残り香 - 11.24.1597
それは家から逃げ出す半年余り前、ロブと僕が地下を探検したときのことだった。
ご主人に牢獄のことを知らされるまでにも何度か、秘密基地のような感覚で地下に下りた。開かずの部屋を除く22の部屋に入っては、ご主人や召し使いに対する愚痴をこぼしたり、何か面白そうな本はないのかと探したりして、楽しく過ごしていた。
しかし、二年も経てばそれらも網羅してしまった。飽きたというわけではないけれども、そうなると今度は開かずの部屋が気になってくる。確か手前の方と一番奥だったが、前者はロブが“嫌な予感がするからやめておこう”と言うので――実は牢獄や研究室に続く道だと知っていたからだったが――あと、僕自身も後者の方が気になっていたので、そちらについて考えることにした。
やはり鍵がかかっているようで、押しても引いても びくともしなかった。それからロブが手をかざして何か確かめていたが、こちらを向いて肩をすくめた。駄目だったようだ。
このとき無知だった僕は、ロブのマネをしてドアに手をかざし、何を確かめていたのかを不思議に思った。そして、ふと二年半前の、初めて地下に下りたときロブの話を思い出した。
(確か、この家に今となっては都合の悪い……魔術の本とかが、こういうところに隠されているんだっけ?)
魔術。このクレメンス家では否定されているので知ることができないけれども、僕は興味があった。もしこのドアの向こうにそれらについての書物が眠っているのならば、少しでもいいから読んでみたい。そしてちょっとした技の一つでも、こっそり身に着けてみたいと思った。そんなことを考えながら、ドアに寄りかかった。
と――若干、ドアが緩んだ感覚がした。何気なくノブに手をかけると……回った。
ロブが目を真ん丸にしていたけれども、僕にもなぜ開いたのか分からなかった。今 思えば、このとき……ロウソクを燃やしてしまうあの日の前に ここで、僕は既に使っていたのかもしれない。
仮に鍵を壊していたとしても、ご主人はそこまで問い詰めたりしないだろうというのがロブの見解だった。とはいえ、僕は怖い。本当に大丈夫なのか不安になりながら、開かずの部屋に足を踏み入れた。
***
「暗い…」
本棚ばかりの他の部屋と、少し様子が違った。
第一に、ロウソクが壁になくて真っ暗だった。僕たちが持っていた方に火をつけたので困らなかったけれども、明らかに部屋にあるものを隠そうとしているようであった。
第二に、たくさんの本が本棚に…ではなく、直に地面に置かれていた。そもそも本棚らしきものが見当たらなかった。
地面にはそのたくさんの本と、丈夫そうな大きな箱や大小の木箱が幾つか、それから、大きな薄い板が何枚か壁に立て掛けられていた。広さは他の部屋と同じくらいだろうけれども、四方に本棚がない分、広く感じた。
せっかくだから、ロブと一緒に部屋の中を見て回った。すると、さっそく、
「おい、ハル! 凄いぞこれ!」
ロブが何かを発見した。そちらを向くと、大量の財宝が大きな宝箱から溢れていた。というかそれ、そんなに簡単に開いて大丈夫なのか。一見、キラキラと光ってとても綺麗に見えた。
「全部本物だよね、これ……」
お金よりも、金や銀の貴金属に大きな宝石があしらわれたアクセサリーが目立つ。
「他のもこんなのが入ってるんじゃ――」
ロブがまた次の宝箱に移った。目は輝かせていたけれども、特別に欲しいとは思っていない様子だった。これらは僕たちにはちょっと贅沢だし派手すぎる。豪華にしすぎて、かえって下品にも思えた。
僕は木箱を試してみたけれども、こちらは頑丈に閉められていて開く気配がしなかった。そこで、雑に積まれた本を手に取り、やや古ぼけた表紙を開けた。
それは――ずばり、魔術の本だった。期待が当たった。
いつ書かれたものなのかが気になり、ページをパラパラとめくる。妖しげな魔方陣、呪文、六芒星……どれも魅力的だ。あっという間に最後のページに来てしまった。そこには、“1417年”――180年前だ。その割にはすこぶる状態がいい。
確かご主人は、地下のものを持ち出してはいけないと言っていた。今のうちに、目に焼き付けることだけでもしておこう。
ちなみに、他の本も背表紙を見る限り、全て魔術に関するものだった。とはいえ、これだけあるとキリがないし、パッと見て何が書いてあるのか分からなかったので…しぶしぶ諦めることにした。
そして次は、立て掛けてある大きな板に注目した。よく見ると額縁で、裏を向けているようだ。絵画だろうか。ロブは宝箱に夢中だ。これを見た後でまた見せてもらおう。壊すと大変なもののように見えたので、慎重に壁から起こした。
まず、一番小さいサイズのこれには、気の強そうな若い女性が写実的に描かれていた。額縁の後ろには、“April, 1502”と記されている。ご主人と同じ髪色をしているので、きっと先祖だろう。
次に中くらいの額縁を起こす。厳しそうな中年の男性と、彼と同じ年格好の女性が、先程のと同じ画風で描かれていた。夫婦だろう。日付は、“July, 1517”。先程の女性の両親か。
家族の肖像画は、普通なら屋敷内の見えるところに飾っておくものだ。なぜこんなところに置いてあるのか、考えてみた。
確か僕が最後にご主人の部屋に立ち入ったのは……僕の誕生日の数日前だ。パーティーをするにあたって好みの料理などを訊かれただけで、特に何かがあったわけではないけれども、そのとき部屋にあった肖像画は――確か、どれも男性一人の顔を描いたものだった。似通った顔が並ぶ中、ご主人の顔もあった。これらは皆、先代の当主だろう。
そうか。ご主人があんなのだし そもそもこんな家だから、当主の肖像画以外は飾る必要がないのだ。
他の絵にも、当主でなさそうな人物が必ず描かれていた。決してボツになったものではない。どれも非常に精密で、見応えがある。もし僕が当主ならば、こんな誰も寄り付かない場所に置きっぱなしにしない。
一定の年代ごとに ほんの少しずつ画風が違ったが、いずれも状態はいい。ただ、日付を見ると、過去50年以内に描かれた絵はなかった。最近描かれた絵はないのだろうか。ご主人が画家を招いているところは見たことがないから、ご主人の一つ前の代あたりから、肖像画を描かせていないのだろうか。
すると――部屋の片隅に、もう二つ、絵画らしきものを見た。まるで隠すかのように、手前に幾つか木箱を積んでいた。
気になった。木箱は空のようだったけれども、なかなか重かった。周りのを取り除いて、絵に手を掛けた。
「ハル、何見てるんだ?」
と、後ろからロブが話しかけてきた。振り向くと、宝箱はもう閉じられていた。
「えっと……絵とか、いろいろ」
「ふーん…」
「――そうだ、あそこに積んである本、全部魔術の本だったよ。とっても、面白そうだった」
「本当に? 俺も読んでみよう……」
なんとなく、この絵は一人で見たかった。改めて、そっと絵を裏返した。
それは――凛々しい顔をした幼い兄弟が、並んで立っている絵だった。兄の方は だいたい10歳くらいで、弟もそれほど歳が離れていない感じである。二人ともよく似ている。しかし、そんなことよりも気になったことがあった。
弟の方に、どことなくご主人の面影があった。
日付は、“September, 1569”。このときは不思議に思っただけだったけれども、今では一定の確信を持っている。
あれはご主人とその兄を描いた絵である。幼い頃から競争を強いられ続けた兄弟の仲は、次第に――もしかしたら最初からかもしれないが――険悪になっていった。
きっと兄は、自分が必ず跡を継ぐものだと信じていたのだろう。しかし、選ばれたのは弟だった。そのときの気持ちまでは、僕には分からない。でも、事実として、兄弟同士の首を狙い合う争いが今も続いている。僕はまだ、昔の襲撃事件のような直接的な争いは体験していない。そもそも、ご主人の兄の顔も見たことがない。ただ、ご主人がどこか追い立てられているのは、言われてみれば…という感じだ。
絵の中の兄弟も、冷めきった目をしていた。最後に彼らの瞳に温度があったのは、いつだろうか。少なくとも生まれたときには、必ずあったはすだ。
(なんだか、似ているな…)
とりあえず、このときはその程度で、絵を元の位置に置いた。もう一つあったので、そちらも見てみようと思った。
それは、家族を描いた絵だった。夫婦と、子供が二人。
(あれ、これご主人だ……割と最近かな?)
大人の男性はまさしくご主人だった。そして、その横に妻らしき、優しそうな女性がいる。それから、夫婦の手前に子供がいる。
(あれ、ロブのお母さんは出て行ったんじゃ……今の奥さんでもないし)
子供を見る前に、絵をひっくり返した。日付は――“February, 1585”。ロブは既に生まれている。そして、僕もおそらく。
(いや、もしかしたらご主人、二回以上再婚しているのかも)
ご主人の 人となり からして、そう考えるのに無理はない。こんな優しそうな、温かそうな人は、ご主人は好きではないと思う。僕は刺々しい人よりは、こんな人の方が好きだけども。ロブもそうだろう。
改めて、ご主人の絵を見た。子供は、女の子が10歳くらいで、男の子が3、4歳くらいだった。二人ともご主人と同じ焦げ茶色の髪で、女の子は父親のように澄ましていて、男の子は母親のように柔らかな表情だった。
ん?
もう一度よく見た。絵の中の男の子は、髪色といい、面影といい、ロブとはかけ離れている。でも年齢的には、ロブはこの男の子と同じくらいになるはずだ。だとしたら…どういうことだろう。
(もしや……ロブは隠し子?)
そうだとすれば、ロブ自身が言っていた母親のことなどと一応繋がる。まあ、ひとまず自分の中では、そういうことにしておこう。疑問は残るけども。
「ハル、何コソコソ見てるんだ?」
一番油断しているときだったので、思わずビクッとしてしまった。隠すように、ささっと絵を元に戻した。
「いや、ちょっと……」
「ちょっと?」
「ロブは見ない方がいいかも……はは」
「…なるほどな、そういうことか」
ロブが嫌らしい目でニヤニヤしている。まあ少なくとも、これが家族の絵だとは思われていないだろうから、いいことにしよう。
「あっ…あのさハル、まだ気にしてるかもしれないけど――」
「ん?」
「あっちに鏡があったんだけど…見てみる?」
鏡か、懐かしい。実はあれから窓ガラスや水溜まりなど、鏡代わりになりそうなもので、姿が映るかどうか試してみたことがあった。でも…映るのは、自分以外の人や景色だけだった。
「――別にいいかな。窓で試したことがあるんだ」
「…そうか、ごめんな」
「謝らなくていいよ」
断ったのは、決してロブが気に入らなかったからではない。こういう人の姿を表したものを見ると、自分はどんな見た目なんだろう…と考えてしまう。でも、本当に分からないことは、いつまで経っても分からないものである。それが少し、もどかしいのだ。
「…ロブは他に、見たいものとかある?」
「俺は、一通り回ったかな」
「じゃあ、そろそろ行こうかな」
「おう」
木箱を元通りにしてから、僕たちは部屋を出た。鍵について心配だったけれども、ドアを閉めると同時に鍵も閉まったようだった。
あの家族の絵は、僕だけの秘密にすることにした。まるで、知ってはいけないことを知ってしまったように思えた。ロブは知らない方が幸せでいられるだろう。
そういえば――ふと思ったのだが、あの絵に描かれた男の子は今、どこにいるのだろうか、気になったままだ。アイザックでもないし、家の人でも外から来た人でも、似たような人に会ったことはない。もしかしたら…もうこの世にいないかもしれない。とても弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。でも、あの目は、こちらを見る純粋な瞳だけは強烈で、頭から離れない。
そんなことを考えている間にも、ロブとソフィアさんとの話し合いが続いている。明日の朝には、この宿屋を出て空き家に一時的に移る。空き家とはいえ結構しっかりした造りで、そこを紹介してくれた宿屋の主には、心から感謝している。
尚、ここに来るまで、人々とはずっと偽名で関わっている。もちろん、この宿屋でもだ。定住できそうだと判断し次第 本名に戻して、町の人々と本格的な交流を始めようという計画である。
ところでソフィアさんが、自分の境遇について語ってくれた。もともと貧困層出身だったという話には、正直驚いた。キャロル家に引き取られた経緯は ぼんやりとしか教えてくれなかったけれども、そうは見えないくらい落ち着いているし、言葉の端々から教養も十分感じられた。手料理には自信があるとのことなので、食べるものに関しては心配ないだろう。
これからの暮らしに期待する一方、昔のことで引っ掛かっている。しかしこの地で僕たちは、過去と決別しなければならない。だから今は心の奥底にしまって、前を向いて進んでいく。俺たちらしく、自由に生きるために。




