第17話 憧憬 - 2.15.1602~3.8.1605
翌年2月15日に、ハルとエマの間にも娘が生まれた。さっそく見に行ったが、赤ん坊でありながら、期待通りの美人だった。
「ハル、名前は?」
「マーガレットだよ。女の子が生まれたら、花の名前にしようと思っててね」
抱かせてもらった。この赤ん坊はおとなしく、俺やソフィアが抱いても泣かなかった。一方で、ハルたちにもジョーのことを抱かせてあげた。
「前より重たくなったね…」
この頃にはだいぶ慣れて、ソフィア以外に抱かれても泣かないようになっていた。それとも、単にハルたちの抱え方が気に入っているだけかもしれない。
「この子、ロブにそっくりだね」
「いやぁ…目の色とか、鼻とかは、ソフィアにそっくりだけどな」
瞳はソフィアの右目と同じ、茶色だった。ちなみに髪は――
「でも、髪の毛の この感じはロブだね。色は…誰のだろう?」
俺の癖毛をそのまま受け継いでいた。しかし色は、黄みがかった焦げ茶。ソフィアの母親は確か、ソフィアと同じ薄い色の金髪だった。俺の親父の茶髪とも少し色味が違う。だとしたら…?
「きっとこの人のお母さんか、わたしのお父さんね」
ソフィアが傍から助け船を出してくれた。
ちなみに俺の母親と同じく、ソフィアの父親も誰なのか分からないままである。というのも、どうも この母親がソフィアを宿したのが14か15のときだったという。
『ちょっとやんちゃしていたみたい。でも、お腹にわたしがいるって知って、悪い子たちと縁を切ったんですって』
確かこう言っていた。まあ、母親とはとても仲良しだそうだから、そこは良かったのではないか。
そんなソフィアの母親とは、あれ以来全く連絡が取れていない。あの後捕まったのか、どうにか逃げきって暮らしているのか、頭の片隅で気になっていた。
「そうね…この子、お母さんにも抱いてほしいわ」
ソフィアが呟く。俺も、あの母親に子供を見てほしい。
「それにしても早いね、あっという間に僕たちも親になってしまった…」
「おう…本当だな」
お互いに子供を帰した。ハルは優しくて性格もとても良いけれども、こうやって一人の女性を愛し、家庭を築く…というイメージはなかった。
そうか…俺たちも、父親になったのだ。
「メグもあと半年経ったら、ジョーくらい大きくなるんだ…楽しみだね、エマ」
「ええ、どんな娘に育つのかしら…」
するとエマの腕で、メグが目を覚まして手足を動かしていた。二人はそれを微笑ましそうに見ていた。
「良いな、子供って」
ハルと同じ感じで、ソフィアに言ってみた。ジョーはソフィアに抱かれて、ぐっすり眠っている。
「うふふ、まだまだこれからよ。これからが大変なの」
肩をすくめて、ソフィアが笑った。たとえ大変でも、ソフィアと子供の支えになれたらと思った。
「増えたら尚更よ。ケンカしたり、家の中が散らかったりするから……でも、それも子供がいないと起こらないものね」
「それはそうだな…。ところでソフィア、そんなこともよく知ってるんだな」
「昔、小さい子の面倒をよく見ていたからかしら」
「なるほどな」
増えたら――ジョーのことは言うまでもなく可愛いが、二人目のことも もう考え始めていた。大変なのも、同時に楽しみなのも、まだまだこれからである。
***
などと言っている間に時が経ち、同年11月30日、俺たちの間に次男が生まれた。顔立ちは明らかにソフィア譲りで、髪はまっすぐで俺と同じ赤毛だった。名前はウィリアムと名付けた。右目が深い青、左目が緑のオッドアイだったのにも、ますます愛着が湧いた。
「ビリーはお兄ちゃんに比べて、割とおとなしいわね」
「そうだな。あんまり泣かないし……」
だからといって特に身体が弱かったり、病気にかかったりはしなかった。ジョーみたいに夜泣きもなく、楽といえば楽だったが……これでもかというくらい おとなしかったので、少しだけ心配だった。
それでもジョーの後を追うように少しずつ、しかし確実に成長し、気がつけば二人とも家中を歩き回るようになっていた。
そして、ビリーも言葉を覚え始めた頃から増えたのが……やはり、兄弟ゲンカだ。
大抵はおもちゃの取り合いでジョーがビリーのことを叩いて、ビリーがものすごく大声で泣いている…というパターンだった。普段 物静かなビリーだったけれども、泣くときはビックリするほど泣いた。そして俺かソフィアかがジョーを叱ると、ジョーも負けないくらいの勢いで泣きじゃくった。
でも、互いに機嫌が良いときには、本当に仲良くしている。これはまるで――
「式を挙げる前の俺たちだな」
「うふふ、やっぱりわたしたちの子供ね」
確かにケンカはしてほしくなかったけれども、自分たちを映しているような二人を見ると、可愛くて仕方がなかった。だからこそ、叱るとき、言い聞かせるときだけは甘やかさないようにした。
「でも成長してるわよ、今日はね、ジョーがビリーにおもちゃを譲ってたの」
「本当に? 偉いな」
仕事から帰ってきて、子供のことをソフィアから聞くときはとても幸せだった。そして、俺が家にいない間のことでも、良いことをしたときは必ず褒めた。そのときの子供の笑顔は、俺たちまで嬉しい気持ちにさせるものだった。
一方でエイリー家との関わりも絶えず、子供はよくメグと仲良さそうに遊んでいた。メグはとてもしっかりしていて、三人の中でリーダー的な役割を果たしているようだった。
「結構、気が強くてね…僕たちも、参ってしまうことがあるよ」
「へぇ、さすがお嬢様だな…」
「メグは同じ頃の私よりもしっかりしているって、お父様が言っていたわ…」
ハルもエマも、メグのことを目に入れても痛くないくらい、可愛がっていた。俺たちも負けていないだろうけれども。
「ロブたちの子供も…とても元気そうで、なによりだよ」
「ところで、ハルは最近どうだ? 大丈夫か?」
「うん…まあ」
そう、昨年末――1604年末からハルが食事に参加しなくなったり、顔色がどことなく悪かったりしたので、食事後、会うたびに訊いていた。でも、いつもぼやけた返事ばかりで、ずっと気になっている。
「あのさ、そっちの二人目はいつ生まれるんだ?」
「えっと、確か今は3月だよね?」
「おう」
「たぶん、7月末か8月の頭に生まれるんじゃないかな」
屋敷で食事したときの会話で、主人は跡取りのことを考えて男の子を欲しがっていた。俺の予感では、きっとその通りになるだろう。
「ロブの方は、どうなの? 確か、三人欲しいって言ってたよね?」
「おう、実は――9月に生まれるんだぜ」
今日も食事の後、ベランダにてハルと話すことができた。待望の三人目が今、ソフィアのお腹にいる。
「生まれたら、またハルに抱いてほしいな」
「…………」
二人目のときまでは笑顔で頷いてくれたのに、今日は黙って、どこか哀しい目をしている。
「ハル…」
いつものように微笑もうとするけれども、見ているこちら側が辛くなってくる、そんな痛ましい表情だった。こんなハルを見るのは初めてだった。
「……ごめんな、何か、あるのか?」
「…………―――」
まぶたを伏せて、ハルが口を開いた。
「……ごめん、心配をかけたくなくて、隠してたんだけど――」
「……?」
「僕、結核になってしまって……」
「――――!」
結核。それは――
「……いつまで、持つんだ?」
「うん…かなり、進んでて――」
「おう」
「――――っ、少なくとも」
ハルは顔を上げた。
「6月から7月。その間だろうって」
「えっ……じゃあ……」
「――――今は、咳止めのいい薬が効いてるから大丈夫だけど、よほどのことがない限り、エマとの子が、生まれてくるまでには……」
「……そんな」
悪いこととは予感していたけれども、それでも突然の話だった。
「どちらが生まれてもいいように、名前もそれぞれ決めてエマに伝えてあるんだ」
「――――」
「伝染したらいけないからね、こうやって、薬で咳が止まっているときだけ、他人と会って喋ることができるんだ」
「…これから、俺たちはどうすれば――」
「気にせずに――というのは難しいかもしれないけど、いつも通り来てくれたら嬉しいな。僕もできるだけ、人と会いたいから……」
ハルは胸元に手を当てて、一瞬 顔を歪めた。しかし本当は、それ以上に苦しんでいるのだろう。そんな風に見て取れた。
「どうして、ハルが……」
誰も代わりをすることができない。この病にかかった以上、徐々に滅びていく身体を修復することはかなわない。
「――また、食事に誘うから。ね、まだ三か月あるから、たくさん語り合おうよ」
いや、三か月なんて、あっという間だろう。あまりにも悲しすぎる。
「きっと三人目は、女の子かな? そんな気がするなぁ……」
ハルはまた、いつものように明るく振る舞おうとする。“兄弟”同士で、そんな必要なんてないのに…。
そのまま、その日は終わってしまった。受け入れられなかった。帰ってからソフィアにその話をしていると、寝付けなかったジョーとビリーが、俺のところに寄ってきた。
「とうさん…?」
「とうさん、だいじょうぶ?」
俺は二人の頭を撫でて、そっと抱き締めた。
「……うん、大丈夫だよ」
身を埋める二人の温もりが、心に染みた。
「優しい子だね……」
そうか――この温もりを、ハルは失うのだ。
子供のことをこれ以上不安にさせたくなかったから、寝室に連れて行って寝かしつけるまでは、どうにか耐えた。でも…戻って再びソフィアと二人きりになったときに、糸が切れた。
「あなた……」
ソフィアは俺が落ち着くまで、ずっと傍にいてくれた。俺は酒が飲めなかったから、こんなときは泣いて晴らすしかなかった。
この後も食事に呼ばれるたびにハルと話したけれども、俺の前で咳をすることは決してなかった。でも、ハルは見るからに、どんどんやつれていった。
***
「…………―――」
また、やってしまった。
これで何度目だろう。自分の血を見るのは。
去年の夏から咳き込むようになり、その年末に初めて喀血してから、エマとは部屋を隔てた。メグたち子供のことも、遠くから眺めることしかできなくなった。
さまざまな薬を試したけれども、病状は悪くなる一方だった。咳止めの薬も一時的なもので、効き目が切れた瞬間には地獄のような苦しみが待っている。
幸い、エマたちには伝染しなかった。咳が止まらなくなってからも、血を吐くまで何度か、身体を重ねていた。エマにはその都度 心配されたけれども、互いに望んだことだった。
独りベッドの中で考えることは二つ。まずは、これまで生きてきた自分の軌跡だ。
どしゃ降りの雨が降る墓場の中、そこから僕の物語が始まる。
道しるべを頼りに屋敷へ至り、門番に声をかけて、ご主人に気に入られて、ロブに出逢って――
ロブと一緒に街をぶらぶらしているときに、偶然すれ違ったソフィアさん。二人は まるでそれが運命で定められていたかのように仲睦まじくなり、縛られた自分たちの身の上を恨んだ。
そして、隠されたクレメンス家の真実。上に立つ者と、下にひれ伏す者。狂った技術を前に、僕たちは僕たちなりの方法で、抗った。
この町に来たこともまた、運命的である。僕はエマという、とても素敵な女性と出逢うことができた。気がつけば結ばれて、愛しい娘が生まれた。ロブの子供もたいそう可愛くて、満ち足りた日々を過ごしていた……そんなときだった。
この幸せを今、僕はこの病に奪われようとしている。どれだけあがいても、この身体は日に日に壊れていく。
今年の6月で、僕は22歳になる。そう、今の僕が記憶を始めてから、ちょうど10年になるのだ。だから…せめて、自分の誕生日までは生きていたい。たとえ、これから生まれてくる子供たちの顔が見られないとしても。
次に考えるのは…死んでからのことだった。気が沈んでしまうので、あまり暗いことじゃない。
いつかのときに、ロブが“魔力を持つ人々だけが行ける天国がある”という話をしてくれた。ロブと僕にはその魔力があるようだから、長く待てば、ロブとは再会できるかもしれない。でもそれ以外の、エマやソフィアさん、子供たちとは、会えるのだろうか。あと、クレメンス家一族と出くわす可能性もある。
どんなところだろう。自然が豊かで、のどかな――そんな場所だったらいいな。もし本当に存在するのなら、その世界の片隅で、できれば家族の皆で、静かに暮らしたい。ただ、そこではきっと年は取らないから、一家が集まったとき、僕は子供たちよりも若くなってしまうだろう。それでもいい。一家が許せば、ロブの家族も招いて一緒に暮らしたい。
……と、ここで現実に引き戻された。使用人が新しいシーツを持って来てくれた。彼に身を任せてベッドから転げ落ち、浅く息をする。禍々しい紅が、白にくるまれていく。
ロブと語り合うことも、いずれできなくなる。エマに寄り添うことも、既にできなくなっている。子供たちのことも、もう見守ることができないのだ。
今 エマの中に宿っている子は、僕を知らずに育っていく。メグも大きくなるにつれて、僕のことを忘れていくだろう。
埋められた身体は土に還り、魂は天国に昇る。
我が子たちの中に、何か一つでも残せないだろうか。




