9 さらわれた王子
ルゥと王子が消えてから三日が過ぎた。
王子誘拐となれば大事件だ。
親衛隊を中心に、秘密裏に捜索部隊が編成された。
俺もその一員として動いてはいたが、部隊が探しているのはあくまでもジェラール王子。
白猫のことなど、皆知らないか忘れている。
俺一人、違う焦燥感に駆られていた。
「なんだこれは」
「休暇願です」
朝一番で訪れた親衛隊長室で、俺は一週間の休暇を願い出る書類を差し出した。
外交問題がからんでいたら迂闊には動けないということで、城では会議が開かれている。
そのため、今日の午前中は隊舎で待機だそうだ。
ルゥが攫われたと言うのに、待機だと?
そんな悠長な指示になど従っていられない。
「この忙しい時に何を馬鹿なことを言っている。
却下だ、却下」
コスティ隊長は、ふんと鼻をならすと、俺の休暇願を指先ではじきとばした。
「ではこちらで」
休暇はどうせだめだろうと、あらかじめ用意しておいた除隊願を隊長の手に押し付けた。
「はぁ?
あ、おい、待て。
待て、カール!」
隊長の静止の声には答えずに、俺は隊長室を後にした。
「辞めたぁ?」
隊長室を出ると、まっすぐエメの部屋に向かった。
この女魔術士を頼るのは癪だが、他に当てはない。
「あぁ」
「隊にいたほうが情報が入るんじゃないの」
話しながらも、エメはずっと水を張った銀盤を覗き込んでいる。
「そう、だが」
「いてもたってもいられないってやつね。
んで、私に何の用?
情報を流せとでも?」
ようやく顔を上げたエメと視線を合わせ、黙ってうなずく。
「ま、いいでしょう。
わかっていることは、リックに害意のある者は城内から出られなかったんだから、別の目的のある者が入り込み、王子とルチノーちゃんを攫って逃げたってことよね」
別の目的。
王子が目的なら、一緒に連れ去られたであろうルゥは余計な荷物になる。
ルゥが目的なら、ルゥ自身に危害が及ぶ。
どちらにせよ、早く見つけてやらねば。
「実は、それらしい者が街道を出たって目撃情報があるわ。
それが確かなら、ルチノーちゃんも王子も城下町にはいないわね」
エメがまた銀盤を覗き込む。
「水鏡で見つかるかと思ったんだけど、白い靄がかかったみたいになって、何度やっても映らないのよ。
時々おぼろげに見える景色から、なんとか居場所を特定したいんだけど、そのためにも」
にやり。
女魔術士が不敵に笑う。
「思い通りに動いてくれる手足が欲しいところだったのよね」
手足だと?
偉そうな態度に腹が立ったが、なんと言われようとも、ルゥを見つけ出すまでは我慢せねば。
むっつりと黙り込み、腕組みをする俺に、エメは笑みをひっこめる。
「言い返しもしないの?
つまらないわね。
これまでに見えた場所を記したものがあるから、見てちょうだい」
エメが広げた羊皮紙には、三日間の時間ごとの景色が記されていた。
彼女なりに、探していたらしい。
「レンガ造りの家々、木、店、砂利、林、森・・・。
ここでたぶん城下町を出ているわ。
移動手段も変わったかも。
そのあと、これは西に移動しているかしら。
王子とルチノーちゃんが一緒に連れ去られたとして、三日で移動できる距離とすると・・・」
エメが地形図を広げて、記録と照らし合わせる。
「・・・で、ここでこう行ったとして、この花はこの辺りに多く自生しているから・・・」
手がかりは、エメが見えたという建物や動植物の特徴だけだ。
俺の持つ双子石とも、今回は反応しない。
「私が飛んで探せば早いんだけど、おかかえ魔術士なんて立場だからおいそれと動けないの。
今言った経路を馬で辿ってくれる?
あなたのことなら水鏡で見えるから、違っていたら連絡するわ」
連絡?
どうやって?
俺の疑問を察してか、エメがなにやらごそごそ探し始めた。
「えぇっと、確かこの辺に前作った通信用の魔術具が」
そんなものがあるのか。
魔術に頼るのは嫌だが、この際、好き嫌いは言っていられない。
己の体と剣一つで生きてきた者たちにとって、魔術はあまり好まれない。
俺も、エメをいまいち好きになれないのは、彼女自身と言うより魔術への不信感があるからだ。
ルゥと出会ってから、ずいぶんと魔術が身近なものになり、ルゥが魔術の練習をするのも温かく見守ってはいたが・・・。
エメに、複雑な文様が描かれた球体の嵌った指輪を渡される。
「それ、ずっと使ってなかったから、月の光に一晩あてる必要があるんだけど。
今から出る? そうよね。
じゃ、今晩どこかで野営したときに外に出しておいて。
くれぐれもなくさないように」
エメの手には巨大な水晶球。
そちらにも指輪と同じような文様が描かれている。
「私が力を送ったときしか使えないから、あなたのほうから好きなときに連絡を取ることはできないのよね。
でも、何か見つけるかもしれないし・・・。時間を決めておきましょうか。
朝昼晩、力を送るから。何かあったら、そのとき教えてちょうだい」
他にもいくつかの魔術具を持たされ、城を出た俺は出発の準備をした。
馬に荷物を括り付け、街道を駆ける。
ルゥ。
今行くから。
無事でいてくれ。
*****
体が、揺れている。
この感じ、馬車かなぁ。
私、馬車なんて、なんで乗ってるんだろう・・・。
ガタガタと揺れながら進む馬車は、かなりの速さで駆けているらしく、時折ガッタンと石を踏んで大きく跳ねる。
私はその衝撃で目覚めたみたい。
目覚めた・・・。
私、寝てたの?
ぼやけた頭で、記憶をたどる。
今日はお城で武術大会があって、カールの応援をしてたんだよね。
カールは決勝戦まで残って、ユハさんと対戦したんだ。
すごく拮抗した試合で、二人の剣が折れて、王様めがけて跳んできた。
警護の人が動いたと思った瞬間、鋭い音がして何本もの矢が降ってきた。
あぁ、そうだ。
だんだん思い出してきた。
みんな、折れて跳んできた剣に気を取られてたから、矢への反応が遅れて、王様だけがマントで矢をはじきながら私とエメさんを抱きこんで守ってくれた。
びっくりして、エメさんと王様の下で小さくなって震えていた私は、観覧席の台の隙間からくりくりっとした真っ黒な目が覗いているのに気付いて、さらに驚いた。
王様のマントの外では剣戟の音がしていて、マントの中はと言えば、「ちょっと、どさくさにまぎれてどこ触ってんのよ!」とかいう別の攻防が繰り広げられている。
隙間からするりと台の下に降りた私が出会ったのは、ジェラール王子だった。
「ねこたん」
私を見止めた王子様は、嬉しそうに笑った後、すぐに真剣な表情になった。
「かくれんぼ。
しー、よ?」
しーっと言って口元に人差し指を立てる。
いや、王子様?
この状況わかってる?
「なう」
「しー!」
「しー」じゃないってばぁ。
出ようよ、と前脚で王子様を軽くひっかいたその瞬間。
だん! と真上で大きな音がした。
そして、私と王子様がいるこの場所にも、黒装束を着た男が飛び込んできた。
「!?」
「!」
私も驚いたけれど、飛び込んできた男も驚いたようだった。
手には、針を太く大きくしたような、尖った武器を持っている。
この人、下から王様を狙おうと、忍び込んできたの!?
とっさに、エメさんに習った雷の術を使おうとして、躊躇した。
制御を誤って、もしも王子様を傷つけてしまったら!?
練習台にしていた黒焦げの丸太が思い浮かぶ。
私の迷いと比べ、男の動きはすばやかった。
武器をしまうと、私と王子様を同時にはがいじめにして、口元に布を押し当てた。
う、何これ。
ツンと頭の奥に響くようなきつい臭いがして、意識が遠のく。
台の上からは、
「陛下!」
「ご無事ですか!?」
などという声が聞こえてくる。
「大事ない。私のことはいいから、賊を追え」
「「「「「はっ」」」」」
王様が指示を出して、バタバタバタっと複数の足音が遠ざかって行った。
待って。
行かないで。
閉じかけた目に映る、台の隙間。
王様とエメさんは、辺りを警戒している。
「う・・・・な・・・・」
声をあげようとしたけれど、すでに体に力が入らない。
男は、私と同じくぐったりした王子様を小脇に抱えると、訓練場をぐるりと囲むように作られた観覧席の骨組みの隙間を、身をかがめて駆け出した。
あ、や、やめて。
助けて。
王様、王子様が攫われちゃうよ。
エメさん、私たちはここよ。
あぁ。
どうしよう。
誰か、助けて。
助けて。
カール・・・!
私が憶えているのはそこまで。
たぶんそのまま気を失って、この馬車に乗せられたんだと思う。
暗闇に、目が慣れてきた。
私たちが乗せられているのは、幌付きの荷馬車みたい。
さっきから私が枕にしてる温かな感触は、王子様のおなかかな。
規則正しく上下する胸から、とりあえず無事に生きていることがわかる。
外の音から場所がわからないかと、耳を澄ましているうちに、馬車が止まった。
がさがさっと音がして、幌が開けられる。
まぶしくはない。
もう夜になっちゃったのかな。
誰かが中を覗き込んでくる。
とっさに私は、気絶しているふりをした。
「この子どもは何だ」
ぞく
「一緒にいたからよぉ」
ぞくぞく
聞こえるのは二人の男の声。
その一人の声に、聞き覚えがある。
「俺は猫を連れてこいと言っただろ」
悪寒が止まらない。
記憶にあるよりも、いくぶん低くはなっているけれど、この声、まさか。
「うるせえな、猫もいるだろ。アヒムさんよ」
やっぱり!
遠い過去に置いてきたはずの、幼い頃の私をいじめた相手がそこにいた。




