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Chain -鏡の道化師-【前編】  作者: 関 凛星
Ⅰ. 乾いた花瓶
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第4話 水仙 - 7.2.1595

 あれからご主人――ロブの父親に呼び出されることはなく、食事の時以外は見かけなかった。


 クレメンス家での生活にはなかなか慣れなかった。服を着替えるにも、庭に出るにも、すること一つ一つに召し使いたちが付きまとい、一人になれるのは自室くらいだった。


 自室には本がたくさん置かれていたが、難しいものばかりで、興味を持てそうなものはなかった。


 と、ドアをノックする音が聞こえた。開けるとロブだった。風呂の後の寝るまでの時間にこうやってロブが部屋に入ってくることはよくあったが、互いに一言か二言 話すくらいで、同じくらいの歳同士で気が楽だから、とりあえず一緒にいるという感じだった。


 ロブは見た目によらず穏やかな気性の持ち主のようだ。すぐに怒ったり手を上げたりするようなイメージがあったが、日中行動を共にしていてそのようなことは一切なかった。むしろおとなしく、あっさりしていた。


 二人きりの時、ロブが僕の顔をじっと見つめることがしばしばあった。とても不思議そうな目をして、少ししたら視線を逸らし、何か考え事でもしているようであった。


 話が変わって、僕は少なくとも記憶を失って以来、自分の姿を鏡で見たことがなかった。そういえばあれから、自室にも、それ以外の部屋での着替えの時も、鏡が見当たらなかった。あらゆる場面でなにかとちやほやされてうんざりしていたので、自分がどんな見た目をしているのかは、正直とても気になっていたのである。


「ハル」


 ロブがうつむいたまま、口を開く。


「…何?」


「俺さ、出たくない」


「……ん?」


「明日 誕生日なんだけど」


「あ…、ああ、そうだったね」


 ロブの誕生日を祝うパーティーが翌日に開かれる。召し使いたちがせっせと準備をしていたのを思い出した。


「パーティーに?」


 ふぅーと深い溜め息をつきながら、ロブは前髪をかき上げた。


「そうだ」


「…なんで?」


「……人に、じろじろ見られるから」


「……」


 ロブは顔を上げて、首を軽く振った。前髪が顔に落ちてくる。


「…一応、喋ってもいい? 聞き流してくれていいから」


「……うん」


「あの、食事の時に親父の隣にいる女は、俺の母さんじゃない」


「……えっ?」


「俺の母さんは…俺を生んですぐに出て行ったらしい。あれは再婚相手だ」


「…………―――」


 突然の重い話に、どう反応すればいいか分からなかった。ロブが視線を変えずに話を続ける。


「親父の側に小さい男の子もいただろ?」


「…ああ」


「あれがその子供――俺の腹違いの弟だ。親父は普段あの二人と一緒にいる」


「……」


「こっちも期待はしてないから、別に構わないんだけどさ」


 ロブがここまで自分のことを話すのは初めてだった。


「これだけ言っておいてあれだけど…同情は、あまりしてほしくないな」


「…分かった」


 掘り下げた話を聞いたところで、再びドアの叩く音が聞こえた。開けると、僕たちと歳が近そうな召し使いの青年がいた。


「ハル様、明日の衣装のことで少し…」


「あ…はい」


 そういえば前の日に服を合わせた時、上着の袖の幅が大きく不恰好だったため、今日直したものをまた試すことになっていたのを思い出した。時間が遅いので、召し使いはきまりが悪そうな様子だった。


「じゃあ俺はここで」


 ロブは速やかに自室に戻っていった。僕は衣装のある部屋に向かった。本当はこの場でもいいのだが、緊急時でない限り、自室に召し使いを入れてはいけない、と言われているからである。





***





 上着の袖はぴったりのサイズになっていた。部屋では僕と召し使いの二人だった。


「申し訳ございません、遅くなってしまって……」


「いえ、わざわざ…」


「お似合いですね」


「…ありがとうございます」


 上着を脱いで召し使いに渡した時、ふと鏡のことが頭をよぎった。


「あの」


「何でしょうか、ハル様?」


「鏡…見せてもらえませんか?」


「……」


 召し使いは意味ありげに口を閉ざした。


「…?」


「…あ、いえ……持ってきます」


 召し使いは急いで鏡を取って来た。だいたい手のひら四つ分の大きさだ。


「どうぞ……」


 ハルの顔の高さに、両手で鏡を持つ。しかし鏡の角度のせいだろうか。自分が映っていない。


「あの…もう少し下に」


「かしこまりました」


「――もう少し右に」


「…はい」


「――左に」


「……はい」


「――上に」


「……」


 目を逸らす召し使いの顔色が悪く見えた。


「……申し訳ございません」


「大丈夫です…自分で持って見てもいいですか?」


「……はい、ハル様」


 鏡を手渡され、僕は自分で鏡を傾けたり、上下左右に動かしたりした。部屋は映る。でも自分自身が映らない。うまいこといかない。


 ハルは移動して、召し使いが真後ろになる位置に来て、鏡を掲げた。それでも映らない。召し使いは映るのに、僕は映らない。


 ……ん? 召し使いは僕の真後ろにいたはずだ。背丈も大きく変わらない。どういうことだ。


 全体を映そうとすることにこだわらず、鏡を顔にうんと近づけた。


 その時、思いきり真っ青な顔をした召し使いの顔が、結構な大きさで映った。


「――――っ!!」


 傍の机に置かれたロウソクの光の当たり具合が、ますます悪かった。思わず鏡を手から放してしまった。 


 ガシャーンと派手な音を立て、鏡は割れた。その破片にさえ、僕の姿はなかった。


「ああ……噂は…本当だったんだ……ああ……」


 召し使いが腰を抜かして、独り言を言っている。


「ご…ごめんなさい」


「……あっ、申し訳ございません!すぐに片付けます…」


「あの、僕も手伝います」


「いえいえ、ハル様がお怪我をしてはなりません…」


 正気に戻った召し使いは起き上がり、慌ただしくほうきを取りに行った。なぜだろう。しばらく、割れた鏡を見つめていた。頬をつねると痛かった。


 召し使いが再び現れた。ほうきで破片がひとまとめにされていく。自分は陰で噂されていたとしたら――ロブが僕を不思議そうに見ていたのは、ロブも僕のこの噂を耳にしたからだろうか。


 その夜はよく眠れなかった。翌朝の着替えもその召し使いが担当だったが、非常に気まずかった。

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