悪魔使いは霧の中③
「名前、名前かぁ……」
自分から言い出した手前、少しでもまともな名前をつけようと思案するが中々のいい名前が思い浮かばない。
「よあん?」
「ヨハンです」
気付くと何時の間にか子供が隣に座っていた。随分と考え込んでいたらしい。
「貴女の名前を考えていました。しかし、中々の良いものが思い浮かびません。何か好きな物はありますか?」
──なんて、分からないか?
言葉が分からない以上意思疎通は無理だろうが、折角側にいるので試しに尋ねてみた。
「うー」
子供はきょとんとした後、意外な事に難しい顔をして考え込む素振りをする。
──意思疎通は出来ている……のか?
「うー?」
──いないのか?
ヨハンを見てにぱっと笑う子供を見て、相変わらずよく分からない子供だとヨハンは思う。
──こうやって言葉を聞かせていれば、その内言葉も覚えるだろう。だが、この子供は生きていけるだろか?
先の事を考えると、心配になる。
──もっと安全な場所に……。
そう考えた自分にヨハンは心底驚いた。
「もっと安全な場所……か」
──あるだろうか? この子にも自分にも。生きていける場所が。
「いっそ国外に行けば……」と思わないでも無いが、まだ細く幼いこの子供が旅に耐えられるとも思えない。冬を越して体力をつけさせる所から始めなければならないだろう。そんな事を考えて始めた自分に苦笑した。
──俺はまだ生きる事を諦めていないのか。それも誰かの命を背負う覚悟もないのに、一人で生きていくのもやっとなのに、どう考えても足手まといになりそうな子供を連れてい行こう等とか考えている。俺は自分が思っている以上にこの子に愛着が湧いているのかもしれない。
「全く俺は何を考えているんだか……」
ヨハンはふぅと小さく溜息を吐いた。ヨハンは自分をきょとんと見つめる子供の黒髪をわしゃわしゃと撫でた。
◇◇◇
それから数日は驚く程穏やかな日々だった。
いよいよ冬本番に差し掛かって寒さも一層増す頃合い。出来る限り寒さを避けられる場所や衣類を探す程度には動き回れるようになっていた。
だが、子供の名前はまだ決まらず、悶々と悩んでいた時、ゴミの中に一冊の本が紛れているのに気が付いた。
──教本か?
ヨハンはそれを手に取ってパラパラとページをめくる。ヨハンはふと思った。良い名前よりもこの子には強い名前が必要なのでは無いかと。名は体を表すとも言う。
「レヴィアタン」
教本の中に登場するそれは海の怪物だとも、悪魔だとも書かれている。黒をもつこの子にはきっとぴったりな名前だろう。生き延びる強靱な生命力を持つだろう。
──まあ、そのまま付ける訳にはいかないが。
名前の候補が決まったところでヨハンは子供を探しに向かった。何時もの場所や狭い場所を探してもなかなか見つからない。
「何処に行ったんだ?」
ヨハンが首を傾げていると遠くで子供の声がした。慌ててそちらに向う。そこでヨハンは全身から血の気が引くのを感じた。
レヴィの後ろに何処で調達したのか大振りの刃物を持った男が立っている。今にも襲いかかろうとしている。
「忌み子だ。忌み子がいる……」
男は何やらボソボソと呟いており、言っていることが分からない。痩せてはいるがヨハンよりも長身で体格のいい男だ。目は血走っていて、ひと目でまともでない事が分かる。
「うおおお!!」
雄叫びを上げる男の前にヨハンは慌ててレヴィの前に出た。どうにか腕を止めることは出来ても、暴れる男を抑える事は出来ない。
周りを見るが、味方になってくれる人間など当然いない。男の刃物がヨハンの腕を掠める。
「!」
腕が切れて血が出る。幸い軽症だが、隙が出来たせいで男の刃物がヨハンに振り下ろされた。
「よあん!」
レヴィが叫んだ。その瞬間、ヨハンは目を疑った。
レヴィの影から何かが出て来たのだ。それは一瞬にして男の肩から上を抉り取っていた。
後ろに倒れる男、同時に吹き出す赤にただ呆然とするヨハン。
「ひっく……」
後ろで子供の泣き声が聞こえ、はっとして子供の方を向く。子供の横には、黒い大型犬がいる。ただの犬では無い事は一目瞭然だった。これが先程の男を喰ったのだろう。
「グルルル……」
赤い瞳は明らかに自分を敵と捉え、次の獲物として狙っている。その黒い獣と目が合った瞬間、全身が粟立った。小悪魔とは段違いだ。その獣が勢いよくヨハンに飛びかかろうとした。
──殺される!
ヨハンはそう思った。
「やっ!!」
子供の声にビクリと犬が反応し、自然に影に溶けていった。暫く呆けていると、目の前で子供が不安そうに立っている。
「──レヴィ」
「れび?」
ヨハンの声にピクリとレヴィが動く。余程怖かったのか、まだ震えている。
「レヴィ。それが貴女の名前です」
ヨハンが周囲を見渡すと、チラチラと様子を伺う人影が目につく。小さく「忌み子だ。悪魔の子だ」と囁き合っている。
──もう、此処にはいられない。
「ここを出ましょう。何処か遠くに私と」
レヴィがコクリと頷いた。
その夜、雪のちらつく中を二人は旅立った。




