第16話 星々の灯(とぼし) - 9.22.~10.17.1601
婚礼は町を挙げて行われ、ここに二組の“夫婦”が生まれた。そして形式的にだが、俺とソフィアは今までの身分を捨てた。
この日を境に、ハルは俺たちの家を出た。ハルがいなければ、俺は前向きになれなかったし、こうやってソフィアとも結ばれることがなかった。出て行くとき、俺たちは熱い抱擁を交わした。ありがとう、と言い合った。いつでも会えるとはいえ、どこか遠くへ行ってしまいそうな気がした。
金貨は折半しようと持ちかけたものの、ハルは全て置いていった。贅沢を避ければ一生暮らせるだけあったけれども、もはや貴族ではあるまいし、子供のためにも働く姿を見せておきたかったから、仕事は続けた。
そう、子供。挙式から二年、思っていたより待ったけれども。
ソフィアのお腹に、ついに俺たちの愛の結晶が宿ったのだ。
日に日に大きくなっていく お腹の子供に向けて、二人で毎日のように話しかけた。式を挙げてから、自然とケンカしなくなっていった。その代わり、笑顔が絶えなくなった。
「この子、とても元気なのよ。よく蹴ってくるの」
「どっちだろうな?」
「うふふ、生まれてからのお楽しみね」
「そうだな…。ところで、お医者さんは、いつって言ってた?」
「10月頃ですって。もうまもなくよ」
優しくお腹を撫でながら、ソフィアが微笑んだ。もう9月が終わりそうだから、少なくとも一か月後には……それを考えるだけで、愛しさが込み上げてくる。
ハルとエマの方はというと、この前 妊娠が分かったばかりで、生まれるのは来年らしい。あれから式で世話になった縁で、エイリーの主人が頻繁に 俺たち二人を食事に呼んでくれるようになった。互いに子供ができたら、お披露目会でもしようかという話も上がっていた。自分たちの子供が一番楽しみだけども、ハルの血を引く子供も、どんな美男美女になるのか気になるところだ。
ただ…少しだけ、心配なことがあった。医者に言われていたことだが、出産の際、わずかな確率ではあるけれども、ソフィアに命を落とすリスクがあるらしい。最悪のことは めったに起こらないようだけど、気がかりでならない。お互い、まだ20歳だ。やっと落ち着いてきた良いときに、別れが来るなんて、それは嫌だ。
子供も、近所で幼くして病気で亡くなった子がいたため、とにかく無事に生まれて、元気に育ってほしいと願うばかりである。それを考えると、男か女かなんて二の次だった。毎日皆で笑って暮らせるように、今まで特別信じていなかった神様にも祈った。ソフィアは男女に関わらず三人欲しいと言っていたので、それが叶うように…とも、念入りに祈っておいた。
そんなある日、また食事に呼ばれた。ソフィアのことが気がかりだったが、俺が断るかどうか訊くよりも前に“行きたい”と言ったので、参加することにした。早産のことは心配しなくて良いと医者は言っていたが、それでも俺は…。ここまでソフィアのことを気に留めることは今までなかった。夫婦になるとは、そして親になるとは、こういうことなのだろうか。だとしたら、俺の親父は例外だった。語る余地もない。
エイリー家の料理はとても美味かった。食事の後、俺とハルは二人きりになって、ベランダで語り合った。
***
「――そうなんだ、もうすぐなんだね…」
ハルが囁きかけるように言った。結婚してからも、何も変わっていない。それが、安心した。
「心配ばっかりだ……無事に生まれてきてほしいし、それに――」
「それに?」
「俺…良い父親になれるかなって」
これも何よりの悩みだった。
「親父があんなのだったから……」
「……なるほど」
俺に横顔を向けたまま、ハルは少しばかり口をつぐんだ。目を閉じてしばらくしてから、ゆっくりと開けた。
「――――ロブは」
「おう」
「どんな風に、してほしかった?」
「どんな風に…?」
「そう。――自分の、父親に」
「…………―――」
ほんの小さいときの記憶が飛んでいるから、少なくとも覚えている範囲では…
「そうだな……例えば」
「うん」
「もう少し、振り向いてほしかったかな」
親父は俺のことなんか ほったらかしで、後妻の子ばかりを可愛がっていた。
「……実はさ、今だから言えることだけど」
「ん?」
「俺、酷い熱で、生きるか死ぬかで生き延びて、記憶がなくなったって言ってたけどさ」
「うん」
「…そのときに そのまま死んでたら良かったのにって、何度か思ったことがある」
「――――」
「それからも しょっちゅう身体壊したときに、このまま――なんて考えた」
「…今は?」
「もう大丈夫。……死んだら駄目だな、って思わされたから」
後にその考えをやめてからも、どこか捨てきれないまま、心底に後味悪く残っていたのだ。だから…口に出しておきたかった。
「とにかく……寂しかったかな、なんだか」
「それは嫌だったね…」
「そうだな」
「なら、それを子供にしないようにすれば いいんじゃないかな」
ひらめいたように、ハルが さっとこちらを向いた。
「それだよ。ロブが嫌なことは、子供もきっと同じだよ」
「…………」
ハルからすれば自然に零れ出た言葉だと思う。でも、俺にとっては、なるほど、と気付かされた。ハルの言葉は時として、大きな励みになる。
「ロブが欲しかったものを、子供にしっかり伝えるんだ。でも、ロブなら大丈夫だよ」
「…ありがとう」
「いえいえ。生まれたら、抱っこさせてね」
「おう、もちろん」
重荷が一つ、外されたような気分になった。
「でもなぁ……僕の方は少しだけ、辛いんだ」
「えっ?」
ハルの溜め息が、会話の続きを生んだ。
「僕の場合は統治者一族だから、それにふさわしい人間に育てないといけない…というか、何でもさせてあげる…ということはできないんだ。のびのび育てたいけどね」
「…それは辛いな」
あの家よりは多少緩いだろうけども、権力を持つ以上、そこに生まれてくる子も運命づけられているのか。
「だから…でもないけど、ロブは子供に好きなこと させてあげたら、いいんじゃないかな」
「…おう」
「……じゃあ、そろそろお開きにしようかな。ソフィアさんも身重だし、遅くなりすぎたら心配でしょ?」
「うーん…そうだな」
「ごめんね、よほど誘うの やめておこうか迷ったんだけど…」
「いやいや、ソフィアが来たがってたし、俺もこうやってハルと喋れたから、良い機会になったよ」
「そう、それなら…良かった」
屋内の方を向くと、ソフィアとエマが向かい合って楽しそうに何かを話している。
「楽しみだね、これから…」
ハルが目を細めて、二人を見やった。
「ロブの子供が、元気に生まれてきますように」
「……ありがとう。ハルの子供も、無事生まれてくるように祈るよ」
「うん…ありがとう、ロブ」
再び外に向いて、空を見上げた。あの街よりもずっと澄んでいて、星々が一層輝きを放っていた。
***
10月17日の早朝、ソフィアの陣痛が始まった。急いで医者を呼び、俺は隣の部屋で一人、組んだ両手に汗が滲んだ。
でも、その心配はすぐに吹き飛んだ。思ったより、早かった。
元気な産声が、壁越しに聞こえてきた。全身からふと力が抜けて、椅子から転げ落ちそうになった。良かった。本当に良かった。
少ししてから、医者に呼ばれて部屋に入った。ソフィアの腕の中で、赤ん坊はすやすやと眠っていた。
「あなた、男の子よ」
ソフィアもとても元気そうだった。言うことなしだ。
「おお……」
慎重に、その手のひらに人差し指を添えた。すると…ほんのわずかに、でも懸命に、握られた。
「…………―――」
その感触が、俺の中の何かを振るわせた。
気がつくと、頬に熱いものが流れていた。
「あなた……」
ソフィアの笑顔が何よりも優しくて、それがますます涙を誘った。
「あなたも、抱いてあげて」
そっと、俺の腕に赤ん坊が横たわった。ずっしりとして、とても重かった。
「――――」
言葉が出なかった。眉の辺りが、俺にそっくりだった。鼻の辺りが、ソフィアによく似ていた。間違いない。
落ち着きのなさが腕から伝わったのか、息子は泣き出した。何の問題もない。とても元気な子だ。
「うふふ、名前はどうしようかしら」
ソフィアに息子を渡した。もう一度手に指を触れさせたら、また握ってくれた。
「……また、ゆっくり考えようか」
「ええ、そうしましょう」
ソフィアもとても元気だった。ここで初めて、安心できた。
長らく二人で考えた末、息子にジョセフという名をつけた。
三日くらい経ってからハルたちも呼んだ。二人も、自分のことのように喜んでくれた。




