14 ヴィルヘルミーナ領
*****
「ん・・・」
「お目覚めですか、姫君」
見慣れない天井が目に映る。
姫君? 誰のこと?
「起きたか」
ぼんやりと寝台から体を起こすと、一歩進み出た人影が私の肩を抱き、こめかみに口づけた。
見上げたそこにいたのは。
「・・・ひっ・・・」
アヒム!
なんでこの人が私に触るの!!
反射的にばしっと手を振り払い、寝台ぎりぎりまで逃げる。
「姫君?」
近くにいた女の人が、心配そうにこちらを伺ってきた。
身をすくめながら改めて周りをみれば、そう広くはなさそうな部屋に、老若男女、大勢の人がおり私を取り囲んでいた。
石造りの壁や木の板が張られた床は、ごく一般的なものだけれど、壁掛けの布の模様がどことなく懐かしさを感じさせる。
ここは一体・・・?
「彼女は混乱しているようです。
しばらくすれば落ちつくでしょう」
戸惑う私をよそに、アヒムは周りの人と私を交互に見ながら、泰然と言った。
「僕がわかるかい?」
「・・・アヒム」
私が答えると、周りの人たちからはほっとしたような様子が見えた。
「そうだ。僕のことを忘れてしまったのかと思ったよ。
ルチノー、こちらは君の故郷の再興のために尽力してくださっている方々だよ。
僕たちはフィダーイーの手にかかりかけて、命からがらここまで逃げてきたんだ。
もう逃げ切れないと思ったときに、この方々が助けてくださったんだ。
ここについてから丸一日、君は眠っていたんだよ」
おぼろげな記憶が蘇る。
あの山の中の小屋で、アヒムに首輪を奪われて、力が暴走した。
一時的に力を使い果たした私はその場に倒れ、馬に乗せられて運ばれたような気がする。
途中・・・そうだ、何度か襲われた。
『アヒム、血迷ったか! その娘を渡せ!』
『うるせぇ! 尊師に言っとけ! 二度と組織には戻らねぇとな!』
そんな会話を聞いたような気がする。
首に手をやれば、そこには元通り首輪がはめられていた。
それにしても“僕”って何?
取り繕ったようなしゃべり方も、気持ちが悪い。
「いや、しかし、お目覚めになられて本当によかった。
これでヴィルヘルミーナも安泰です。
全てアヒム様のおかげ、ありがとうございます」
私を囲む人々の中で、特に恰幅のいい年長のおじさんが言った。
おじさんの声音には、喜びとアヒムに対する信頼がにじんでいた。
他の人たちも、口々に感謝の言葉を述べている。
「いえいえ、当然のことをしたまでです」
当たり前のように感謝を受け、鷹揚にうなずくアヒムは、まるで人々の主のようにふるまっている。
私が眠っている間に、何があったのだろう。
「夕食のご用意ができてはいるのですが、姫様は召し上がることはできますでしょうか」
おじさんは、人のいい笑みを浮かべて問いかけてくる。
せっかくの好意だけど、食欲もないしアヒムと食事を共にする気もない。
私が静かに首を振ると、アヒムは上品な仮面をかぶって微笑んだ。
「もう少し眠ったほうがよさそうだね。
とはいえ、事情もわからないのは不安だろう。
みなさん、ここは僕が話をしますから、どうぞ先に階下に降りていてください」
「わかりました」
アヒムとおじさんに促され、人々は部屋から出て行った。
二人きりにされて、余計に身がすくむ。
そういえば王子様はどうしたんだろう。
断片的な記憶をたどるけれど、小屋を出たあとのことがよくわからない。
「すげぇ、何もかもうまくいってるぜ」
閉めた扉に耳を当てて廊下の様子を伺っていたアヒムは、振り返ってにやりと笑った。
「ここはどこ。あの人たちは何? 王子様はどうしたの」
「まぁ、そう急ぐんじゃねぇよ。
くくっ。ようやく俺にも運が向いてきたってもんだ」
「アヒム!」
「んだよ、うるせぇな
旧ヴィルヘルミーナ領だよ。んでもってあいつらは元ヴィルヘルミーナの民だ。
ここは城のあった湖のほとりに奴らが作った集落の中の一軒。
王子? あぁ、あのガキか。そういえばブルクハルトの王子だったっけな。
邪魔だから置いてきた」
「置いて・・・!? どこに?」
「さぁな」
そんな!
あんな小さな子一人で、放り出すなんて信じられない。
焦る私にかまうことなく、アヒムは寝台に腰かけて得意満面で話を続ける。
「ここの奴らはいいやつらだぜぇ。
おまえを連れてきた俺のことを、すっかり信じきってやがる。
なぁ。余計なことはいうなよ。
ヴィルヘルミーナのお姫様は、ブルクハルトに誘拐されて監禁されてたことになってんだ。
そこでフィダーイーに襲われたってな。
奴ら、おまえを女王にまつりあげて、復国の宣言をする予定だ。
もちろんそのときの王様は俺って寸法さ。
来年の春には、俺は王様、お前は女王様だな」
「何言ってるの。
私は女王になんてなりたくない」
「はぁ? おまえこそ何言ってんだ。
昔からの夢だろ。
いっつもお姫様だの王子様だのの絵を描いてたじゃないか」
「それは・・・」
その絵はたぶん、両親を描いた絵。
ヴィルヘルミーナの女王だったお母さんと、ベルトランの王様?だったお父さんなのかな。
どうして二人が出会ったのかとか、どうして私は孤児院に居たのかとかはわからないけれど。
「いい子ぶるんじゃねぇよ。俺にまかせとけって。
おまえの夢をかなえてやろうってんだ。
感謝しろよ」
勘違いをしたままのアヒムは、上機嫌で私の髪を一房つかむと、ぐいっとひっぱって口づけた。
嫌悪感に顔をしかめる私を気にすることなく、鼻歌を歌いながら扉を開ける。
すると、階下からは人々のにぎやかな声が聞こえてきた。
「姫様が見つかったってんで、昨日から宴会なんだよ。
なかなかうまい飯が食えるぜ。
気が向いたら降りて来い」
ばたんと扉が閉められた。
ほぅっと息をつく。
知らず、ずいぶん体に力が入っていたみたいだ。
ここはヴィルヘルミーナで王子様は行方不明?
壁掛けを懐かしいと思ったのは、どこかで見覚えがあったからなのかな。
あぁ、私を女王にして自分は王様になんて、本気なの?
どうしよう。
このままじゃアヒムの計画通りになっちゃう・・・!
*****
ジェラール王子を預けた先は、リクハルド陛下の第二妾妃、ブランシュ様の弟の館だった。
家族ぐるみで付き合いがあるらしく、王子と領主は面識があり、すぐに話が通じた。
「では、王子。こちらでお待ちください。
すぐに城から迎えが来ます」
「わかった。カール、ぜったいルチノーをみつけてね」
「御意」
エメとも魔術具で話をし、現状を伝える。
城ではまた会議を開いているそうだ。
エメの話しぶりから、彼女も、そして陛下もうんざりした様子でいることがわかる。
『ルチノーちゃんにはまだ会えないのよね?
私だけ先にそっちに飛んでいくことにしたから。
本当はリックだって今すぐにでも城を飛び出したいくらいんだろうけどね』
エメの話によると、水鏡で見える景色から、どうやらルゥはまたアヒムとやらに連れまわされているようだ。
せめて食事をとって一休みしたらどうかという領主の心遣いを丁重に断り、水鏡に映る景色から見当をつけた方角へと馬を走らせた。
*****
いつの間にか眠っていたみたい。
燭台の蝋燭がずいぶん短くなっている。
素足のまま床に降り、扉を細く開けて階下を伺うと、大声で笑い合う声が聞こえた。
「そうですか! 幼い頃に孤児院で」
「たまたま立ち寄ったブルクハルト城で成長した姫様を見かけられたそうですな」
「曲者の手が伸びていることを噂で聞いて、いても経ってもいられず、でしたっけ?」
「まさに運命ですね」
「素敵~! 絵物語みたい」
「おお、やはりお二人はそういう間柄で?」
「それにしても姫様を間近で拝見したときには驚きました」
「うちに残る家宝の絵姿にそっくりですものね」
「そうそう、先代ルミエール様もそれはそれは美しい方で・・・」
嘘と真実をたくみに織り交ぜて、アヒムが調子を合わせているのがわかる。
ああやって、みんなを丸めこんだんだ。
飛び出して言って、自分の口から本当のことを言いたい衝動に駆られる。
アヒムはそんないい人じゃない。
幼い頃、ずっと私をいじめてた。
お城でだって、ずっと大事にされて、たくさん優しくしてもらった。
それに私には・・・
「カール・・・!」
扉を閉め、背中でもたれてずるずると座り込む。
アヒムに攫われたとわかったとき、はじめはそんなに焦ってはいなかった。
アヒムのことは、昔を思い出して怖かったけれど、すぐにカールが迎えに来てくれると思ってたから。
私はエメさんの作った双子石を持っているし、水鏡で居場所を特定することもできるだろうと思った。
でも、未だ何の連絡もない。
石も反応しない。
何かあったのかな。
「う・・・ふっ・・・」
知らず、嗚咽が漏れる。
カール、私はここよ。
早く来て。
*****
田畑を越え、森を抜けると、何もない平らな土地に出た。
ここが、30年前に滅んだというヴィルヘルミーナか。
夕闇がせまる。
どこか野営できるところはないかと、馬をゆっくりと進める。
ほどなく、大きな湖に出た。
湖沿いを歩いて行くと、さほど遠くはないところに小さな集落を見つけた。
石造りの家々には、あたたかな光が灯っている。
宿屋はなさそうだ。
何か情報を得られないかと、特に大きな家の扉を叩いた。
「はい?」
扉が開くと、中からわっと人々が騒ぐ声が聞こえた。
「すみません。人を探しているのですが」
応対に出てくれた女性に、ルゥの特徴を話す。
「・・・少々お待ちください」
すっと目を伏せた女性が奥へと入って行く。
心なしか顔が青ざめていたように感じたのは気のせいか。
玄関先でしばらく待っていると、先ほどの女性が恰幅のいい男性を連れて戻ってきた。
*****
膝を抱えてしばらく泣いたら気が済んだ。
階下に行って真実を話すこともできるけれど、他にすることがある。
窓から外を見ると、私がいる部屋は二階で、手近に飛び移るのにちょうどよさそうな木があった。
服を脱いで猫の姿をとり、窓から枝へと飛び移った。
悩んでいても仕方ない。
迎えが来ないなら私から行く。
それに、王子様を探さなきゃ。
*****
「人をお探しとか」
「えぇ。人、もしくは猫なのですが」
「猫?」
「はい。真っ白な猫です。瞳だけは紅玉のような赤で」
「さぁ。知りませんな」
男性は顎に手をあてて思案顔だ。
「そうですか。ではこのあたりで少女を見かけませんでしたか。
小柄で白い髪の、やはり目の紅い・・・」
「うーん・・・」
「ご存じですか?」
「・・・」
「ご存じなんですね?」
女性が、男性を伺うように仰ぎ見る。
これは!
「彼女はここにいるんですか!?」
思わず男性の肩をつかみ、がくがくと揺さぶった。
「ちょっ・・乱暴はやめてください!」
「う、あ、あなたは、姫様とはどういうご関係で?」
「姫様? 俺はルゥの・・・」
「騙されちゃいけない!」
騒ぎを聞きつけてか、奥からやけに顔色の悪いひょろっとした男がまろび出てきて叫んだ。
「こいつは、ルチノーを隠していた国の兵士だ!」
試行錯誤の結果、単に読みにくくなっただけのような^^;
言い訳は活動報告にて。