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ヴィルヘルミーナの最後の女王⑥



「フロリアン様が!?」


ナタリーから聞いたルミエールも、驚きのあまり言葉もなかった。

国王夫妻は健在で、兄もいる中、14歳のフロリアンが謀反とは、一体どういうことなのか。


「詳しいことは、あたしもわからないんです。

 体調を崩されて、臥せっていたはずですし」


「そうよね。

 あぁ、無理にでもお見舞いに伺って、お話をお聞きすればよかったかしら」


花や手紙を贈るだけでなく、直接顔を見て話をすればよかった。

そうルミエールが口にしたとき、部屋の扉が音もなく開かれた。


「その役、今からでも頼めますか?」


「王妃様!」




王妃によると、フロリアンの謀反は疑いようもなく、いくら実子であっても監禁せざるを得なかったという。


「監禁……。それで、フロリアン様は今どちらにいらっしゃるのですか?」


「地下牢です」


「……!」


王子である彼が地下牢に!?

監禁とはいっても、自室に見張りがついている程度だと思っていた。


「フロリアンは、兵を集め、諸国から魔術士を呼び寄せていました。

 密告があり、未然に防ぎはしたのですが、父と兄を殺害し、自分が王たらんとしていたそうです。

 なぜそんな無茶をしようとしたのか……。誰が尋ねても、一言もしゃべりません」


「それで、なぜ私に……」


「牢番が、言ったのです。

 夜中、たった一度だけ、あなたの名をつぶやいた、と」


「!」


ルミエールは知らなかったが、フロリアンが投獄されたのは一昨日だという。

その間、国王が訪れても王妃が訪れても、何も話さなかった。

バルトロメウスにはまだ知らせていないという。


「弟思いの子です。

 自分を殺そうとしたと知ったら、どんなに傷つくでしょう。

 フロリアンは誰かに騙されたのではないでしょうか。

 ルミエール姫。あの子を訪ねて、真実を聞きだしてください!」


王妃の悲痛な叫びに胸を打たれ、ルミエールはフロリアンを訪ねることにした。

ナタリーを従えて地下牢への階段を降りる。

次第に日の光が届かなくなる回廊を、蝋燭を片手に進む。

最下層まで降りると、重苦しい鉄の扉があった。

槍を持った牢番が、二人を出迎える。


「ここから先はルミエール様お一人でお願いします」


「そんな! あたしも行きます」


「ルミエール様お一人でお願いします」


「ルミエール様に何かあったらどう責任をとるつもり!?」


「中に他の牢番がおります。

 ルミエール様お一人でお願いします」


ナタリーが食い下がるが、牢番は同じ言葉を繰り返すだけだ。


「いいわ。一人で行きます」


「でも、ルミエール様!」


「大丈夫。相手はフロリアン様だもの。無体なことはなさらないわ」


フロリアンだから不安なのだ。

ルミエールは、我が儘放題のフロリアンの所業を知らない。

ナタリーが噂に聞き、ルミエールに伝えていないことがいろいろあるというのに。


ギィ……

鉄の扉が、耳障りな音を立てて開く。

中から、湿った空気が流れてきた。




地下牢は、岩をくりぬいて作られたようで、周囲の壁は一続きになっていた。

岩の間からは水がしみ出し、冷たい床を濡らしている。

三つほどあるぼうは、大きな岩を積み重ねた壁で仕切られ、それぞれ太い鉄の柵がついている。

換気口にも鉄格子がはめられていた。


真ん中の牢の奥、壁に据え付けられた蝋燭の光の届かぬ場所に、毛布にくるまりうずくまる人影があった。

ルミエールはおそるおそる話しかける。


「フロリアン様……?」


びくっ

人影が動いた。


「フロリアン様。ルミエールです。大丈夫ですか?」


「ルミエール?」


毛布をかぶった人影が、のっそりと立ち上がり、ふらふらと鉄柵に近付いて来た。

ルミエールも歩み寄ろうとするが、牢番が間に立ちはだかったため、あまりそばには寄れなかった。


「ルミエール」


毛布から白い手が覗く。

いや、白いのは手ではなく、手袋だった。

確か庭の散歩をしたときも、フロリアンは手袋をしていた。


「ルミエール」


鉄柵の間から、フロリアンが手を伸ばす。

その手を握ろうとして、牢番に止められた。


「姫様、あまり近づいてはいけません。

 お話だけになさってください」


「でも……」


牢番の肩越しにフロリアンを見る。

フロリアンは浮いた手で鉄柵を握り、下を向いてしまった。

頭からすっぽり毛布をかぶっているため、顔は見えない。


「ルミエール」


突然、フロリアンがぐんっと両手で鉄柵をひっぱった。

しかし頑丈な鉄柵はびくともしない。


「ルミエール、ルミエール」


フロリアンは、涙声になって何度も何度もルミエールの名を呼ぶ。

牢番の背中越しにそんなフロリアンを見つめるルミエールは、せつなくなって、もう一度手を伸ばした。

フロリアンも、ルミエールの動作に気付き、手を柵の間から伸ばしてくる。


「ルミエール」


「フロリアン様」


「いけません」


あと少しで指先が触れる。

そう思った時、牢番の手が、二人の間を遮った。


「ルミ……」


「姫様、お下がりください。お話だけになさっ……ひぐっ」


フロリアンは、ルミエールの手の代わりに牢番の手を引き、勢いよく引っ張った。

フロリアンより一回りも二回りも体格のいい牢番が、軽々と宙を飛び、柵にぶち当たった。


「おまえ、邪魔するな」


フロリアンが手を離すと、牢番はがくっと床に崩れ落ちた。

手足が痙攣し、口からは泡を吹いている。


「フ、フロリアン様?」


「ルミエール。邪魔者は消えたよ。こっちにおいで」


フロリアンが手招きする。

ルミエールの背中をぞくりと悪寒が走った。


「ルミエール? どうしたの?」


ちょっと待て。

こんな力が、彼にあるはずがない。

目の前の人物は、本当にフロリアンなのか。


「フロリアン様。あの、私、お話をしにまいりましたの。

 お顔を見せていただけませんか?」


「……いいよ」


あっさり毛布を脱いだフロリアンは、顔色が少々悪いものの、ルミエールの知るフロリアンだった。

しかし、その瞳が、暗い。

とても14の少年がする表情ではない。

視界の隅には、動かなくなった牢番。

ルミエールは、思わずヴィルヘルミーナに昔から伝わる守護のまじないを唱えた。

魔術というほどのものではない。

暗がりを怖がる子どもを安心させるために、母親が唱えるようなもの。


「「ルミエール?」」


すると、フロリアンの声が二重に聞こえた。

輪郭がぼやけ、不確かな存在が重なる。

蜂蜜色の髪には白いものが混じり、薄青の瞳は、何ものも映さない深淵の黒へ。

目元や口元には、皺がよって見える。


どこかで見覚えのあるその顔は……。


「ザイル……!」


「!」


言ってから、しまったと思った。

気付いていないふりをすることもできたのに。


「くっ……くっくっくっ……。

ふははははははははは!

こんなに早く気付かれるとは。

あなたを甘く見ていたようですね」


「な、何、どういうこと!? フロリアン様は!?」


「私がフロリアンですよ。

 今、ちょっと体をお借りしてましてね」


フロリアンに重なったザイルが、手袋をとった。

華奢な手の甲には、禁術の一つである傀儡くぐつ化の魔術陣が描かれていた。


「なんてことを!」


「別に無理矢理描いたわけじゃないんですよ。

 この王子がね、自ら望んだんですから」


「そんなわけないでしょう! フロリアン様から離れなさい!」


「ふふ、まぁ、知らぬは本人ばかりなり、ということですかね」


フロリアン(ザイル)が鉄の柵に手をかざす。

すると、あんなに頑丈だったはずの柵が、ぐにゃりと曲がって溶け落ちた。


「ヴィルヘルミーナだけでなく、この国(ベルトラン)まで滅ぼそうというの……?」


フロリアン(ザイル)が一歩、牢から進み出る。

ルミエールは気丈にふるまいつつも、足が震えるのを止められなかった。


「いいえ。

魔術のかけらもないこんな国に興味はありませんよ。

私が求めるのはただ一つ」


「な、何?」


また一歩、フロリアン(ザイル)がルミエールに近付いて来る。

ルミエールは震える足を叱咤して、ザイルとの距離をとる。


「ふっ……。ルミエール女王、あなたですよ。

 ヴィルヘルミーナの地下に眠る秘術は失われましたが、あなたの体に継承された秘術はまだ生きている。

 さぁ、その体をよこしなさい!」


ぶわっとフロリアンの体からザイルが飛び出した。

フロリアンがどさりと床に崩れ落ちる。

恐ろしい勢いでルミエールに迫りくるザイルの体は半透明で、後ろの壁が透けて見えていた。


「何を! やめて!!」


ザイルがルミエールにのしかかる。

とっさに、ルミエールは術を使おうとした。


「無駄ですよ。

 私がただここに囚われていたとお思いですか。

 私以外の者の術は無効になるようにしてある。

 まぁ、さきほどの術とはいえないような代物にはしてやられましたが」


実体のないはずの、ザイルの右手が肩にくいこむ。

手甲? 違う、義手だ。

ヴィルヘルミーナのあの湖のほとりで、最後にザイルを見たとき、確か腕から血を流していた。

あのあと、その腕を失ったのか。


ザイルの義手が、ルミエールの服を引き裂く。

白い肌が露出し、爪がかすった後に血が滲んだ。


「いやぁ、誰か! 誰か助けて!

 ナタリー! 母様!

 ……マクシミリアン……!」


髪を振り乱し、なんとか逃れようとするルミエール。

ザイルは左胸のふくらみに爪を立てると、ぎりぎりと傀儡の魔術陣を刻みはじめた。

焼けるような痛みが胸を襲う。


「いやあああぁぁぁぁぁ!!!!」


「ルミエール姫!」


「ルミエール様!」


もうだめ……ルミエールがそう思ったとき、バルトロメウスとナタリーが飛び込んできた。


「大丈夫か!

 ナタリーが知らせに来たんだ。

 母上め、何かこそこそやっていると思ったら……。

 ハッ!」


バルトロメウスが、ルミエールを押し倒すザイルに気付き、剣を投げる。


「ちっ」


剣を避けたザイルは、牢の奥に飛びのいた。

暗がりに姿が消える。

バルトロメウスは剣を拾って、ザイルを追った。

ナタリーは、よろよろと身を起こすルミエールの横に膝をついて、背中を支える。


「ルミエール様! あぁ、なんてこと! 美しいお肌に傷がっ」


血のにじむ肌を手巾で押さえ、ナタリーは手早くルミエールの衣服を整える。

ザイルを見失ったらしいバルトロメウスが房から姿を現し、倒れていたフロリアンを抱き起した。


「フロリアン! しっかりしろ!」


「う……、兄さん……。ここはどこ? 僕、どうしたの?」


「なぜ王子のおまえが地下牢こんなところに……

 くそっ、父上も母上も俺に一言もなく!」


フロリアンの弱り切った様子に、バルトロメウスは膝の下に腕を入れて抱き上げようとする。

それに気付いたルミエールが、鋭く声をかけた。


「バルト様、待って!!」


にやり

フロリアンの顔が、歪んだ。


「馬ァ鹿」


ざしゅ!

フロリアンの懐中刀が、バルトロメウスの脇腹を貫いた。


「ぐっ……」


抱きかけたフロリアンを突き飛ばし、バルトロメウスが傷口を押さえる。

指の隙間から血が滴った。


「くっ……フロリアン、なぜ……」


「だって僕、兄さんのことが嫌いだもの。

 なんでもできて、なんでも手に入って。

 ルミエールまで僕からとるんだ」


「フロリアン、そんな……。おまえが望むなら、俺は……」


「望むなら、なぁに?

 ルミエールを僕にくれる?」


「それは……」


「だめ? じゃぁ兄さんの体でもいいよ。

 ねぇ、手の甲を出して?」


「いけません、バルト様!

それ(・・)はフロリアン様であって、フロリアン様ではありません。

 ザイルという魔術士が、フロリアン様の体を乗っ取っているんです!」


「な……ルミエール姫? それはどういう……」


ルミエールを振り返ろうとしたバルトロメウスだったが、傷が思いのほか深いのか、うっと息をつめて膝をつく。


「余計なことを。もう少しで第一王子も傀儡にできたのに。

 まぁ、いい。

 私はあなた(ルミエール)の体さえ手に入ればいいんですからね」


うずくまるバルトロメウスの前を、悠々と歩いてルミエールに近付くフロリアン(ザイル)

ナタリーは、がたがたと震えながらも、必死にルミエールを背にかばおうとする。


「うぅ……待て……」


バルトロメウスが、力を振り絞って、フロリアンの脚めがけて剣を払う。


キィィィン!


フロリアン(ザイル)に触れる直前、甲高い音がして剣が折れた。


「何……ベルトランの名工が打った剣だぞ」


「そんなただの剣に私の術が破れるわけはありませんね」


フロリアン(ザイル)がひょいと左手を振る。


「!」


バルトロメウスは見えない何かにはじきとばされ、牢の壁にぶつかった。


「バルト様!」


「さぁ、ルミエール、体をよこしなさい。

 今こそヴィルヘルミーナの秘術を我がものに!」


「そう、は、させる、か」


折れた剣を杖にして、バルトロメウスが体を起こす。

額には脂汗が浮き、脇腹から浸み出た血が腰から下を濡らしていた。


「あぁ、バルト様……。

 それ以上動かれてはいけません」


ナタリーと握り合ったルミエールの手は、力を籠めすぎたため血の気を失い、冷えて震えている。


他人ひとの心配をしている場合ではありませんよ」


フロリアン(ザイル)が、勝利を確信し歓喜の笑みを口の端にのせる。

息がかかるほどルミエールに近付くと、蝋燭の光をうけて鈍く光る金の髪を一房とって、唇を寄せた。


「私が欲しいのは秘術ですからね。

 術を奪い取った後は、その身体、可哀想なフロリアンにでも差し上げましょう」


「あぁ……」


「ル……ミエール姫!」


ルミエールの瞳がきつく閉じられる。

ナタリーは、ぎりっと唇を噛み、フロリアン(ザイル)を睨みつける。

バルトロメウスは、大量の血液を失って力の入らない四肢と折れた剣を、絶望的な思いで交互に見やった。

せめて、せめて奴に一矢報いることのできる武器があれば……!


そのとき。


「王子! これを!」


見知らぬ若い男の声とともに、換気口から一振りの太刀が降ってきた。

細身の優雅な剣は、魔術の心得のないバルトロメウスでさえわかるほどに、聖なる輝きをまとっていた。

反射的に柄を握ると、体が軽くなり、傷がふさがった。

得物を手にしたバルトロメウスは、フロリアン(ザイル)に切ってかかる。


先ほどは触れる寸前で弾き飛ばされた剣が、術を切り裂き、ザイルに届いた。


「ぎぃやああああぁあぁぁぁ!」


魔術士がフロリアンの体から抜け出る。

不思議の剣はザイルのみ切り裂き、フロリアンは、服一枚すら切れていなかった。


「そ、その剣……なぜここに……」


切られた背中をかばいながら、ザイルが牢の入口に向けて逃走をはじめる。

剣の威力を知ったバルトロメウスが、大股で踏み込んで一閃した。

魔術士の首が飛び、血しぶきが上がった。


断末魔の叫びが牢にこだまする。


首を失った魔術士の体が、ゆっくりと倒れていくのを、ルミエールはただ見つめていた。

床に血だまりが広がっていく。

血の色(それ)が、赤いことが不思議だった。

こんな、人を人とも思わぬ所業をした輩の血が、自分たちと同じ赤色をしているなんて。


「ルミエール様。

 ルミエール様!」


ナタリーに呼びかけられて、はっと我に返った。

お互いにしがみつき合う形になっていたナタリーが、そっと体を離す。

心細く感じたルミエールがすがろうとすると、


「お相手が、違うようです」


と突き離された。

宙に浮いた手を、しっかりとつかんだのはバルトロメウス。


「大丈夫か、ルミエール姫」


「バルト様……」


ルミエールの頬が涙に濡れる。

ナタリーが抱き合う二人を複雑な表情で見守っていると、背後でがたんと音がした。

換気口の鉄格子がはずされ、人影が滑り込んできた。


「あんた、マクシミリアン……!」


「ナタリー、久しぶりだな。遅くなってすまない。

 ここに忍び込むのに手間取って……あー……、俺、いろんな意味で本当に遅くなってしまったみたいだな……」


マクシミリアンの目線の先には、バルトロメウスの腕の中に納まったルミエールがいた。

額に手の平をあて、がっくりとうなだれるマクシミリアン。


何か月も待って。

もう死んでいるのかと思って。

あの剣を見て、もしかしたらとは思ったけど。

ようやく再会して、そこで落ち込むの?


「馬鹿!」


ナタリーが幼馴染に飛びつく。

油断したところに、いきなり全体重をかけられたマクシミリアンは、一歩よろめいて耐えきれず、尻もちをついた。


「おまえ、太った?」


「ううう、うるさい! あんたの鍛え方が足りないのよ!!」


騒ぐ二人に気付いたルミエールが、また新たな涙を流す。


「マクシミリアン! よかった……」


バルトロメウスの腕をするりと抜けて、駆け寄ってくる。

ナタリーもマクシミリアンも、幼い頃からそうしてきたように、ルミエールのために片方ずつ腕を広げた。


ぎゅうぎゅうとだんごになって抱き合う三人を、苦い顔で見つめるバルトロメウス。


「あいつがマクシミリアン?

 さっきルミエール姫が口にしたやつか。

 一体どういう関係だ……」


この後、バルトロメウスは、仲の良すぎる三人の関係にしばらく頭を悩ませることになる。









あれから十年。

魔術士に体を使われた後遺症か、自我を手放してしまった第二王子を引き取って、国王夫妻が隠居した。

後を継いだ第一王子が、ベルトラン国王となった。

若き王の隣には、金髪の美しい女性。

ヴィルヘルミーナの女王は、ベルトランの王妃となった。


結局祖国(ヴィルヘルミーナ)は国土のほとんどが水に沈み、再興はかなわなかった。

ナタリーも、紆余曲折ありながらマクシミリアンと結婚し、娘を産んだ。

そして今日、ベルトランに姫君が生まれた。

すっかり父親の顔になったバルトロメウスが、ゆりかごに眠る赤子を見て目を細める。


「ルーテウス、と言うのはどうだ。“黄金”という意味だ」


黄金ルーテウス。ヴィルヘルミーナ風に言うとルチノーね。“光り輝く”という意味だわ」


出産という大仕事を終えたばかりのルミエールは、人生で一番の幸せをかみしめながら夫と我が子を優しく見つめる。


「ルチノー。

 うん、いいわね。この子の名前はルチノーよ」


「ルーテウスだぞ」


「ルチノーだっていいじゃない。ルーテウスじゃ、男の子みたいよ」


「いいじゃないか。燃えるような見事な金髪にぴったりだ」


ルミエールが生んだ姫は、母親譲りの美しい金色の髪に、父親に似た薄い青色の瞳をしていた。








幸せな二人に魔の手が伸びたのは、それから2年後のこと。

ヴィルヘルミーナの滅亡時に、ルクシールの術で手練れを失ったフィダーイーが、態勢を立て直し、“ヴィルヘルミーナの王族を根絶やしに”という依頼を遂行するためルミエールの命を狙ってきた。

バルトロメウスは全力でルミエールと我が子を守った。

しかし、結果として再びフィダーイーの手によって一つの国が滅ぼされた。






「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


夜半、複雑な路地を、幼子を抱えた赤毛の女がひた走る。

20代後半くらいだろうか。

そばかすの残る頬は、焦りのため引きつっていた。


「どこか……どこかにルチノー様を隠さなくては」


たどり着いたのは一軒の孤児院。

扉は固く閉じられていたが、玄関の横に子どもを預けるための小窓があった。

女―ナタリーは、迷いなく小窓を開け、子どもを中に入れた。

窓を閉めると内鍵が降りる音がし、リンゴーンと鐘の音がした。

ヴィルヘルミーナにはなかったが、他の国では捨て子が多く、以前孤児院の前に捨てられた赤子が発見が遅れて死んでしまったことがあり、それ以来、“命のゆりかごカル・パ・ラ・ヴィータ”と言われる小窓がつけられるようになったという。

この孤児院でも、命のゆりかごカル・パ・ラ・ヴィータを採用しており、さらにさきほどの鐘のによって、孤児院の者が見に来てくれるだろう。


ほっと一息ついたナタリーは、次は自分の身を隠すべく、足を返す。

夜明けまで逃げ切れば、マクシミリアンと合流できるはずだ。

急ぐナタリーの背後に黒い影が迫る。


「女! 子どもはどこだ!」


あと少しというところで、路地に追い詰められた。

こいつら(フィダーイー)がやってきたということは、ルチノーの身代わりにおいてきた我が子はすでにこの世にはいないか。


こんな母親でごめんね……。

命のともしびが消える瞬間、ナタリーの頬を一筋の涙が伝った。




ルミエール様……。




マクシミリアン……。




ルチノー様、どうかご無事で……。






「ナタリー! ナタリー!!」


朝焼けに染まる町に、マクシミリアンの叫び声が響く。


「俺は、また遅かったのか……。

 はっ、今度の遅刻は取り返しがつかないな……」








「いらっしゃいませ!」


夕方の菓子店に、一組の男女カップルが入ってきた。

背の高い男性は、街を歩けば十人中九人は振り返るだろうと思われる美丈夫。

隙のない物腰が、なかなかの使い手と見て取れる。

連れの小柄な女性は、つばの広い帽子を目深にかぶり、男性の後をひっそりとついてきた。

しかし店内に自分たちしかいないとわかると、うきうきした様子で菓子を眺めはじめた。


「今日のおすすめはなんだい?」


入口を視界の隅に納め、連れの女性を守るかのように立った男性が、軽い調子で話しかけてくる。


「うちは全部おすすめですよ、なんてね」


これまで何人もの客に言ってきた台詞を口にした菓子店の店主は、男性の視線の先にいる女性に、自然と目をやった。

すると、品物に影を作る帽子を、わずらわしそうに持ち上げながら菓子を選ぶ姿が目に入った。


「あ、ん。これ、邪魔」


「帽子、とればいいじゃないか。誰もいないし」


「そうね」


男性に促されて、女性が帽子に手をかける。

さらりと流れた髪は、若い女性には珍しい白。

同じ色の長い睫に彩られた瞳は、紅玉のような赤色をしていた。


「……!」


店主の目が、驚愕で見開かれた。


「髪の色のことなら言ってくれるなよ。彼女はとても気にしている」


男性が、そっと店主に言う。


色?

色がなんだというのだ。

その瞳。

その唇。

その姿かたちのすべてが、彼の人を思い起こさせる。




あぁ、ルミエール様……!




「奥様の、お名前は?」


喉が、干上がる。

店主は、なんとか男性との関係を聞きだし、確証を得るべく名を訪ねた。

しかし、突然すぎたのか、男性の瞳に不審げな色が宿る。


「初めてお越しいただいたんですよね、これからもご贔屓にしていただきたいので、お名前入りのお菓子をおまけしますよ」


営業用の笑みを浮かべ、とっさに口から出まかせを言った。

男性は感心した様子でペンを受け取る。

差し出した紙に、さらさらと書かれた名は“ルチノー”。




おお、神よ。

姫君は生きておられた……!




「どうしたの? 父さん」


客が出て行った先を呆然と見つめる店主に、奥から出てきた娘が声をかけた。

若い娘らしく頭の高いところで結わえられた髪は赤。

頬にはそばかすが浮いている。

ナタリーの忘れ形見だ。

王女の身代わりとなった我が子は、偽物とわかった瞬間、暗殺者フィダーイーの標的からはずれた。

子どもの首をひねる間も惜しむほど、奴らが急いていたのは幸いだった。


「懐かしい人に会ったんだ」


「昔の知り合いかなんかが来たの?」


「知り合い……。そうだな。

 なぁ、アンナ。おまえに父さんの初恋の人って話したことあったかい?」


「初恋ぃ? 母さんじゃないの?

 やっだー! 何なに?」


父の恋愛話コイバナと聞いて、興味津々の娘に苦笑する。


夕飯ゆうめし食べながら話そう。

 今日はもう店じまいだ」


「いいの? ずいぶん早いね」


「あぁ」


ご機嫌になったアンナが、店舗と一続きの自宅に戻る。

店主は、店先に“閉店《CLOSED》”の札を下げた。




「今日は特別うまい酒になりそうだ。

 なぁ、ナタリー」







かつてヴィルヘルミーナの宮廷騎士として一国の存亡に関わり、今は老舗菓子店の店主となったマクシミリアン=アドルフ=バルデスは、あの日の朝焼けにも似た夕方の空を見上げてつぶやいた。








外伝はこれで終わりです。

つじつまの合わないところなどありましたら、ご意見いただけたらと思います^^;

次回から本編に戻ります!

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