第25話 零れ星
思ったよりも、時間がかかってしまった。力の入らない身体というものは、こんなにも重たく感じるものなのだろうか。
使っていなかった寝室まで連れていき、二人を一緒に寝かせた。今はかなり落ち着いて、安らかに寝息を立てている。僕はその傍で、様子を見守っていた。
それぞれ、至って普通の男の子と女の子だった。年格好はどちらも12、3歳くらいで、顔立ちもよく似ているから、双子だろうか。玄関からずぶ濡れのまま運んだので、ベッドがびしょびしょになってしまった。
二人の命に関わることだったので、何の断りもないまま、僕はどうにか“契約”を結んだ。二人が目覚めたら、ちゃんと経緯を話そうと思っている。
ちょうど書斎の机の引き出しに宝石箱が入っており、そこにあった色違いの指輪を“鎖”として使った。女性用だったのか、ピンキーリングだったのか、どちらも僕の小指にぴったりはまった。確か、赤っぽい方を男の子、青っぽい方を女の子に使った。
わざわざ足を運ばなければ来ることができないこの場所に、彼らはなぜ迷い込んだのだろうか。どこか運命的だった。
と――二人が同時に、目を覚ました。少しだけ日が傾き始めていた。
「…こんにちは」
とりあえず話しかけてみる。二人とも反応して、こちらをじっと見た。
「大丈夫?」
少し間が空いて、二人は顔を見合わせてから もう一度こちらを向いて、小さく頷いた。
「よかった……。今日はゆっくりしていってね」
まずは安心させなければいけないと思った。二人は依然として表情を変えず、僕から視線を外さない。しばらく一緒にいる方がよさそうだ。
「…どこかから、逃げて来たの?」
「…………―――」
女の子が、わずかに首を縦に振った。
「じゃあ…主人に今、追いかけられている?」
「…………」
男の子が、首を横に振った。先程読んでいた本によると、“彼ら”は主がいる状態で二重に契約を結ぶことはできないという。つまり、目の前にいる二人は、ここに来た地点では主がいなかったということになる。ちなみに契約の方法も、その本に書かれていた。力を込めて、“鎖”となるものを彼らの額に押し当てる――魔力がうまく使えない僕でも、なんとか成功した。
「実はね――君たちが寝ている間に、勝手に結んじゃったんだけど」
そう言って、二つの指輪を見せた。これで嫌な顔をされたら、早いうちに新たな主を探してあげようと考えた。
でも…二人は、むしろ表情を柔らかくした。構わないということだろうか。
「あれ…いいの?」
と言うと、二人はこくっと頷いた。
「そうかそうか……」
少し意外だったけれども、それならば心配がなくなった。
「じゃあ、まぁ……僕のことは、ハルって呼んでくれたらいいよ。よろしくね」
彼らに僕のことを“ご主人様”などと言わせる気はさらさらなかった。少なくとも見た目では、僕と彼らは10くらいしか変わらない。子供を相手に堅苦しいのもどうかと思った。
「君たちの名前は…? ――あっ、そうか」
新しい主を迎えたときは原則として、彼らは新たな名前と姿を授かる。どちらも、主の気まぐれで何度でも変えられるようだが、とりあえず。
「好きな名前を名乗って、好きな格好をしたらいいからね。コロコロ変えられると困るけど…」
彼らの自由にしてあげることにした。僕としては、ちょうどいい友達がやって来たようなものだ。これも神様からの贈り物なのかもしれない。大切にしようと決めた。
「――じゃあ、僕、新しいシーツ持ってくるから。君たちはゆっくりしててね。すぐ戻ってくるから」
ひとまず部屋を出た。床も拭かなければいけなかったけれども、目覚めた彼らにとって、濡れたままのベッドは寝心地が悪いだろう。
いや、そもそも着替えさせた方がいいかもしれない。でも、彼らが着れるようなサイズの服なんか、この屋敷に――
二人が横たわる部屋の隣に入り、何気なくクローゼットを開けた。
…あった。そこには女の子用の服がぎっしり詰まっていた。どれも同じくらいの大きさだったので、適当に一着引っ張り出した。さっき言ったことが嘘にならないようにシーツも持って、両手が塞がったところで二人のもとに戻った。
「よいしょ…もうちょっと待ってね」
そこにあった机に両方を置き、ここはもしや…? という感じでこの部屋のクローゼットを開けてみた。
……どんぴしゃりだった。この屋敷そのものが魔法のようだ。そこからもそれらしい服を取り出して、同じところに置いた。
「ついでに着替えも持ってきたからね。じゃあ――」
二人が休んでいる間に、玄関の掃除をしようと思った。乾くだろうけれども、気になったときにキレイにしておいた方がいいだろう。
「ちょっとしたら戻ってくるから」
そう言い残して、また部屋を出た。玄関に行くまでもところどころ水が落ちていたので、そこも拭くとなると結構時間がかかった。久しぶりにきびきび動いたからか、疲れ…というか、急に眠気が襲った。
(ああ……)
それはまるで何かに突き動かされるようで、このままでは場所に構わずぶっ倒れてしまいそうだ。少し動いたくらいでこんなことになるなんて、自分も情けない。
二階まで上がる余裕もなかった。ふらふらと、居間にあった椅子に飛び込み、全身の力を抜いて目を閉じた。かなり楽になった。雨の音が、意識とともに遠ざかっていく。
***
はっと、目を覚ました。辺りを見ると、すっかり夜になっていた。
しまった。彼らはどうしているだろう。雨は既に止んで、月明かりが優しく屋敷の中を照らしていた。
身体は十分休めたようで、だるさはもう感じなかった。もう寝ているかもしれないけれど、様子だけでも見ておこうと思い、階段を上った。
二階の廊下は、晴れていれば昼も夜も 窓から光が差し込む。特に今夜のような満月の日は、最高の景色を眺めることができる。もしも彼らが起きているようであれば、この夜空を見せてあげたいと思った。
二人がいる部屋のドアを軽くノックしてみる。月はまだ一番高いところまで昇っていなかったが、太陽は完全に沈みきっているから、きっともう寝ているだろう。そう思っていた。
「はーい」
と思いきや、中から一人の声がした。どちらの声かは分からない。まだ起きていたのか、それとも…今、無理やり起こしてしまったか。少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「ごめんね……、起こしてし――――!?」
ドアが開き、二人――の、見たことのない少年少女が出てきた。
「……まった…かな」
実に奇抜だった。二人とも短い銀色の髪で、少年は黄色、少女の方は緑色の瞳をしていて、どちらも目元に ほくろがある。顔立ちも整っていて、着替えた服がよく似合っていた。さっきは、言ってしまえば どこにでもいそうな見た目だったから、とても驚かされた。
「あの…さっきの子たちだよね?」
「はい」
凛とした声で、少年が返事する。ドア越しに聞こえたものと同じだった。その後ろで、少女が僕に会釈した。
「ああ、そうか……大したことじゃないんだけど、その――」
窓の外を指差し、屈んで二人に目線を合わせた。
「空が綺麗だねって、思って…」
二人は少しの間 顔を見合わせて、それから僕の方をじっと見た。ぎこちないのは分かっている。ただ、僕は少しでも、彼らから不安を取り除いてあげたかった。
しばらく二人は考えていたけれども、互いに頷くと、手を繋いで窓際に歩み寄り、空を見上げた。僕も少年の横に並んで、特にこれといった会話も交わすことなく、一緒に月や星を見ていた。ここに来てから何度か満月の日を過ごしたけれども、今までで一番明るい夜だった。
「あの――」
と、少年が僕に、遠慮がちに言った。
「どうしたの?」
「その……手のひらを、見せてくれませんか?」
「うん…」
僕は彼にそっと、右の手のひらを見せた。何か気になるものがあったのだろうか。
「ちょっとだけ、失礼します…」
「え…うん……?」
少年は左手を僕の手に添えて、右の人差し指で手のひらにこう書いた。
“L” “i” “e” “z” “e” “l”
「……リーゼル?」
「ボクの名前…」
「…ああ、決めたんだね。よろしくね」
僕は挨拶に、彼――リーゼルの頭を撫でた。リーゼルは無表情のまま、僕をじっと見ている。
「よろしく…お願いします」
「あはは……そんなに固くならなくていいよ。僕たちは友達だ」
彼らとは、対等に接したいと思った。子供の前でやけに偉そうにするのもどうだろうか、僕は好きじゃない。
「――じゃあ、そっちの女の子は?」
僕は少女の方に視線を送った。少女は少し不安げに、こちらを窺っている。
「…………」
左手を添えて、同じように僕の手にスペルを書いた。
“S” “a” “b” “e” “l”
「――セーベル?」
彼女は一歩下がり、下を向いて小さく頷いた。もしかしたら、大人の男の人が怖いのかもしれない。この前、買い物の行き帰りに見てしまった光景が、脳裏をよぎった。
「そうかそうか……よろしくね」
そう思った僕は、彼女――セーベルには笑いかけるだけで済ませた。
二人の名前を聞いたところで、僕はまた彼らの目線に合わせて膝を曲げた。
「僕はこんな…偉い人みたいな格好してるけど、何もそんなことないし、君たちも僕にとっては……友達だから。だから、主人に尽くすとかじゃなくて、僕に言いたいことがあるときは、何でも正直に言ってね。君たちが安心して暮らせるのが、一番だから」
今日のように一緒に夜空を見たり、あるいは花畑で花を摘んだり、そんなことをしながら、穏やかな暮らしを送ることができたら…僕には、それで十分だ。
「――じゃあ」
リーゼルが口を開いた。
「友達なら、約束、守ってくれる?」
先程までのかしこまった態度とは違い、むしろ食ってかかるようだった。
「うん…」
リーゼルは一歩前に出て両手を広げ、セーベルをかばうような体勢を取った。
「彼女を傷つけないで」
「……!」
彼の、子供とは思えないほど厳しい眼差しに、思わず気圧された。いろいろと驚かされてばかりである。
「う…うん、約束するよ」
黄色の瞳が月の光に反射して、いっそう鋭く見えた。少ししてから、リーゼルは元の穏やかな表情に戻った。後ろからセーベルが、困ったような顔でリーゼルに目を向けている。
「そう…じゃあ、よろしく」
「うん…」
それからもしばらく、三人で夜空を眺めていた。独りぼっちでなくなったことだけでも、かなり心が満たされた。
ここは“楽園”なのだ。彼らにとっても、安息の地でなければならない。




