかないな、今の所。……何故生きてるかは、謎だが」
マティスの頭上で作業をする少女の様子は、先の事故があったとは思えない程ピンピンしている。
打ち所が良かったのか、転移でもしてすぐ上から落ちてきたか―――まあ、それ自体はマティスには関係の無い事だ。
黒ずくめのフード付きローブを翻し、マティスは城を後にしようとする。
「あ、あれ。どこかに行くんですか?」
「お前には関係ない。さっさと修繕を続けろ」
獲物(ドラゴンの端くれ)を取って帰ってくると、天井を直し終わっていた少女がマティスを出迎えた。
「あ、お帰りなさい。……それは?」
引っ提げていた獲物が気になったのか、覗き込んでくる少女。その無邪気そうな表情に、つい苛立ち眉を潜めた。
「食べるんだ、それ以外に何がある?」
そう言い放ちテーブルにどかん座ると、マティスは両の腕を『造り』だしてそのまま獲物を掴むと、表皮ごと齧り付いた。
「ひっ、ひええ!?」
すると、それを見ていた少女が嬌声をあげた。
「何だ。……あぁ、自分の分が欲しいのか?」
マティスは魔法の腕でメリメリと肉を縊り切ると、テーブルの端に分け前を置いた。
しかし、少女の言いたい事はそこでは無かったようで。
「あ、あのぅ……焼いたり、とかは?」
「……」
少女のその言葉に暫し考えて、マティスは自分の他人への興味の無さというものを改めて鑑みた。
―――そうか、こいつは『人間』だったか。
フンと鼻を鳴らし、部屋の角にあった厨房に火を入れてやった。ついでに横の棚から昔使っていた調理器具を取り出す。
「勝手に使えばいい。」
「あ、はい……」
そうして自分の食事に戻ろうとしたマティスに、また声がかけられた。何だ!と声を荒げようとする彼に、彼女は叫んだ。
「い、一緒にお食事、どうですか!」
暫く待ったのち、テーブルの前で不機嫌な顔をしていたマティスの前に、皿に盛られたステーキがトン、と置かれた。
正面を見ると、恥ずかしそうに頭を掻きながら自分の皿を置く少女の姿。
「いや~……ありあわせの物で作ったんでちょっと自信無いんですけど……」
「……」
そう言ったステーキの出来は、しかしあり得ない程豪華に仕上がっていた。
どこから持ってきたのか、スパイス、ソース、香草……。
普段『食卓』というものすら囲まないマティスにとって、およそ想像できない画がそこにあった。
「さぁ、いただきましょうか!」
「……あぁ」
綺麗に盛り付けられたステーキにフォークを突き刺し、ナイフで切り取り口へ運ぶ。
少女は自分の皿には手を付けず、マティスの動きを心配そうに覗き込んでいる。
「んむっ……!?」
瞬間、普段使われていなかった味覚が、ビリビリと痺れるような感覚に陥った。
―――美味い!!
「あれ……あの、お口に合いませんでしたか」
複雑な顔を浮かべていたのだろうマティスの様子を見て、おずおずと聞いてくる少女。
若干顔に熱を感じながらも、マティスは感想を口にした。
「ごほん……いや、……不味くは、無い」
それは実の所よりいささか低評価だったが、それでも少女は喜んだようだった。
「そうですか!良かったぁ……」
少女はそれから小さな口に肉の欠片を運び咀嚼して飲み込んだあと、こんな事を聞いてきた。
「そうだ、お名前は何て言うんですか?」
マティスはそこで初めて、お互いの名を知らない事に気付いた。
「人の名前を聞くときは、まず自分から名乗るべきだ」
ありきたりな礼儀の初歩を、突きつけるように少女にぶつける。が。
「……?」
「どうした、早く名乗れよ」
不思議そうな表情を浮かべる少女を急かしてみるものの、反応が薄かった。
まるで、頭の中で何かを探っているかのような……
そしてその様子は当たっていたらしい。
「あは……名前、わからないんです。自分の」