第5話 肩身 - 7.3.1595・Ⅰ
翌日、俺の誕生日を祝したパーティーが開かれた。広間には親族の者たちが集い、世間話でもしているようだった。
正直、つまらなかった。大人のことは両親のこともあって信用していなかったし、このパーティーも表向きだけだ。年齢的には大人に近い自分を、暫定の跡継ぎだと知らしめるのに丁度いいのだろう。
そう、暫定である。父親が元気な間に後妻の子が大きくなれば、跡取りは間違いなくその子になるだろう。父親は後妻の子をとても可愛がっている。自分は、代役なのだ。継ぐ気もない。父親に愛された記憶は、覚えている限りでは、ない。
覚えている限りでは。そうだ。
自分もハル同様、ある時期より以前の記憶が抜け落ちているのである。
他から来たのではなく、自分は一応この家で生まれた。らしい。“一応”の部分はさておき、父親によると、酷い熱を出して生死を彷徨い、なんとか熱が冷めて意識がはっきり戻ったところ、全てを忘れていたという。
実の母親が出て行ったことも、後妻――その時は実の母親だと思っていた――が冷たいと父親に訴えたところ、教えてもらったことである。それからは諦めた。家の跡取りとして努力をすれば褒められたことは確かだが、大人たちに自分は、“自分”自身としては認められないのだ。
そんな時に現れたのが、ハルだ。あいつもまた、記憶を失っていた。
お互いに自分自身のことがぼんやりしているのが良かった。召し使いのする話は面白くなく、自分は基本的にほったらかしにされていたので、一緒にいると気が楽だった。まだ多くは語り合っていないけれども、分かり合えそうな気はしている。
それにしても不思議だ。ハルが来る前の話に戻ると、自分はもともと体が弱いようで、記憶喪失後もたびたび体調を崩した。喘息の発作も頻繁に起こって、そのたびに父親と後妻に冷たい目で見られた。しかし、ハルが来てからは発作も体の不調も全くなくなった。
それが偶然ではないと、自分は確信している。
パーティーでは幼い子供も何人か見かけた。彼らもやがて家を継いだり、決められた相手のもとへ嫁いだりするのだろう。自分の縁談はまだないが、今日あたりから密かに始まっていたりするかもしれない。
彼らは幸せそうだ。彼ら自身は、自分たちが愛されていると感じているからだ。しかし実際は、愛という名の幻覚を見せられながら、家や親が素晴らしいとか、そんな家を継ぐことが名誉であるとか、血を絶やさないことが使命だとかいうことを刷り込まれていく、そういう子供も多かれ少なかれいるだろう。
それはそれで幸せだろう。都合の悪いことは何も知らないのだから。大人からすれば、嘘をつくというよりは、覆い隠す感覚だろうか。両者にとって一番怖いことは、その醜い部分があらわになることだ。
彼らも成長すればその存在自体はおのずと知ることとなるが、実態からは目を背ける。見ないこと、また見せないことが正しいのだと、もう思い込ませられている。目を覚ませば、抗って逃げ出すか淘汰されるかだ。
悪く言っているが、たとえば街を治めるという役目や、芸術やものづくりの技術など、絶やしてはならない価値あるものを持っている家もある。それを考えれば、家を継ぐことは愛や情に関わらず、大切なこととなってくる。
しかし、しかしだ。これらの良いこと悪いこと、そして自分が置かれた今の環境を全て考慮に入れても、俺には自信を持って言えることがある。
クレメンス侯爵家は、受け継がれてはならない。
この家の持つ“あの技術”は、後世に残ってはならない、と。
***
しばらく考え事をしていると、ハルが戻ってきた。女子の集団からなんとか脱出できたようだ。
「もうたくさんだ……」
「お疲れさま」
ハルが壁にもたれかかってうなだれた。
「はぁ…部屋に戻りたい…」
「まあ、今日一日は我慢しろよ。親父か誰かに言われてるだろ」
「ああ、そうだけど…」
「――あ」
親父と言って思い出した。
「ん?」
「そうだ、ハルに知っておいてほしいことがある」
「…知っておいてほしいこと?」
ハルは壁にもたれるのをやめて、身体ごとこっちを向いた。
「――勝手に行動しない方がいい。お前、親父に目をつけられている」
「えっ……」
ハルにとっては意外だったようだ。やはり言っておくべきだ。
「確かにお前は、親父の余程のお気に入りだ。じゃなかったらまさか養子になんてするはずがないからな。でもな、今朝…俺、聞いたんだ。こっそりだけど」
一拍おいて、ハルが興味を示しているのを見て、改めて続けた。
今朝、かなり早くに目が覚めた。自室から廊下に出ようとドアを開けかけたところ、父親とメイド長が話し合っている声が聞こえ、そのままバレないように耳を傾けていたのだ。
「まず、お前が記憶喪失かどうかを疑っている」
「そんな…僕は、あんなところで…」
「嘘なんかつけないよな。俺も無理だよ、あの二人の前では。それで、記憶喪失って、スパイがよく使う手段だとかさ」
「つまり、僕をスパイだと――」
「そういう疑いも一応かけておこう、という話だったぜ」
「そんな……」
「今から10年前に襲撃事件があって、俺の姉が死んだらしいからな。俺は覚えてないけど。その時も、スパイが絡んでいたようだから――」
この事件については、少し前の墓参りの時に知った。
「僕は、警戒されているんだ…」
「あいつらは一度疑ったら凝り固まってしぶとい。疑いが晴れるまで、じっと待つのみだ」
「…じゃあ、気を付けるよ」
もう一つ、親父の会話の中で気になる言葉があった。
「ところで」
「ところで?」
「白百合って聞いて何かピンと来たりは……」
「白百合?百合の花? うーん…」
ハルは本当に知らなさそうだった。訊いてみた自分自身も実はよく分かっていない。
「俺もよく分からないけど…親父が言ってて気になったからさ、分からなかったらいいよ」
「ほう…」
そうこうしているうちに、ハルが嫌な気配を感じた。
「ロブ、さっきの女の子たちだ……」
「ちょっと場所変えるか?」
「ああ、頼むよ」
女子からの視線が痛そうだ。でも、品格とか華やかさだけを見せつけていい気になっている奴らばかりである。
また取り囲まれる前に、ハルをその場から連れ出した。あいつらとは、目を合わせたくない。
***
広間から離れて、人のいない廊下まで逃げてきた。
「ロブ、ご主人とかは今どこに?」
「広間で誰か大人と喋ってたよ。……あの女とその子も一緒に」
後妻の子は一応自分の弟にあたるが、年の差があるし、直接関わる機会もないから、あまり兄弟だという実感がない。
「その、ありがとう」
「おう、俺もあんな場所つまらないから良かったんだよ」
ハルはきょろきょろと廊下を見渡してから、息の混じった声で言った。
「あの、昨日の夜――」
ハルは昨晩、自分と別れた後に仕立て直した上着を合わせたが、その際に鏡を見せてもらった。そして、鏡には自分の姿だけが映らなかった。ハルが鏡に映らないことは召し使いたちの間で噂になっていたらしい、そんな話だった。
「……服だけ浮いて映ったとかじゃなくて?」
「ああ、服ごと全て見えなかったんだ。…ロブも知っているのかなと思って」
「いやいや、俺は初めて聞いたけど――そんなことがあるんだな」
自分のリアクションは薄めたったが、内心とても驚いていた。というより、困惑していた。
「それで、ビックリして鏡を割ってしまって…。記憶は思い出せないし、あらゆる場所で変に注目されるし、こんなおかしなことも起こるし。僕はどうなっているのか……」
興味が湧いてきた。このように目の前にいるのに、鏡に映らないということがあるのだろうか。でも、広間に鏡はなかったので、すぐには確かめようがない。ハル自身も嫌がるかもしれない。
「親父とかには知られていない感じか?」
「いや、あれきり呼び出されたりしていないけど…どうだろう」
「そうか…。厄介なことにならなきゃいいけどな」
「本当にそうだよ……」
ハルは広間の方を見ようとしなかった。戻りたくないのは、自分も同じだ。でも、今日はあくまで、形だけでも、自分の日である。そのうち戻らねばならない。
「……もう少しここにいるか?」
「…ああ」
それから通りすがりのメイドに気付かれるまで、結構時間があった。戻ればやはり囲まれて面倒だったが、料理がまあまあ美味かったのでそっちに食い付いて逃げた。去年まで独りだったので、ハルがいてかなり寂しさが紛れた。
黄色い声でハルに取り巻く女子は、いつもは自分のことをいじめていた。髪に触って赤い癖毛を馬鹿にしたり、陰でヒソヒソと、されどあからさまに悪口を言ったりして面白がっていたのだ。それが今はこの通りだ。なんて分かりやすい。
「なんてお美しい方なのでしょう、あの人とは大違いだわ――」
耳を塞いだ。少し油断していた。
と、傍らで小さな女の子がつまずいて転んだ。自分よりハルの方がその子の近くにいたので、自分は何もしなかった。ハルがとっさに手をさしのべて立ち上がらせていた。
「…大丈夫?」
ハルはしゃがんで、優しい手つきでその子の頭を撫でた。転んで痛かったせいか目がうるうるしていたが、女の子は笑みを浮かべた。
「ありがとう、おにいさん」
それを自分は……冷たい目で見てしまった。子供の笑顔が皆 偽物のように映ってしまう。大人はとっくに信用していない。子供も信用できない。
じゃあ、自分は何を信じているのだろうか? 何も信じていないことはないだろう。たとえば――そうだ、ハルとかだったら、今のところ信じているかもしれない。
「ほら、あの人見て見ぬフリだわ…」
頼む、言わないでくれ。
「だってそうよ、あの人は――」
嫌でも聞こえてくる。あいつらは口を揃えて、俺のことをこう言う。
“殺人鬼の隠し子”だと……。