嫌い嫌い、大嫌い
気付いた時には、ボクはボクが嫌いだった。
家庭環境は悪くない。
母子家庭なんて今じゃ珍しくないし、鍵っ子になることがなかったのは、祖母の家の近所に住んでいたから。
歳の近いイトコもいたし、歳は離れているけれど妹もいる。
家族仲だって至って良好。
交友関係は、幼馴染みがメイン。
三人の幼馴染みがいて、今も昔もほぼ一緒に過ごしているし、仲も良好。
ボクのことを理解してくれるし、理解出来ないことも理解しようとしてくれる。
勿論、逆も然りだからこそ円満な関係。
他の交友関係は広く浅くがモットーなので割愛。
そもそも、友達、の定義が分からないために、誰が友達で、誰がそうじゃないのか分かっていないのだが。
そこそこ仲良く出来ているなら、それでいいとも思う。
家族仲及びに交友関係にも話題なしとなると、振り返るべきは歩いて来た道であり、過去。
ザリザリ、コンクリートで靴の底を削るように歩いていた足が止まる。
お腹の辺りが、妙にグルグルして気持ち悪い。
「……なんか、あったっけ」
過去は振り返らない、なんて言ってしまえば聞こえはいいのかも知れないけれど、実際はそんなことなくて、思い出したくないだけだろう。
思い出したくなくて、振り返りたくないものばかりが増えている。
ボクはボクが嫌い。
それがいつからなのか、思い出せない。
ボクはボクが嫌い。
それがいつからなのか、記憶にない。
思い出せない、思い出したくない。
記憶にない、記憶したくない。
「……うぇ、ぎもち、わるっ……っ」
グルグルグルグル、胃の底が回り出して、グツグツと煮立つような感覚は、胃痙攣に近い。
ヤバイなぁ、吐きそうだなぁ、むしろ吐くなぁ、なんて酷く他人事のように考えながら、その場にしゃがみ込む。
身を縮めれば縮めるほどに、胃を圧迫されるのは、気のせいじゃない。
「散歩帰り?」
掛けられた声。
そっと背中に当てられた手。
ゆっくりと上下しながら優しく背中を撫でる、撫でる。
掛けられた声も、背中を撫でる手も優しい。
嘔吐くだけ嘔吐いて、何も出てこないから、もっと気持ち悪くなる。
答えることも出来ずに胃の辺りを押さえて、げほごほ、うえ、うえぇ。
「引きこもってるよりは健全よね。まぁ、でも、帰りが遅くなるのは良くないんじゃない?子供は帰る時間、ってね」
「げほっ……うえぇ、おえっ」
「でも、体調悪いなら出る必要はないわね」
ぽんぽん、背中を叩かれて促される。
口内に溜まった唾液が溢れるのを服の袖で拭いながら、促されるままに顔を上げた。
目の前には細い背中。
ぼんやり眺めていると、早く、促されるから急かされるへと変わる。
縮めた体は動かしにくくて、のろのろとその背中に手を伸ばす。
肩に手をかけて、のっそり、その背中に体重を掛ければ、よいしょ、なんて予想よりも軽い掛け声で持ち上げられた。
ゆるゆる、ゆらゆら、微かな揺れが眠気を誘う。
吐きそうなのに眠い。
細い肩に顔を埋めながら、ぐずぐず鼻を啜り、うえぇと嘔吐く。
ゲロ吐かれてもいいの、なんて愚問だろう。
「大丈夫よ。アンタがどんなに自分を嫌いでも、そんなアンタでも私達は、好きでいてあげるから」
「うぇ、それ……フォロー?」
ザリザリ、一つ分の足音と、二人分の重なり合った影が帰り道に伸びる。
ボクはボクが嫌いなのに、そんなボクを好きになったって意味はないのに。
「だからいいのよ。思い出したくないなら、思い出さなくていい。忘れていい。それでいいから、自分を嫌いなままでもいいから」
だから、なんて言葉よりも先に、嗚咽が漏れる。
ぐるぐるぐちゃぐちゃ、お腹の底に溜まった何かが掻き混ぜられた。
口の中から手を突っ込まれて、混ぜられてるみたい。
嘔吐いては嗚咽を漏らして、嗚咽を漏らしては嘔吐く。
囁かれた言葉に伝う雫。
二つの体温が混ざり合うのを感じながら、嘔吐きながら、嗚咽を漏らしながら、やっぱりボクはボクが嫌いなんだと確認した。
――忘れたっていい、思い出さなくたっていい。
だって、どっちにしたって、ボクはボクを嫌うんだろう――。