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Chain -鏡の道化師-【前編】  作者: 関 凛星
Ⅱ. 邂逅と決別
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第10話 囚人 - 2.5.1598・Ⅰ

※後半部分に、少しだけ残酷な描写が含まれます。

 苦手な方はご注意ください。

 ロブが認めてから、二人の展開はとても早かった。




 それから出掛けた日はいつも、ソフィアさんと会うようになった。ロブはソフィアさんの前では変装を解いて、前髪を垂らして後ろを結んだいつもの髪型でいるようにもなった。弱音を吐くことはしばしばあったけれども、泣くようなことはもうなかった。


 ロブにとっては素晴らしい出逢いだっただろう。笑顔が増えたし、全体的に表情が柔らかくなった。一番初めに怖いと感じたのは、逆にロブが他人を――あの時の場合は僕を――恐れていたからだと、今ではそう思える。怖いという感情は、それ怖がらせている主体以外を恐れさせるのだ。


「――素直な人ね、あなたは。そういうの大好きよ」


「あはは…ありがとう」


 二人は会うたびにどんどん仲良くなっていった。7回会えば肩を寄せ合った。30回会えば手を繋いだ。60回会えばロブがソフィアさんの肩に腕を回した。130回目くらいには、互いにハグしていた。そして、昨日はついに――口付けを交わしていた…そうだ。昨日のは僕は直接見ていない。あくまでロブから聞いた話である。


 そう。ソフィアさんと出逢ってから、もう二年余りが経ったのだ。ロブの背はぐんと伸びて、初めて会ったときは同じくらいだったのに、結構な差をつけられてしまった。喉仏(のどぼとけ)がはっきり出ているのも(うらや)ましい。僕は声がおかしくなってきた以外は全然だ。


ケンカをすることもなく、お互いに本当の兄弟みたいになっていた。それにつれて、あの小さい男の子のことは、ますます疎遠に感じるようになった。


 ソフィアさんもロブのことは…あの時からだろうか。ロブと会って一緒に時間を過ごすことが、本当に幸せなようだ。どんな小さな話にも大きく頷いて、よく考えて相槌を打って微笑んでいた。僕もソフィアさんとは、ロブの友人として交流している。とてもいい人だと思う。尚、僕にとってはそこまでで、恋愛対象ではない。


 ちなみに、今のところ僕に出逢いはなかった。縁談の話はロブにもない。ソフィアさんは……相手は決まっているけれども、今はまだ自由に動けるらしい。しかし遅かれ早かれ、会えなくなる。そう思うと僕も寂しい。もしできるなら、三人でもっといろいろな場所に行って、二人のために思い出づくりでもしたかった。けれども、ソフィアさんは母親以外にはロブのことを黙っていて、ここ以外で会うことは難しいようだ。


 皆、束の間の自由を許されただけで、大人たちの手の上で転がされているにすぎない。僕たちの首を緩やかに締める、身分と伝統という名の重たい鎖が、時折じわじわと吐き気を誘う。


 クレメンス家には恩がある。記憶も頼りもない自分を拾ってくれた上に、当時は嫌だったけれども、厚遇してくれた。ロブとも仲良くなれた。怪しまれているのは仕方がない。しかし、どうにかして、この家から抜け出せないだろうか。そんなことを考え始めた。


 きっかけは数日前、僕たちがご主人から呼び出された夜のことである。





***





 その日はロブだけでなく僕も呼び出された。ソフィアさんとロブの逢瀬がバレたのかと思ったが、違った。むしろご主人は機嫌が良い方だった。椅子に腰掛け、脚を組んでいる。威圧感はそのままだが、白髪がちらほら見かけられた。


「ロバート」


「はい」


 呼ばれてロブが一歩前に進む。


「今日は――98年の2月の? 5日か。もう四年半余りか……」


 僕はこの屋敷に来て二年半余りだ。何のことだろう。


「そろそろお前も、この家に相応しいくらいに物事の分別がつくようになっただろう。そこのハルも」


 “ハル”は通称である。本名は、未だに与えられていなかった。ハロルド(Harold)ヘンリー(Henry)? だいたいその辺だろう。今更どっちでもいい。呼び名だけでもあれば生活には困らない。


「…………―――」


 どう返事すればいいか分からなかったので、小さく(うなず)くだけにした。


 と、ご主人が立ち上がり、机の上に置いてあった鍵の束を持って部屋の入り口に足を運んだ。鍵はかなり古びたものだった。


「お前ら、ついてこい」


 強い口調で言われる。僕たちはご主人に導かれて、久し振りに地下に潜った。




 隠し扉から本の部屋がたくさんある廊下までは、同じだった。無論ここが目的地ではないだろう。どこに新しい道があるのか目で探していると、ご主人が手前から四番目の右の……開かずの扉を開けた。


 中はやはり本棚の集まりだった。これまた隠し扉か。的中した。ご主人が奥の本棚から幾つか本を取り出して、僕らに見ないよう指示をしてから鍵を使った。その先には下り階段。前からご主人、ロブ、僕の順で、一列になって下っていくことになった。


 しかし、前のロブが階段に一歩踏み出して…止まってしまった。


「――――っ」


「どうした、早く来い」


 気付いたご主人に言われて、ロブは急いだ。どういうことだろうか。僕も階段に足をかけた。


 ……本当に、足がすくんだ。ロウソクが灯っているので、足場はよく見える。特別に急な階段でもない。むせるようなにおいもしない。耳障りな音もしない。でも、何のせいだろうか。この先に、行きたくない。


 しかし、ご主人自らが僕たちをどこかへ案内してくれることは今までになかった。何か重要なことに違いない。嫌な予感しかしないけれども、一方で知りたい、知らなければならないとも思った。




 ゆっくりと階段を下りていくにつれて、嫌な空気がだんだん濃くなっていく。やがて一本の通路に出た。目眩(めまい)がする。すぐにでも引き返したかった。大きな部屋ばかりのようで、ドア同士の間隔がとても広かった。石積みの壁であることは同じだが、本棚の部屋あたりとはまた違う雰囲気の場所だった。


「ここが研究室だ。我がクレメンス家は今からおよそ百年前、他のどの家よりも早く、“科学(Science)”に転向した」


 前を歩くご主人の解説を聞き流しながら、ロブの横に並ぶ。


魔術(Witchery)だの錬金術(Alchemy)だのと言っている奴等(やつら)はもう古い。かつてはこの家も魔術の名家だった。しかし、そんなものをいつまでもやっていれば、いずれ時代の変遷によって脅かされるだろう。全ては我が一族が繁栄し続けるため、たとえ伝統を否定してでも、だ」


 演劇の台本を読むかのような言葉は、耳を素通りしていく。


「ロバート、今の話、覚えているな?」


「はい」


「そして、ここに来たことも」


「はい」


 二年前に地下を探検したとき、ロブは何も知らなさそうだった。とすれば、その(あと)か。ご主人の前では、意思のない乾いた返事をするのみである。


「ここの説明は(あと)にしよう。先に――」


 ご主人が振り向く。僕たちを一瞥(いちべつ)した。


「こっちに来い」


「はい」


「…はい」


 返事がワンテンポ遅れてしまったと思ったが、何も言われなかった。僕たちはご主人についていく。突き当たりを左に曲がって長く進むと、これまた階段、今度は上りだ。一体どんなものを見せられるのだろうか。というか、感覚が麻痺(まひ)してきたのか、足が軽くなってきた。ただ、きっとここから地上階に帰った瞬間に、今日の晩ごはんの分を戻してしまうだろう。


 ここの階段は気持ちだけ急に感じた。今までさんざん歩いてきて少しだけ疲れてきたからだろうけど、そこで一つ、恐ろしい考えが浮かんだ。




 逆にここを下りようとしたら、足を滑らせるのではないか――?




 地下の階段には手すりがない。こういう時にはちょっと辛い。


 しかし、これくらいの大きな家で独自に秘密の実験もしているとすれば、大事な場所にトラップがあってもおかしくない。たとえば初めの階段を下りたところにある分岐点で、違う方向に進んだら…。あくまで推測である。


 余計なことを考えているうちに、階段を上りきってしまった。思ったよりもすぐだった。踊り場に立つ。目の前には扉がある。


 ご主人が上着から小瓶を二つ取り出し、僕たちに渡した。


(にお)いが服や体につかないための薬だ。いいか、ここからは鼻で息を吸うな」


「はい」


「はい…」


 蓋は簡単に開いた。中身を一気に飲み干す。甘い薬だった。即効性なのだろうか、全身がほわっと暖かくなった。


 ご主人に小瓶を返して、身構える。何が待っているのだろうか。


 扉が、開かれた。また一直線の廊下――




「――――っ!?」


 鼻をつまんでも、目や口から入り込む。得体の知れない、喉がつまる嫌な臭いだ。


 隣を見ると、やはりロブも眉間にシワを寄せて鼻を塞いでいる。ご主人はそのまま前を行き、こちらに背中を向けているので顔は(うかが)えない。


 見かけは、研究室という空間から、また元の本棚の空間に戻ったような感じだ。しかしもっと劣悪な空気を感じる。進むほどに、だんだん何かが騒いでいる音がしてきた。音? いや、声かもしれない。声だ。楽しそうではない。悲鳴、怒号、そんなものが、聞こえてくる。


 ここの廊下は他よりもロウソクの間隔が少し広かった。この薄暗さもわざとだろう。臭いがさらに強くなる。口でも吸ってはいけない気がした。


 金属の粗末な扉の前に来た。今度こそ、だろうか。


 耳に痛い音とともに目の前に広がった、それは――




 真ん中の通路を挟んで左右にあるのは、(おり)、檻、檻。石の壁で隔てられた狭い空間に一人ずつ入れられているのは……皆、子供だ。自分より幼い子から同じくらいの子まで、男の子も女の子も、何色だったのか分からない粗末な服を着て、肌にアザを作り…中には何も身に着けていない子も、傷口が()んで変色している子も……


 見たくない。早く逃れたい。帰りたい。それでも皆が皆、檻にしがみついて凄い形相で睨んでくる。(にお)いなど、もうどうでも良かった。


 一方でロブはどうかというと――目を丸くして、じっと子供たち一人一人と目を合わせている。前に来たから慣れているのだろうか。ただ、決してここから逃げようとしていなかった。


「ハル」


 ご主人が何でもない様子で、僕を呼ぶ。合わせてロブもご主人に向き直る。


「お前もここに入れようと思ったのだが――その賢い頭がもったいない気がしてな、救ってやったんだ。その事を忘れるな」


「…………―――」


 そういえばここの家に迷いこんできた日、突然用意されたテストを受けて満点をとった。もしあれでしくじっていたら、僕は今……そういうことだろうか。


「少しでも何か(たくら)んでいるようならばいつでもここに連れてきてやったのだが、大したものだ。それでな、こいつとお前を一緒にさせて、周りに監視するように頼んだんだ」


「――――!」


 どういうことだ。まさか、今日こそ僕をここに……


「しかしそれでもお前の隙は見つからなかった。だから今度は監視を外して、外出を許した。そして、もうすぐ三年になる」


「…………」


「外出に関しては完全にロバートに任せた。こいつは嘘がつけないからな、何かしら吐くと思ったのだが――」


 ご主人がロブの方を向く。ロブは何も言わずに、背筋を伸ばしてご主人を見ている。ご主人はフッと鼻で笑って、再び僕を見た。


「どうやら誤解だったようだ。もうここに入れる必要はない」


「…………ありがとう、ございます」


 ひとまず安心した。でも嬉しくはない。ご主人は口だけかもしれない。それに僕たちの回りには、目で訴える子供たちがいる。


「だから、この際にだ。お前たちにこの家のもつ技術について、教えておかなければならない」


 やっと本題だ。技術といえば、先程の研究室か。


「まず、だ。ここの餓鬼(がき)どもは、お前みたいにふらふらとやって来たり、金を欲する親から買い取ったり、孤児で行く宛のないところを迎えたりした奴等だ」


 ご主人は檻の向こうに冷たい視線を送る。


「あいつらにもハル、お前と同じ問題を解かせた。するとどうだ、字の読み書きすらもできない馬鹿ばかりだ。しかしな、無駄な学識がない方が、良い素材になるんだよ」


 (あざけ)(わら)うご主人はもはや、彼らを人だと思っていないだろう。そう感じられた。


「今日はこれくらいにしよう。少しずつ慣れるのが良い。今度来るときは(むち)の使い方だ」


 ご主人は僕たちが来た方と逆を指差した。


「あっちが抜け道だ。研究室の前にあちらを教えておこうか」


 抜け道からはご主人がロウソクを灯してくれた。ざっくりまとめると、基本的に真っ暗で、迷路のように分かれ道が多く作られていた。僕らが歩かなかったルートは全て(わな)――落とし穴や急な階段だったらしい。一か所、ここが本当の抜け道だと教えてくれたが、一見普通の壁で、抜け方の説明はなかった。


そのまま歩いていくと、かなり向こうに、最初の隠し扉から下りてきたところの廊下が見えた。が、やはりこれも罠で、そちらに繋がると見せかけて手前に大きな穴が掘られていた。落ちた人々は見えなかったが、覗きこむと腐臭(ふしゅう)が酷かった。それを確認してから、もう一度地下牢獄(ろうごく)を経由し、急な階段を注意深く下りて、ご主人が肝心だと言う研究室まで戻ってきた。

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