7話:百獣の森の少女
月華と出会ったその日のこと。
仇でもある盗賊に暴行を加えられ、体のあちこちに痛みを覚えながら、流れるままに月華の後ろをついていった。その肩には、立つことさえ精一杯である神流を抱えている。
騒ぎのあった街から離れて進んでいく。人々の喧噪が遠くに消え、機械も人工の建物もだんだんと減っていく。
湿った土の匂い、ざわめく木々。あらゆる方向から獣の好奇な視線。
それらを味わいながら、こうして三途は百獣の森の中を歩いていた。
「災難だったな」
「……あ、あぁ」
「キミらをおそったのは、この街近くで最近幅を利かせていたごろつきだ。私としても、森を荒らされていたから、早々に始末したいと思っていたところだ」
「そうか……」
「あの街は私のシマでもあるからな。
奴らのせいでキミとキミの義兄弟に危害が及んだことは私の失態でもある。せめて、お詫びとしてキミらの体が治るまではウチで面倒みさせてほしい」
「別に、そんなことは」
「旅芸人だろ? 体に跡でも残ったら大変じゃんか。宿代はとらないよ」
「……」
「住みやすいとこだ。何も心配はない。ちょっと厳しいジジイとやんちゃな姉ちゃんがいるくらいさ。
……義弟の方は、つらそうか?」
月華が歩を止める。
三途の肩に抱えられた神流は、ぼうっとした表情でゆらゆら足を引きずっている。
その状態を痛いほどわかっていた三途は、神流を再度見て表情を曇らせた。
「悪い、少しきついみたいだ」
「わかった。歩かせるのは酷だな。ちょっと待ってろ」
すると月華は首に提げていた笛を口に、ひゅううっ! と軽快な音を森全体に響かせた。
三途は神流をいったんおろし、木陰に座らせる。
応急処置はしたものの、手ひどくやられた痛みは未だ消えてくれない。
「神流」
「……ぅ、」
「無理にしゃべんなくていい。大丈夫だからな」
神流が無理矢理微笑を作ってうなずいた。
三途は暇になった右手で神流の白髪をなでてやった。
「よーしおまたっせ!」
月華の明るい声が降ってきた。その後ろには何かが控えている。
その正体を目にした三途は、一瞬だけぎょっとした。
「ん、うん!?」
三途は反射で神流をかばうように立ち位置を変えた。
月華の後ろにいるのは、巨大な獣犬であった。
子供なら3人くらいは背に乗せていけるであろう巨躯。
ふさふさの耳をぴんとたたせ、へっへっと舌を出して呼吸する。
息が整っていないのは、駆けてきたからか。
細くしなやかな四肢はしっかりと地面についているが、やや土や落ち葉にまみれている。
尻尾はふいふいと左右に揺れる。
「この犬に乗せていこう。義弟君程度なら軽々だよ。
三途、といったか」
「あ? あぁ」
「すまんが、彼をこの子の背中に乗せてくれないか。私では彼を抱え上げられん」
「いいけど……いいのか、乗せて」
「大丈夫。ガムトゥ……この犬の名前な、この子は私の言うことをきいてくれるよ」
「じゃあ……お言葉に甘えて……」
神流をそっと、ガムトゥと呼ばれた犬の背中に預けた。
「……ごめん、犬君」
神流がそうこぼした。
犬ーーガムトゥはふすっ、と鼻息で返事する。
ガムトゥは月華の歩幅にあわせてゆっくり前進していく。
道中、何度か獣に出くわした。その獣いずれもが月華の姿を確かめると、しずかに道をあけてくれた。
ただ三途と神流へ向けられる視線には警戒が存分に含まれていた。
「もうすぐだ」
月下の言葉通り、深い森を抜けるとようやく建物らしき建物が現れた。
おそらく二階建てのそれは20人の人間を泊めるに足る広さがある。
森の奥にひっそりとたたずんでいるはずの洋館には底知れぬ存在感を醸し出している。
白塗りの柵を月華がひくと、ぎいっと軋んだ。
「ここが私たちの家だ。どうぞ」
月華に招かれ、三途はおそるおそる屋敷に入っていく。
中に入るまで、三途は屋敷の特徴を目でなぞった。
庭には庭園があった。が、美しい花は一輪も咲いていない。あるのは野菜だけだ。
剪定してある木々には、隠れるように鳥が羽を休めているのが何羽いただろう。
屋敷の横に小屋が設置されている。犬小屋にしては大きすぎる、人がくらすにしては小さすぎる。三途の視線を悟った月華が言うには「武器庫だよ」と答えてくれた。どうりでどことなく鉄の臭いがしたわけだ。
屋敷内玄関に踏み込むと背の高い男が待っていた。
白髪交じりの茶髪を後ろへ撫でつけ、髭をたくわえた初老の男。
厳めしい表情が月華の前では少しばかり和らいだ。
「月華様」
「ただいま、マデュラ。けが人がいるんだ。休ませてやりたい」
「かしこまりました。ガムトゥ、その方をこちらへ」
ガムトゥの背に伏していた神流を、老男は軽々と持ち上げた。
横に抱き抱えてそのまま掃除の行き届いた廊下を颯爽と歩いていく。
「安心しろ。部屋で寝かせるだけさ。傷の手当てもマデュラがやってくれる」
「マデュラ、っていうのか、あのじいさん」
「そう。私のおじい様のおじい様の代からずっとこの家に仕えてくれている」
「……。祖父の祖父って、結構長生きだな。いくつなんだ」
「さあ。70は越えてんじゃない?」
「んな適当な……」
「それはそうと。キミも疲れたろ。キミの部屋も用意させるから、休むと良いよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「いいねっ」
月華がにっと笑った。
三途は神流と同室にしてもらった。個室も用意してあると月華が言っていたが、やはりけが人の神流から目を離すわけにはいかなかった。
手当を受けた神流は、ぐっすりとベッドで安眠している。静かな寝息が聞こえて三途は胸をなで下ろした。
部屋のイスを引きずって神流の横に腰を下ろす。ひとまず神流がめざめるまで、三途はずっと見守っていた。
程なくして月華がやってきた。両手しっかりとトレイを持ち上げている。上には湯気漂う器がいくつか乗せられていた。
「飯もってきたぞー」
「……あ、わり」
「食材があんまりなかったから、残り物での間に合わせだけど」
「いや充分だ。うまそう」
「こっちは義弟君の分な。目が覚めたら食べさせてあげて。さめてもうまいよ」
「そりゃよかった」
三途は月華から有り合わせのスープを受け取った。
そっと口を付けてみると、ぴりっと舌を刺激される。芳醇な香りが漂う。柔らかい肉と野菜をじっくり噛むと、スープの出汁と合わさってさらに味わい深くなる。
「……うま」
「そうか? よかったよかった」
「あれ、これあんたが作ったのか」
「そうだよ。私は何でもできるのだ」
月華は得意げにむふーと胸を張る。
「初めて食べたかも。こんなうまいの」
「そりゃよかった。おかわりあるから、欲しけりゃ言ってねん」
「そうする」
そうして三途はまたスープをちびちびすする。
ふと。横から猛烈な視線を覚えた。
何だ? といぶかった三途はおそるおそるそちらに目を向ける。
じいっと、三途をーー正確には三途の持つスープをじっと見つめる女がいた。
「んな……っ!?」
「スープ……月華様のごはん……いいにおい……」
「あの……?」
「ごはん……たべたい……」
その女は青い瞳をぎらぎらに輝かせ、三途のスープから視線を離さない。
薄い空色の髪はまっすぐに腰まで伸び、月華とは対照的に恵まれた体型をしている。漆黒のドレスで身を包んでも、腰のくびれや弾け飛びかねない胸は隠しきれない。
「こーらガムトゥ。それは三途の分。ガムトゥのはこっち」
「ほんとですかっ!!」
月華の言葉でガムトゥと呼ばれた女はあっさり三途から離れていった。
(……ん?)
ふと、三途はガムトゥという名の既視感を覚えた。そしてすぐに合点がいった。
「ちょっと待て、そいつ……さっきの犬か!?」
「ん? そーだよ。この子はガムトゥ。犬と人間の姿になれる、いわゆる獣人って種族だな」
「お、女だったのか」
「そうですよ! ガムトゥは女の子ですよ! ねえねえ月華様! ガムトゥのぶん! ガムトゥのご飯!!」
「はいはいお座りして待ってなー」
月華は慣れた手つきでガムトゥをあしらう。ガムトゥはその場にちょこんと正座して期待のまなざしを月華に向けている。
「ガムトゥとマデュラ……さっきの爺ちゃんは獣人なんだ」
「……初めてみた」
「少なくとも、ここ王国だと獣人の生息数はあまり多くないからなあ」
はい、と月華はガムトゥにスープを手渡す。やったー!! といわんばかりにガムトゥが受け取った。
さて、と月華はベッドの端に腰掛ける。
「キミらにちょっと聞いておきたいんだけど」
「何だ」
「キミらは旅芸人だったな。夜穿ノ郷内で、どこまで旅して回った?」
「ん? まあ……ひととおりの場所は行ってるかな」
夜穿ノ郷。地球と同じように、宇宙に数多ある世界の一つである。
規模は地球よりやや小さく。郷にはいくつかの国家が成り立っている。
月華の生活する森は『王国』に属し、その他公国、島国などの国が存在する。
「郷の外へは行ったことある?」
「あるよ。つっても、3つくらいの世界の主要都市をまわった程度だけど」
「異世界にもか。そりゃすごいや!」
月華が目を輝かせ、勢いよく立ち上がる。あっ、と直後、大声を出してしまったと気づき、静かに腰を下ろす。まだ神流が寝ているのを失念していた。
「ごめん、大声出して」
「いや、良いよ。神流は多少の物音じゃ起きないから」
「そっか。
……じゃあさ、改めて。まわった世界のことや、王国の外の国がどんな国だったか教えて欲しいんだ!」
「いいけど、大したことははなせないぞ」
「いいよ! 私、森と街の外へは出たことがないから、外の世界ってのがとっても興味あるんだ」
なあいいだろ、と月華がせがむ。
先ほどの、三途と神流をおそった盗賊たちへの制裁や獣たちから尊敬の目を向けられる月華とはちがう。
あのときの月華は、悪を滅ぼすために自らの手を汚すことも迷わなかった。三途はその姿に背筋が凍った錯覚すら覚えた。
今の月華は年相応に感情豊かな少女でしかなかった。
(そんな顔もできるのか)
三途は月華の一面をかいま見て、少しだけ親近感がわいた。