3.「関係のない人」
いや、いた、ではない。何でお前がここにいる。
その考えは口にせずとも伝わったようで、彼――クリスは肩を竦めてみせた。その仕草が何処か軽薄にも見える彼の見目に似合っていて腹立たしい。
「おっと、殴るなよ。せめて子爵令嬢として、その名に相応しい振る舞いをしてくれ。それともレディよりも、ガキ扱いの方がお好みかな?」
「その減らず口をどうにかしないと人を呼ぶわよ」
「ははは、そいつは勘弁してくれ」
口では笑ってはいるが、目は笑っていない。その口元も、一瞬ひくり、と動いたのを私は見逃さない。
全く、人を呼ばれて困るくらいならやらなければいいのだ。その軽口も、不法侵入も。はあ、とため息を吐くと同時に肩の力が抜けた。
「それで、どうして侯爵家ご子息様がここに?」
「……え、それ本気で言ってる?もしかして」
「もしかしなくてもそうだけど」
クリスは、私が市井で暮らしていた頃からの知り合い……もとい、友人だ。知り合いと言うには浅からぬ縁があるし、恐らく、知り合い呼ばわりしたら向こう数年は根に持たれるので友人としておく。幼馴染みのようなもの、でも良いのだけれど。
どうして侯爵家の子息であるクリストフと私が、昔からの知り合いか、と言えば、私が暮らしていた場所が彼の父親の持つ領地だったのがきっかけだった。
窓から侵入してきたことから想像がつくかもしれないが、クリスはやんちゃだ。ついでに自由過ぎる。
自分が侯爵家の三男坊であるのを良いことに、何かと屋敷から抜け出しては、一番近い市井に遊びに来ていた。何かとやってくる彼に対して街の人達は好意的だったし、彼自身も自分の生まれをひけらかす事も誰かを見下すこともなく、寧ろ子供たちにとっては大将とも言える存在となっていたほどだ。
どんな子供でも、あの街の子は「クリスにいいつけてやる!」と言われれば大人しくなってしまうほどだ。弱い者イジメが嫌いで、見た目に反して腕っ節も強く、愛嬌もある。
私もよく、クリスには遊んで貰っていた。
とくにうちは元々母の体が弱く、私は看病に掛かりきりで外に遊びに出ることもあまり出来なかったので友人なんて殆どいなかった。
周りは母を知る人も少なく、それでも優しい街の人たちは手を差し伸べてくれた。きっとそれは、この世界では奇跡にも等しいことなのだと思う。
他人に優しさを分け与える余裕がある。それは、全て領主であるベルマン侯爵のお力だ。だから、そんな領主様をみんな尊敬していたし、私も未だに彼ほど素晴らしい人はいないと思っている。
……少し話が逸れたが、あれは母が珍しく体調が良かった日の事だった。久々に私の好物を作ってくれる、ということで、食材を買いにお使いに出たのだが、運悪く街一番の悪ガキとぶつかってしまった。
その子は商家の息子で、周りよりもお金持ちだった。甘やかされて育ったのだろう、ひねくれ者でいじわるな彼に、私は散々なことを言われたこと挙句、お使いのために貰ったお金を取られそうになってしまったのだ。
そんな時、泣きそうな私の前に現れたのがクリスだった。
「自分より小さいガキ相手に何してんだよ」
そう言って、その男の子から取り上げられたお金を奪い返して、私に返してくれた。
その時の飛び蹴りは非常に鮮やかで、そう言えばあの時も二階の窓から飛び降りてきたなあ、と思い出す。
助けて貰って以来、何かと周りに比べて発育不良で小さかった私を守ってくれて、遊び仲間に加えてくれたのだ。オレと一緒にいれば、誰もお前をいじめないからな、なんて笑って。
父に引き取られてからは会うこともなくなってしまったが、こうして数年ぶりに会った彼は、随分と大人になっていた。あくまで見た目は、だけれども。彼は昔からの美形だったし、あの少年が成長したらこうなるだろう、と思い描けるそのままに――本当はそれよりももっと格好よくなっていたけどそう思うことすら何か悔しいのでそのままということにする――大きくなっていた。
が、それはそれだ。私の思い出話はどうでもいい。今大切なのは、どうして彼がここにいるのか、である。
「ここ、全寮制で、警備も厳しかった筈なんだけど」
「待て待て、なんでオレが不法侵入してる前提なワケ?」
ここの警備、大丈夫かなあ。仮にも王族がいるんだから、外部から簡単に人が入り込めるのは大いに問題があると思う。
流石に面倒な攻略対象ばかりとはいえ、彼らに何かあれば寝覚めが悪い。何処から侵入してきたのかを聞いて、警備が手薄な場所をきちんと学園に報告しておこう。
クリスの言葉は聞き流してそう心に決める。頭の片隅には既に回答が浮かんでいたが、都合の良い妄想だと更に奥へと押し込んだ。
「オレ、ここの三年でお前の先輩なんですけど」
「その可能性を否定したかった所だから言わないで欲しかった」
「無茶言うなよ……」
がくり、とクリスが肩を落とす。少し素っ気なくし過ぎてしまった、だろうか?ほんのちょっとだけ不安になると、クリスはすぐに楽しげに笑った。
「まあ、お前が素直じゃないのは昔からだし。今更気にしてないけど」
「……別に、ちょっとビックリした、だけだもの。私だってなーんにも気にしてませんー」
「はいはい、そうだな、そうだった。そういうことにしといてやりますか」
く、と喉を鳴らしてより一層楽しそうにする姿につい唇を尖らせる。クリスは昔からこうだ。分かったような口を利く。それがやっぱり腹立たしくて、でも、嫌ではなかった。
「ねえ、本当に?本当に、クリスは先輩なの?」
「本当に本当、オレはお前の先輩で、この学園の三年生で、ついでに主席の生徒会長サマです」
「えっ……?」
「何嘘言ってるのこの人、みたいな目で見るの止めてくれない?オレも傷付くんだけど」
「……えっ?」
「いや今のはオレが悪かった。オレが悪かったから拳をしまって。平和的に話し合おう。大丈夫、大丈夫、どうどう」
馬を宥めるような口振りに、私は微笑む。
それから、昔彼に教わった通りに拳を握り直した。あとは鳩尾に抉り込むように打つべし。あとは泣き真似をして逃走後通報。大丈夫、手順は完璧だ。
すっ、とクリスの顔から血の気が引いた。
「待って、悪かった!本当に悪かったから!やめて下さいお願いします!ケーキでも紅茶でも奢ってやるから!」
「よし、今日の所は許す」
暴力反対、とか呟いているが、振るっていないのだからセーフだ。
……ふ、とどちらからともなく笑いが零れる。全くもって変わらない。侯爵家ご子息なのに、口調がぞんざいなのも、軽口ばかり叩くのも、その癖私が怒るとすぐに謝るのも、全部昔の、私の知っているクリスと同じで。それが嬉しくて、おかしくて、楽しくて。
「ただいま、クリス」
「おかえり、フロウ」
そう言って、私達はもう一度笑いあったのだった。




