プロローグ:自称友人
彼女は一体何がしたいのだろうか。
いくら近所のおばあちゃんと同じ名前のニックネームを付けられていたといっても、俺自身はオレオレ詐欺に引っかかるほど耄碌はしてはいないし、子供を作った覚えも無い。そもそも、女にオレオレ詐欺が出来るわけ無いだろう。
「ははっ、二ヶ月ぶりだな。相変わらずバイト生活続けてんのか?」
この女、いけしゃあしゃあとほざきよるわ。お前の行動が全て茶番だということは既にお見通しだ。
俺が錬章と最後に会った月と、俺が未だにアルバイターだという情報を入手していたことについては素直に賞賛の声を送ろう。だがしかし、お前は致命的なミスを犯しているぞ。俺を騙すつもりなら、まず最初に病院で性転換手術を受けてくるべきだったな。
「すみません。そういうのは他所でやってください」
「あ?何だよ急に」
「もうバレてるんですよ。あなたが俺を騙そうとしてる事」
「はあ?俺がいつお前を騙したってんだ?急に変なこと言うなよ」
あくまでシラを切るつもりか、往生際の悪い奴め。いいだろう、ならばこちらは切り札を一枚使わせてもらうぞ。
「いい加減にしてください。確かに通山錬章は知ってますけど、そいつは男です。あなたのような女性ではありません」
「っ!!」
その表情、どうやら真実を悟ったようだな。馬鹿め、何の目的があって俺に接触してきたのかは知らないが、これでお前の計画は全て破綻だ。これ以上のやり取りが不毛だとわかったのなら、おとなしくさっさと家に帰れ。
もしこれ以上グダグダと話を長引かせるつもりなら、俺は二枚目の切り札を容赦なく使わせてもらう。使ったら最後、お前は国家権力の偉大さを知ることになるだろう。
「お前こそいい加減にしろよ!人のこと女呼ばわりしやがって、何か恨みでもあんのか!?」
いい加減しつこい奴だ。女を男呼ばわりするならまだしも、女を女呼ばわりすることの何がいけないのか。俺は至極全うな事を言ったまでであって、別に怒らせるような事を言ったつもりは無いのだが。
仕方ない、三枚目の切り札を使うとしよう。
「じゃあ見せてくださいよ。あなたが通山錬章だっていう証拠を」
「いいぜ!ちょっと待ってろ…………ほら、これ見ろ!」
出口を塞いだつもりだったが、これは予想外だ。まさかこうもあっさり対応してこようとは思いもよらなかった。
美少女がジャージの上着ポケットから取り出したのは財布。そこから抜き出し手渡された免許証には、はっきりと『通山錬章』の名前が書かれていた。生年月日、血液型、顔写真のどこにもおかしなところは無い。唯一おかしな点を挙げるとするなら、免許証の顔写真と目の前にいる美少女の顔が合致していないことくらいだろうか。
少し雲行きが怪しくなってきた。目の前の美少女が本当に通山錬章なのか、それとも違うのか、その境目が曖昧になり始めている。よくよく考えてみれば今のご時世、外科学の発展によって性別の転換は実現可能だ。顔を合わせていない二ヶ月間の間に、錬章がどういうわけか性転換に踏み切ったという可能性も無くは無い。
だが、彼女は自分が女であることを否定してきた。それはつまり、自分が男だと言っているものと同義である。性転換を希望するほとんど人は性同一性障害を患っているらしいが、自身を男と認識している錬章がわざわざ男の体を捨てるような真似をするだろうか。
「出身高校はどこ?」
「柴山高校」
「甘い、辛い、苦い。俺の苦手な味はどれ?」
「甘い」
「二年の文化祭で反省文書かされたけど、理由は?」
「えーっと、無断で打ち上げ花火打ち上げたのと、屋上を無断で開放したのと、校長の胸像を壊したのと……そんくらいかな」
「女は怖い?」
「超怖い」
即興で作り上げた四枚目の切り札もあっけなく空を切る。
これは予想外の展開だ。俺は今、見たことも会ったことも無い美少女の事を、あの馬鹿野郎と同一人物なのではと思い始めている。今の質問に対してもほぼノータイムで答えてくるし、質問の答えもほぼ予想通り。財布に入っていた免許証はおそらく本物だろうし、何より俺の高校時代のあだ名を知っていた。俺のあだ名は在籍していたクラスの奴らしか知らないはずだ。クラスの連中の顔はしっかり覚えたから、目の前の美少女がクラスにいなかったことも既に把握している。
まさか、本当に性転換手術を行ったとでもいうのか?自身を男と認識しておきながら、奴は女に生まれ変わったとでもいうのか?……いや待て、まだ性転換したとは言い切れない。前にコンビニでバイトしていたときに、雑誌の煽り文句で見たことがある。
『これで今日からキミも男の娘!』
俺からすれば男がわざわざ女の格好をするなど理解不能ではあるが、世の中には趣味で女性のような格好をする『男の娘』という奴らがいるらしい。髪を伸ばし、女性物の衣服を身につけ、化粧やアクセサリーで自分を飾る。そうして自分が美しく、綺麗に、かわいく見られることに喜びを感じるのだそうだ。
これなら男の体を残しながらも女として振る舞うことが出来る。元々女に苦手意識を持っていた錬章がどういう経緯を経て女装に目覚めたのかは分からないが、元々気分屋で突発的な行動が多い奴だ。この二ヶ月の間で何かしら心境の変化があったのだろう。顔や胸だけでなく、女の声まで完璧に再現していたから相手が錬章だとはまったく気がつかなかった。
とすると、俺はこれまでの自分の言動を反省しなければならないな。いくら相手の性別が男だとしても、真剣に女になりきっている人に対して冷たい態度を取ってしまった。ここは温和な態度で接して相手に機嫌を直してもらわねば。
「いやぁ悪かった。様変わりしたから全然分からなくてさ。ちょっと疑っちまった」
「そ、そうか?いやぁ実はさ、最近ちょっと髪型とか気を使い始めてさ」
「ホント見違えた。最初見たとき誰だかわからなかったし」
「そんなにか?やっぱ周りの奴らが言ってたことは正しかったんだな……」
なるほど、コイツが変わったのは周囲の影響か。きっと「絶対似合うから」とか「絶対美人になるから」とか言われたんだろうな。錬章はおだてられたら木に登るどころかエベレストに登るような奴だ。そそのかした奴らの言葉を完全に鵜呑みにしてすっかりその気になってしまったのだろう。女が苦手なくせに、調子のいい奴だ。
「つーかそれ(胸)盛りすぎだろ。もうちょい少なくてもいいんじゃないか?」
「別に普通だって。周りの奴らもこれくらいは盛ってるぜ」
「へえ、周りもねぇ。重くて大変じゃない?」
「いや重くねえだろこんくらい。かたが数グラムだし」
「数グラム?いやいや、どう見ても一キロ以上あるだろ」
「一キロってお前、そりゃ無ぇだろ。女じゃあるまいし」
「いや、お前今女じゃん」
「えっ」
はて、俺達は今何の話をしているのだろうか。俺は女装の完成度を褒めて錬章のご機嫌を取っているつもりだったのだが、相手からは疑問系の反応が返ってきた。一体何故だ。様変わりした顔つきや胸部の『夢盛り』の話など、会話のキャッチボールはちゃんと出来ていたはず。今の場面におかしいところなど無かったはずだ。
ハッ、もしやこやつ。自分が今女装していることに気づいていないのか?女装生活に慣れすぎて、今の自分の姿がおかしいと感じなくなっているのかもしれない。それならば話は繋がる。俺の認識と相手の認識がズレているのであれば話がかみ合わないのもうなづける。俺達の会話は一見噛み合っているように見えて、実は最初から噛み合っていなかった。これが真実だ。
「いやだから、お前今女装してるじゃん。お前にとってはそれが普通かもしれないけど、初見の俺からすれば今のお前の姿は違和感ありまくりなんだよ」
「は?あれ、髪の話じゃなかったん?」
かみ……髪か。そういえば髪にも『盛り』という言葉が使われていたな。メガ盛りとかギガ盛りとか、およそ人間とは思えないような髪型で町を歩く女の姿をテレビで見たことがある。男の髪にも『盛り』というものがあったのか。初めて知った。
っと、あれこれ考えているうちに目の前ではかなり刺激的な光景が。錬章よ、いくらそれが偽乳だとしても、服の上からだと見た目はさほど変わり無いんだ。それを両手で鷲づかみにしてこねくり回すなんて傍から見ればかなり、いや、かーなーりエロい光景なのだが、本人はそれを自覚しているのだろうか。
そして、だ。ジャージのウエスト部分を前に引っ張って、股間を覗くなんて行為はやめなさい。それが許されるのは小学生までだ。いくら女装をしたからといっても、お前が男である以上そこには男の象徴が居座り続ける事に変わりは無い。女の姿形を真似たところで、お前が男だという事実に代わりは無いんだ。
「……い」
小声すぎて聞き取れなかった。もう少し大きな声で言ってくれないだろうか。
「何か言ったか?聞き取れなかったんだけど」
「ついて……ないんだ……」
「何が?」
何てひどい顔だ。その心底絶望したって表情、彼氏に別れ話を切り出された彼女のようだぞ錬章。
「……棒と……玉が……ないんだ……」
……『別れ話』を切り出されたのはなく、『男の象徴』を物理的に切り出されたってオチかよ。