挿話 侯爵夫人からの手紙
ノースブルック領に戻ってから直ぐに、マーティンの元に一通の手紙が届けられた。
その差出人を見て、マーティンはその手紙を受け取る事を躊躇ってしまった。その差出人の名はイヴァンナ・ランドルフ──ランドルフ侯爵夫人であったからだ。
実はマーティンはランドルフ領にいた間もランドルフ侯爵夫人には一度も会っていなかった。何故なら彼女は子供を立て続けに二人も亡くしたせいで体調を崩し床に臥せっていたからだ。幸いにも次男が助かったおかげで、少しばかり回復はしてきていると言う話はリード子爵は聞いていた。
──きっと、僕や母さんに対する恨み辛みが書いてあるんだろうな。
マーティンは単純にそう考えていた。愛人に対する正妻の心象などきっと良いものではないだろうと。そんな相手が出した手紙だ。自分に釘を指すつもりだろうとマーティンは思っていたのだ。
「私は一度読んでみる事をお勧めしますよ。まぁ、無理強いはしませんが」
手紙を受け取るのを躊躇っていると執事のロベルトに諭され、マーティンは渋々受け取る事にした。
マーティンは自室に戻ると勇気を出して手紙を開いた。
『──突然の手紙さぞかし驚かれたことでしょう。
この度はフィンレーを救って頂きありがとうございます。貴方のご友人達にもとても感謝しております。
ランドルフ領にいらっしゃる間も挨拶も出来ず申し訳ありませんでした。
教会で長らく孤児と暮らしていた事、本来ならば侯爵家で貴方の世話をするべきだったというのに長い間一人にさせてしまった事を心苦しく思っております』
手紙はマーティンの予想を裏切り、そう丁寧な字で書き始められていた。
◆◇◆
イヴァンナは幸せな人生を歩んでると思っていた。ある時までは──
イヴァンナ・ランドルフは良家の子女として生を受け、優しい両親、兄弟に囲まれ何不自由なく暮らしていた。そして、イヴァンナは年頃になると許嫁であったランドルフ侯爵家の長男ハリソン・ランドルフに嫁ぐ事となった。
ランドルフ侯爵家はフォーサイス王国三大侯爵家の一つ。イヴァンナもその侯爵家に相応しい良家の娘でランドルフ侯爵とは相思相愛、誰もが羨む様な結婚だった。
しかし、一人目の息子が生まれた頃から風向きは徐々に変わっていった。
「金髪に緑の瞳だが……ペリドットとは言えない」
「ナタリー様の様なペリドットの瞳で無ければ……」
「まだ、お二人もお若いし、次があるわ」
最初は侯爵家の親戚達が言っている事が何の事か分からなかった。ただ、その話を聞くたび夫のハリソンが顔を酷く曇らせているのだけは感じていた。
二人目が生まれるとその違和感は大きくなった。
「長男よりも明るい瞳の色だが……ナタリー様の瞳の色はもっと明るい色だったぞ」
「やはり、良家の子女とはいえ、イヴァンナ様では無理なのでは……」
親戚達の落胆した声も日毎に大きくなっていった。その理由は直ぐにイヴァンナの知るところとなった。
イヴァンナはランドルフ侯爵家の書庫で探しものをしていた時、偶然知ってしまったのだ。ランドルフ侯爵家は建国当初、精霊王から《精霊の盾》授かった一族である事。その盾を継ぐものが精霊の加護を受ける事。そして、50年に一度厄災が訪れる事を。
──ペリドットの瞳とは精霊様の加護を受ける者の印なのね。50年に一度と言う事は……次の厄災は18年後。
イヴァンナはその日から眠れない日が続いた。50年に一度の厄災が訪れる度にランドルフ侯爵家存続の危機に陥っていたからだ。
──もしも、私が精霊の加護を持つ子供を産めなければ、ランドルフ侯爵家はどうなってしまうの……?
一人思い悩み、そして彼女は一つの考えに至った。
──自分が産めないなら別の誰かに産んで貰えば良いのだわ!
今考えれば愚かしく、浅はかな考えだったと分かる。けれど、その頃の彼女は追い詰められており、そして結果的には正しい判断であったのだ。
イヴァンナは少しでも確実性を増やす為、本当か嘘かも分からない風の噂を頼りに、【予言の魔女】に会いに行き、その予言を受けた。
『茶色の髪の青い瞳の女性。彼女はそう遠く無い未来貴女と出会うでしょう』
背の高さや雰囲気など他にもいくつか特徴を教えて貰いイヴァンナは彼女を密かに探した。
そして、イヴァンナは予言通り彼女に出会ったのだ。侯爵夫人と侯爵家に仕えるメイドとして。そのメイドがマーティンの母親アリシアだった。
イヴァンナが衝撃を受けたのは彼女は身寄りもなく身分も低かった事だ。何不自由なく暮らしてきたイヴァンナとは全くの正反対だった。
──身分は何処かの貴族の養子になればいいわ!
イヴァンナとて良家の子女として心構えは勿論ある。貴族ならば家の存続の為に夫が第2夫人を娶る事もあるだろう事は理解していた。だが、それでも大抵は同じ貴族の娘だろうと思っていた。
イヴァンナの心中は複雑だったが、ランドルフ侯爵家の為とハリソンに彼女を自ら薦めたのだ。
そして一年後、アリシアとイヴァンナはほぼ同時期に子供を生んだ。アリシアの子供はイヴァンナの望んだ通りの金茶の髪にペリドットの瞳の男の子だった。一方で、イヴァンナの生んだ子は金の髪に青い瞳の男の子だった。
イヴァンナはまたもや精霊の加護のある子供を産めなかったのだ。イヴァンナ自身少しばかり期待していたのだが、その期待は簡単に破られた。その後暫くイヴァンナはそのショックもあり、寝込んでしまった。
「あの女は追い出して、子供はお前が育てれば良い」
イヴァンナの様子を見兼ねたハリソンが寝込んでいたイヴァンナに言った。この言葉が不味かったのか、他にも理由はあったのか……子供を連れてアリシアが失踪したのだ。
◆◇◆
──その後貴方の行方はわかりませんでした。
我々も一部の者を除き積極的に探そうとはしませんでしたから。だからこそ、あの様な悲劇に見舞われたのでしょう。
アラスターから聞きましたが、貴方の友人が言っていたそうですね。
『あの悪魔は精霊の加護があるマーティンをランドルフ侯爵家に呼び戻す為にご子息様達を狙ったようです。本来ならば、疫病を広め力を回復する事も出来たでしょう。しかし、ご子息達とテオドール先生からしか印を通して生気が吸えず力が不完全なままでした』
だから、調伏できたのだと。
ペリドットの瞳の加護は幸運だそうです。その瞳が貴方がランドルフ侯爵家から離れる事で友人達と巡り会わせたのでしょう。
ランドルフ侯爵家に戻る気はありませんか? それが貴方にとって幸せかどうかはわかりません。しかし、貴方は少なくともランドルフ侯爵の息子です。何時でも帰って来て下さい。ここが貴方の家でもあるのです。
ノースブルック領はまだ寒い日が続くでしょう。どうか体に気を付けて下さい。
イヴァンナ・ランドルフより』
マーティンは静かに手紙を閉じた。
そっと自分の目元に触れて、ノースブルック領に来たあたりからの事を思い返した。短い間だが本当に色々あった。そして、一つマーティンの中に疑念が湧いた。
──ペリドットの瞳か……。これは一体誰にとっての幸運なんだろう。
その問いに答えは返って来ることは無い。




