ヴィルヘルミーナの最後の女王①
本編の途中ですが、ルゥのお母さんのお話です。
シリアス展開。全六話(予定)。
幾重にも重なった桃色の花びらが、風にのって湖へと舞い落ちる。
数多くの魔術士を輩出し、大陸きっての魔術王国として栄えるヴィルヘルミーナの城は、美しき湖上の名城としても有名だった。
「ナタリー! マクシミリアン! こっちよ」
陽光にきらめく見事な金髪に、可憐な菫を思わせる青紫の瞳の少女が、湖のほとりを駆ける。
「お待ちください、ルミエール様!」
昼食の入った籠を抱えて追うのは、赤毛にそばかすの少女。
幼少の頃よりルミエールに仕えてきた、侍女のナタリーだ。
「あっ」
ナタリーは主君を追うのに夢中になって、足元の小石につまずいた。
自分はどうなろうとも、主の昼食だけは守らねばと籠を抱え込んだが、覚悟していた衝撃はいつまでたっても来なかった。
代わりに、力強い腕が彼女を支える。
「おまえな、それ以上鼻が低くなったらどうするんだ。ただでさえ十人並みなのに、城に置いてもらえなくなるぞ」
そう憎まれ口を叩くのは、ナタリーの幼馴染であり、次期ヴィルヘルミーナ女王たるルミエールを守る、宮廷騎士のマクシミリアンだ。
「ううう、うるさいわね。
ルミエール様は鼻の高低で侍女を選んだりしないから大丈夫よ」
「ルミエール様がいいといっても、へちゃむくれにお側をうろうろされるのは俺が嫌だ」
「へちゃ……!?」
なんて言い草! と口をぱくぱくさせるナタリーの手から、マクシミリアンが籠を取り上げる。
「俺が持っていくから、おまえは昼食場所を確保しろ」
「それはどうもありがとねっ。ついでにいちいち指図するのはやめてくれる?」
「おまえがぐずぐずしているからだろ。言われるのが嫌ならさっさと動け」
「なぁんですってえぇぇ」
「あの……ナタリー、マクシミリアン。
ここでいいから、お昼にしましょう?」
二人が言い合っていると、先に行っていたルミエールがいつの間にか戻ってきて、遠慮がちに声をかけた。
「ルミエール様、ここでは景色があまりよくありません。
今、ナタリーがいい場所を見つけますから、もうしばらくお待ちください」
「でも……」
「お気に召した場所がありますか? どこぞなりとお申し付けください。すぐに準備いたします」
「ちょっと、その準備ってあたしがするのよ? わかってる?」
「ごめんね、ナタリー。私が急にピクニックに行きたいなんて言いだしたから……」
「あ、いえ、ルミエール様! それはいいんです。ただこの馬鹿がさっきからごちゃごちゃうるさいから」
「馬鹿とはなんだ。ルミエール様に謝らせるなぞ、おまえの方が馬鹿だろう。
侍女の仕事をなんだと思ってるんだ」
「ルミエール様のためなら、剣山の上にだって休憩場所を作って見せるわよ!
ただそれをあんたに言われるのが気に入らないわ!」
「なんだと!?」
「もうっ、二人ともいい加減にしてっ。
明日からはこんな時間はとれないんだから、楽しく過ごしましょうよ」
「あ……ルミエール様……申し訳ありません」
ナタリーが小さくなって謝る。
マクシミリアンも、長身をかがめてばつの悪そうな顔をした。
元々の童顔もあって幼く見られることの多いルミエールだが、明日で18になる。
ヴィルヘルミーナの女王は世襲制であり、代々18歳の誕生日に次の女王の戴冠式が行われる。
少し前に二十歳になったマクシミリアンと、ルミエールの二つ年下のナタリーは、それぞれ両親が城で働いていたため幼い頃に出会い、兄妹のように育った。
年の近い遊び相手として紹介され、ルミエールにとっても、二人はもっとも気の許せる相手になった。
即位しても、ナタリーはルミエール付きの侍女でありマクシミリアンは宮廷騎士であることに変わりはないが、これまでのように三人ででかけることは難しくなる。
最後の思い出にと、ピクニックを提案したルミエールだった。
「ルミエール様、この先に少し開けた小高い場所があります。
そこで昼食にしませんか。
城と湖が一望できて、とてもきれいなんですよ」
ぷぅっと頬を膨らませたルミエールの機嫌をとるように、マクシミリアンが言った。
「今日のお弁当は、ルミエール様の好きなほうれん草のキッシュですよ。
料理長秘蔵の葡萄酒も持ってきちゃいました」
ナタリーも、マクシミリアンの持つ籠の蓋を開けて、中身をちらっと見せてルミエールの様子を伺う。
「景色がよくても、おいしいお料理があっても、二人が喧嘩をしていては意味がないわ」
「喧嘩なんて!」
「してません!」
二人の声が重なる。
「本当?」
「本当ですとも! ほら」
と言って、ナタリーがマクシミリアンに抱きつく。
マクシミリアンも、にかっと笑ってナタリーを抱きしめた……というより羽交い絞めにした。
「ち、ちょっと、マクシミリアン! 苦しいわよ!」
「俺の愛だ、受け取れ」
「あんたの愛なんていらん!」
「……いらないの? やっぱり喧嘩……」
「いるいるいるいる! いります! マクシミリアン大好きよっ
ルミエール様も一緒に、ほぉら、仲良しっ」
ナタリーがルミエールの手を引き、二人の間に入れる。
三人でぎゅうっと抱き合い、だんごのようになった。
ずいぶんとおかしな構図だが、ルミエールは嬉しそうにしている。
その反面、年上の幼馴染は、複雑な表情をしていた。
「うふふ、確かに苦しいわ」
「あ、すみません、ルミエール様」
マクシミリアンがぱっと離れる。
「大丈夫。二人が仲直りしてくれてよかった。
さ、行きましょう。その、景色がいいっていう場所を教えて?」
「はい」
先導するマクシミリアンのあとを、ルミエールとナタリーで手をつないで歩く。
小さな頃ならいざ知らず、立場を理解した今ではこうした触れ合いは恐れ多いと思うナタリーだったが、ルミエールは何かにつけてくっつきたがる。
特に今日は、一種の躁状態のようだ。
ルミエールなりに、明日の戴冠式が不安なのかもしれない。
咲き乱れる花々や、空を行く鳥のことを楽しそうに話すルミエールに相槌を打ちつつ、ナタリーはマクシミリアンを盗み見る。
さっき、ルミエールを間に挟んだとき、マクシミリアンは何を思ったのだろう。
ナタリーは、彼がいつからかルミエールに想いを寄せていることを知っている。
ただの宮廷騎士の自分と、ゆくゆくはどこかの王族か貴族を婿に迎えるルミエール。
かなうはずのない、恋―
大好きな二人に幸せになって欲しいけれど、二人が結ばれることはない。
きっとマクシミリアンもどこかで区切りをつけ、身分に合った相手を見つける事だろう。
「もうすぐですよ」
振り返ったマクシミリアンが、前方を指さす。
その瞳に、親しみ以上のものは見られない。
ま、せいぜい道を踏み外さないようにね。いつか来るその日には、なぐさめるくらいはしてあげるから。
そう思い、ナタリーはルミエールとともに歩を進めた。
「わぁ、すてき!」
マクシミリアンが案内してくれた場所は、ヴィルヘルミーナ城と湖が一望できて、とてもいい景色だった。
敷物を広げ、その上に料理長が持たせてくれた昼食を並べる。
「あら? これは……」
中に、ナタリーには見覚えのない箱が入っていた。
「ケーキだ」
「わ! マクシミリアン、作ってくれたの?」
「明日、お誕生日ですから」
「ありがとう!」
マクシミリアンには、剣を振り回す騎士には似つかわしくない趣味がある。
菓子作りだ。
昔気まぐれに母を手伝って作った菓子を、ルミエールが大層喜んで食べた。
それ以来菓子作りに熱中し、日々の差し入れはもちろんのこと、毎年ルミエールの誕生日にはケーキを焼いてきた。
明日は一緒にケーキを食べるどころではないだろうからと、今日持ってきたのだ。
「おいしい! マクシミリアンは本当にお菓子作りが上手ね!」
ナタリーが切り分けたケーキに、真っ先に手をのばすルミエール。
「ルミエール様、ちゃんとキッシュも召し上がってくださいね。
ケーキでおなかいっぱいにしちゃだめですよ」
「わかってるわ。でも残しちゃもったいないじゃない」
「それは他のお料理も同じです。
余ったら持ち帰りますから、夜また召し上がってください」
一見普通に見える籠だが、中は時間を固定する魔術がかけられ、冷たいものは冷たいまま、温かいものは温かいまま保てるようになっている。
術が切れるまでは、食品の鮮度もそのままだ。
「夜……。そうね、寝台で食べてもいい?」
「寝台?」
葡萄酒を注ぎ分けていたマクシミリアンが、不思議そうに問う。
「この間書庫で見つけた絵本に、お姫様が寝台で朝食をとっている挿絵があったのよ。
夜着のまま起き上がって、細長いテーブルを寝台に横切らせてたわ」
「病気の姫だったのか?」
「違うわ。なんだっけ、えーっと」
「寝ていてね、紅茶と蜂蜜トーストの香りで目が覚めるのよ。
起き上がると目の前においしそうな朝ごはんが並んでるの。
それをゆったり食べて、お姫様の一日が始まるの。すてきじゃない?」
「お行儀が悪いです」
「そうだな。怠惰な感じがする」
「ええ? そうかしら。いいと思うんだけど」
だめと言われればやってみたくなるのが、心情だ。
食事ひとつとっても礼儀作法の時間となるルミエールは、一度そんな朝食をとってみたいとナタリーにせがんでいた。
朝食がだめなら夜食でもいい。
「ね、今日だけ、特別。夜、こっそり」
「寝台で食べたら、歯磨きはどうするんですか?」
「食べ終わったら磨けばいいじゃない」
「寝台の上で?」
「起きるわよ」
ナタリーもマクシミリアンもいい顔をしない。
半分意地になったルミエールは、なんとか実現しようと駄々をこねる。
「一回やれば気が済むわ。ね?」
「寝る直前に食べたら、太りますよ」
「消化も悪いです」
「直前じゃなくてもいいわ。一回寝台に入って食べて、また起きるから」
「それなら普通にテーブルで食べればいいじゃないですか。
何も寝台じゃなくたって」
「そういうことじゃないのよぅ」
ルミエールの頬が、また、ぷぅと膨れる。
「そんな顔なさらないでください。明日からは女王様でしょう?」
「ナタリーがさせてるのよ」
「まぁ、今夜だけっていうならいいんじゃないのか?
せっかくの誕生日ケーキだし……」
「そうよね! そうよね、マクシミリアン!」
「この裏切り者っ。
……ふぅ、じゃぁ、今夜だけですよ」
「きゃぁ! ありがとう、ナタリー!」
結局は、ルミエールに甘い二人である。
「では、ケーキはそこまでにして、お料理をいただきましょう。
甘いものだけでは、お食事になりませんからね」
「ええ!」
敷物の上には、サラダ、ほうれん草のキッシュ、鴨肉の燻製、具沢山のスープなどが並んでいる。
景色を眺めながら料理に舌鼓を打ち、城内の面白おかしい噂話や、国で流行っている店の話などをするうち、あっという間に楽しいひと時は過ぎて行った。
「そろそろ戻りましょうか」
日の傾きを見て、マクシミリアンが言う。
城では明日の準備が進められている。
主役のルミエールは、もう今日となってはすることもないので、慌ただしい城にいるよりはと外出の許可を得ていた。
とはいえ、夕方から最終的な打ち合わせがあると聞いている。
「いよいよ、明日ですね」
「うん……。二人とも、私が即位しても、変わらずにずっとそばにいてね」
「もちろんです」
「いつまでも、誠心誠意こめてお仕えさせていただきます」
ナタリーはスカートの裾をつかみ、マクシミリアンは片膝をついて礼をする。
ルミエールは、そんな二人を見て一瞬寂しそうな顔をしたが、気持ちを切り替えて礼を受けた。
翌日。
「女王万歳!」
「ルミエール様、万歳!」
戴冠式を終え、城で最も高い塔の上から手を振るルミエールに、人々が歓声をあげる。
うすく化粧をして正装をし、金髪を結った上には歴代の女王が守ってきた冠。
その中央には、涙型の深い青色をした貴石がはまっている。
第83代女王の誕生だ。
ヴィルヘルミーナは、国の中心に湖があり、その真ん中に城が建っている。
民の暮らす街と城とは、跳ね上げ橋でつながっていた。
今日は城の庭が解放され、祝いに駆け付けた国民で橋の上まで埋め尽くされている。
それでも入りきれなかった人々は、少しでも近くで新女王の姿を見ようと、湖に船を浮かべていた。
「おめでとう、ルミエール」
「お母様」
ルミエールが振り返ると、つい先ほど娘に位を譲った母、ルクシールが立っていた。
ルミエールと同じ、金髪に青紫の瞳。
四十を過ぎてなお可憐な容姿と高い魔力で、国内外に熱烈な信者がいる。
「成人の儀も戴冠式も無事終わってよかったわ。あとは継承式ね」
「それが一番緊張するわ。私……大丈夫かな」
「ふふ、ルミエールなら大丈夫よ。
私も歴代女王の中でも指折りの魔力を持つと言われているけど、あなたはそれ以上の素質を感じるわ」
新女王は、これから七日間、城の地下にある魔術陣に通い、ヴィルヘルミーナに伝わる魔術の全てを受け継ぐ。
膨大な魔術の中には、人の役に立つものから、一歩間違えば全世界を破滅に導く秘術まである。
秘術は書物に残すわけにはいかないため、代々女王の体に刻み、封じられてきた。
しかし魔術は強ければ強いほど、たとえそれが封じるだけであっても、術士に負荷をかける。
一人の人間が無理なく秘術を封じられる時間―それが娘が18になるまでという女王の在任期間の理由だった。
「さぁ、胸を張って。国民に応えてあげなさい」
「はい」
再び民に向き合ったルミエールは、にこやかに微笑み、手を振る。
人々の歓声がひときわ大きくなった。
「女王万歳!」
「ルミエール様、万歳!」
そんな、新女王に歓声を送り続ける人々の中に、外套を目深にかぶった二つの影があった。
「ちっ……戴冠式に間に合わなかったわ」
「気にするでない。このあとの魔術の継承こそ本当の儀式。
クラリス、おまえこそが正統なる後継者だ」