しあわせのかたち
最終話です。
「あぁ、もう、うっとおしい!
そんな熊みたいにうろうろしないでくださいよ!」
「うるさい、ギュンター! おまえに俺の気持ちがわかるか!」
湖畔の新緑がまぶしい初夏のヴィルヘルミーナ。
その警護団の館にある団長室で、カール=ヘルベルト=ヴュストは苛々と歩き回っていた。
「あぁ、はいはい。どうせ俺はまだ独身ですよ。
生まれそうになったら、魔術具で連絡が来るんでしょ?
それまで仕事してこいって奥さんに言われたんだから、さっさとこの書類にサインくださいよ」
副団長であるギュンターが朝から抱えている書類は、一向に減る気配がない。
どれも団長の決裁を待つばかりなのだが、肝心のカールがこれでは今日も仕事にはならなそうだ。
「そうはいってもだなぁ」
「王都のおかあさんも来てくれてるそうじゃないですか。
大丈夫ですって。
そんなに気になるなら、もう帰ったらどうです」
「いや、それはルゥに怒られる気がして」
「でしょうねぇ。
散々休みも使っちゃいましたからね」
やれ医者への付き添いだ、産後に向けての買い物だと、ここのところカールは警護団そっちのけで出かけてばかりだった。
たまに出勤したと思ったら、時刻ばかり気にして、定時には姿が見えなくなっていた。
みかねたルゥがやんわりと、しかし有無を言わせず出勤させたようだが、やはり気もそぞろだ。
「初産は時間がかかるとは聞いていたが、昨日も生まれず今日もとなると、ルゥの体が心配・・・」
「だったら仕事終わらせて、堂々と帰ればいいんじゃないですか」
「そうか! そうしよう!」
ぽんと手を打ち、ようやく机に向かうカール。
そんな上司を見てギュンターは、
「団長・・・」
と大きなため息をついた。
猛烈ないきおいでサインを書きなぐり、いそいそと帰り支度をしている途中で、魔術具が光った。
エメ特製の指輪型通信球だ。
大慌てで家路に着くと、元気な泣き声が聞こえてきた。
「ルゥ! 大丈夫か!
おふくろ、子どもはっ、ルゥはっ」
「カール、落ち着きなさい。
二人とも大丈夫よ。元気な男の子だわ。
今会えるようにしてあげるから」
ブルクハルトからはるばるかわいい嫁の世話をしにやってきたカールの母親は、そう言って大量のタオルをもって部屋に入って行った。
「男・・・。そうか、男・・・」
「兄さん、そんな外から来たまんまの格好じゃ会わせられないからね。
手を洗って、うがいしてちょうだい」
気ばかり焦って右往左往するカールを水場に押しやるのはミレイユだ。
すでに2人の子持ちの彼女は、落ち着いた風情である。
言われた通りに身を清めて寝室に行くと、寝台にぐったりと横たわるルゥの手をエメが握っていた。
カールに気づくと、にまっと笑う。
「魔術の暴走もなかったし、子どもに秘術が継承されることもなかったわ。
封じはちゃんとできてる。ルチノーちゃんの努力のおかげね」
「そうか」
短く返事をして、深呼吸をする。
母親や妹はともかく、この食えない女魔術師の前では、あまり醜態をさらしたくない。
カールは枕元の手巾を手に取ると、目をつぶって浅い息をしているルゥの、汗ばんだ額をぬぐった。
夫の手に気付いたルゥが、うっすらと瞳を開けて微笑む。
「よく、がんばったな」
「ん・・・」
大仕事を終えたルゥは、疲れた表情はしていたが、とても満足そうだった。
「さぁ、カール。あなたからルチノーさんの隣に寝かせてあげてちょうだい」
横から声を掛けられた。
と同時にそぉっと手渡されたのは、ふわふわのタオルの塊。
「えっ、俺!? あっ、いきなり!?」
「当たり前でしょう。誰の子だと思ってるのよ」
おっかなびっくり差し出した腕に、あまりに小さな存在が預けられる。
「そ、そうだが。わ、ちょっ、軽、ぐにゃ」
「兄さん、怖いわ。しっかり持って」
「しっかりったって、しっかり持てるところがどこにもないだろうが!」
「いいから、早くルチノーちゃんにも見せてあげなさいよ」
「あ、そうだった」
格好つけるのも忘れてただあたふたするカールを見て、女性三人は顔を見合わせてくすくすと笑った。
日頃、厳しい顔をして警護団をまとめている男も、こんな場面では形無しである。
「ルゥ、見えるか」
寝台の妻の横に、生まれたての我が子をそっと寝かせる。
赤子は、何を思っているのか、ぴすぴすと鼻の穴が動かし、口をもごもごさせている。
「うん。
あぁ、ようやく会えたね。ありがとう・・・」
ルゥがそっと手を伸ばすと、赤子はきゅうっとその指をつかんだ。
「ふふ、かわいい。
目元が、カールに似てるね」
「そうか?
なんだかまだよくわから・・・ぐっ」
いきなりミレイユに足を踏まれた。
王都で流行っているとかいう、かかとが尖った靴のせいで、かなり痛い。
「か、髪の色はルゥ似だな」
脇を肘でつつかれて、あわてて言い直した。
細くやわらかな髪は、明るい金髪をしていた。
「そうね。目はまだ開かないからわからないけど、カールみたいなきれいな碧色だといいな」
「いつ開くかな。楽しみだ」
「うん」
カールは、寝台の横に置かれた椅子に腰かけて妻と我が子をみやる。
小さいのにしっかりくっついている爪。
まだふやけているような肌。
時折、あむあむと動く口。
何をするわけではないが、いつまで見ていても飽きない。
しばらく無言の時が過ぎ、いつの間にか寝室には二人きりになっていた。
「名前、どうしようか」
「たくさん考えてたけど、カールが好きなのでいいよ」
「うーん、俺もなぁ。顔を見てから決めようと思ってたから」
「ふふっ、ゆっくり考えて。私、眠くなってきちゃった」
「そうだ。疲れたろう。
側にいるから、しばらく眠るといい」
「うん。
ふぁ・・・。おやすみなさい・・・」
「おやすみ」
カールがルゥの髪を撫でると、甘えるように頬をすり寄せてきて、すぐに眠りに落ちた。
子どもも撫でてやろうかと思ったけれど、壊してしまいそうでやめた。
こんなに柔らかな物体は、生まれてこの方触れたことがない。
湖の上を抜けてきた心地よい風が、窓にかけられたレースのカーテンを揺らす。
明るい色調の家具でそろえられた寝室はとても静かで、ルゥのかすかな寝息しか聞こえない。
なんとも満ち足りた気分で、カールは眠る二人をいつまでも見つめていた。
番外編もこれにて終了。
ありがとうございました。
100話目は蛇足です。