自称正義の水使い:いじめられっこの逆襲
少年は力を手に入れました。
流れ星に願いが通じたのか、はたまた偶然か。流星群を見たあの夜を境に少年は変わりました。
きっかけは母に頼まれてキッチンで皿洗いをしていたときです。少年はなぜか、蛇口からじゃぶじゃぶと流れ出る水が気になりました。
昔溺れた経験のある少年からすれば、水の音は溺れた時の記憶を思い出させる嫌な音でしかなかいはずでした。しかし、その日は何故かその水の音がやけに耳に残るのです。
少年はおもむろに、蛇口から流れ出る水に手を浸しました。そして次の瞬間、少年は驚きの光景を目にします。
何と、少年の手のひらに水風船大の水の塊があるではありませんか。
びっくりした少年は思わす手を払いました。ばしゃり、と音をたてて流し台に消えた水の塊を呆然と眺めた少年は、手早く皿洗いを済ませて自室に引きこもりました。
一体何が起こったのか理解できなかった少年は、ゆっくりと先の出来事を思い出します。
掌の上でぷかぷか浮かぶ水の塊。まるでゲームの世界に出てくる魔法使いの所業のようで、それを自分がやったのかと思うと少年は興奮して夜も眠れません。
少年は夜中にこっそりと洗面所へ向かい、流し台のときと同様に蛇口から流れ出る水に手を浸しました。掌には流し台のときと同様に、水風船大の水の塊が浮かんでいました。
蛇口から流れ出る水が、まるで水漏れを起こしたかのように少年の掌へと吸い寄せられていきます。
少年は確信しました。あの日、流れ星に願ったことが現実になったのだと。自分を不憫に思った神様が、自分に特別な力を与えてくれたのだと。
まるでゲームをプレイするかのように、少年は自分の力を高める特訓を毎日行いました。
最初は一つだけだった水の塊が二つに、二つが三つに。自分がどんどんレベルアップしていくのを肌で感じ、少年はどんどん修行にのめりこんでいきます。
そして、ついにはこう思うようになりました。
自分は魔王を倒す勇者、悪を倒す正義なのだと。
湿気った薪に火を付けるほどの強烈な火種が、少年の中に撒き散らされました。
まず手始めに、少年は日頃いじめてくるガキ大将達に仕返しをすることにしました。
弱いものを虐げ笑う。奴らは悪だ。少年は手に入れた力で、ガキ大将達を瞬く間にやっつけました。
撒き散らされた火種は更に勢い良く燃え上がります。
自分の正義の行いに満足感を覚えた少年は、学校で威張り散らしている上級生達にまで手を出しました。
クラスメイトがお金を取られた、殴られた、物を取られた。日頃から悪い噂ばかり耳にする上級生達を悪と断定した少年は、上級生達に天罰を下しました。
燃え上がった炎は全身にまで広がります。
正義の衝動に突き動かされる少年は、ついには夜中に町を出歩きパトロールをするようになりました。
コンビニで屯している不良、騒ぎ立てている酔っ払い、飲酒喫煙をする未成年、少年が悪と断定した者達は皆等しく正義の鉄槌を下されました。
いよいよ炎は自身の身を焦がし始めました。
暴走した正義は留まる事を知りません。今日もまた、少年は夜の町で正義を執行するのです。
◇
錬章の「異世界人と友達になる宣言」から十日が経過した。
自身の登校スケジュールを綿密に組み立てた錬章は、飽きずに異世界人を探して町中を走り回っている。
対する俺はというと、求人誌を片手に隣町を散策中だ。求人誌の情報を読み漁りながら、コンビニのバイト募集チラシを目ざとく探す。歴史は繰り返されるとよく言うが、まさか自分が身を持って体験することになろうとは夢にも思わなかった。
誰でもいいから、学生時代の俺をぶん殴って欲しい。ついでに、勉強できないから就職しよう、なんて社会を舐めきった考えは捨てるべきだと説教も頼みたい。
いつだか親が言っていた「学生時代はちゃんと勉強をしておきなさい」という言葉が身にしみてよく分かる。取り返しがつかなくなる前に、一度その場に留まって自分の未来予想図を設計すべきだった。
まあ、過ぎたことをいつまでもグダグダ言ってても仕方が無い。今は目の前の問題に集中だ。欲を言えば正規雇用だが、この際贅沢は言わない。バイトでもいいから早く次の職を探さねば。
しかし、人生そう簡単に事は運ばない。日が傾く頃まで走り回ったものの、結局、今日も収穫はなしだった。やはりフリーターは皆考えることが同じなのか、俺が目を付けた求人は全て募集を終了していた。
ああ、懐かしいなこの虚無感。一度は脱出したはずの生き地獄をこうしてまた彷徨うことになろうとは。
それもこれも、全部憎きあんちきしょうのせいだ。アイツが俺に余計な不安を与えたから、俺は夜眠れなくなったんだ。
寝たら女になってしまうんじゃないかという恐怖に襲われ、昼も夜もロクに安眠できず浅い眠りを繰り返す毎日。俺の体には少しずつ疲労が蓄積し、バイト先のコンビニでもミスが目立ち始めた。
そして、店長にも気が緩んでると注意された矢先に寝坊だ。雇われ店長の癖にプライドだけは一人前だったあの糞オヤジは、見せしめといわんばかりに俺のクビを切った。
あの憎たらしいドヤ顔、思いだすだけで腹が立つ。今に見ていろ、俺は必ず正社員になって、お前の働くコンビニで朝飯買いながら自慢話を聞かせてやるからな。
脳内で店長の悔しがる顔を妄想しながら、俺は駐輪場に止めてあったママチャリに手を伸ばした。
「ウチにニートはいらん!」と家を追い出されてから、必死こいて職を探す俺をずっと支え続けた俺の相棒とも呼べる存在だ。いつもご苦労さん相棒。早いとこ新しい職を見つけて、お前を隠居させてやるからな。
自転車の鍵を開けサドルにまたがり、スタンドを倒してペダルに足を置いた俺は自宅へ向けて出発した。
しかし、十メートルほど進んだところで俺の脚は止まった。サドルから尻に伝わる衝撃に違和感を覚えたからだ。
サドルから尻に伝わるこの衝撃、このタイヤを装着していないホイールで地面を走っているような衝撃は……ま、まさか……。
「うげっ、やっぱりパンクしてる……」
その場でタイヤをくるくると回すと、小さな釘が刺さっているのが見えた。ちくしょう、見返してやる!と意気込んだ途端にこれだ。はあ……これじゃあ先が思いやられる。
「……歩いて帰るか」
パンクの修理は自転車屋に任せていたから出来ないし、パンクしたままの自転車に乗っていたらタイヤがとんでもないことになるのは一度経験している。俺に残された選択肢は『歩いて帰る』の一つだけだ。タクシー?何それ?
幸い、隣町から自宅までは歩いて帰れる距離だし、日が落ちる頃にはたどり着けるだろう。
自転車から降りた俺は、自転車を押しながら帰路に着くことにした。
夕日を背に、肩を落としながらとぼとぼと歩く。
ああ、惨めだ。職もない、金も無い、社会カーストピラミッドの最底辺を地で行く今の俺こそ、世間一般で言うところの『ダメ人間』と呼ばれる人種なのだろうな。
このまま職も見つからず、僅かな貯金も底をつき、いよいよ後が無くなった俺は犯罪すれすれの行為に手を出し、そのまま全国実名報道とか、そんな人生なんだろうな。
いかんいかん。気が沈んでいるとマイナスイメージばっかりが浮かんできてしまう。まだそうなると決まったわけじゃないだろう。楽しいことだ。楽しいことを考えよう。
「よし!もし正社員として雇われたら、まずは……ん?」
まるでタイミングを見計らったかのように、俺の上着のポケットに入っていたケータイが振動した。
この展開、ちょっと前にもあったようなと、思いながらケータイをパカリと開く。画面に表示されていた名前は通山錬章。
どうやら、俺の思い違いではないようだ。このパターン、ちょっと前に一度経験したものと同じパターンだ。となると、この電話の内容も大体察しがつく。
俺は通話ボタンを押し、ケータイを耳に当てた。
「テル!俺、不審者捕まえるわ!」
ほらやっぱり。また突拍子も無いこと言い出したよ。
何でお前が不審者を捕まえるんだ。お前はそこまで正義感の強い人間じゃなかったはずだろ。
「今日さ、同じ地元出身の奴から妙な話聞いたんだ」
「噂?」
錬章は少し興奮気味に話を進めた。
ここ最近、ウチの地元では不審者による暴行事件が多発していていること。狙われるのは不良のような素行の悪い連中ばかりだということ。全員が全身に打撲を負う大怪我をしているということ。そして……。
「何故か全員水浸しらしいんだよ!おかしいと思わないか!?」
水浸し。被害にあった連中は共通して全身びしょ濡れの状態だったと言うのだ。
確かにそれはおかしい話だ。犯人は何の意図があって相手を水浸しにしているのだろうか。俺には皆目見当もつかない。
「で、俺は思ったわけさ。これは俺と同じ、ルキスの力を持つ人間の仕業だってな!」
「っ!!」
俺はその言葉にハッとした。
職を探すことばかりに夢中ですっかり忘れていたが、ほんの少し前に非現実的な体験をしたばかりじゃないか。
犯人はルキスの効力で特殊能力を身につけ不良を襲っている。確かにありえない話ではない。
しかし、それで錬章が不審者を捕まえる理由とどう繋がるんだ?
「そして!ルキスを悪用している奴がいたら、異世界人のねーちゃんもその場に現れる!かもしれない」
なるほど、そっちが本命か。
悪さしている犯人を餌にして、異世界人のねーちゃんこと『シャリなんとかさん』を釣るわけですな。
相変わらず『シャリなんとかさん』にご執心のようで何よりです。俺を巻き込まずに一人でがんばっていただけるとなおよろしいです。
錬章め、俺に連絡をよこしてきたということは、俺にも何らかの協力を要請するつもりなんだな。
冗談じゃない。こっちは自分の事で手一杯なんだ。いちいち頼みごとなんぞ聞いてられるか。
「だから、もし犯人らしき人物を見かけたら教えて欲しいんだ!」
連絡、連絡かぁ……まあ、連絡くらいなら別にいいかな。
「まあ、教えるくらいなら」
「じゃあ頼むぜ」
通話を終え、俺はケータイを上着のポケットに仕舞った。
ルキス、ルキスか。錬章の話を聞くまですっかり忘れていたけど、俺の体も一応ルキスの効力が宿っているんだよな。
錬章が言っていた『体の変化には自分の苦手が関係する』という仮説が本当だとするなら、俺の体の変化には俺の苦手が関わってくることになる。
苦手……俺の苦手でパッと思いつくモノといったら……。
「甘いもの?」
それ以外には特に心当たりが無い。
しっかりと思い返せばまだ色々と見つかるかもしれないけど、俺が真っ先に思いつくものといったら『甘いもの』なんだよな。
『甘い』という味自体もあまり好きではないのだが、何よりも嫌なのは食べた後に喉の奥にヌルヌルと絡みつく痰みたいなアレ。アレがどうにも好きになれない。
まだ甘いものとルキスが関係しているとは完全に決まったわけじゃないけど、とりあえず試せるものから試していこう。
俺は近くのコンビニに寄り、CMで話題の『一本満腹バー』を買った。
時が経ち傾いていた日が沈んだ頃に、俺はようやく自宅がある町『石波町』へと足を踏み入れることが出来た。
かなり長い距離を自転車を押しながら歩いたため両足はもうパンパンだ。
早く自宅に帰って冷たいものが飲みたい。早くベッドの上で横になりたい。溢れ出る欲求と戦いながら、俺はかつて自身が通っていた高校の校門前を歩いていた。
そのときだ。
「キャァアアアアアア!」
俺の耳に女性の悲鳴が届いた。悲鳴が聞こえたのは学校の敷地内からだ。
咄嗟に自転車のスタンドを立てた俺は、校門をよじ登り学校の敷地内へと入り込んだ。
そのままがむしゃらに敷地内を駆け回り、悲鳴を上げた人物の姿を探す。
咄嗟に行動したから考えも当ても何もなかったが、俺は運よく声の主と思わしき人物に遭遇することが出来た。
その人物は校庭で見つかった。肩で息をしながら片ひざをつき、誰かと相対しているようだ。
そして、相対する二人の周りには悲惨な光景が広がっていた。
「うぅ……」
「い、痛ぇ……」
「ごほっ……がへっ……」
暗くてよく見えないが、おそらく男と思わしき連中が校庭の上で倒れている。数は……少なくとも五人以上。
この状況、一体全体どうなっているかまったく分からないが、女が襲われているということに変わりはない。
紳士な俺は、いつ何時においても女性の見方をするのだ。
「大丈夫ですか?」
「私は平気です。それよりも早くこの場から……ってあなたは!」
「あ」
俺はその人物に見覚えがあった。髪、服、間違いない。彼女は数日前に出会った自称異世界人の『シャリなんとかさん』だ。
「アンタ……誰?」
俺に声をかけてきた少年と思わしき人物。俺は『シャリなんとかさん』に相対する彼にはまったく見覚えがない。
が、しかし、どうして『シャリなんとかさん』と相対しているのかは一目で分かった。
彼の周りには、ぷかぷかと液体が浮いているんだ。
良く見ると、倒れている連中の下にある地面は湿って変色している。そして、今目の前にいる『シャリなんとかさん』もだ。
水浸し。その言葉は数時間前に聞いたばかりだからはっきりと覚えている。
何でも最近、全身打撲の水浸しになった不良達が後を絶たないそうじゃないか。
「アンタも……僕の邪魔をするのか」
「いや、そんなつもりは……」
「僕に逆らうなんて……るせない……許せない!お前は悪だ!!」
はあ……最近ツイてないな。本当にツイてない。