エンブレム
ちょっと乗り遅れた感のある時事ネタです。
「やはり、今年も経営が芳しくないようですね」
「うるさい! イワシだって大量に漁れる時期とそうでない時期があるというだろ? 今ここは漁れない時期にあるだけだ! 我慢の時なんだ! 」
「……あなたは漁師じゃありません。ここアルトゥイユ美術館のトップ。館長でしょう? 魚の収穫量と美術館の集客では話が違います。そろそろ現実的な思考を巡らせてはどうですか? 」
某国某所。繁華街の駅からは少し離れた場所に、松林に囲まれた美術館があった。
『アルトゥイユ美術館』
館長の祖父から、三代続いているその民営美術館は「エイム・ワン」と呼ばれる有名画家の最高傑作が展示されている。
その名も「沼」
「沼」は館長の祖父が全ての財を投じて手に入れた家宝であり、美術館の目玉作品。その油絵は雨が降った日の沼地を描いたもので、濁った水面の精緻な描写が高く評価されている。
「現実的な? だと? ふん! わかっとるわ! ここは借金だらけで万年赤字続き、そろそろ「沼」を手放してはどうだ? とか言うんだろ? 」
「その通り。「沼」はこんなへんぴな美術館で煤けさせるよりも、高水準の管理体制の国営美術館で、もっと多くの人々と感動を分かち会える環境に置いた方が良いかと……もちろん、ケチな金額で「沼」を買い取る気は毛頭ありません。言い値を付けてくださいよ。赤字……すごいんでしょ? 」
「……もういい! お引き取り願おう! 」
怒号を飛ばして国営美術館の代理人を応接室から追い出す館長。その一部始終を見守っていた副館長は、渋い表情を作る。
「館長……先々代から続くこの館を手放したくない気持ちは分かりますが……あの方の言うように、現実にも向かい合わなければなりませんよ」
冷静な口調でたしなめる副館長をよそに、館長はソファに倒れ込むように腰掛けた。
「分かっとる……分かっとるわ……そんなモン……」
そう言って客人が残した紅茶を一気飲みし、割れるかと思うほどの勢いでティーカップをソーサーに叩きつけた。
時代の流れには逆らえず、入館客が激減し、「沼」以外特にめぼしい作品の無いアルトゥイユ美術館は廃館の危機に瀕している。
どうにかして館を賑わせたい……そんな思いを巡らせながらも、特に大きな変化を打ち出すことも出来ずに数ヶ月が無情に過ぎた。
そんなある日……
「館長! 大変です! 見てください! 」
珍しく慌てた様子の副館長が、タブレット端末を小脇に抱えて館長室へと乗り込んできた。
「なっ! なんだ? そんなに慌てよって! 」
「これを! これを見てください! 」
副館長からタブレット端末の画面を無理矢理見せつけられた館長は、そこに映る「エンブレム」に目を奪われる。
「このエンブレムは……うちの美術館のロゴじゃないか? 」
アルトゥイユ美術館には、アルファベットの「A」と「T」を組み合わせたロゴがある。タブレット端末の画面にはそのロゴによく似たエンブレムが大きく表示されていた。
「よく見てください! 」
「んん~……」
眉間にシワを寄せ、タブレットの中に入り込もうとするくらいに画面をのぞき込む館長。
「あ? なんか微妙に線の太さが違うな……それに、小さな星のマークまで余計に付いてるぞ」
「そうです! これは我が美術館のエンブレムに酷似した、全く別のエンブレムなのですよ! 」
「ほう……でも、それがどうしたんだ? 」
イマイチ要領を得ない様子の館長に、少しイラつきを隠せない口調で副館長は説明した。
「もっとよく見てください! このエンブレムの下に【FIVE-STARPIC】と記されているじゃないですか! 」
「ファイブスターピック…………ええっ! まさかだろ? 」
ファイブスターピックとは、4年に一度開催される世界的なスポーツイベントの名称だ。
世界中から一流のアスリートが開催地に結集し、その技能を競い合い、聴衆が熱狂する。
まさに全人類が参加するスーパービッグイベント。
「5年後はA国で開催が予定されているんです! そして今さっきネットで情報を探っていたら驚きましたよ! まさかそのA国ファイブスターピックのエンブレムがウチのロゴとそっくりだなんて……! 」
「そりゃあ確かに驚きだ! 」
「そうでしょう! 」
「でもそれがどうしたんだ? 」
「は? 」
想像していたものとは全く違った反応を返され、副館長は呆気にとられた。
「だって君、こんなデザイン誰もが思いつきそうなモンじゃないか? たまたま似通っただけだろ? 」
この話題に対し、まるで「自分と同姓同名の映画俳優を見つけた」くらいの認識しか持たない館長に、副館長はついに声を荒げた。
「鈍いなぁもう! 館長! そんなことはどうでもいいんです! それよりこれはチャンスなんですよ! 」
「ええっ? 」
館長は普段の態度とは想像できない副館長の語気に圧倒される。
「これをネタに、A国から金をふんだくれるかもしれませんよ」
「なに? どういうことだ? 」
副館長の思惑はこうだ。
まず、A国でこのエンブレムが普及されるまで少し待つことから始まる。それは会場の装飾、ポスター、その他諸々の広告としてエンブレムが使われ、デザインを途中で変更する事が困難だと思われる頃までだ。
そして機が熟したらアルトゥイユ美術館のロゴがファイブスターピックのエンブレムと酷似している事を公に発表する。
美術館のロゴは100年前の開館当初から使われている物。その盗作だという疑いを押しつけ、A国を揺するのだ。
A国は今更エンブレムのデザインを変更することなど出来ないだろうから、おそらくはこちらに和解を求めてくるに違いない。そこでたっぷりと和解金をいただこうというプランなのだ。
「どうですか? 館長! これはいけますよ! 和解金で借金も返済! おまけに宣伝効果も期待できるじゃないですか! なんらかの経営改革の資金にも出来るハズ! 」
副館長の意気揚々とした説明を黙って聞いていた館長は、何かを思い立ったかのようにゆっくりと席から立ち上がり、副館長と向かい合う。
「……副館長……」
館長の顔には、いつもの間の向けた雰囲気は無かった。
「だ……駄目でしょうか? やっぱり……」
ひょっとしたら、こんな脅迫じみたことで館を存続させようという下びた発想に、館長は怒りを覚えてしまったのか? 副館長はそう思った。
「いや……」
しかし館長はとびきりの笑顔を作った。
「君は天才だ! やるぞ! A国からた~っぷりとふんだくってやろう! 」
「館長っ! 」
二人の気持ちは一つになった。
そして1年が経った頃、アルトゥイユ美術館は記者会見を開き、二つのデザインが瓜二つだということを大々的に発表した。
この話題はテレビや新聞、ネットといったあらゆるメディア媒体により世界中の人々に知れ渡り、A国は緊急に対策委員会を発足。この事態を終息させるべく、日夜議論が交わされた。
そして2週間があっという間に過ぎ去った頃……
「A国からの連絡はまだか? 」
館長はA国からの和解交渉が待ちきれずに、毎日室内をうろつき歩いて落ち着きがなかった。
「まあまあ、策は十分に練りました。あとはゆっくり待ちましょうよ」
副館長はタブレット端末の液晶を布で磨きながら館長を落ち着かせようとする。
「そうだがな……こうまで沈黙が続くと不気味にすら感じる」
「いいじゃないですか、こうして連日のように我々の記者会見がどこかしらで流され、我がアルトゥイユ美術館の名も十分に宣伝できますし。実際入館客も少し増えています」
「とはいえ……事態を好転させるにはまだ不十分だ……ガバガバっとビッグマネーを手中に納めなければ」
「そうですね……まあ大丈夫でしょう。コトは計画通りに進むハズです。何せ仮にA国がエンブレムを撤回したとすると、その際生じる被害額は20億を超えるらしいですから……かならずなんらかの交渉があるハズですよ」
「そうだな……」
「ジリジリジリジリ! 」
突然、館長室の古風な電話機から着信を知らせるけたたましい音。館長はビーチフラッグの選手のような素早い反応で受話器を取った。
「アルトゥイユ美術館です! ハイ、A国の……ハイ、館長は私です」
電話に対応する館長の姿を見て、ようやく和解交渉の相談がきたかと、少し余裕の笑みを浮かべた。
しかし……
「ええ、ハイ。…………なんですって? 」
館長の表情はどんどんと青ざめていった。
「わかり……ました。……ええ……どうも……」
館長は力なく受話器を置き、ふらつく足取りでソファに倒れこんだ。
「館長! どうしたんですか? 何があったんですか? 」
必死の形相で詰め寄る副館長。ソファで仰向けになった館長は砂漠で2日間さまよったような力無いかすれ声で答えた。
「……まさかだ……まさかの事態だ……」
「どうしたんですか? 何か「黒い力」でも動いたんですか? 」
「違う……」
「……ひょっとして……」
副館長は察した。
「……そうだ……A国は……エンブレムを……再考することに決めたのだそうだ……」
最悪だった。それは美術館が和解金による臨時収入を見込めなくなったことを意味する。
「嘘ですよね……? だって、世界的大イベントのエンブレムを……もう普及しているのに……再考ですって? そんなことまでして盗作の疑いを避けたかったということですか? 」
「なんでも……エンブレムをデザインした作家が、過去に幾つものデザインを盗作していることが発覚したらしい……A国はその事実を非常に重く捉えた」
「そんな……」
その言葉に落胆し、副館長も床に座り込んでしまった。
「20億も……ドブに捨てるなんて……」
「……ウチの美術館は……その半分以下の金額でしばらく安泰出来るってのに……」
殺伐とした空気を破るかのように、副館長のタブレット端末から軽やかな電子音が鳴り響く。
副館長は端末を操作し、その通知の正体が何なのかを確認すると、皮肉な笑みを作った。
「館長……A国の市民から「ごめんなさい」という内容のメールが沢山届いています……」
その言葉を聞いて、館長も同じく皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そうか……メールか……はは……その中にはアルトゥイユ美術館に行きたい。だとか、「沼」を見たいだとか言うメールはあるか? 」
「無い。でしょうね」
「……だろうな」
館長は思い立ったかのように突然起きだし、副会長からタブレット端末を奪い取った。
「クソォ! 」
罵声と共に投じられた端末は館長室の窓を突き破り、ガラス片が飛び散った。
「クソォ! 何がごめんなさい。だ! そんなもん一銭の足しにもならねぇんだよ! 謝罪する気持ちがあるんなら、金をよこせ! 金だ! 金を持ってこんかい! クソったれがぁ! 」
怒りの赴くまま、机を蹴り、壁を殴り、物を投げ、暴れ回る館長。
「クソ! クソ! クソぉっ! 」
副館長は黙ってその様子を見守ることしか出来なかった。
そして数ヶ月後……アルトゥイユ美術館の廃館が決まり、館長は「沼」を手放すことになった。
「館長、探しましたよ。やっぱりここにいたんですね」
「ああ、明日には持ってかれちまうからな」
もう入館者の来ない、ガランと閉じられた美術館にて、館長は一人で床に座り込んで「沼」をじっと眺めていた。
「ご一緒してよろしいでしょうか? 」
「かまわん」
館長と同じく床に座り込んだ副館長。その見つめる先には、横幅1.6m×縦幅1mの大きな額縁に飾られた油絵が厳粛に佇んでいる。
「副館長、今だから言うぞ」
「なんでしょうか? 」
「私は……この先々代から続くこの油絵の良さが全く分からん……実はあまり好きじゃない」
「……それは少し驚きましたね……」
「だってそうだろう! 沼の絵を描くにしても、なんでワザワザスッキリ晴れた日でなく、胸くそ悪い雨の日を選んで描いたのか理解に苦しむよ! 空だって下水道みたいな灰色じゃなく、ピッカピカのブルーに輝く青空を描けば良かったじゃないか! 」
「それは、濁った水面の写実的な技法を試す為なのでは? 」
副館長は必死で絵のフォローをする。
「確かに技巧は凄い! でもそれだけだ! これはまるでメロディックさのかけらもないメタル曲の、早弾きとツーバスの連打をBPM180のハイテンポで延々聞かされているような作品だ! 」
館長の意外な一面を垣間見た副館長。音楽の趣味は若かった。
「でもな……それも昨日までのことだ……」
「館長? 」
「今になって、やっと分かった。この絵の美しさにな」
館長は立ち上がって数歩下がり、少し遠くから「沼」を見つめる。
「確かに晴れた日の澄んだ水面、そして青い空はは美しい。だがな、それを「美しい」と判断するのはあくまでも人間のさじ加減……風景の表情はたとえ雨で濁った水面でも、どんよりした灰色の空でもそれはそれで一つの一面。つまりな、この「沼」という作品は、ある一時期の狙い澄ました上澄みのような美しさというものへの、アンチテーゼだったんだよ」
館長の眼差しは澄み切っていた。数ヶ月前まで美術館の存続に躍起になっていた男の姿とは別人だった。
「副館長……私は思う。多大な犠牲を伴ってまで作り上げた上澄みに……そこまでの価値があるのか? とね」
館長に問いかけられた副館長は笑みを作って答えた。
「確かに……そう思います。でも館長。盗作をでっち上げて金をせしめようとした我々が言えたセリフじゃありませんね」
「……はは、まぁそうだな! 」
静まりかえっていた美術館に大きな笑い声がこだまする。
「よし! 副館長! 今日は夜通し飲もうじゃないか! 」
「いいですよ、でも日付が変わったら、名前で呼び捨てさせていただきますからね」
「お互い様だ、インテリ気取りめ! 」
100年以上の歴史あるアルトゥイユ美術館は、二人の中年男の談笑の中、和やかに幕を閉じた。
2020年が楽しみです。