第27話 暁の便り
“親愛なるハルへ”
とりあえず書き出したのは良いものの、何から書こうか非常に迷った。
「どうしよっかな……」
なにせ、初めてハルに書く手紙である。一番の目的は はっきりしていたが、それ以外のことで書きたいことが山ほどある。
筆が進まないまま時間だけが過ぎていく…というのは虚しいと思った。ここは気分転換にお茶でも――というところで、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
そっとドアを開け、俺の隣に来た。机に紅茶の一式を置くと、書きかけの手紙を見て、クスッと笑った。
「…ハル宛て?」
「おう。この前、住所が分かったからさ…でも、何から書こうかと思って」
「うーん……たくさん、あるわよね」
「そうなんだよな…」
「出来事を起こった順に、ちょっとずつ書いていけば良いんじゃないの?」
「ああ…なるほどな」
「長くなっちゃっても、ハルなら読んでくれるわよ」
「そうかな…、じゃあ、そうしよう」
ということで、相当な枚数になってしまった。便箋に入るかどうか心配だったけれども、どうにか詰め込むことができた。突然こんなものが届いたら、ハルはビックリするだろう。性格的にこちらで新しく女を見つけているとは考えにくいから、きっと一人で暮らしている。
そんなハルに、ある提案をしようと考えた。その前に、俺と周りの人々の現在に至るまでを、可能な限り分かりやすく綴った。
エマは再婚せず、メグは幸せな結婚をした。ハルの二人目の子供は男の子で、遺言通りアーサーと名付けられた。真っ当に育ち、縁談など跡継ぎのための準備を順調に進めていた。一方で俺のところは、長男が芸術家、次男が学者になり、アーサーの一か月後に生まれた娘は貴族のもとに嫁いだ。
しかし――信じてくれるかは疑わしいけれども、俺は24歳にして不老の身体となった。それに気付いたのは40歳のときで、アーサーが家督を継ぐより前に俺は町を出た。
そしてあの悪夢を見ることになる。町を出て四年後、俺は放浪の旅を続けながら、たまたま例の街に来ていた。そこで目にしたのは、火を噴いて崩れ落ちる、かつて俺たちが暮らしていた屋敷だった。親父一家が全員焼け死んで、俺の従弟――親父の兄夫婦の息子であるルイスが権力を握った…というよりは、奪った。
そんなルイスに、どういうわけか俺は追われることとなった。悪夢は続き、研究で有名になっていた俺の次男がルイスに俺の息子だと勘づかれたらしく、長男ともども囚われの身となった。そして俺は……息子二人をかばって、ルイスに腹を抉られて死んだ。その死に際に、ルイスに言われたことが――――。
それからは……それからのことは必要ないと思ったけれども、一応書いておこう。俺――いや、俺たちが楽園に来てからの話を。
***
上昇していく意識がプツンと途切れ、次に目覚めたときには、俺は知らない家の中で倒れていた。立ち上がって辺りを見ても、他に人の気配はしない。服装は、息子や娘と一緒に暮らしていた頃のようなものだった。そこにあった鏡で確認すると、やはり俺は24歳当時の姿をしていた。頭には輪が浮かんでいる。これは――
いや、一体どこなのだろうか、外に出てみた。景色はかつて俺が住んでいた場所と似通った感じだけども、すぐにここが天国だと理解した。
ああ、俺は死んだのだ……と思うと、一気に寂しさがこみ上げてきた。旅はしていたけれども まともな一人暮らしは初めてだったので、家がとても広く感じた。いや、立派なお屋敷ほどではないけれども、実際に広かった。俺にはもったいない。
周りに何軒か家があったけれども、ちゃんと挨拶をすることはなかった。出掛けるときに会っても、目が合う程度で何も喋らなかった。見る限り、俺の周りには裕福な人々が多く暮らしている。役所より届いていた手紙によると、俺はそいつら同様 一定の義務が免除されているようだ。でも、この身なりから、そいつらに身分が違うことを知られているのは間違いない。
その割には、道を歩いていると、たまにどこかの家から怒号や悲鳴が聞こえてくることがある。夜は皆 窓を閉めているからかほとんど聞こえないが、なんだかそわそわする。あの家じゃあるまいし、どういうことだろう……と少し考えた。
――一つ、あの家にいた、囚われた子供たちのことを思い出した。きっと、使用人らしき彼らだろう。大抵が子供の姿にさせられているのは、彼らに罰を与えるとき、抵抗できないようにしやすいからだと思われる。身分は保たれるものの、権力を手放さざるを得なくなった奴らが、支配ごっこを継続するための手段なのだろうか。
だとすれば、こちらの世界の方が平和なようで、余計に荒んでいる人々もいるのだろう。ここに来て間もないのにそんなことを考えてしまうのも、どうかと思うが。
まあ、俺にできることといえば、そんな奴らと彼らの様子を遠くから眺めることくらいしかなかったし、関わろうとしたところで門前払いを喰らうだろうから、そっとしておいた。奴らと同じように、俺も自分のことしか考えていない。
とりあえず、一人でいるのは落ち着かないから、誰か知り合いを探そうと思った。本当に魔力の有無で天国が二つに分かれているのであれば、少なくともハルは確実に、こちらに来ているだろう。というか、俺は天国が二つあるという迷信を信じ切っているようだ。道化鏡らしき子供をここで何人も見かけているし、そうでなさそうな人々も、異様に揃って若い。この迷信は真実だったのかもしれない。
とにかく、他にすべきことがないので、どうやって人探しをすれば良いのかを考えることにした。まだ生きている息子二人と娘のことも心配だったが、世界を隔ててしまった以上、俺からはどうすることもできないため、ここは泣く泣く後回しにすることにした。
そこで、家の中にある棚や引き出しを漁っていると、どこかから地図らしきものが出てきた。それを基に家の周りを歩いてみると、俺の家がある場所と、それ以外の、地図に描かれている場所との位置関係が把握できた。これにより、ここの地区は役所から絶妙に離れた場所に位置していることが明らかになった。
とはいえ、役所に行けば何かしら分かるだろうと、ある日 足を運んでみた。
俺の勘は当たった。人探しのシステムがこの天国――“楽園”というらしい――では構築されていて、探してほしい人の名前を登録しておくと、見つかり次第、その人の住所を開示してくれるという。ただしその際、生前の人間関係が洗いざらい調べられて、場合によっては見つかっていても教えてくれないとのことだ。
まだ生きている人物も登録できるようなので、ソフィアとハルの他に、三人の名前も書いておいた。人間関係で特にこれといった問題はなかったから、よほどのことがない限り教えてくれるだろう。
しかし……人探しをしたいのは、俺たちだけではない。あらゆる国、あらゆる時代を生きた楽園の人々全体が、家族や恋人、そして盟友との再会を祈っていることだろう。よって、どれだけ短くても10年以上はかかると言われた。でも、これで再び会えたなら……その気持ちだけでいくらでも待てると確信できた。
しかし、俺が想像していた以上のことが起こった。役所へ行ってから二か月も経たないうちに、手紙が届いた。
差出人は……ソフィアだった。手紙には愛の言葉と、待ち合わせの約束が書かれていた。
約束の場所は役所よりもさらに離れていたので、馬車に乗って向かった。
辿り着いたそこは閑静な公園だった。空を見上げながら胸の鼓動を感じる。死んでいるのに動いているというのがなんとも不思議で、ふとここが死後の世界であることを忘れてしまいそうだった。
まさかソフィアから“会いたい”と言ってくれるなんて…。プロポーズしたときと同じくらい、顔が熱くなっている。
そろそろだろう…と、向こうの方に目をやった。――ああ、気が付けば俺も駆け出していた。
「あなた…!」
「ソフィア…!」
顔を見る間もなく、互いにきつく抱き合った。この温もりは間違えようがない。今まで溜まっていたものが全て溢れて流れ出した。実際に待ったのは少しの間だけだったけれども、本当は何十年もこの日を望んでいたのかもしれない。いや、そうだったのだ。
落ち着くよりも前に腕を解くと、恥ずかしくなるほど長いキスを交わし、見つめ合った。
「…………―――」
「…………―――」
次の言葉が見つからず、肩に添えている手に汗が滲む。今、ソフィアが目の前にいる。これは夢じゃない。
「ああ……」
「――あなた」
「……?」
「今日、あなたのおうちに泊まっても良いかしら?」
「…おう。でも、たまに怒鳴り声とか、子供の悲鳴とか聞こえてくるぜ?」
「わたしは大丈夫。いっそ、一緒に住みたいわ。ずっと、待っていたの」
「ソフィア……」
“ずっと待っていた”という言葉がまた、この上なく嬉しかった。
「じゃあ――俺、ずっとソフィアの傍にいるよ」
「ええ、ずっと離さないで」
「――――!」
ただでさえ流れていた涙が、粒を大きくしてさらに零れた。涙ではっきりとは見えなかったが、ソフィアは花が咲いたような可憐な笑みを浮かべていた。それがたまらなく愛しくて、また抱き締めた。
「ソフィア…もう離さないよ」
「ええ…、あなた、愛してるわ……」
「――――っ、俺もソフィアのこと、愛してるよ……」
「うふふ……幸せ」
ああ、これから家に帰ったら、何から話そうか。ソフィアに教えたいこと、言うべきことが、山ほどある。眩しすぎる希望の光が、俺たちを包み込んだ。
家に帰り、窓の外を眺めながら、俺はソフィアがいなくなってからのことを話していた。墓に薔薇の花を手向けていたことは、照れくさくて言わなかった。
「あら……皆 凄いのね」
「だろ? さすがソフィアの子だよ…」
「いえいえ、あなたとの子だからよ」
ソフィアの中の三人は、小さいままで止まっていた。だからだろう、彼らの話をすると、非常に喜んだ。
一方で、ソフィアもこちらに来てからのことを教えてくれた。特に人との交流はなく、ずっと一人で暮らしていたらしい。
「……寂しい思いをさせてしまったな」
「大丈夫よ。あなたも必ずここに来るって、信じていたもの」
「…待っててくれて、ありがとう」
「うふふ」
「――そういえば、ソフィア」
「あなた?」
「ソフィアって……何の魔力が使えるんだ?」
ソフィアも魔力を持っているとは、少し驚きだった。
「わたしはね、“植物”みたい」
「あっ…ベルと一緒だ」
「あら…。なんだか今まで隠してしまって…ごめんなさい」
「いやいや、構わないよ」
「――じゃあ、三人とも持ってるのかしら?」
「おう。ジョーとビリーは俺と同じ“火”だよ」
「あら、じゃあ家族全員なのね」
「そういうことだな」
つまり、いつかまた家族五人が揃う日が来るということだ。ソフィアにも、大人になった三人に会わせてあげたい。
「――それにしても、今更なぜ、あなたが捕まらなければいけなかったのかしら?」
「…ソフィア」
「?」
「言わないといけないことがある」
必ずしもそうとは限らないと思うけれども、後に何かしらの不都合が起こったときのために、伝えておきたいと考えた。でも正直、俺自身もよく分かっていない。
「――クレメンス家がヤバい実験をしているって、だいぶ前に言ったけど…覚えてる?」
「ええ、覚えているわ」
「俺もその、実験の産物だったらしい」
「えっ……?」
俺は老化が止まったことと、最期に聞いたルイスの言葉を用いて、できる限りのことをソフィアに伝えた。突然な上にぶっ飛んだ話だったのでソフィアはかなり動揺していたが、それでも最後まで聞いてくれた。
「じゃあ、あのときからずっと……」
「このまんま、若いままだった」
「あら……」
「――自分でもあまり、ピンと来てないけど。俺の身体は、一体どうなっていたのか」
「…………―――」
ソフィアはまぶたを伏せて、俺が言ったことを一つずつ確認しているようだった。
「…………でも」
「でも?」
「あなたがあなたであるなら、わたしは構わないわ」
「――――」
「あなたの温もりは、本物だもの」
「ソフィア……」
たまらなく嬉しかった。やはり俺には、ソフィアが一番だ。ソフィアで良かった。
「…………」
「……あなた?」
「はは……」
と、ソフィアが俺に抱き着いた。慌てて受け止める。
「泣き虫なのね、あなたは」
「――――っ」
「こんなに温かいですもの。離れたくないわ…」
俺も離れたくないと願った。ソフィアの何もかもが、俺にとってかけがえのない宝物だ。
この数日後、ソフィアがこちらの家に荷物を全て持って来た。
それからは互いに料理を作り合ったり、一緒に遠出したりして、満ち足りた暮らしをしていた。生きていた頃と変わらず…いや、むしろ離ればなれになった空白の時間が、より俺たちを深く繋げたように思えた。
そして30年くらい経ったある日、役所から呼び出しの手紙が来たので行ってみると、ハルの居場所が分かったとのことだった。ソフィアと一緒に飛び上がった後、住所を写し、ついでにソフィアが四年分若作りの手続きをして(俺の見た目の歳に合わせたらしい)帰り、さっそく手紙を書こうということになった。
「――あのさ」
「?」
「これは俺が勝手に思ったことだから、ソフィアが嫌だったらやめとくけど」
「ええ…」
これは、ソフィアは反対するだろうと思ったけれども、一応言ってみることにしてみた。
「ハルの家でさ、皆で暮らそうよ」
「えっ…?」
ソフィアがきょとんとする。いきなりのことだから仕方がない。
「まあ、あの……深い森の奥に、広い花畑に囲まれて佇んでいる大きなお屋敷って、なんだか良いなぁって。ここもとても良いけど、なんだか落ち着かなくてさ…。俺たち、周りの人との親交もないし、きっとハルもまだ一人でいるから、どうだろうって」
住所と一緒に、そこがどういう場所なのかを教えてもらっていた。特に“いわく付き”でもないが、普段その森には誰も入らないらしい。森ならもっと近くに便利なところがあるし、こちらわざわざ足を踏み入れたところで珍しいものは何もないからだと、役員が教えてくれた。そのような、ある意味 隔離された場所に住んでいるとは、いかにもハルらしいと思った。
「――いいじゃない」
「えっ……!?」
まさか。ソフィアはにっこりして続けた。
「そうね。どうせ住むなら、静かで綺麗な場所の方が良いわ」
「えっ、本当に良いの?」
「ええ。ハルにも、手紙で言ってみたらどうかしら?」
「おう……」
かなりあっさりと決まった。というわけで、俺はハルにこの提案をすることとなった。人探しのことも、追記で書いておいた。
***
一週間くらいして、ハルから返事が来た。大歓迎だと書いてあった。
ただ、ハルの家には今、迷い込んできた二人の道化鏡がいるらしい。男女の双子で少し陰があるものの、とても可愛らしいという。彼らには“兄夫婦が来る”と伝えてあり、許可は得ているようだ。ハルのことだから、きっと大切にしているだろう。
「うふふ、どんな子たちかしら」
「楽しみだな」
俺もソフィアも子供が好きなので、何の問題もなかった。俺たちはすぐに返事を書き、荷物を整えた。
楽園での新しい生活が、始まろうとしていた。




