67話:傷だらけの忠臣
「三途?」
はっ、と三途は一気に覚醒した。
さっきの夢から現実に引き戻された。
やけに醒めた目で周囲を伺う。向かいのシロガネが、瞬時に視界に入った。険しい顔をしている。
肩を優しく揺り起こしてくれているのは月華だ。心配そうにこちらを見上げている。神流がそっと水袋を差し出してくれた。
「三途、大丈夫か?」
「……ああ、うん。夢を見てただけだ」
「夢?」
「そ……。白い神殿の夢が……」
「あ、あの。えと、前に見たっていう」
「それそれ。……殿下がいた」
ほう、とシロガネが声を漏らす。
三途は前髪をかきあげた。神流の水を飲む。
「殿下……イストリア殿下のことかい」
「うん。番人になる前に見た夢でも殿下は出てきた。場所も同じだ」
「ふむ。どんな夢だった? 夢は吉兆を語るからね」
「ああ、神殿が崩れていた。その場所が壊れてった。
殿下が神殿に取り残されて、俺は殿下を助けようと手を伸ばして、それで夢は終わった」
うーん……と月華はうなる。
「助けることができたかどうかはわかんなかったのか」
「わからなかった。手が届いたか届かなかったかのぎりぎりの距離で目が醒めたから」
「あっ、それ、きっと私が揺さぶってたからだ……ごめん……」
「はは、なに言ってんだ月華。起こしてくれたんだから、むしろ助かったよ。ありがとう」
三途は月華をなだめるようにぽんぽんと彼女の頭を撫でた。普段はそれで、むふーっ!! とご機嫌になるのに、今回ばかりはそうもいかないようだった。
「何にせよ、殿下の御身が危ない可能性は高いだろうね」
「だよな……」
「大丈夫だよ、きっと。殿下にはクロアさんがいるから」
神流の言葉に、三途はクロアを思い出す。あの過保護な忠臣は、いつでもイストリアの身を案じていた。
「あいつなら、なにをしてでも殿下を守り抜くだろうな」
「そうだよ。クロアさん自身も強いし」
「神流君も三途君も評価しているクロアという人物。ちょっと私も興味がある」
「シロガネはクロアのこと知らなかったのか」
「名前しかしらないんだ、月華嬢」
「へえ、シロガネなら王家の周辺についてはすでに調べてあると思っていたぞ、私」
「ご評価をいただいて恐縮だが、私はそれほど情報通でもなくてね。単に王家にはさほどの興味もなかっただけだ」
「そ、そうか……。
殿下のことはさすがに知ってるよな?」
「うん、御名とお姿だけはね。黒髪つややかで可憐な少女なんだろ。この王国がうまれるきっかけとなった英雄の由緒正しき子孫……。まあ、新聞や書籍で語られているから、このあたりは私でも知っている。
だがクロアというのは? ここ数年の情報にはなかった名前だ」
シロガネが顔をひそめた。む、と指先で顎をさする。
「情報通のシロガネでも知らないことがあるんだな」
「思わぬ評価をいただけて光栄この上ない。が、私でも限度はある。
それはそれとして、クロアとは? どのような人物だ?」
「クロアさんはね、イストリア殿下の側近だよ」
神流が三途よりも早く答えた。
「背は三途くらいで、剣の腕がとても強い。ちょっと堅物なところもあるかなあ。僕の見た限りでは、イストリア殿下はクロアさんのことをとっても信頼していたよ」
「……なるほど。ところで彼は、いったいいつから殿下の御許にいたんだ」
「さあ、そこまでは……。もしかしたら最近加わったばかりの人かもしれないね」
「そういえば、クロアの身辺についてはなにも知らなかったな……」
三途は神流の言葉をきっかけに、疑問を抱き始めた。
「ひょっとしたら、彼は魔機側の人間なのかもしれないねえ」
にやり、とシロガネはお得意の不敵な笑いに顔をゆがめた。
「ま、まっさかぁ……。いくら何でも、それは、ない。と、思いたい……」
反論する神流の口調はだんだん弱くなっていく。
「わからないよ? 味方かもしれないし敵かもしれない。味方のフリした敵かもしれないし、敵のフリした味方なのかもしれない。真実はそのうち、王都に着けばわかることだろう」
「……まあ、そうだけど」
「もしも敵であるなら、排除するだけだ。そうだろう?」
「あんたが言うととても頼もしいなあ」
「ほめ言葉として受け取っておこう」
それっきり、シロガネは黙ってしまった。窓枠に頬杖をついて、外を眺めている。
「……三途」
「どうした、神流」
「クロアさん、敵かな」
「それはまだわからない。
そう沈んだ顔をするなって。まだそうと決まったわけじゃないし、シロガネの疑問でしかないんだ。わからない状態であれこれ悩んでたってしかたないさ」
「……うん」
神流はしゅんとしながら、三途の袖を掴んでいた。
「大丈夫だよ。すぐにわかる」
「でも」
「不安か」
「うん」
「だよなあ。不安だな……」
三途は神流の背中をぽんぽんと叩いた。神流はクロアになついていた。彼が敵であるかもしれないという現実から目を背けていたいのも仕方はない。
「敵でも……和解できる道を探して見ようか。っつーか、魔機なら壊してきたのにクロアだけ見逃すってのも都合のいいことだけどさ」
三途は言っていて苦笑せずには居られなかった。
「……いや、大丈夫。必要の時は、僕も……」
「無理はするなよ」
「ごめん」
「気にすることはないさ。何かあったら、神流に無理はさせないから」
「……うん」
言うや、神流はこてん、と三途の肩に体を預けた。
三途は窓の外を眺めている。神流も月華も眠りこけていた。
「あ」
ぽつぽつと、雨が強くなり始めた。シロガネが窓を閉めてくれる。
ざあざあとけたたましい音。空がさらにかげり始めた。
「セーレ……は、確か雨除けの術がかかってるんだっけ」
「もちろん。だけれどそろそろ運転の疲労もたまるころだ。少ししたら休憩だな。次の地点で」
「そうだな……」
そんな軽い会話を切った。
まもなく車が止まる。お山を抜けきった。
運転手のセーレがドアを開いた。
「小さな宿屋があります。そこで一晩泊まりましょう」
「あ、ああ……。王都は」
「もうすぐそこです。が、遠目で見た限りではどうやら危険な状態にあります。詳しいことは王都へ入らないと何とも申せませんが、先んじて体を休めましょう。王都に入ってから休息できるとも限りません」
さあ、とセーレが手をさしのべた。真っ先にシロガネがその手を取った。
三途も、寝ている月華と神流を優しく揺り起こした。
「ふたりとも、降りるぞ」
「ぅー……」
「ん……」
ゆっくりと頭を上げながら、月華はあくびした。目をこすって三途を伺っている。
「あれ、三途。着いた?」
「まだだよ。王都の手前で休もう。宿があるってさ」
「わかった……」
のろのろと月華は車から這い出た。三途は覚醒しきっていない神流を引っ張った。
車を宿近くにセーレが寄せていた。
セーレが案内した宿は、月華の屋敷の半分ほどの広さだった。
取り立てて広くもなければ、極端に狭くもない。数十名ほどであれば余裕でうけいれられる。
白塗りの壁はところどころさび付いており、庭の草木の周囲には少しばかり雑草がちらほら生えている。
ガラスは曇り、わずかにヒビも入っている。
「ここ……本当に経営してんのか……?」
「わかりません。無人であれば、厨房をお借りしてこちらで食事も用意できましょう。旅費もまだ余裕はありますし。雨をしのぐにはちょうどいいでしょう」
セーレは毅然と宿のドアをくぐった。シロガネがそれに続く。
(怪談の舞台になりそうなとこだな……。ま、贅沢言ってられないか)
三途はまだ眠そうな月華と船をこいでいる神流を引っ張って、宿に入った。
*
宿にはスタッフが数名存在していた。無人というわけではないのは、三途もほっとした。
セーレがチェックインをすませ、部屋を二つとった。
びしっと決めた制服のスタッフに案内してもらい、ひとまず部屋に飛び込む。
車での長旅は知らぬうちに疲労がたまっていたらしい。おまけに三途とセーレは隻腕の魔機を破壊するために体力を消耗していたのだ。多少の休憩では疲れをとりきることもできなかった。
部屋は広く、5人一緒でも余裕で過ごすことができる。
「従業員によると、ここの大浴場は有名だそうです。露天風呂だとか」
「露天か」
「お風呂? 入る入る!」
露天風呂、という単語に反応したのは月華だった。ぴょんぴょん飛び跳ねて着替えを引っ張り出し、今にも部屋から飛び出しそうだった。
三途が月華の襟首をつかみ引き留めた。
「まあ待て月華。落ち着け。これからのことを軽く話してからにしよう」
「うーむ……それもそうだな。いかんな、私としたことが」
「温泉にテンション上がるのは無理もない」
「……とはいえ、ぼくたちも蓄積した疲労とストレスで正常な判断も鈍っています。
ひとまず、1時間後にこちらの部屋で集合し、改めて作戦会議といたしませんか」
「わかった。それまでは各自自由行動。ってことで。
神流、シロガネ、それでいいか?」
「もちろん」
「いいよ」
決まりだな、と三途は肩の力をようやく抜いた。
「よーし! じゃあ私は先に温泉いってるからなー!」
「あんまり走るなよ」
「わかってるーって!!」
月華はせわしなく部屋を出ていった。
温泉は隻腕の魔機戦の前に一度浸かったが、ゆっくり湯船に浸かりたい気持ちは強かった。
三途は神流と一緒に浴場へゆき、体の疲れを洗い流した。シロガネとセーレはあとで浴場に行くと言っていた。
後ほど月華と合流し、冷たい飲み物を片手に談笑した。
「っぷはー! いい湯だった!」
「うんうん、いいお湯だった。肌の調子がいいかもしれない」
「たしかに。神流の肌がちょっとつやつやしてる気がするぞ! 髪もさらさらだ」
「ありがとう、月華ちゃん。月華ちゃんの肌艶も良くなってるよ」
「やったー! 顔色がいいとペットたちのモチベーションも上がるからな、むふーっ」
「あ、三途もいい肌してるよ」
「付け足しくさいのが見え見えだぞ。でもほめ言葉は受け取っておく。立ち話も何だし、飲み物もう少し買って部屋に戻るか」
「それもそうだな」
空になった瓶をかごに戻す。
三人仲良く並び、部屋の鍵を片手に戻ろうとしていた。
すると。
「お、お客様!?」
職員のあわただしい声が、ロビーから聞こえてきた。
「何だ……?」
「何かあったみたいだね」
三途はいぶかしげに、職員の邪魔にならないようその場所を伺った。
ロビー近辺に数名の職員がおり、何かを囲んでいる。職員たちはおろおろしていたが、すぐに落ち着きを取り戻してそれぞれてきぱきと指示を出しながら行動している。
「……!」
三途ははっとして、『その人』に駆け寄った。
「三途っ?」
月華の声も聞こえない。
その人は傷だらけで息も絶え絶えだった。頭や手足から血が滴っている。およそ穏やかではない。
「大丈夫か、クロア!」
三途は、生前に会っていた、かの忠臣に、声をかけた。




