12 暴走
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アヒムは、明け方ではなく日が高くなってから戻ってきた。
手に食料を持っている。
木をくっつけただけのようなテーブルの上に並べ、椅子というより丸太に座って食べることにした。
「追っ手はまだかかっていないが、食ったら移動するぞ」
「どこへ?」
「おまえの故郷だ」
アヒムがパンとチーズを手渡してくる。
私が一口食べてみてから、膝の上の王子様にも渡した。
王子様は、起きてからずっと私にしがみついている。
この子がいなかったら、私、アヒムとこんな風に向き合えなかった。
今だって、本当はこの人の前からなりふり構わず逃げ出したいのを、ぐっとこらえている。
会話するのも嫌だけど、私のせいで巻き込まれた王子様を無事に帰すためには、できるだけ状況を把握しなくちゃ。
「故郷って、孤児院のある町?」
「はっ。何言ってるんだ。あんなところが故郷なわけないだろ。
ヴィルヘルミーナだよ。おまえ、ヴィルヘルミーナのお姫様なんだろ」
「それは・・・」
そんなことをエメさんに言われたこともある。
調べてみると言われて、それっきりになっていた。
私も知らないことを、なぜアヒムが知っているのだろう。
「孤児院じゃ、よくみんなで言ってたよな。
そのうち金持ちの両親が迎えに来るんだとか、本当はどっかの国の王子や姫で、召使いが迎えに来るんだとか。
おまえは、本当にお姫様だったわけだ。
そして俺は・・・」
アヒムが懐から短剣を取り出す。
何をする気かと、王子様を抱く手に力を籠めて身構える。
「暗殺者組織の跡取り息子だったってわけだ」
ダン!
びくっと体が震える。
アヒムが短剣を突き刺したのは、りんご。
刺さった短剣ごと渡してくる。
剥けってこと?
「おまえの暗殺命令が出てるぜ。
いったん引き受けた依頼は必ずやり遂げるってのがフィダーイーの信念なんだと。
30年前の依頼だかなんだか知らないが、そんなのほっとけばいいのによ。
でもまぁ昔のよしみで、俺がおまえを助けてやったんだ。感謝しろよ」
おそるおそる受け取ったりんごの皮を剥きながら、話を聞く。
私の暗殺命令?
狙われていたのは私?
え?
「ヴィルヘルミーナでは、水が引いて国の再興が始まってるらしい。
ついでに、薄くてもいいから王家の血を引く者を探してるとかなんとか。
おまえをおまえの国に連れて帰れば、俺は英雄だな。
そんで、俺とおまえは結婚するんだ。
お姫様を救った英雄は、お姫様と結婚して国を継ぐってのがおとぎ話の王道だろ。
俺は王様だ。ははははは!」
アヒムは上機嫌で私の剥いたりんごを食べる。
アヒムが食べたのを見て、私も食べ、王子様にもあげた。
「待って。狙われていたのは王様じゃないの?」
「あぁん?
違ぇよ。
組織はずっと、昔取り逃がしたおまえを探してた。
ただ身体的特徴が違ってたんで、おまえが探してる標的だってのは、気付けなかった」
王子様が私にもたれかかってくる。
おなかがいっぱいになって、また眠くなったのかな。
「でも、なんだっけなー。
確かエメとかアメとかいう魔術士が涙石のことを調べてるって情報が入ったんだ。
そんでその魔術士の近辺を探ってみたら、おまえがいた。
俺はすぐわかったぜ。子どもの頃孤児院で一緒だったルチノーだって。
それ言ったら上層部のやつらが、ベルトランの姫の名前はルチノーだったって言いだしたんだ」
「ベルトラン?」
「おまえ、ほんとに何にも知らねぇの?
おまえの父親の国だろうが。
ま、俺らが潰しちまったみたいだけど。
でな、おまえの母親の顔を知ってる奴が、おまえのこと見に行ったんだ。
そしたら髪の色と目の色以外はそっくりだってんで、おまえ、お姫様決定。
誰が殺しに行くかって話になったから、俺が立候補したんだ」
いきなりいろいろなことを言われて、頭の中が混乱する。
王子様を抱える手にも、力が入らない。
「初めは本当に殺してやろうと思ったんだけど、途中でさっき言った王様計画を思いついたんだ。
苦労したぜぇ? 殺さないように、でも狙ってるように見せるのにさ。
おまえを攫う隙を伺ってたら、じれた上層部が直接仕掛ける計画を立ててた」
そうだったのか。
毒蜘蛛も、毒蛇も、私を殺すために送り込まれたもの。
昨日も、狙われたのは私。
「国王は、狙われてるのは自分だと思ってたみたいだから、好都合だった。
派手に国王を狙っといて、下からおまえを殺す計画だったんだ。
これは好機だと思って、俺の言うこと聞く奴と組んで、昨日みたいなことになったってわけだ。
ま、あわよくば国王の首もとっとこうなんて思った奴がいたみたいで、いい目くらましになったな」
「じゃぁ、王子様《この子》は巻き添えになった、だけ、よね。
王様の元に・・・帰してあげて」
「そりゃおまえ次第だな。
見慣れりゃ、この髪の色も悪くないぜ。
なぁ」
アヒムがテーブル越しに髪に触れる。
う、嫌、気持ち悪い。触らないで。
言おうとしたけど、うまく口がまわらなかった。
あれ? 私、おかしい。
「宵闇に紛れて移動したほうがいい。
出発前に、ちょっと楽しもうか」
下卑た笑みを口の端にのせて、アヒムがにじり寄ってくる。
逃げようとして、椅子から落ちた。
お尻と背中を床に打ち付ける、けど、あまり痛みを感じない。
王子様は、と見やれば、眠っているというよりぐったりしていた。
これは!?
「おまえ、猫になったり人になったりしてたから、毒の量が難しくてな。
仮死状態にして攫おうと思ってたけど、狙いにくかったんだよなぁ。
だから時間かかってよ。
あ、今日のはしびれ薬だから大丈夫だ」
な・・・んで・・・。
だって、同じもの、食べてたのに・・・。
アヒムは私の胸の上から王子様を持ち上げて、部屋の隅に無造作に放りなげた。
縄を手に取り、昨日のように縛って袋に入れながら、勝手にしゃべる。
自分はフィダーイーの代表である尊師が、組織の女に産ませた子どもだったこと。
その女は、子どもを暗殺者にするのが嫌で、組織を抜け出して隠れて子どもを産み、育てていたこと。
しかし病気で死に、身よりがなかったため孤児院にあずけられたが、組織に見つかって連れ出されたこと。
尊師の血を引く後継者として期待されたけれど、幼い頃から暗殺者になるべく育てられた他の人たちと違って後から訓練を始めたから、周囲の期待通りの結果が出せずに苦しんだこと。
ならば、と毒使いになる道を選び、様々な毒に体を慣らしていって、どんな毒や薬も効かない体になったこと。
「そのせいで、こんな見た目になったけどな。
顔色はいっつも悪いし、太ろうと思っても太れねぇ。
ま、白髪赤目のおまえとは、似合いの夫婦だろ」
アヒムがいったん外に出て出発の準備をする間に、私は全身しびれて動けなくなってしまった。
「いい頃合いだな。暴れられるのは面倒だからな。
大人しくしてれば、俺は優しいんだぜぇ。くくっ・・・」
筋張った手が、裾を割る。
内股を撫でられて、鳥肌が立った。
「う・・・。い・・・や・・・・。
や・・・めて・・・・」
「大人しくしてろって言っただろ」
「うっ」
アヒムが胸をわしづかみにする。
「お、なんだ、結構育ったんだな。
どれ・・・」
アヒムが服を脱がしにかかる。
服・・・。あ、そうだ。
体は動かないけど、意識ははっきりしている。
私は浅く息をついて、猫になった。
猫相手じゃ、手は出せないでしょ。
「・・・てめぇ、馬鹿にしてんのか!」
細目を吊り上げたアヒムが、私を投げ飛ばした。
体が宙に浮き、小屋の壁に背中をぶつける。
その衝撃で、粗末な小屋全体が揺れた。
「調べはついてんだよ。この首輪だろう!」
アヒムが首輪に手をかける。
そんなことまで? フィダーイーって一体!?
鍵が壊れる音がして、首輪がはずれた。
猫から人に戻り、カッと体が熱くなる。
「う・・・あ・・・」
「ん? おい、なんだ?」
いけない。
床にうずくまってなんとか止めようとするけど、体がしびれているせいで、いつも以上に力の制御ができない。
しゅうしゅうと白い靄が体中から湧き上がり、周りの空気が渦を巻き始める。
私を中心に風が巻き起こり、椅子や荷物が浮き上がって回る。
「首輪をとったからか!?
こんなこと聞いてないぞ!
おい、はめてやるから、渦をなんとかしろ!」
なんとかと言われても、できるものならとっくにやっている。
乱れ飛んだ家具が壁にぶつかる。
小屋が揺れ、いまにもばらばらになりそうだ。
「うぅ、くそう!
このままじゃ俺も・・・」
きつく閉じた目の奥を、白い光が明滅する。
光の合間には、見知らぬ文字や文様が浮かんでは消えた。
明滅の間隔が短くなっていく。
光。
文字。
光。
どこかの景色。
そしてまた光。
「あ・・・あああああああ!」
あれは、お城?
私に似た女の人が、楽しそうに笑っている。
小さな私の頭を撫でる、大きな手。
私の髪・・・金色?
光が瞬く。
水と、炎。
黒装束の男たち。
『ごめんなさい、ルチノー。
今はこれしか・・・。
あなたの中に封じるしかできない母を許して』
冠から取り外された涙石が、私の胸の上に置かれる。
すっと石が私の中に溶けたと思ったら、体中を針で刺されるような痛みが襲った。
『きゃあああああああ!』
『あぁっ、ルチノー! ルチノー!』
髪の色が、変わる。
金から白へ。
今と同じ、白い髪。
あれは私の過去なの?
渦が、ますます酷くなる。
乱れた髪が宙に舞う。
白い、髪。
カールがきれいだと言ってくれた、私の髪。
薄く開けた目の端に、赤いものが映った。
髪の端に結ばれたリボンだ。
まだ私が猫の姿しか見せていなかった頃に、カールがくれたリボン。
双子石のペンダントをもらってからも、王都で立派な首輪をするようになってからも、ずっと私のしっぽに結ばれているリボン。
屋根が飛び、床板がはがれた。
小屋が、崩れる。
力の暴走が、止まらない。
「あぁぁぁぁぁぁ・・・!」
意識を失う前、最後に見たのは、ほどけて飛んでいくリボンだった。




