悪魔使いは霧の中①
──白い。白い。
息を吐くと視界が白く染まった。
──息が白い。もうすぐ冬か……。
男は木枯らしの吹く街を彷徨っていた。
嘗ての活気があった町並みも全ては夢であったかのように荒んでいる。街はゴミが溢れ異臭がしており、崩れかけた建物は放置されたままだ。
既に歩く気力も無くなりつつあった男は雨と風を避けられる程度の建物の片隅に潜り込む。路上には死体が転がり、至るところに痩せこけた虚ろな目をした人々が蹲っていた。
活気があった頃の面影はなく、今では完全にスラムと化している。
──この街もまたいつか嘗ての活気が戻る事があるのだろうか?
そんな事をぼんやりと考える。
緩やかに腐敗していたこの国は悪辣王オルディウスの即位によりそれは一気に加速した。
悪政と災害によってこの街は、国は滅びようとしていた。
しかし、ある一人の男が不正や賄賂が横行する中で反旗を翻し、悪辣王オルディウスを失脚させたのだ。それが一年前の事。そして、その男が新王となり長い腐敗と内紛は漸く終止符を打った。多くの人々は新しい時代の訪れに歓喜していたが、長い悪政と内紛により国内は既に疲弊しきっていた。
──王が変わり、この国はどう変わるのだろう。変わった姿を自分は見る事があるのだろか?
男のいる街も疲弊した国の一部に過ぎず、居場所を失くした人々が絶えず流れ込み、今現在混沌としている。
男が視線を上げると、碧眼の男と目が合った。それは、割れた窓ガラスに映ったボロを纏う痩せこけた男──薄汚れた自分自身の姿だった。男が瞼を閉じると、今までの人生が走馬灯の様に脳裏をかけていく。
「俺もここまでか……」
きっと自分の死期も近いのだろうと、男はそう思った。
──大陸の北に位置するこの国の冬は厳しい。まともに食事も出来ず、寒さを凌げる場所がなければあっという間に凍え死んでしまうだろう。いや、その前に飢えて死ぬかもしれないな。
もう生き延びる理由も気力も無い男はそれでも良いと思った。
──今までしてきた事が正しいかどうかは別として、後悔はしていない。ただ、死んだ両親と同じ所には行けないだろうとは思うが。
走馬灯の様に過去の出来事が脳裏を過ぎった──。
実はこの男今は落ちぶれているが元はと言えば、この国の弱小貴族だったのだ。
彼の父親は実直・生真面目を絵に描いたような人物で民に慕われていた。男にとって自慢の父だった。しかし、男の父の清廉さがこの時代には災いしたのだろう。
男が9才になる頃、度重なる天災が起こった。その結果、作物が取れなくなっていたにもかかわらず、貴族たちは重い税金をかけ、民から搾取し続けた。飢えた民を見かねた男の父は上奏書を国に提出した。
腐敗した状況下では、弱小貴族である男の父の訴えなど聞き入れられる事などなかった。そればかりか男の父は濡れ衣を着せられ斬首の刑に処されたのだ。爵位も家も奪われた男は母親とともに放り出される形となった。元々身体が弱かった母親も、父が亡くなって直ぐに他界した。
男は一人になった。泥水を啜って生きるうち全てを恨んだ。国も、貴族も、父親が守ろうとしていた民も、ときには神すらも。そして、男は復讐の炎を燃やした。
男の脳裏に、亡き両親の顔と艷やかな黒髪に紅い瞳の妖艶な美女が浮かんだ。彼女との出会いは今でも鮮明に覚えている。
──出来る事なら、もう一度……。
男が目を開ける。ふと、視界の端に何か黒いモノが入った。そちらに視線を向けて、男は目を瞠った。
そこに居たのは、薄汚れた黒髪に紅い瞳の子供だったのだ。
黒──この国で最も忌み嫌われる色──その色を持つ子供。子供の表情は長い前髪に隠れてよく見えない。きっと、他の浮浪者と同じく虚ろなものだろう。黒い髪のせいで捨てられたのだろうと容易に想像が出来た。
「叶う筈もない……夢か……」
男は、一瞬抱いた微かな願いに苦笑した。
──もう会うこともないだろう。
男は口元に自嘲の笑みを浮かべた。
男の名はヨハン・シュヴァルツ。




