ヴィルヘルミーナの最後の女王②
城が、落ちる。
城内のいたるところに火の手があがり、通路には絶命した兵士や使用人が倒れていた。
新女王の誕生からたった七日で、美しきヴィルヘルミーナの城は、湖の底へ沈もうとしていた。
ナタリーは外に逃げようとする人々に逆行して、必死に城の奥へ奥へと進む。
「ルミエール様! ルミエール様!!」
声が枯れるほど呼び続けているのは、唯一無二の主の名。
長い階段を駆け下りた最下層に、女王の姿はあった。
「ルミエール様!」
「ナタリー! 来てはだめ! 早く逃げて!!」
巨大な魔術陣の中央で、術の媒介となっているのはルミエールその人。
ドレスの裾は破れ、日の光のような明るい金髪も、今は術風を受けて乱れていた。
白い頬には泥がつき、涙の痕が残っている。
先日受け継いだばかりの冠の石だけが、術に反応して強く光っていた。
魔術陣の割れ目からは、次々と水が噴き出してくる。
「ルミエール様!」
ナタリーに遅れること数瞬、マクシミリアンも駆け込んできた。
手にした剣には血がしたたっている。
「マクシミリアン! お願い、ナタリーを連れて逃げて!」
「あなた様を置いては行けません!」
マクシミリアンが、陣の中に入ろうとする。
ばちんと火花が散って、伸ばした手がはじかれた。
「くそっ」
「ルミエール様! 術を解いてください! あたしたちと共に脱出しましょう!」
「だめよ! 私は最後の女王として、ヴィルヘルミーナに伝わる秘術を永遠に封印するため、共に沈まねばならないの!」
「そんな……」
がくりとナタリーが膝をつく。
あふれだした水が、侍女服を濡らした。
呆然とするナタリーの隣で、マクシミリアンがぎゅっと拳を握る。
「ルミエール様。ならば私も、共に沈むまでです」
驚いたナタリーは、幼馴染の顔を見上げる。
煤と血で汚れたその顔には、ゆるぎない決意が見て取れた。
あんた、そんな形で想いを成就させていいの?
ナタリーとて、ルミエールをただ黙って死なせる気はない。
だからといって、一緒に死んでどうなるというのだ。
「マクシミリアン……」
ルミエールの頬を、新たな涙が伝う。
「だから、ルミエール様、俺をこの中に入れてください」
「……だめよ……だめ……」
陣の真ん中に立つルミエールは、マクシミリアンから顔をそらし、自分の身体を抱く。
ナタリーは、なんとかみんなで生き延びる術はないのかと唇を噛む。
「ルミエール様」
マクシミリアンが一歩踏み出す。
ルミエールがびくりと顔を上げて、すがるような瞳を向けた。
彼女も、逃げてと、女王として死ぬと言いながらも、今の状況が怖くて仕方ないのだ。
涙を流すルミエールに、唇を噛んで思案するナタリー。
一人、マクシミリアンだけが迷いのない顔つきで歩を進めようとしていた。
「ちょっと待って!」
さらに陣に近付こうとするマクシミリアンの足を、ナタリーがガッとつかむ。
「なんだ、邪魔をするな。おまえはいいから、逃げろ」
「うるさいわね! あんた間違ってる!
ルミエール様も間違ってます! なんで死のうとするんですか。共に生きましょう!」
「ナタリー……。だって秘術が……」
「秘術なんて! 生きていれば対応策だって見つかるかもしれません!」
ぐいぐいと進もうとするマクシミリアンに引きずられるようにしながらも、ナタリーは決して足を離さない。
水が跳ね、顔を、服を濡らすが、そんなことは気にしていられない。
「秘術“なんて”とは、どういう言い草だ。ルミエール様が命を懸けて封じようとしているものだぞ。
おまえも臣下なら、主君の命に従って逃げろ。
さぁ、ルミエール様、ここを開けて。俺も一緒にいきます」
「マクシミリアン。ナタリー。
あぁ、どうすればいいの……」
ルミエールが両手で顔を覆う。
その間にも床の亀裂は拡がり、部屋の壁にもひびが入って、横からも上からも水が噴き出してきた。
その時、落ち着いた声音が室内に響いた。
「逃げなさい」
自分たち以外の声が聞こえて、三人は同時に部屋の入口を見る。
「ナタリーの言う通りよ。あなたたちは逃げなさい」
「お母様!」
驚くナタリーの横を通り過ぎ、マクシミリアンが火花に阻まれて入れなかった魔術陣の壁も易々と通り抜けて、ルクシールは娘の元へ向かった。
「お母様! お父様と共に賊の手に落ちたのではなかったのですか!?」
「お父様は、ね。私はこの通り無事です。
こんなことになったのも、私のせいよ。責任はとらせてちょうだい」
ルクシールは、ルミエールと並んで魔術陣の中央に立つ。
新たな力ある存在を受けいれて、魔術陣が安定した。
術風が和らぎ、もはや膝まで達しようとしていた水が、引いて行った。
「お母様のせい? それは一体……」
「詳しい話をしていなかったわね。あなたの戴冠式の日に尋ねてきた男を覚えてる?」
「男?」
◆◆◆◆◆◆
あの日、戴冠式を終え、国民へのお披露目も済ませたルミエールは、母とともに城の大広間で客人の挨拶を受けていた。
そこへ一組の男女が訪れた。
『お初にお目にかかります。ルミエール女王陛下。
そして……お久しぶりですね、ルクシール様』
『あなたは、ザイル』
四十がらみの男はザイル、外套を被った小柄な女はクラリスと名乗った。
このザイル、大陸ではそれなりに名の知れた魔術士で、ルクシールの在任期間中に何度もヴィルヘルミーナを訪れては、婚姻をせまっていた。
結局女王が、国内の有力貴族の中でも特に術資質の高い者を選んで伴侶とし、子を成すまで、つきまとった。
ようやくあきらめたかと思ったら、新女王の誕生当日、十数年ぶりに現れた。
『何の用? 娘の即位を祝うのでなければ、帰ってちょうだい』
『くくっ……。そんなことを言っていいのですか?
あなたがたは今、国民を騙しているのですよ』
『どういうこと?』
『まぁ、立ち話もなんですから、お茶でもいただきましょうか』
不遜に言い放つザイルに、ルクシールは眉が寄りそうになるのをぐっとこらえる。
ザイルは、厚い面の皮とともに、魔術大国の責任者として無視できないほどの力を持ち合わせていた。
ルクシールの在任時、力は強くとも禍々しいものを感じる彼に生理的な嫌悪感を覚えつつも、無下にできなかったのはそのためだ。
『あの、お母様?』
『あなたはお客様の対応をしなさい。
彼らは私が話をするわ』
そう言ってルクシールはザイルらとともに、別室に消えた。
◆◆◆◆◆◆
上階では、物が破壊される音や人々の悲鳴が聞こえる。
突然城に入り込んできた黒ずくめの集団。
“フィダーイーだ!”と誰かが言っていたな、とナタリーは思い出す。
傭兵か何かなんだろうか。
「ザイルは言ったの。
クラリスこそが正統な女王であると」
「正統なって……どういうこと?」
ザイルの言に寄れば、何代か前の女王が双子を生み、片方は忌子として秘密裏に処分されようとした。
側仕えの一人が機転を利かせて生き延びることはできたが、貧しく、苦労ばかりの人生だった。
クラリスはその子孫だという。
そしてクラリスにこそヴィルヘルミーナの血は色濃く引き継がれており、身の内に秘めた魔力もルミエールを凌ぐという。
「私やあなたの瞳の色は青紫でしょう。
クラリスの瞳は深い青なの。
今あなたの頭にあるヴィルヘルミーナに伝わる秘宝、涙石と同じ深い青。
それが何よりの証拠だとザイルは言うのよ」
ルクシールたちの先祖は、残す双子を誤った。
クラリスとクラリスの後見人である自分に、ヴィルヘルミーナの王座を明け渡せ。
そうザイルは要求してきた。
「もちろん私はつっぱねたわ。
そうしたら、王座の代わりにヴィルヘルミーナに伝わる秘術を教えろといってきたの。
クラリスにはそれを知る権利があると。
あの男の目的はクラリスがどうとかいうより、秘術だったのかもしれないわ」
「……そんなことがあったの」
「えぇ。私はもちろんそれも断って……。
やけに大人しく帰ったと思ったら、こんなことになるなんて」
それまで冷静に語っていたルクシールだったが、初めて悔しそうな思いを声音にのせた。
女王として、いかなるときも感情をあらわにしないよう心掛けてきた彼女であったが、国を失いかけた今となってはその努力すら虚しい。
「彼らの要求を、馬鹿げた話として軽んじた私のせいよ。
秘術は私が封じます。ルミエールはナタリーたちと一緒に逃げなさい」
「でもそうしたらお母様が!」
「誰かが封じなければならないのだもの」
「封じる必要はないさ」
「何奴!」
不意に聞こえた若い女の声に、それまで大人しく母子の会話を聞いていたマクシミリアンが反応した。
ナタリーを背にかばうようにして立ち、剣先を声のした方へ向ける。
「ようやく入れた。
ったくババァが面倒な仕掛けをしていくから、苦労したよ」
“ババァ”とはルクシールのことか。
彼女はここに来る道すがら、他の者が追えないように術をかけていたらしい。
外套を脱ぎ捨て、服についた埃を払うクラリスは、見事な金髪と深い青色の瞳をしていた。
白い肌、すらりと伸びた手足もどことなくルミエールを思わせる。
しかし粗暴な言葉遣いと歪んだ表情は、似ても似つかない。
「あなたは……クラリス?」
「そうだよ。死ぬだの生きるだの、何を騒いでるんだい。
あたしこそ真の後継者だって言っただろう。封じる必要なんかない。
さぁ、ヴィルヘルミーナの全てをこの身に!」
自信に満ちた表情で、魔術陣へと近づいていくクラリス。
マクシミリアンは、その動きを剣で追いながらも、どうしたものかと迷っている。
「あなたが継いで、どうする気です」
「新生ヴィルヘルミーナの誕生さ。
正統な後継者を迎えて、この国は益々栄えることになる。
ほら、どきな!」
クラリスはなんなく魔術陣に入り込む。
マクシミリアンをはじいた陣が彼女を受け入れたということは、クラリスがヴィルヘルミーナの血を継いでいることに間違いはないようだ。
「やめなさい!」
「やめて!」
ルクシールとルミエールがクラリスを止めようとする。
育ちの良い二人は他人と直接もみ合ったことなどなく、陣の中ではおいそれと他の魔術を使うこともできない。
押し合った結果、当然のように、勝ったのはクラリスだった。
「あたしが女王だ!」
クラリスが陣の中央に手の平を押し当てた。
宙に呪文が浮かび上がり、クラリスの詠唱が始まる。
ルクシールとルミエールが陣の外にはじきだされる。
転びかけたルミエールをマクシミリアンが支え、ナタリーはルクシールに付き添った。
こうなっては誰も止められない。
「無茶よ! やめなさい!!」
ルクシールが叫ぶ。
術風が吹き荒れる中、クラリスはすべての術文を一度に読み上げていく。
いままで女王たるべく修練を積んできたルミエールでさえ、七日の時をかけて習得しようとしたものなのに。
「きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
クラリスの服が裂け飛び、裸身に呪が刻まれる。
青く光る文様は、耐えがたい痛みを肌に与えることを、経験者であるルクシールもルミエールも知っている。
「あ……や……何……。そんなはず……だって、あたしは正統な……」
呪がもうすぐ体表を覆い尽くすと思われた瞬間、陣の中央から漆黒の闇が噴き出した。
気体とも液体ともつかない闇はクラリスを飲み込み、天井に当たって、また陣へと落ちた。
そのまま陣の中央に吸い込まれるように戻る。
闇が消えた後に、クラリスの姿はなかった。
「なんてこと……」
「闇に、喰われたんだわ。
何の心得もなく、秘術に手を出すから……」
しんと静まり返った魔術陣を、一同は呆然と見つめる。
ひび割れから浸み出した水だけが、さらさらと流れていた。
「では……この魔術陣はこのまま私が封じるから、ルミエールは逃げなさい」
「お母様、それはできません」
「ルミエール……」
母子の押し問答がまた始まろうとしたその時、
「心得とは、何があればいいのです?」
部屋の入口に、新たな声が響いた。
ルクシールが溜息をつく。
「来ると思ったわ」
「お待たせしてしまって申し訳ありませんね」
ルクシールの視線の先に、埃ひとつその身につけることなく立つザイルがいた。
「上はもう落ちますよ。
優秀なフィダーイーの面々には、報酬をはずまねばなりませんね」
「フィダーイー! そんなものを雇っていたのね!」
「フィダーイー? 上でも聞いたわ。何?」
マクシミリアンの背に守られたナタリーがつぶやく。
「俺も詳しくは知らないが、暗殺や工作を生業としている連中だそうだ」
不吉なその名は、政に関わる者の間で密かに語られてきた暗殺者集団の名。
自分たちの仕事に誇りを持ち、依頼を完遂するまでは、地の果てまでも追うという。
そんな者たちが、この城に入り込んでいたなんて!
施政者の仮面はすでにはがれおち、ルクシールはぎりぎりと歯噛みする。
大事に大事に守ってきたこの国を、娘に譲った矢先にこの出来事。
自分がもっとうまく立ち回っていれば。
娘のために盤石の基盤を築いてさえいれば、こんな輩に入り込まれる隙を与えなかったのに……!
「秘術ではなく、私の命が望みだったの?
それなら、フィダーイーでも何でも使って持っていけばいいわ!
なぜ国ごと滅ぼそうとするの!」
「ふふっ、私は欲張りでね。秘術もあなたも欲しかった。
だから婚姻を申し込んでいたのですが、断られてしまいました。残念です。
なぜ秘術も欲しいのかって? これまで私は世界中の魔術を習得してきました。
残るはこのヴィルヘルミーナの秘術のみ。
この術を手に入れれば、私は世界中の魔術士の頂点に立つことができる」
「あなたには無理よ。ヴィルヘルミーナの直系でなければ使えないわ」
「無理かどうかは、やってみなければわからないでしょう?」
「……つまらぬことを。
では、それほどの力を手に入れて、どうする気?」
「それは手に入れてから考えますよ。
さて、ルクシール。年経てなお、あなたもまだまだ魅力的ですが、秘術を知る頂点が複数いるのはおかしい。
都合よくクラリスも消えたようだし、ヴィルヘルミーナの血は……」
にやり。
ザイルの口の端が、上方に歪む。
あまりにも禍々しい笑みの形だった。
「根絶やしにします」
「なっ……」
ザイルが片手をあげると、室内に黒装束の男が数人、音もなく現れた。
ルクシールの顔から血の気がひく。
「すでに城内の者は一人として生きてはいません。
外に逃れた者も、この者たちが仕掛けをしましたから、生き延びることはできません」
「なぜ国民を巻き込むの!」
「ヴィルヘルミーナの秘術を知る可能性のある者を、一人残らず始末するためですよ」
「外道……!」
ザイルの、そしてフィダーイーの所業に、ルクシールは怒りで身を震わせ、目前の敵を睨みつける。
「くくっ……。取り澄ました顔より、そういう表情のほうがあなたは美しく見える。
フィダーイーのみなさん、最後の大物ですよ。
ルミエールを血祭りに! ルクシール、あなたは私が直々に手を下しましょう。
あなたの血に染まった魔術陣で、ヴィルヘルミーナの秘術を発動させるのも一興です」
「ふざけたことを! 城が落ちるというなら遠慮はいらない。
あなたが欲しがった秘術、目の前で見せてやるわ!」
ルクシールが魔術陣の中央に駆け込む。
両手を胸の前で合せ、詠唱を始めた。
本来ならすでにルミエールに引き継がれているはずの術だったが、七日目の今日、最後の儀式がまだ済んでいなかった。
そのため、ルクシールにも術が使えた。
魔術陣から光がほとばしり、目を焼く。
術風が陣の外まで吹き出した。
ルミエールとナタリーを背にかばい、マクシミリアンは剣を床に突き立てて強風に耐える。
ザイルたちは、詠唱と同時にルクシールに術をかけられ、動けないでいるようだ。
「あなたは生きて、自分の幸せを見つけてちょうだい」
陣の中にいるはずのルクシールの声が、ルミエールたちのすぐ近くで聞こえた。
「お母様、何を……あ!」
三人の足元に、転移の陣が現れる。
ルクシールはルミエールたちを逃がし、秘術でもってザイルたちを抹殺したあと、城ごと封じるつもりだ。
「お母様! 無茶だわ! せめてこれを!」
ルミエールが差し出そうとしたのは涙石がはまった冠。
「大丈夫。意地でも封じてみせる。
マクシミリアン、ナタリー。ルミエールを頼んだわよ。あなた……私に最後の力を……」
「お母様あああああぁぁぁぁぁ!」
転移の術が発動する。
ルミエールは、城の外へと放り出された。
ばしゃーん!
水柱があがる。
「ぷはっ……ごほごほっ……ここは……」
湖の中に落ち、初めに岸に上がったのはナタリー。
マクシミリアンはルミエールを抱いて泳ぎ、後に続いた。
「この間ピクニックをしたあたりだな。
城が……沈んでいく」
「ルミエール様、大丈夫ですか?」
マクシミリアンの腕の中でぐったりしているルミエールに、ナタリーが声をかける。
「ルミエール様? ルミエール様!」
ナタリーがルミエールの肩をつかみ、がくがくと揺する。
青ざめたルミエールに、反応はない。
「どうした?」
「ルミエール様が」
「どけ!」
周囲を警戒していたマクシミリアンが、ナタリーのただ事でない様子に気づいて、ルミエールの呼吸を確かめる。
「水を飲まれたのか? くそっ」
「あんた、何を」
マクシミリアンはルミエールを柔らかな芝の上に横たえると、顎をつかんで口を寄せた。
そのまま息を吹き込む。
「ちょっ、血迷ったの!? やめなさい、マクシミリアン!」
ルミエールに覆いかぶさるマクシミリアンの肩を、焦ったナタリーは力一杯ひっぱる。
「邪魔をするな! 人工呼吸をしているだけだ!」
「じんこう……?」
「うっ、ぐっ……ごほっ」
何度目かの口づけのあと、ルミエールが息を吹き返した。
「あ……私……? っ、痛っ……!」
びくっと身を震わせたルミエールが、おそるおそる自分の裾をまくる。
湖に落ちた拍子に切ったのか、足に大きな傷を負っていた。
ドレスの内側が真っ赤に染まっている。
「大変!」
ナタリーが自分の裾を引き裂いて、ルミエールの足に巻く。
「とりあえず止血します。
あぁ、結構深く切れてる……。どこか安全な場所を見つけて手当しないと」
ナタリーが辺りを見回す。
美しかったヴィルヘルミーナの城は半分以上湖に沈み、黒煙をあげている。
湖の水位は、徐々に下がっている。
城のあった中央にできた大穴に、湖の水が流れ込んでいるせいだろう。
城が完全に沈み切れば、反動で津波のように水が岸辺に押し寄せてくるかもしれない。
ここに長居はできない。
どうしよう、とナタリーがマクシミリアンを振り仰いだのと、マクシミリアンが懐の短刀を茂みに投げたのは、ほぼ同時だった。
「……っ、はぁっ、危ないですね。
ルミエールの手当の必要はありませんよ。すぐに死ぬのですから」
「おまえ、生きて……!」
短刀で狙った茂みから現れたのは、ザイルだった。
どうやって城から脱出したのか。
けれど彼も無傷ではいられなかったようで、半身をかばい、あえぐような息をしている。
だらりと下がった腕からは、血がしたたり落ちていた。
「ふぅ……。ルクシールはフィダーイーの面々を巻き込んで、城と共に沈みました。
秘術は永遠に失われたかと思いましたが……不幸中の幸いですね。
その娘を殺し、体に刻まれた残りの秘術を奪うとしましょう」
「そうはさせるか!」
マクシミリアンが切り込む。
身をひるがえしてよけたザイルだったが、よろめいてがくりと膝をつく。
「く……っ、もうすぐ……もうすぐ秘術が手に入るというのに……」
「ナタリー! ここは俺が押さえる」
ザイルに剣を向けながらも横目でナタリーを見ると、ルミエールの手当てを終え、互いに支え合いながら立っていた。
「あんたはどうするのよ!」
「後から追いかけるから、早く行け! こんなときまでぐずぐずするな!」
「マクシミリアン! あなたを置いていくなんて!」
「行ってください、ルミエール様! あなたがいれば、国を再興できるんです!」
「はぁっ、はぁっ。
き、宮廷騎士ごときが私の邪魔をするとは、笑止千万」
肩で息をしていたザイルが、深呼吸をして息を整える。
空中に円を描くと、額に指を押し当てて、何かを唱えた。
一呼吸おいて、ザイルの術が発動する。
マクシミリアンが捧げ持った剣が、爆風を両断した。
「何!」
「ヴィルヘルミーナの宮廷騎士を馬鹿にするな。
この剣はルクシール様から直々に戴いた宝剣。汚れた魔術士の術など効かん!
ナタリー! 今のうちだ、行け!!」
「マクシミリアン……。生きて、必ず会うわよ……!」
「あぁ。ルミエール様を頼んだぞ」
ナタリーは、マクシミリアンの背中に力強くうなずく。
幼馴染の横顔が、淡く微笑んだような気がした。
「そうはさせるか!」
ザイルがナタリーたちに向けて術を放とうとする。
「うるさい! おまえの相手は俺だ!」
すかさず、マクシミリアンが足元の土を剣先ではじきとばし、ザイルの目つぶしとした上で切りかかって行った。
「マクシミリアン、あぁ……」
「ルミエール様、急いで。
あいつの気持ちを無駄にしないでください」
「でも……うっ……」
ルミエールが泣き崩れる。
「泣いている場合ではありません! ほら!」
足に傷を負ったルミエールを支えて叱咤激励しながら、ナタリーは水が押し寄せつつある岸辺をあとにした。