白猫の恋わずらい
*****
とてとてとて。
城下町を歩く。
首輪はない。
しっぽの先に、カールが持っていてくれた赤いリボンだけが結ばれている。
今日は、カールは親衛隊に出勤する最終日だといって出かけて行った。
王都にいるのも残り一週間。
思えばいろいろなことがあったなぁ。
これまでのことを思い返しながら歩いていると、人ごみの中にカールを見つけた。
あれ?
昼休みかな?
「なーぅ」
カールっ
ととっと駆け寄って、その肩に飛び乗ろうとして慌てて止めた。
カールの隣・・・すごくきれいな女の人がいた。
誰?
妹さんではない。
カールに見つからないよう、人ごみに紛れて耳をそばだてる。
「・・・ったよ、ブランディーヌ」
「ふふっ、またね」
聞こえたのはそれだけ。
二人は手を振って、すぐに別れてしまった。
ブランディーヌ。
確かにカールはそう言った。
その名前には聞き覚えがある。
お城のお姉さんが言っていた、カールが行きつけだったっていう高級娼館?の女の人の名前じゃなかった?
カール、どういうこと。
もしかして、浮気?
*****
「ただいま・・・っと、ルゥ? いないのか?」
最終日の仕事を終え帰宅すると、家の中は真っ暗だった。
隊舎に置いていた私物や、餞別などが入った袋を玄関に置いて、明かりを点ける。
「ルゥ? 出かけてるのか?」
家の中に呼びかける。
すると、一週間後に控えた引っ越しの為荷造りされた箱の影から、すっと白い姿が見えた。
「なんだ、驚かすなよ。
どうした? 具合でも悪いのか?」
「なーう」
抱き上げて肩に乗せる。
「ははっ、こうしてると、昔みたいだな。
今日は猫のままっていうのもいいな」
俺は冗談のつもりでそう言ったのだが、ルゥはどういうわけかそのあともずっと猫のままだった。
「本当にどうしたんだ? まさか人に戻れなくなったのか?」
ルゥと二人、湯船に浸かる。
ルゥは白い毛がお湯に濡れてぺしゃんとつぶれ、情けない姿になっていた。
「んなー」
心なしか、元気もない。
「ルゥ? 一体どうした」
抱いたルゥの喉を撫でてやる。
ごろごろと喉を鳴らして気持ちよさそうにするものの、しゃべりはしない。
「ルゥ?」
真紅の瞳をじっと覗き込む。
すると、不意にその瞳にぶわっと涙が浮かんだ。
「えっ、おい、どうした!」
「う・・・ふにっ・・・うな・・・」
ふわあぁぁ!
猫のまま泣きだしたルゥは、目が溶けるんじゃないかと思うほど涙を流し、風呂から上がってタオルで拭いてやり、白い毛がふかふかに乾いてからも、目の周りだけはずっと濡れていた。
「う・・・ひっく。ふぇ・・・」
「あー、それで、浮気かと思ったわけだな」
「う、うぅぅ~」
腕が疲れるほど撫で続けて、ようやく人型に戻ったルゥは、寝台の上で丸まりながら泣いていた。
「ルゥに言わずに彼女に会ったのは悪かった。
昔はともかく・・・そんな関係じゃないんだ」
「う、うぅ・・・。
な、何、昔って・・・昔って・・・」
「昔? しまった、藪蛇だったか・・・。
まぁ、昔は昔だ。
それより、大事なのは今だろう。
俺が愛してるのは、ルゥ、君だけだよ」
「そんなの、信じられない。
だって、あの人、すっごくきれいで、私よりずっとカールに似合ってた・・・」
童顔で、ちっちゃくて、特殊な事情を抱えた私なんかより、女にしては背が高く、派手な容姿のブランディーヌのほうが俺に似合うんだと。
そんなの、誰が決めたんだ。
「いい加減にしろ。
ほら、目元を冷やして。そんなんじゃ明日かぶれて大変だぞ」
強引に起き上がらせて、俺の膝の上に乗せる。
真っ赤に腫れたまぶたに、保冷石を手巾で包んだものをあてた。
「冷たい・・・。気持ちいい・・・」
「だろうなぁ。そんなに腫れてちゃ」
「だって、カールが悪いんだもん」
「あぁ、はいはい、俺が悪いんだよな」
「何よ、その言い方」
「すまん。二度とルゥに黙って他の女には会わない。
本当に悪かった」
「・・・わかってくれればいいけど・・・何にやけてるの」
幾分腫れの引いた目で、ルゥが俺を睨んでくる。
ついつい緩んでいた口元を、手で覆って隠した。
「いや、こうも強烈に妬かれるとは思わなかったから、嬉しくて」
「妬っ・・・!
違う、妬いたわけじゃないもん」
「そうか?」
「そうよ。別に、焼きもちじゃないよっ」
「なんだ、違うのか。残念だな」
「残念? カールは私に妬いて欲しいの?」
「あぁ、いつもいつも俺ばかり騒いでるからな。
たまにはそういうのもいいだろ?」
「たまにはって・・・私すごくショックだったのに・・・。
私に妬かせるために、あの人に会ったの?」
「そうじゃないさ。ルゥに見られたのは偶然だしな。
彼女に会ったのは・・・」
寝台の横に持ってきておいた小箱をとる。
ルゥの小さな手の平にも収まるその箱は、昼間ブランディーヌにつきあってもらった店で買い求めたものだ。
「開けて」
「いいの?」
「あぁ」
ルゥがそろりと小箱を開ける。
少なからずどぎまぎしながら彼女の反応を伺っていた俺は、ぱあっと表情が明るくなったのを見てほっと息をついた。
「きれい・・・」
箱の中に納まっていたのは、一対の指輪。
それぞれに小さな紅玉が埋め込まれている。
「双子石のペンダントは割れてしまったからな。
俺からルゥに贈り物ってほとんどしたことがなかっただろう。
王都に戻ったら何か買おうと思っていたのだが、どの店で買ったらいいかわからないし・・・。
それでブランディーヌに店を教わっていたんだ」
「そうだったの」
ルゥが小さいほうの指輪を取り出す。
女性向けに作られたこの指輪は、紅玉の左右に金剛石もちりばめられていた。
「カール?」
ルゥが自分で指に指輪をしようとするのを止めて、ほっそりした手を握りこむ。
「どこかの国ではな、婚姻の約束に揃いの指輪を作るそうだ。
そしてお互いの指にはめるんだと」
「お互いの」
「あぁ。だからこれは俺がはめる」
指輪を取り、大きさの合いそうな指に入れた。
指輪は、ルゥの薬指を美しく彩った。
「素敵・・・。
じゃぁ、カールのは私がするわ」
「右手は剣を持つからな。左にしてくれ」
「うん」
こちらは紅玉一粒だけの、太めの指輪だ。
ルゥと同じ指におさまり、同じ色に輝いた。
「嬉しい・・・。ありがとう、カール」
指輪のはまった手をからめる。
どちらともなく、自然と唇が重なった。
たっぷりと味わって、銀糸を引きながら唇が離れるときに、ルゥが体を寄せながらつぶやいた。
「あぁ、でもくやしいな。
今日のことでわかっちゃった」
「なんだ?」
「私の方が、カールのこと好きだってこと」
きゅうっと俺の服をつかんでくる。
髪を撫でれば、頬をすりよせてきた。
「そんなことはない。俺の方が好きだ」
日々どれだけ焼きもちを妬かされていると思っているんだ。
「私の方が好きよ」
「俺のほうが好きだ」
「私よ」
「俺だ・・・ってどっちでもいいんじゃないか?」
ふっと笑ってまた口づけた。
意地になって尖っていたルゥの唇も、すぐにほどけて俺を受け入れる。
「でもきっと、恋したのは私が先ね」
「それは・・・」
俺は、初めは猫だと思っていた。
「ね?」
「まぁ、きっとそうだな」
やっと勝ったと満足そうな笑みを浮かべるルゥ。
この勝ち負け、俺を喜ばせるだけだとわかっているのだろうか。
「この指輪、猫になったらとれちゃうかなぁ。
鎖にでも通して、首にかけておいたほうがいいかしら」
「猫にならなければいいんじゃないか?」
「え?」
「猫のルゥもかわいくて好きだが、魔力の制御はできるようになったんだろう?
ずっと人の姿でも問題はないと思うが」
「あ・・・そうだけど・・・。
そっか、もう猫には・・・」
俺は当たり前のことのように言っただけだったのだが、ルゥはじっと考え込んでしまった。
ぶつぶつと何やらつぶやいている。
「元々生活のためだったし、エメさんの魔術は切れてるし、ヴィルヘルミーナに行ったら容姿をごまかす必要もないし・・・」
「そんなに悩むなら、好きな時に猫になってもいいが。
指輪はルゥが言うように」
「うん、決めた!」
「鎖に通せばいい・・・って、決めた?」
「もう猫にはならない」
「そうなのか?」
「うん。なるにしても、どうしても必要なときだけにする。
私、ずっと自分に自信がなくて、猫の姿に逃げてたようなところがあったの。
これからはそれじゃいけないでしょう?
ちゃんとカールに似合う女の人になるためにも、もう猫にはならないわ」
「そうか。
ルゥはそのままでルゥなんだから、俺に似合うっていうのは必要ないが、前向きに何か決めたなら応援する」
「うん、ありがとう」
晴れ晴れとした笑顔を見せるルゥは、目のまわりの腫れもすっかり引いていた。
「じゃぁ、もう寝よう。
今日は疲れたんじゃないか」
「ん、そうだね。おやすみ、カール」
「あぁ、おやすみ」
*****
翌朝。
昨日迷惑をかけちゃったから、朝ごはんは気合を入れてがんばろうと早起きした私は、玄関に置かれた袋に気が付いた。
「もう、こんなところに置きっぱなしにして。
隊舎にあった荷物かな。
ごはんを作る前に片づけちゃおう・・・って・・・何これ」
袋の上の方にあったのは、確かにカールの持ち物だった。
でもその下にあったのは。
「大好きなカール様へ、カール様愛してます、カール様遠くに行っても忘れないで・・・何これ、何これ!!!」
どんどん出てくるプレゼント。
そのどれもに熱烈なメッセージがついていた。
「なんでこんなのもらってくるのッ」
最後は袋を逆さまにして乱暴に全部出したところに、カールが起きてきた。
「おはよう、ルゥ。何を騒いでる・・・」
「カール! 何これ!」
「ん? 何って餞別だが」
「餞別ぅ!? 全部女の子からじゃない!」
「隊長やマルリたちからのもあるぞ。
ユハからのは・・・嫌味たっぷりの手紙つきだったな」
「そんなのごく一部でしょっ。
もう、カール、酷い!
カールなんて知らない!!」
ばんっと玄関を開けて飛びだす。
「あっ、おい、ルゥ、服っ、指輪っ
もう猫にならないって昨夜言ってたじゃないか、おい――!」
「・・・で、飛び出してきたのぉ?
朝っぱらから何事かと思えば・・・」
耳を垂らしてえぐえぐと泣きついたのは、城下町にあるエメさんの家。
エメさんももうすぐ引っ越しだから、お城の部屋は引き払って、今は自宅にいる。
「だって、だって、あんなにいっぱい女の子から・・・。
私が知らない間に、どんな顔して受け取ってたのかと思うと・・・」
「いいじゃないの、最後くらい。
女の子たちだって、別に本気でカールとどうこうなりたいって思って騒いでるわけじゃないんだから」
「そうだ。単に騒ぐ相手がほしいだけのようなものだ」
「え?」
エメさんだけだと思ってたら、奥から誰か出てきた。
この声、まさか。
「あんた、何で出てくるのよ」
「そろそろ城に戻ろうかと思ったら、声が聞こえたものでな」
癖のある栗色の髪に、濃い灰色の瞳。
鍛え上げられた上半身には、隙のない筋肉がついていて・・・筋肉?
「な・・・んで王様がエメさんの家に・・・。
こんな朝早く、しかも裸・・・」
「あー、まー、成り行き?
最後だとか言って、押し切られちゃって」
「たゆまぬ努力の成果だな。ここまで本当に長かった。
しばらく寂しい思いをさせるが、時々は私もヴィルヘルミーナに行くから。
ちゃんと私のことを待ってろよ、エメ」
「はぁ!? あんた、それ話が違うじゃない!
来なくていいわよ」
「なんだと? 一回きりで終われるわけがないだろう。
私がどれだけ我慢したと思って」
「妾妃三人も抱えて我慢とか、どの口が言うのよ、この女好きー!!!」
ばちっとエメさんから火花が散る。
慌てて逃げた王様だったけれど、家の奥の方でぎゃあっと叫び声が聞こえた。
たぶん、雷気にあてられたんだと思う。
「ふんっ。
あんなのと比べればカールなんて。
口と態度は悪いけど、本当にルチノーちゃん一筋じゃない。
あなたは奥さんなんだから、自信持って。
女の子のプレゼントくらい笑って開けて、カールの代わりにお返し選ぶくらいの余裕を持ちなさい」
「そ、そうね。私、帰る」
エメさんに言われて帰ってきたのはいいけれど、なんだか家に入りづらい。
玄関の前でうろうろしていたら、苦笑したカールが迎え入れてくれた。
「焼きもちは嬉しいが、飛びだすのはやめてくれ。
心配する」
「うん、ごめんなさい。
今度からは、雷落とすくらいにするわ」
「は? 雷?」
猫の私を抱き上げたカールに、エメさんの家でのことを話した。
「それは・・・恐ろしいな。
陛下も本当にエメに手を出すとは、勇気がおありになる・・・」
結局カールが作っておいてくれた朝ごはんを食べて、プレゼントの山は一緒に片づけた。
お返しも城下町で一緒に選んで(アドルフさんのところのお菓子にした)、でもカールが会って渡すのは私が嫌だったから、マルリさんに頼んで返してもらうことにした。
猫になったときに落としちゃった指輪は、改めてカールにはめてもらった。
「駆けて行くルゥと残された指輪を見たときは、何が起こったのかと呆気にとられて、そのあと俺の贈り物はその程度かと落ち込んだ」
「ご、ごめんなさい。もうしない」
そうだ、せっかくもらった指輪を放り出すことになっちゃったんだ。
すごく悪いことをしてしまった。
「戻ってきてくれたから、いいけどな。元はと言えば不安にさせた俺のせいだ。
ルゥが信じてくれるまで何度でも言うさ。
愛してるよ、ルゥ」
「信じてないわけじゃないのよ。カールはすごく私を大事にしてくれて」
「あぁ。わかってる。
では、俺が言いたいから言う。
愛してる。愛してるよ、ルゥ」
「そ、そんなに何度も言わなくてもいい」
「言いたいんだ」
どんどん頬が熱くなっていく私を、蕩けそうな瞳で見つめてくるカール。
こんな顔、他の誰にも見せたくない。
私だけを、ずっと見ていてほしい。
髪を撫でられ、口づけをしながら考える。
でもなぁ。
ヴィルヘルミーナに行ってからも、きっとモテちゃうんだろうなぁ。
その度に私は焼きもちを妬くんだわ。
猫でも人でも同じよね。
きっと、私。
ずっと、あなたに恋わずらい。
白猫の恋わずらい――――完
焼きもちルゥちゃんの回でした^^
本編はこれにて終了。
番外編があります。